42.

 その日の朝はやけに目が早く覚めて、ブランケットの外は劈くような冷気がわたしを待ち受けていました。さっ……寒いっ……!早速、ウォーレンさんに助けてほしい場面が来てしまったのかもしれません。壁に寄りかって座るウォーレンさんはおそらくまだ眠っていて、わたしの身振りには気がついていません。ここで救いを求めるのは簡単です。が、いくらなんでもあれだけ真剣だったお話から、真っ先にこんなことで助けを請うのはどうでしょうか。もっと劇的で特別な局面であるべきです。わたしは自分に問いかけます。でもこれは流石に寒い……寒すぎです!ブランケットを第三の皮膚として纏い、第二の皮膚たる寝着のお洋服が防ぎきれない特に首から上や足先を入念に温めます。身体が自然と震えてますます限界を訴えてきます。

 バタバタと足音が聞こえて、およそ誰かが見当がつきました。ハーツさんならもう少し落ち着いてます。

「マリーちゃん!」

 いつもより乱暴にお部屋のドアが開き、アルカさんが入ってきます。ウォーレンさんもこれで目が覚めたようです。

「あっ、今起きたとこ?なら丁度いいや!窓の外見てみてよ!」

 今この状況で窓を開けられるほどわたしは無謀無策ではありません。今わたしは自分で自分を護っている最中です。その一環として、手の中におさまる小さな炎にも縋ってみている最中です。間違えればブランケットが燃え落ちてしまうような精緻な作業なのですし、事は急を要します。他のことに構ってはいられません。

 しかしわたしより少し背の高い好奇心はタッタと簡単に窓の傍に駆け寄ってその禁忌を開け放ちました。室内に外からの風が吹き晒し、空間がますます凍りつきます。耳の先が痛いほどに冷たくなり、場合によっては形が残っていないかもしれません。こんなことして、わたしは今後長らくこの行いを根に持とうと思います。いつしか戒めてやります。

「ほらほら、寒いかもだけど、外見てみて!」

 ぴょんぴょんと跳ねてはもはや小動物で、この時ばかりはわたしより丈が低くなっているかもしれません。仕方ない、もとい、簡単な解決の仕方は分かります。外を少し見て、すぐ窓を閉めましょう。ブランケットにぐるぐる巻きになったまま、わたしはのろのろ窓に近づきゆっくり部屋の外に顔を出しました。

 いつしか、おんなじような光景を見たことがあります。けれど今見えるこの光景は、全てを包み隠しても、全てを葬り去るまでには至りません。

「……雪か」

 世界の底は全て白くなり、差し込む光が眩しく反射していました。赤屋根も石畳の地面も、この光の中に色を失っていたのです。





 額縁の中に収まった絵を見るのと実際の景色を見るのとでは、簡単ですが大きな差があります。額縁の中の雪を知っていた理由は結局、失った記憶の中に訴えかけるしかないとしてもただそんな覚束ない記憶は、簡単にこんな鮮明な描出に取って代わられます。

「よし、これでもう寒くないでしょ」

 外気から逃れようと何重にも温かい生地でぐるぐる巻きになったわたしのもこもこ部分をハーツさんがいじります。今日ばかりはお気に入りのお洋服にお留守番してもらいます。ただ、過剰と思える重装備の末もはや真球に近づくわたしの現状と比較すれば肌を見せているアルカさんの方が心配です。

「僕はだいじょーぶ!元々寒いの結構得意だし、防寒対策の魔法もママに教わってたからね!」

 ハンドサイン付きの異常無し、は余裕の現れです。わたしとは生き物として違いがあるのかもしれません。しかし起き抜けに並べた恨み言を簡単に撤回するくらいにはアルカさんにも感謝しています。積もった雪は素手で掴むと柔らかく溶け、肌の熱に当てられてすぐに消えました。雲を掴む、とはこんなに簡単にできることだったのですね。体温が奪われる冷たさはむしろ熱を閉じ込めた体にはちょうど気持ちよく、溶けた雪は水滴から水へ集合し、わたしの手はびちゃびちゃに濡れます。

「舐めちゃだめよ、土とか混ざってるかもだからね」

 バレたみたいです。こんなお菓子がこれだけあればわたしもお腹いっぱいなのですが。

 数日かけて覚えてきた街並みが、ここに来て全く違う顔を見せます。しかし既存の住民たちはこの景色に慣れているらしく、除雪作業を粛々と進めていました。手際よく話し合いが行われ、何かが決まり、順序良くことが運んでいく様が見えます。わたしたちは除雪係の一味としてこの集いに参加していました。お店の前の道を埋め尽くす雪を退かさなければ営業も何もあったものじゃありませんから当然と言えば当然です。ただ力仕事になるだけにハーツさんとウォーレンさんが全面的に進めてくださって、わたしとアルカさんは雪を集めて適当に遊ぶくらいになってしまいました。炎の魔法で少しずつ溶かすこともできますが、結局は一気に持ち上げて一気に脇に除けるほうが効率的です。

「ほぉーら、見て!」

 アルカさんはわたしの方へわたしのお腹あたりの高さまで大きくした雪の塊を転がしてきます。自信作のようです。わたしも負けていられません。ウォーレンさんを模したこの雪像が完成すれば誰もがわたしの勝利を認めてくださるでしょう。

「子供はいいわねぇー、こんな時でも楽しそうで」

 まぁ見てて気楽になれるからいいけど、とハーツさんは付け足します。ハーツさんは雪にちょっと嫌な思い出があるのでしょうか。いえ、そもそも雪自体がわたしやアルカさんにとって面白そうなものに見えていても、大人には忌み嫌う理由が並んでいるのかもしれません。ベリルマリンの皆さんの反応がかなり淡々としていましたし。少し推論を重ねてみます。そもそも雪が降り積もった場所はこの沿岸の港町に限られたわけがありません。この街へつながる馬車道、街道、そのすべてがこの白色に埋め尽くされたことになります。それが意味することは何も、生き埋めにならずに済んだ、で終わる話でもありません。

「心配せずとも交易で栄えた街だ。備蓄は毎年余るくらいは準備されているらしい」

 それでも、しばらくはごはんは少なめになるそうです。聞いたそばからお腹が減ってきてしまいそうです。

 ぐるぐると考えを回すついでに、ふと目にとまった水桶の様子を見て、わたしの想像力はさらなる閃きを呼び起こします。一つの可能性です。思わず駆け出してしまいたくなるところ、ちょっと踏みとどまって、

「ん、なぁに?」

 ハーツさんに報告することとします。約束です。お二人、忙しいですからアルカさんを誘おうと思います。

「んーまぁ、海の方ならまだ遠くはないけど……ウォーレン」

「先日のことがあったばかりで私に訊くのか」

「はいはい、まぁそりゃそうよね。アルカもいれば目付け役には十分だろうし」

 気を付けて、そして、海に落ちないように、とのことでした。この警告はほとんど儀礼的なものでしょう。なぜならわたしの臆測が正しければ、落ちる事すらできません。

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