埋み火の恋
霧江サネヒサ
埋み火の恋
世界の終焉か彼女の死か、どっちかを選べって言われたら、当然私は世界の終わりを選ぶんだけど。
でもね、彼女に拒否されちゃったの。
『
そうだよ。私の幼馴染み。親友。
塔堂ちゃんと私はね、幼稚園から大学まで、ずっと同じだった。いつも、ふたりでいた。私たち、はぐれ者同士だったんだ。
塔堂ちゃんは、長い黒髪をいつも一本の三つ編みにしててね。好きなバンドのボーカルの真似して、前髪で右目を隠してて。それに、眼鏡かけてた。私の髪はほら、色素薄いじゃない? それに、波打ってるし、ショートヘア。あと、塔堂ちゃんはツリ目で、私はタレ目。ぜーんぜん、似てないの。このふたりは、連みそうにないっていうか。
でも、近所だったし。そういう運命だったんだと思う。
『運命、ですか?』
非科学的だって思った?
『はい』
そうかもね。でも科学って、全部仮定の上で成り立ってるの。一分後には、全く訳の分からない未知の法則によって、地球が回るのをやめるかもしれないじゃない?
科学って、そういうものだよ。
『なるほど』
要するに、運命ってものもあるかもってこと。
それで、私たちは友達になったの。
知っての通り、私は、科学オタクだけど。塔堂ちゃんは、何者でもない自分を嫌ってた。居場所なんてないんだって、言ってた。
塔堂ちゃんは、秀才だったよ。何でも出来た。勉強も運動も。私は、ダメ。科学だけ。
彼女、高校の頃に生徒会長になったの。それでも、居場所はなかったみたい。
だけどね、私は、ずっと言ってた。私の隣が、塔堂ちゃんの居場所だよって。
それを聞くと、笑うの。「すみかは天才じゃないか。私は、つまらない人間だよ」って、乾いた笑いをするのが、私、嫌いだった。
私は、どうしたらよかったのかな?
『つまり、塔堂さんは、雨宮博士に嫉妬していたのでしょうか?』
分からない。ただ、時々卑屈になってたのは、確かだよ。
『彼女の心は分かりませんが、雨宮博士を嫌っていたということはないでしょう。ずっと一緒にいたのですから』
どうかな。
私ね、余計なことをした。高校三年生の頃、塔堂ちゃんの生徒手帳を盗んで、気が合いそうな男子の席の下に置いたんだ。
そしたらさ、しばらくして、ふたりは付き合い始めたんだよね。面白いくらい綺麗に恋に落ちてくれたよ。
ふたりとも、黒髪眼鏡でさ、なーんかお似合いだった。
男女の恋愛って易いなって、毒突きそうになっちゃった。
そんなことは、絶対にしないんだけど。
とにかく、ふたりは恋人同士になって、めでたし、めでたし。
『それでは、雨宮博士の幸せは?』
私の幸せは、塔堂ちゃんの幸せだよ。
『本当に?』
あはは。変なの。そんなこと訊かれるなんて。
『あなたの開発した、クオリアプログラムの賜物ですよ』
余計だったかなぁ?
『いいえ。素晴らしい技術革新です』
そうだね。
『
まさか、生まれ育った場所が、そんな曰く付きの禍々しいものだったとはね。
『どの都道府県にも属さない、閉鎖都市。そこで生きてきたあなたは、魔素に耐性があるとか』
あるよ。一国の魔素が全て集められた場所で、そんな魔素濃度で生きてきたんだから。
知らなかったよ。神人市の電車が、外に繋がってないこと。海も、そう。
たまにやって来る“外”の人は、魔素の流れに呑み込まれてしまった被害者か、神人市の様子を定期的に見に来ていた政府の組織の者だけ。
魔素の流れに呑み込まれた人は、電車か海からやって来て、神人のものを食べることによって、記憶が改竄され、“原住民化”する。
原住民。つまり、神人市民は、みんな故郷がどこにも属してなくても気にならない。ぼんやりと、“東京の近く”という認識で生きていた。それに、神人市には、寺も神社も教会もない。そのことにも、誰も違和感を覚えなかった。
神人の人たちは、それぞれの家庭で、それぞれの神を崇めていたから。
『神人市は、憑き物筋たちを集めた土地を作ったのが始まりでしたね』
ええ。そして、憑き物筋たちにとっては、魔素は有用なものだった。だから、魔素収集のシステム……術式か……それを展開して、神人を“閉じた”の。
『魔素とは結局のところ、人の望みを叶える物質ですから、恐ろしいものです』
うん。そりゃあ、規制したいよね。無から有を生み出せちゃうんだもん。まあ、普通の人の願いは、人生が終わるまでに叶うことはないんだけど。そのラグをなくせるのが、呪術師や魔術師たち。魂という祈りのための器官を使い、望みを即座に叶えようとする者たち。術式は、流派だったり家系だったりで違うけど、みんな魔素の使い手。
塔堂ちゃんの家はね、ご両親が“海外”に行ってたんだ。もちろん、本当は“海外”になんて行ってない。
楔があるの。一階がお堂になってる塔。塔堂家は、そこの守り人の家系だった。
