壁ドン

きと

壁ドン

 深夜の2時を回った頃。静まり返ってアパートの一室で、ドンッとにぶい音がひびいた。

「またかよ……。うるさいなぁ」

 ベットで眠りに落ちていた大学生、新井あらいは目を覚まして、静かに毒づく。

 春からこのアパートに住んで、3か月になる。この隣の部屋から音は、毎日のように続いていた。

 決まって深夜の2時ごろから始まり、1時間ほど続く。一定の間隔を置いて、壁を殴ったようなドンッという音がする。

 いわゆる、壁ドンというやつだ。

 今までは、トラブルになると面倒だし、もし隣の住人が怖い人だったら、嫌がらせが加速しそうなので何も言わなかった。

 しかし、ここまで続くとさすがに我慢が効かなくなってきた。

 ――決めた。明日、大家さんに言おう。

 大家さん伝いなら、そこまで大事にはならないだろう。

 今も聞こえる鈍い音をうっとうしく思いながら、新井は何とか眠りについた。


 2日後の夕方のことだった。

 新井は、アルバイトを終えて帰ってきたところで、大家さんに話しかけられた。

「新井君、騒音のこと、隣の子に言ったんだけど……」

「何かあったんですか?」

「ええ。身に覚えがないって言われたのよねぇ。あの部屋の子、新井君と同じくらいの年の子だから、ボケてるってことはないだろうし……」

 大家さんは、首をかしげる。そのしぐさが、年齢を重ねたおばさんの雰囲気たっぷりだ。実際に50代のおばさんなのだが。

 新井は、自分の部屋を見る。2階の角部屋。必然的に壁ドンをしているのは、左隣に住む住人、一人しかいないはずだが、身に覚えがないという。

「とぼけて、なかったことにしようとしてるんじゃないですか?」

「そんなことする子じゃないと思うんだけどねぇ」

「そうだ。大家さん、もしよければ今日の夜、僕の部屋に来てください。勘違いじゃないってわかりますから」

 大家さんは、少し躊躇ちゅうちょしたようだが、問題を放っておく方が面倒だと思ったのだろう。新井の提案を受け入れてくれた。


 さて、その日の深夜である。

 そわそわしている新井は、大家さんと一緒に部屋で待機していた。大家さんは、かなり眠そうだが。

 そして、2時になる。

 すると、ドンッという鈍い音が部屋に響いた。

「ね? 気のせいとかじゃないでしょう?」

「本当ねぇ。ちょっと待ってちょうだい。今、隣の部屋に注意してくるから」

 そう言って、大家さんが部屋を出ていく。

 その時、夏だというのに玄関から、冷たい風が流れてきた。

 10分ほどたっただろうか。大家さんが戻ってくる。その顔は、青ざめていた。

「……どうしたんですか?」

「隣の子、インターホン鳴らしても出ないから、電話かけたのよ。そしたら、今友達の家に遊びに行っているから、部屋にいないって……」

 新井は、大家さんの言葉に、絶句する。

 静まり返って部屋に、再びドンッという音が聞こえる。

 新井は、慌てて隣の部屋と接する壁から距離を取り、反対側の壁に背中をつける。

 その行為が、気づきたくなかった真実を知ることになってしまった。

 反対側の壁。新井の部屋は、2階の角部屋なので、その壁の向こうは空中だ。そのはずなのに。

「こっちの壁から、音がしてる……?」

 新井は、動くことができなかった。

 そして、次の瞬間。

 今まで経験したことのないほど、大きな鈍い音と衝撃が部屋の中に響いた。

 その衝撃に思わず、新井と大家さんは、身をすくめ、目をつむる。

 しばらく目を閉じていた新井は、ゆっくりと目を開ける。

 目に入ってきたのは、顔面蒼白になった大家さんだ。

「どう……したんですか……?」

 恐る恐る新井は、尋ねる。

 大家さんは、無言で新井を指さす。いや、指さしているのは新井ではなく、新井の顔のすぐそばだ。そこには、当然、先程まで音がしていた壁がある。

 新井は、首だけを動かして壁を見る。

 そこには、黒い手形がはっきりとついていた。

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壁ドン きと @kito72

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