ふたりぼっち

朱々(shushu)

ふたりぼっち


 築二十年越えの一軒家を買った。

 ここがきっと、終の住処になるだろう。




「真白ぉー。真白ちゃーん?」

 当の真白は泡だらけになりながら風呂掃除をしていた。集中すると周囲が聞こえなくなるのは、昔からの癖である。

「あ、いた。真白、夕飯買いに行くけど今日なにがいい?」

 肩が少し動くくらい労働をしていた真白は、自分の空腹加減を時間差ですぐに知る。

「純が作るハンバーグか、オムライスがいいな」

「了解。いってきまーす」

 食事当番は、純に決めた。真白は食になかなか興味がなく、ひとりでいるとつい手抜きをしてしまう。


 一軒家は平屋で、小さいが庭も付いている。食に興味のない真白だが植物を育てることには好きで、この家でも育てたいと意気込んでいた。

 育てられるなら、なんでもいい。

 純と四季を感じるのが目的でもあった。


「いただきまーす」

「はい、いただきます」

 純が手際良く作ったオムライスは、卵はふわふわで、デミグラスソースがかかっている。ふたりの定番はケチャップではなく、デミグラスソースなのだ。

「やっぱり純が作るご飯はおいしいねぇ」

「簡単な夕飯くらいはね、ちゃんと作りますよ」

 真白は、ふふふと笑い、それは、これからの生活への期待値にも見えた。

「真白、明日どーする?」

「明日は、家具を見に行きたいなぁ。この家まだベッドもないし、タンスもないし、ソファーもない」

「慌てて引っ越したから、まぁそうなっちゃったよな。譲ってもらった冷蔵庫とクッションに感謝だよ」

純はリビングを一周見て、ほぼ何もない家に苦笑する。それでも、新生活に対するわくわく感はあった。

「ま、明日いろいろ見に行こう。今はまだ段ボールと、寝袋ってことで」

「キャンプみたいだね」

「はは、たしかに」




 翌日、真白の希望通り家具屋へ向かった。

 限られた予算のなかで、テーブルなどの必要最低限のものを買った。雑貨などは、要る/要らないの判定も時々おこなわれた。

 意見が早く一致したのはマグカップで、色違いのお揃いにした。純は紺色、真白はオフホワイトだ。


 その後は電化製品店にも向かい、テレビや掃除機や洗濯機を見た。安かろう悪かろうを信じるか、国産を信じるかでこれまた判定が迷い、結果、使いやすそうなものという着地に落ち着いた。


 帰りはスーパーに寄り、純の頭の中で夕食の献立が組まれる。今夜はパスタにしようか、とふたりの意見は一緒だった。

 昨日の掃除で足りなかった品々も購入し、なんとか一日が終わった。


「真白、おやすみ」

「純も、おやすみなさい」

 まだベッドがなく寝袋生活のふたりは、手を繋ぎ、互いの存在を確かめ合って眠った。


 こうやって、何気ない日々をこれからも過ごしていきたい。

 望んだのは、純も真白も同じだった。

 食事の献立に迷う毎日も、部屋のインテリアに悩み意見を聞き合う時間も、以前のように互いのおすすめ映画を観る夜も、背徳的な時間に食べるデザートすらも。


 愛を語り合うのはいつだっていい。

 正面を向くと照れ臭いが、互いの本音は伝わりあっている。

 すきだよ。だいすきだ。ずっと一緒に生きていこう。

 何度も何度も、繰り返す。

 朝も昼も夜も深夜も、このままずっとずっと同じ速度で時間が流れればいい。誰にも邪魔されず、誰にも入り込めない世界がここにあると、純と真白も知っている。自分たちの絆は切れない。

