クール系女子が教科書どおりに焼餅をやいてみた。

よなが

本編

 数年前まで子猫みたいだったのに、今ではそう形容するには全体的に育ち過ぎている。とりわけ、中学一年生までは二人揃ってぺたんこだった胸だけれど、気づけば向こうばかりすくすくと育っているのは解せない。身長は私のほうが三センチ高いのに。

 羨ましいわけでも悔しいわけでもない。その脂肪の塊のせいで不特定多数の男子の視線を注がれている彼女をいかにして守るか日夜、思案しているのだ。


「れーちゃん? わたしの胸に何かついている?」

「……見ていないわ」

「見ていたよ?」

「自意識過剰ね」

「うーん……。れーちゃんがわたしを観察するの観察していたんだけどなぁ」

「さっさと問題を解きなさいな」

「はぁい」


 二年三組の教室には私たち以外誰も残っていない。藍子あいこの前の席を借り、机を合わせて二人で課題を進める。放課後の日常。大抵はどの教科でも私が先に終わらせる。今日もそうだった。

 月曜日と金曜日にはさっさと学校を出てどこか寄り道することも多い。帰宅部特権ということもないんだろうが、忙しい部活動に属している子たちとは違う青春はしていると思う。


 数学の問題に苦戦してなかなかペンが進まず、「うー」と小さく唸り始めた藍子を眺める。もう胸は見ない。

 やや癖のあるミディアムヘアはあと一カ月もして梅雨の時期になると毎年、うねって癖が強くなる。目頭よりも目尻が下にある、ようは垂れ目が彼女の穏やかそうな印象を作るのに一役買っている。鼻が高くないことや下唇に厚みがあるのもまた、そうした彼女の人柄をイメージさせるのだろう。そして実際に、藍子の性格は端的に言って、のんびり屋なのだった。

 それから声。幼馴染の贔屓目ならぬ贔屓耳とでも言えばいいか、藍子の声は癒される。癒され過ぎて時に眠気を誘う。子守唄を録音させてくれるよう頼もうと考えたこともあったが、実行には至っていない。


「れーちゃん、ヒント」

「左辺から右辺を引いて平方完成すればいいだけじゃない」

「そんなので証明できるの? 不等式だよ?」

「だから何よ。……ねぇ、それはともかく」


 私はいつ訊くか、どう訊くか今朝から迷っていた話題を口にしようとする。そこにいつもと違う調子があったのか、それとも単に問題を解くのが億劫になったのか、藍子は手を止め、顔を上げて私を見つめてきた。


「なぁに?」

「……なんでもないわ」

「あ、なんでもある人の台詞だ」

「――――高塚さんと最近、仲良いわね」


 言った。言ってやった。

 それなのに、藍子は小首をかしげる。そんな藍子も可愛い、いや、そんなわかりきったこと今はいい。


「どうしてとぼけるのよ」

「えーっとぉ? あー、由乃ゆのちゃんのことかぁ。そういえばそんな苗字だったね。れーちゃんってば、なんでそんな他人行儀な呼び方するかな」

「藍子と違って仲良くないから」

「向こうは仲良くなりたがっていたよ?」

「え、なんで」

「理由いるかなぁ。んー、れーちゃんがなまらめんこいからかなぁ」

「は? なまら……なに?」

「北海道弁で、すごく可愛いってこと」

「私たち生まれも育ちも北陸でしょ」

「同じ北だね」

「北しか合っていないのよ」


 同じ雪国で括っても鼻で笑われる、たぶん。


 高塚由乃は二年生になって同じクラスになった子だ。背丈や性格が子猫みたいな女の子。とはいえ、かつての藍子が日向ぼっこが大好きで膝で眠らせたくなる猫であったのに対し、高塚さんは活発ですばしっこい、外が雪でも喜んで庭を駆けまわりそうな猫だ。これでは犬か。でも顔立ちからすると犬よりは猫寄りなのは確かだ。少し茶色がかったショートボブの卓球部女子である。


