第2話-小説家ゾエ




昼下がりの窓辺の机に突っ伏して眠っていた私は、はっと目を覚ます。



またあの夢だ。

執筆中に寝てしまうと、よくあの夢を見る。


路地裏にひっそりと佇む秘密の家。

陽の光がよく入るため、ハーブや草花がよく育つ小さいけれど素敵な庭のある隠れ屋だ。

その窓辺の机で物語を書いていたら、いつの間にか寝てしまっていた。


私の名前はゾエ。

下町ではそう名乗って居る。本当はここの領主の娘なのだけど、そんなしがらみだらけの名前より、こっちの名前がよっぽど好きだ。


「はぁー。またあの夢、見ちゃった。」

自分が死ぬ場面というのは、何度見ても慣れない。


私は嫌そうにつ机の上にある文字の踊った原稿用紙を見つめて、いそいそと後片付けをする。


10歳の誕生日に高熱を出し、生死の境を彷徨った2週間、朦朧とした意識が覚醒した時、私には前世の記憶が蘇っていた。


過去の私は三十代半ば。OL、既婚者だが結婚生活が上手くいかず寂しい人生を送っていた。そんな中泥棒に殺されて幕を閉じたのだ。


そして、この中世のような世界に生きていた。


それまでの私は何も考えず、ただ毎日を退屈に過ごし、我儘を言うだけの人生だった。そんな私が10歳を転機に明確な目標を持ちそれに向かって邁進してきたのだ。


目標とはすなわち、男に頼らず、今世を生き抜く術を身につけるという事。あって無いような契りなど私には必要ない。


私はうぅーんと伸びをする。


「今日は風がとても気持ちよくて執筆どころじゃなかったわね。」


机には、今日発売された本「眠れぬ獅子は赤い薔薇に恋をする」と書かれた分厚い本が置かれている。革張りの茶色の表紙に小さな金の薔薇の箔がキラリと太陽光に反射する。


戦場で恋に落ちた男女の濃厚な恋物語だ。


今回の書籍も長蛇の列だった。これを買うために今日は早起きまでしたのだ。 

「くぅぅー!やっぱ本は違うわね!!さぁーて帰ったら読み直すわよ。」


私は本を抱えて頬擦りした。

何を隠そう、この本を書いたのは私だ。

10歳のあの日から、私は作家になる事だけを目標に、様々な事を学んだ。前世の知識とこの世界の知識を合わせれば、絶対いい物が書けると思ったのだ。

家庭教師を増やしてもらい、読み書きから学び直し、経済学、帝王学、貴族の作法に、王族の作法、医学を少しと、果ては剣術や柔術まで齧っている。


剣術なんかは、まぁお父様の騎士団にお邪魔して、剣を持たせてもったり甲冑着て遊んだり…と、ウチだから許された知識だったりする。


それまで我儘放題だった私の変わりように、父と母は涙を流して喜んだ。

この世の女は結婚が全てだ。

そんな世の中で、女の私が作家を目指し知識を溜め込んでいたなどと両親に知れたら彼らは卒倒してしまうだろうから、私は黙って活動している。


ゾエの本は下街で大人気だ。

発売日は遠くの街から仕入れに来る商人もいるらしい。


戸締りをして、部屋を出て鍵を閉める。

質素な黄緑のワンピースに、アイボリーのエプロンをつけ、亜麻色の癖っ毛をスカーフで一纏めにし、翡翠の瞳を隠す様にメガネをかけて外へ出た。


今日は、日が落ちる前に帰れば大丈夫だろう。

私は街をぶらぶらと歩く事にした。


「あら!ゾエちゃん!お出掛けかい?」

果物屋のおばさんが声をかけてくれる。

「エマおばさん、調子どう?あんま無理しちゃダメよー?」


エマおばさんは、最近腰を痛めて寝込んでいたので心配していたのだ。

「最近息子が手伝ってくれるのよ。助かってるわぁ。」

「あら、良かったじゃない。」

私はニコリと笑って、リンゴを一つ手に取ると、おばさんに銅貨を1枚渡す。

「まいど!ゾエちゃんウチに嫁に来なさいよ!1人じゃ物騒だし、寂しいでしょう?」

エマおばさんは心配そうに私に提案してくれる。

「あはは。結婚には興味ないの。まだ17よ?」

私はイタズラっぽく笑う。

「そう?何かあったらウチにいらっしゃいね!」

「はぁーい。じゃあね!おばさんも無理しないようにね!」

私はそう言うと、手を振ってその場を後にした。


トラスダン王国の北の国境に栄えた街、それがここルベルジュ領だ。


トラスダン王国は周囲を険しい山々に覆われて、東の海側は切り立った崖が多い。そんな土地の国だった。

唯一、険しい山が無く他国の者が出入りできる場所がこのルベルジュ領だ。


貿易の要であり、戦場の最前線である。

お隣の国、イングリス国とはあまり仲がよろしくないため、国境はいつもピリピリとしていた。


しかし、この土地の人はよく笑う。

領主が良い人なのもあるが、自分達の街は自分達が守るのだという意識がとても強い。

騎士や兵士を引退した人達が、自分の身を守れるようにと、街で騎士精神や剣術や護身術を子供達に教えていた。

そう言った人達を領主も惜しみなく援助している事も、信頼に繋がっているのだろう。


冬はとてつもなく寒く、春が長くて夏は涼しい。そんな気候も気に入っている。


私はこの土地の全てが大好きだ。


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