 家族の最小単位は「ふたり」だと、ふたりならば生きていけると、純も真白も心から思っている。






 ふたりとも、生まれ故郷は捨ててきた。


 両親、親戚、友人知人の縁も切った。罵倒も正論も偽善も直面した。あれ以来の諸々を、ふたりは知らない。

 知らない街で、知らない人に囲まれて、新しい空気を纏っての新生活。これは、純も真白も望んだことだ。

「ほんとにいいの?」と何度繰り返したことだろう。

 喧嘩になりかけたことあった。相手に伝えず、ひとりで生きていくことも考えた。

 それでも、純と真白は離れられなかった。

「本当にいいんだよ。これから先も、一緒がいいから」

 他の誰も何もいらない。

 ただ、ふたりでいたい。

 それだけだった。


 きっかけは、純に彼女が出来、ほぼ同じタイミングで真白に彼氏が出来た学生時代だったように思う。

 世間はそれらを"しあわせ"だと括るはずだが、純も真白も疑問を持ったままだった。

 幾度も、「純といるほうが楽しい」「真白といるほうが幸せだ」と、互いに思うようになった。その想いは消したほうがいいと、ふたりとも必死に蓋をした。

 遊び呆け家に帰らず、現実逃避をしたときもあった。異性との関係を断ち切り、自問自答をしたときもあった。異性に互いを重ねるときもあった。

 だが、どう考えても、考えても考えても、互いが互いを必要としていた。

 辿り着いた答えは、それしかなかった。


 気持ちを打ち明けたのは、真白に縁談の話が来たときだった。

 まるで昭和のような話に驚きつつ、真白は人生で初めて体験した嫌悪感を持った。絶対に嫌だと叫び、そして純もまた、絶対に嫌だと確信した。

 離れない。離れたくない。

 後ろ指をさされても、陰で噂をされても、おまえたちは間違っていると言われても、純と真白の気持ちに揺るぎはなかった。

 そう決めたタイミングですら、同じだった。


 その日の夜、真白は純の部屋を訪ねた。

「ねぇ純。ひとり暮らしするなら、私も連れてってよ」

 純と真白は、喧嘩という喧嘩をしたことがなく、互いを押し付け合うことは一度もなかった。

 このとき真白は初めて、強く自己主張をした。

「純おねがい、私を連れ出して」

 昔から利口で周囲の空気を読むのが得意な純だが、そのときばかりは、何かに後ろを押されたかのようにすぐに頷いた。

 理由なんて、もうずっと昔から知っていたのだと思う。

「わかった」

 こうしてふたりは、ふたりだけで生きていくことを決めた。






 朝、真白がゆっくりと起き上がると、純は既にキッチンにいた。

 なにかを焼いている音がする。

 真白は洗面所で顔を洗い歯を磨き、「おはよーう」と純の背中からフライパンを覗いた。

「え! もしかしてフレンチトースト?」

「せいか〜い。真白、好きだろ?」

「嬉しい! 私コーヒー淹れるね」

 新生活が始まっても、ふたりの息は変わらずにぴったりだった。変わったことといえば、互いが互いを受け入れた影響か、性格が少し柔らかくなったように感じる。それは純が真白へ、真白が純にも思っていることだった。