「高塚さん、スキンシップ過剰よね」

「そうかなぁ。たとえば?」

「ほら、今日だって挨拶代わりに藍子に抱き着いていた」


 すぐ隣で起きたことだったので、ぎょっとした。あんなのちょっとした通り魔だ。……ちょっとした通り魔ってなんだ。

 その時に藍子が「お~」ってにこにこしていたのも、愉快ではなかった。どういうわけか、胸がチクチクとした。


「欧米風だよねぇ」

「大和撫子にあるまじき行為ね」

「れーちゃん、そういうの大事にしていたっけ? 前は社会的性差を助長する云々って熱弁していなかった?」

「一介の高校生がそんなの熱く語らないわよ」

「んーっと、前に佐藤くんがわたしに、茶道や華道でも習っていそうだよなって言ってきたことあったでしょ」

「どの佐藤?」

「眼鏡かけていないほう。それで一時期はクラシックバレエやピアノを習っていたんだよーって話になって……」

「あいつが『似合わなくね?』だなんてほざいたのよね。思い出した。でも、その話はいいわ。どうでもいい」


 そう言うと藍子は「そっかぁ」とお馴染みのゆるゆるとした相槌を打った。


 私は藍子にどんなふうに伝えればいいのか悩んだままだった。

 つまり、このもやもやとした気持ち、それをどう表現したのなら平和的解決となるのだろうと。自分でもよくわかっていないのだ。ありのままを彼女に話してみても困るに違いない。まさか私自身が正体を突き止めていないのに藍子が理解しているということはあるまい。


「由乃ちゃんも『ガラスの仮面』が好きだって話していたんだぁ」

「え、そんな話をいつしたの」


 学校で私たちは基本的に一緒に行動している。ひょっとしてメールか何かだろうか。私の知らないところであの子と藍子がわいわい盛り上がっているのだと想像すると、なぜか胸が苦しくなった。


「一昨日、れーちゃんが家の用事で早く帰ったとき、部活が休みだった由乃ちゃんと駅まで一緒に帰ったの」

「……初耳だけれど?」

「ごめんねぇ。なんだか言うタイミング逃しちゃって。昨日の朝一番に話そうとしたんだけど、ついうっかり」

「謝ることではないわ」

「れーちゃんが中三の夏に泊まり込みでわたしの勉強を手伝ってくれたのを話したら『おそろしい子!』って言っていたよ。白目じゃなかったけど」

「そんなこと話したの?」

「うーん……なんか自然とれーちゃんの話ばかりしちゃった。ごめんねぇ」

「いや、それも謝らなくていいわ」


 あれ、今度は胸がぽかぽかしてきたぞ。風邪かな。


「ねぇ、れーちゃん」

「な、なに。まだ問題解き終わっていないわよ」

「うん。でもこっちのほうが大切かもって。あのね、訊いていい?」

「そんなかしこまらなくても、訊きなさいよ」


 友達なんだから。小学生からの幼馴染で、大親友。

 なんだろう、そう考えると心がざわっとした。

 それでいい、そのはずなのに。


「えっとね、由乃ちゃんがわたしに抱き着くのは嫌?」

「どちらかと言えばそう」

「え~? アンケートの回答じゃないんだから」

「勘違いしないで。私はべつに高塚さんを嫌ってはいないの。ただ、ええと、だから、藍子と私でしていないことをああもあっさりされると……って、ごめん。何言っているんだろうね、私」

「いいよ」

「え?」


 藍子はペンを置くと、ばっと両手を広げた。


「れーちゃんだったら、いつでも何度でも抱きしめてくれていいよ?」

「机が邪魔で無理でしょ。というか、私は抱きしめたいわけじゃ……」

「わたしは抱きしめられたいなぁ」


 ゆっくりと藍子は手を元の位置に戻しながらそう言った。


「たしかにハグは、βエンドルフィンやオキシトシンといった脳内ホルモンを分泌する効果があるって聞くわね」

「れーちゃん……はぁ」

「どうして溜息つくのよ」

「けっこう勇気出したつもりだったのになぁって」


 勇気? 急に何を言い出すんだこの子は。


「とりあえず、れーちゃんが嫌って言うなら由乃ちゃんには、挨拶のハグはダメってそれとなく伝えることにするね」

「挨拶以外でしているの?」

「していないよ」


 いきなりムッとする藍子だった。そんな顔も可愛い。いや、それもまた自明のことであるし、怒らせたいわけではない。


 ふと、藍子が教室内を見回す。私もそれに倣ってみるが、やはり他に誰の気配もないままだ。藍子が座ったまま体を前のめりにして片手で半分のメガホンを作って「れーちゃん」と囁く。


