月夜 談話




 その日の夜は思うように寝つけなかった。

 

 私の中で妖怪は、夜行性のイメージが強かった。けれど、ここの妖達は夜に休んでいるようだ。屋敷は暗く、静かである。

 一比古は、私より少し離れた位置で丸まっている。以前、布団で寝るように言ったのだが、一比古は布団が嫌いらしい。重くて暑くて寝苦しいのだそうだ。一比古によれば、布団の有無は個人の好みらしい。



 いつもは割とすぐ眠ってしまう性質だが、今日は目が冴えてしまって、どうにも眠れない。今日一日で思い出した家族の記憶や今日あった不思議な出来事、栴檀せんだんの話が頭の中をぐるぐるしていて落ち着かないのだ。

 私は起き上がり、掛け布団の上から掛けられた羽織を肩に掛けて、こっそり屋敷を抜け出した。



 外は月明かりで明るく、松明のような光源がなくともよく見えた。昼に伸びてしまった草は、また切り揃えられていた。と言っても屋敷の周りだけで、神楽殿へ続く小径の方までは手が回っていないようだ。一比古に手を引かれて歩いた桃の木の小径を抜ける。ぽっかり開けた野原に月明かりに照らされて銀色に光る神楽殿がある。

 膝まである草を踏み分け踏み分け、神楽殿へ辿り着いた。草履を脱いで舞台へと上がる。辺りは静かだが、虫の音や鳩の鳴き声が、時節聞こえてきた。


 上に一枚羽織っていれば、浴衣でも気持ちが良いくらいの涼しさだ。神棚に背を向けて舞台の真ん中で体育座りをする。ボーッと景色を眺めていると、頭に浮かんでくるのはやっぱり今日の出来事。






『お姫様には、舞を続けて頂きたい』


『どうか、どうか。お願い致します』


『……お受け致します』






“疲れるから、もう考えたくないのに”





座っていても全然落ち着かないから、今度は立ち上がって、私は舞台上を駆け足で一周した。更にもう一周。それから、こちらへ来る直前にバレエ教室で振付て貰った動きをした。大きく腕を動かしたのも、大きく足を開いたのも、久しぶりだ。

 柔軟体操も筋トレもしていなかったから、伸ばした筋がどこもかしこも痛い。この痛みが懐かしくて、心地良かった。ポイント、フレックス、前屈をして股関節を回して、アキレス腱を伸ばす。

 身体が温まっていない状態で踊るのは、怪我のリスクが上がって危険だから、ゆっくり動いた。筋肉や筋を傷めないように、身体が少しだけ温かくなったので、手足を大きく外側へ投げ出すように勢いをつけて遠心力でくるくると回る。ここで重心を外へ引っ張られると転んでしまうから重心はセンターに。手と足は均等な力で引っ張って。そしてグラン・バトマン。

 音はなくても頭の中で再生できる。ついさっきまで、昼間の事でいっぱいだった頭は、踊る事に集中できていた。それ以外が思考を邪魔する事はない。頭の中がスッキリしていくようで気持ちがいい。ワクワクする。



“やっぱり私、モダンバレエが好きだ”




最後に花が開くように手を広げて、空気を巻き込むように旋回させ、胴体へと寄せる。静かなポーズで終わるが、全身運動のせいが息が上がる。酸素が追いつかず、肩まで上下するほどの息苦しさが懐かしかった。目を瞑って、ゆっくりと作品の余韻を噛み締めていた時だ。




「面妖な舞だった」

「わっ!」




割と近くで聞こえた声にびっくりして飛び跳ねた。




「すまない。驚かせたようだ」




心臓が痛いくらい脈打っている。




「一人で夜に出歩いていたのかい? 一比古が血相変えて探し回ったりしていないか?」




神楽殿のすぐ側に立っていたのは、主様だった。





「人の子は、夜は休むものと思っていたのだが、お前は違うのかい?」

「……今日、眠れなくて……」

「そうか。身体は? 冷えてしまわないか?」

「今は動いていたから、暑いくらい……です」

「ふむ。人の子は汗をかくとすぐに身体が冷えてしまう。これを羽織りなさい」



そう言って主様は、自身の菫色の羽織を脱ぐと舞台へと上がってきて私の肩へと掛けた。

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主様の後妻様 青柳花音 @kailu_kai

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