 昔はもっと、堅苦しい感じだったのにね。

 その感想も、ふたりは言い合わない。言い合わなくても、伝わっている気がしていた。


「いただきまーす」

「いただきます」

 純が作ったフレンチトーストと、真白が淹れたコーヒー。自然光が入る食事スペースは、朝の日差しによく似合う。

「おいしい! さすが純! 私の好みにぴったり」

 フレンチトーストには、粉砂糖とたっぷりのはちみつ、苺も添えた。

「そうだろうそうだろう」

 純はにやにやと笑い、真白の食事姿を眺める。

 ふたりがけのテーブルに向かい合ってする食事は久しぶりかもしれない、と頭の片隅でぼんやり思う。

「買ったテーブル、ぴったりでよかったよな。食器も揃えたし、あとは大型家電を待つってかんじかな」

「だね。来るの楽しみだなぁ」

 後片付けは、真白が担当する。けれど結局純も手伝うので、ふたりでの共同作業になりつつある。

「ふたり分だから、食器もこんなもんだよね…」

 少しガランとしている食器棚を見つめ、真白は続ける。

「ま、誰か来るわけじゃないし、全然問題ないか!」

 純に向けた笑顔は、決して偽りではなかった。

 けれど少しさみしそうにする真白のその表情に、純の胸が傷んだことも事実だった。

「真白、今日はどーする?」

「んー。家電はまだ来ないし、お散歩とか?」

「それいいな。近くに商店街があるらしいから、行ってみようか」

 予定が決まれば話は早い。ふたりは出かける準備をし、その日は街散策にする日にあてた。

「夜は映画観たいな。私が大好きな、」

「わんわん物語?」

「わんわん物語!」

 真白は『わんわん物語』を大変好んでおり、何かあっても何もなくてもよく観ている。

「あれ観るとパスタ食べたくなっちゃうんだけどねぇ。昨日パスタだったからまた今度」

「映画のお供に、アイスクリームはいかがですか?」

 純はまるで、いたずらっ子の子供のように耳に囁く。

「うわー。悪魔の囁き! でもそれ、とっても賛成!」

 こうして、街散策の最後はアイスクリームを買うことが決まった。純はチョコチップ、真白はバニラが定番だった。




 買い物から数日後、家にベッドが届いた。

 シングルベッドをふたつ、寝室に並べるように配置してもらった。ダブルベッドと迷ったが家の広さが以前と違うため、シングルベッドにするしかなかった。


 その後、タンスや本棚、個人が使う小さなテーブルなどが続々届き、初日とは比べ物にならないほど【家】になっていった。洗濯機やエアコンも届いた。

 業者の人が全員帰ったころには夕方近くになっており、慣れない作業に純も真白も疲れ気味だった。

「今日夕飯…なにがいい?」

「卵かけご飯とお味噌汁」

「よし、それでいこう」

 ふたりになったので、食事も誰に気を使うことなく考えられる。ふたりが食べたいものを自由に食べる。以前とは違う生活様式だが、今の生活のほうが格段に楽しい。

 純も真白も、確実に心が解放されていた。




 夕食後、縁側に食後のコーヒーを置きながら、ふたりは並んだ。春の優しい夜風がふたりを包む。

「あー、やっと今日から家って感じになったな」

「わかる。初日なぁんにもなかったから、余計にね」

 庭のライトを買い忘れた真白は、今度植物店に行こうと決めていた。ライトアップさせれば、多少は華やかになるかもしれない。

「ねぇ純。…後悔、してない?」

 庭を眺めながら、隣に座る純にふと真白は問う。

「え、なにが?」

「…家を出たこと、引っ越したこと。…私と、いること」

 真白の語尾はだんだんと弱くなっていった。

 純は目を丸くし驚いたが、直後に優しく微笑んだ。

 そんなことない、そんなことないよ。俺はもう、迷わないから。

 純は真白の頭頂部に手を伸ばしては髪の毛をぐちゃぐちゃにし、笑った。

「ちょっ、と! 髪の毛!」

「真白は、俺の隣にいればいいんだよ。ずっと笑ってて」

 真白は髪の毛を直しながらも、純を真っ直ぐ見つめる。

「俺たち、何度だって話し合っただろ? 立ち向かうことだってあった。けど、気持ちは変わらない。だからこれが結論なんだよ。俺は真白がいれば、何も怖くない。真白は違う?」

 そのあまりにも真っ直ぐな物言いに、真白の心は優しく揺れた。

 この人と出会えてよかった。一緒にいられるようになってよかった。私を選んでくれて、この生活を選んでくれて、ありがとう。

「泣ーくーなーよー。俺たちまだ、始まったばかりよ?」

 無言で頷く真白に、純は頭を撫でる。

「大丈夫だ。これから先、何があっても」

 その力強い言葉に、また真白の涙腺が響いた。

 純の真っ直ぐな言葉には敵わない。そしてそれが、私を強くしてくれる。純が言う「大丈夫」ほど、純粋なものはない。一生この人についていこうと決めた。

「一生一緒にいようって、俺ら約束しただろ?」

 真白は涙を流しながらまた頷き、自身の小指を差し出した。

 そんな真白に純は微笑み、同じように小指を絡ませた。




 神様、来世なんて要りません。

 罰を受けるなら私だけにしてください。

 純はいつも、私を守ってくれるんです。

 あの家で過ごしたような豪華さはもういりません。広い家も、高価な食事も、ブランドものも、華美な洋服も、身の回りを世話してくれる人もいりません。

 これ以上他に何も望まないからどうか、この生活が一日でも長く続くようにしてください。

 流れ星の三回にはきっと間に合わないけれど、どうか。

 神様、私たちを忘れてください。






 玄関のネームプレートは【桜木】。

 戸籍上本来は旧字体の「櫻木」だが、同じ読みなのでいいだろうという結論になった。

 結婚をしているわけでも、籍を入れているわけでもない。

 ただ、父親と母親が正真正銘同じの、そんなふたりである。



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ふたりぼっち 朱々(shushu) @shushu002u

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