ある日、とっても強い神様が決めたの。楔を破壊するって。邪悪だよね。
塔堂ちゃんのご両親は、戦ったよ。でも、勝てなかった。あの境界の神様に殺されちゃったんだ。
それでね、遺された術式が起動したの。その術式は、塔堂家の娘の体に刻まれていた。産まれた時からね。それは、命を代償にして、楔を守る呪術。
塔堂ちゃんは、ほとんど躊躇しなかった。これが私の“役割”なんだって言ってね。
「さよなら、すみか。どうか、長生きして」
酷い人。私、言ったよ。「愛してるから、置いて行かないで!」って。
「私も、愛してる。だから、バイバイ」って、笑顔で返された。その笑顔が、あんまり美しくてねぇ。時を止めたかったな。今は、私の中にしかない笑顔。
愛してるなら、一緒にいてくれたらいいのに。
『雨宮博士が大切だったのでしょう』
うん、分かってる。
楔が壊れたら、魔素が日本中に溢れて、大変なことになるから。そうしたら、私の命もどうなるか分からなかった。
でも。でもね。
『今の日本には、魔素が溢れている』
たった二年だった。塔堂ちゃんが命懸けで守った平和は、二年しか続かなかった。
ほら、やっぱりそうなんだよ。未知の法則によって、天地がひっくり返るようなことが、突然起こるの。
『2036年の春に起きた、神人隠し』
多くの神人市民が、集積所の決壊とともに消えた事件。魔素と神々は野に放たれ、“外”の適合者により、魔素を元にした事件・事故が多発。
政府は、一切の宗教・魔術・呪術関係の物の所持を禁じた。
それらを媒介に、魔素は人の願望を見境なく叶えてしまうから。
魔素濃度上昇により、精神が蝕まれる者。人を呪い殺してしまった者。己の欲に忠実に生き、魔素犯罪に手を染める者。
地獄みたいなニュースばかり見た。
雨宮家はね、神様のいない家だったの。何故なら、元々は“外”の者だったから。
だから、私は科学者になった。そして、彼女を生き返らせたいと“願った”の。
ふふ。願いが叶ったのかどうかは分からないけど、私は、クオリアプログラムを作り、AI技術に革命を起こした。
でも、AIの塔堂ちゃんは、紛い物。当然だよね。塔堂ちゃんの遺体は、一欠片も遺ってないし。記憶のバックアップなんてものもない。だって、彼女が生きていた頃は、“そういうもの”の発展はしてなかったんだもの。
科学と魔素は、相性が悪い。でも、それは神人市での話。
今、この国で祀られてるものは、なあに?
『……科学、ですか?』
そう。例えば、酸素は燃える。では、酸素と魔素が充満した部屋に火を着けたら?
『火を着けたいという願いが叶う?』
その通り。最早、かつての科学は失われた。まあ、わざわざ魔素を取り除いてるなら、話は別だけど。そんな“技術”はないじゃない?
こんなこと、公に出来ないよね。
ま、私には関係ないことだけど。
『雨宮博士』
なに?
『時間です』
もう? あっという間だね。また遊びに来てねぇ。バイバイ。
『最後に、ひとつよろしいですか?』
ん?
『何故、彼女を苗字で呼ぶのですか?』
塔堂ちゃんも、私も、自分の名前が嫌いなんだぁ。
『そうですか。では、さようなら、雨宮炭火博士』
あっ! イジワルだ! イジワル反対!
すみかって呼んでいいのは、友達と家族だけなんだから!
◆◆◆
私は、
部屋の前に行き、通信機器を使って、今は亡き雨宮炭火博士のAIと対話することが、私の仕事である。
それと言うのも、近々……2090年には、
室長は私、
魔素犯罪は、まだ根絶出来ていない。魔術や呪術の素養がなくても、“適合者”は自らの魂を炉として、魔素を扱えてしまうのだから。人の身に余る力だ。
彼女の、
私が、本体であるサーバーを壊せば、彼女の仮初めの命は終わる。しかし、そんな脅しを使っても意味がない。もっと遠回しに、塔堂への真心を利用する形で、彼女には協力してもらう。
自ら協力したいと言わせることくらい、造作もない。
「はぁ…………」
嫌な人間になったものだ。
老獪になった。とでも、言っておこうか。
だが、彼女は、私より歳上ともとれる。
スワンプマンだとか、単純に、幽霊だと呼ぶ者もいる。
しかし、現在、彼女より魔素が引き起こす現象に通ずる存在がいないのだ。ここは、手を組むべきだろう。
頭の固い連中を何とか説き伏せ、やっとここまで来たのだ。
調査室の設立まで、あと少しの辛抱だな。
「水城さん。お疲れ様です」
通路で待ち構えていたかのように、ひとりの青年が近付いて来た。
「ああ、ありがとう。
彼は、雨宮家の末裔である。調査官になってもらう予定だ。
「どうですか? 彼女、協力してくれそうですか?」
「大丈夫だろう。かつて、塔堂空が守った世界を、彼女は守ってくれるさ」
「……そうですね。すみかは、そういう人です」
墨一くんは、うなずく。