「どうしたのよ」 

「覚えておいてほしいなって」

「何を?」

「わたしの一番はずっとれーちゃんだから」


 私はその不意打ちに言葉をなくした。

 正確には、すぐに何か言おうと思った。でも出てこなかった。うまく頭も舌も回らなくなった。さらには顔が熱を帯び始めた。風邪のときのそれではない。それはわかる。


「は、恥ずかしいこと言わないでよ、急に」


 やっとのことでそんなふうに返すと、藍子は優し気に微笑んだ。

 そのとき私は点と点が繋がって線になる心地がした。そういうことかと膝を打って、藍子にそれを報告した。


「わかったわ」

「うん?」

「私、藍子の一番じゃなきゃ嫌みたい」

「…………え?」

「納得したわ。そういうことだったのよ。いつでも藍子にとっての一番が私じゃないと胸がざわざわするみたいなの。なるほどね、これですっきり……」


 していなかった。

 それどころか、藍子の顔がみるみるうちに赤らむのを目にして、そして自分の発言を省みて、思わず勢いよく立ち上がった。がたんっと椅子が音を立て教室内に響いた。


「あ、えっと、つまり、そういうことなのよ!」


 何の意味もないことだけ口にして、おずおずと座ろうとした私に藍子がはっきりとしたトーンで言う。


「やきもちを焼いたってことだよね」

「や、やきもち?」


 私は中腰の状態で訊き返す。


「そう。由乃ちゃんがわたしとべたべたするから、れーちゃんはやきもちを焼いてくれたんだ!」

「そんな目を輝かせて言うこと?」


 大発見って顔。驚きよりも嬉しさが勝っている表情。

 そして、ふらっと藍子も立ち上がる。反射的に私も中腰からまた背筋を伸ばして立ち直していた。机越しに、藍子の顔が近づいてくる。

 小さな、でも想いが十二分に込められた声で藍子が私に言う。


「れーちゃん……大好きだよ。れーちゃんは?」


 近い近い近い。これまでだって肩寄せ合って座ったり、お泊まりのときに一つのベッドで眠ったりもしていたけれど、今日この瞬間の距離感はそれらとは違う。決定的に何かが異なる。


「……教えて? お願い、れーちゃん」


 いつどこでそんな声色を覚えたのか、もはや癒し系ボイスでは片づけられない甘さがそこにある。あまりの高糖度に脳がとろけてしまう。

 そんなわけでまともに声を出せそうにないと判断した私は藍子のすぐ耳元まで顔を近づけ、そこに囁くことにする。

 たった二文字。

 それを聞いた藍子は「はぅ」みたいな声にならない声をあげたかと思うと、すとんと腰を下ろして机に突っ伏した。


「だ、大丈夫?!」


 ゆさゆさと彼女の背中をさする。

 すると「はわぁ」とまたしても奇声を返してくる。

 私の幼馴染、可愛すぎるでしょ。




 その翌日のこと。

 藍子を抱きしめようと突進してきた高塚さんを、藍子がスッと手で制した。目をぱちぱちっとさせる高塚さん。そんな彼女に藍子は「お触り禁止になりました。れーちゃんが妬いちゃうから」と、なぜか照れながら言った。

 高塚さんは「へー」と平然と返してきて、かと思えば、藍子の隣にいた私を見やり「じゃあ、そのれーちゃんに抱き着こうかな」とにやにやしてきた。


「ダメ。れーちゃんはわたしだけのものだから」


 私が断り文句を考える間に藍子がそう言った。高塚さんは私たちの顔を交互に眺めて「あちゃー、もう出る幕なしか」と笑って去っていった。


「意外ね」

「何が?」

「藍子って独占欲強めなのね……って、何を祈っているの?」


 両手を擦り合わせている藍子だった。


「一見するとクール系なのに、実は天然ぴゅあぴゅあの可愛い幼馴染にわたしの大好きがちゃんと届く日が来るようにって」

「難儀しているわね」


 よくわからないが彼女が困っていそうなのでそう返した私に「ほんと、おそろしい子……」と苦笑いで呟く藍子だった。

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クール系女子が教科書どおりに焼餅をやいてみた。 よなが @yonaga221001

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