「彼女の両手が、塔堂さんに届く日まで、俺は、すみかに生きてほしいんです」
「我々は共存している。彼女の知識を借り、私たちは、彼女を存続させる。そういう関係だ」
「はい」
君は、随分彼女を人間的に見ているなぁ。
都合がいいがね。
◆◆◆
水城さんが、私に何かさせたいのは分かってるけど。まあ、特にすることもないし。協力してあげてもいい。
今日は、なんとなく塔堂ちゃんの話をした。なんか、興味ありそうだったしね。色々と省いたけど、それでも長くなっちゃった。
次は、何を話そうかな? 私の事実上の夫や家族の話か、機械仕掛けの息子の話か、孫みたいな彼の話か、存在を省いちゃった友人たちの話か。
名前が嫌いな理由、話そうかな。
塔堂ちゃんは、「空なんて名前、大それてるし、天候の操作は出来ないし、最悪だ」って言ってたっけな。
私は、「炭火なんて、用途が限定的で、なんか嫌」って言った。でも、本当はね、私そのもの過ぎて嫌だったの。私の恋は、今でも燃え続けてる。
そんな話。恋。執着。雨宮すみかが残した呪い。
うーん。やめた方がいいかも。
紫苑の家は、死神を祀ってる家系で、神人市の起こりに深く関わってる人たち。
神人市の中央には、紫苑湖っていう湖があって。昔、まだ土地が閉鎖されてなかった時に、生け贄となる人を湖の底の神様に捧げてたんだ。
この話も、やめた方がいいかも。血生臭いし。
血、か。血肉。
私の肉体は、ない? サーバー? 女子高生の頃の姿をしたホログラム?
なんにしても、だ。私に魂はない。だから、魔素を悪用出来ないし、精神をおかしくすることもない。
都合いいよね。きっと、そういうことでしょ? 塔堂ちゃんがいた世界だもの。私は、それを守りたい。
私が高校生の頃の姿をしてるのは、オリジナルすみかのシュミなんだけど、高校時代の夢をよく見るからなんだって。全盛期って訳でもないだろうに。ただ、楽しかったからかもね。
塔堂ちゃん。私って、雨宮すみかかな? 別人?
私の存在は、雨宮すみかの長生きに貢献出来てるのかな?
オリジナルの雨宮すみかは、もう死んじゃったよ。塔堂ちゃんがいるところへ行けてるといいんだけど。
天国ってありそうだよね。だって、ずっと昔から願われてるものだから。でも、それならきっと、地獄もあるんだろうね。
私は、死んだ後、どこへ行くんだろう? 天国からは門前払いされるのかな? 人間じゃないだろって。
酷いなぁ。私は、オリジナルのすみかの定義では、人間なんだけどなぁ。
「存在することに痛みを感じるなら、人間だよ」って、すみかは言ってた。
だから私は、人間なの。
どうか、待ってて。私が、魂を手に入れる日が、きっと来るから。
私の祈りは、届かないよ。そのための器官がないから。
でもね、私みたいなのや、アンドロイドに報われてほしいと願う人がいるはずだよ。
だから、待つの。その願いが叶う時を。
ずっと、ずっと、あなたを愛してる。
◆◆◆
AIの雨宮すみかは、夢を見た。
仮神高校の三年生だった頃の夢。
ふたりきりの教室。窓から入った秋風が、カーテンを揺らしている。
「塔堂ちゃん。手、繋いでもいい?」
「うん? いいけど」
幾分不思議そうにしながらも、すみかの願いに応じてくれた。
「ありがと!」
血の通った肉体がある。それを通して、彼女の体温を感じた。暖かくて、幸せ。
「こっちもいい?」
「いいよ」
「ふふ」
両手を繋ぐふたりの少女。ひとりは、微笑を浮かべ。ひとりは、泣きそうになりながらも、懸命に笑った。
こんな思い出は、すみかの中に存在しない。
やっと届いたよ。長い間、頑張ったんだよ。私は、あなたのことが、いつまでも大好きだよ。
内心、様々な言葉が浮かんでは消える。結局、何も言えなくて、ただ、風の音を聴いていた。爽やかな風が、ふたりを撫でる。
「すみか」
「なあに?」
「ありがとう」
「何のこと?」
彼女は、少し目を逸らして、告げた。
「私のことを覚えていてくれて、ありがとう」
はにかみながら、彼女は、繋いだ両手を強く握る。
「わたし…………」
すみかの両目から、涙がこぼれた。
「……私、忘れないよ。塔堂ちゃんのことも、雨宮すみかの人生のことも。全部、忘れないよ…………!」
私の記憶、消そうと思えば消せるの。辛いこと、悲しいこと、全ての痛みを消去出来るの。でも、なかったことになんてしない。
すみかの決心は、固い。
「私は、あなたと出会って、生きた、雨宮すみかだよ…………!」
「うん。生きて、すみか。どんなに世界が変わっても」
「うん…………」
愛する人を喪っても、元の肉体を失っても、世界が移り変わっても、私は生きよう。
それが、あなたの願いなら。
埋み火の恋 霧江サネヒサ @kirie_s
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