41.
廊下に出るとすぐ、わたしは簡単に注目の的になります。当然です。話題の中心でしたから。
「マリー……!」
ハーツさんもわたしに気がついて立ち去る歩みを止めていました。お久々です。
「……今の話、聞いていたのか」
頷きます。嘘をついても仕方ないですから。
「そうか。マリー、君は……」
わたしは、わたしは……。言うべきことがあったはずなのに、言葉として並んで意味を作り出してくれません。いざという時に頭は真っ白になって、唇が震えて、もしかしたらわたしが喋ること自体に意味がないと思えて、もちろんそれは何の根拠もなくそう思っているわけですが、確信があれば充分です。けれど前進しなければならないはずです。大きな水の中に沈んでいくようでも必死に歩かなければ。ぽつりぽつりと嗚咽と見紛う言葉のなりかけを吐き出すわたしを見てか、
「君も、ハーツと同じで君をずっとこの部屋に居させることに反対かもしれない」
ウォーレンさんは諭すように言い始めました。わたしが不満を持っていると感じたのでしょう。
「だがこれはマリー、君のためなんだ。君はいつ、どこから狙われているか分からない。またあんな怖い目に合わせたくない。私は君を護りたい。そのためだ」
一つ一つの音をしっかり聞いて、ようやくわたしは顔を上げて、眼の前の人を見ました。その人は、急な、思いがけない眼光にやや動揺しています。
わたしは、わたしはいつしか、あの硝子の棺を開けて、そうして外に出ました。それはなぜだったか。その時のわたしは特に何かを意図したわけではありませんでした。だから、また棺の中に戻っても良かったはずです。あるいは人知れず消えたって、誰も困らなかったのです。
「そんなことはない、君は……」
本当です。あの瞬間、あの時、わたしはお人形と変わらなかったのです。灰の中に埋もれて、何も知らないまま暗闇で、喉を刺してきたあの痛みを抑える術もなく息絶えて、それで畢わり。……わたしはあの時、人として歩くことを捨てても良かったはずなのです。でもその生を拾ったのは、他でもないウォーレンさんです。
「私が……」
わたしは、生きているのです。あなたに救われたから生きることになったのです。だからこれから先を、歩いて十二歩で完結する世界で終われない……。わたしはもう、何百歩、何千歩も歩いてきたのです。いただいた靴もかなり汚して、革についたキズも目立ってきました。
わたしを護るのなら、わたしの歩く世界も護ってください。
「……だが、君は……」
たしかに、怖い思いをしなかったかと言われれば嘘になります。独りきりになって、助けてほしくて、痛い気持ちも、苦しい気持ちも、もう二度と感じたくないほどです。でもあなたはきっと、助けてくれる。そうしてくれたように、これからも護り続けてくれる。
「……」
なら、わたしも怖がってばかりはいません。わたしは一人じゃ何もできませんし、それでも足を進める道を無くさないでと願うのは、ただ、わたしの我が儘です。わたしの我が儘を、どうか叶えてください。わたしが助けてほしいとき、護ってほしいとき、その時に何度だって助けて、何度だって護ってください。誰かの凶手が目の前に差し迫ろうと、もう怖がったりしません。あなたがいれば怖くはありません。だから……だからあなたも、怖がらないでください。
「……私が、怖がっている……?」
ウォーレンさんは最後、その言葉に強く引っかかって考え込みました。珍しく、わたしは言うべきことを全て言えたと思います。わたしの気持ちの全部です。それでもやっぱりウォーレンさんの考えが変わらないなら、その方がわたしのためになるということです。あとはウォーレンさんのお考え次第、わたしのこの先は、いずれにせよこの方にわたしの生はずっと委ねてきたのですから。
呼吸を小さく整えて、最初あんなに絡まっていたはずの言葉が、急にまくしたてるように連なって飛び出したことにわたしは遅れて気がつきました。ひょっとすると脅迫的で横柄が過ぎたかもしれません。それはわたしの意図する限りではありません。なんというかその、もちろん、ウォーレンさんの気持ちも第一にしたくて、わたしの我が儘も、気持ちを蔑ろにしてまで押し通したいものでは――。
「了解、した」
ウォーレンさんは、ゆっくりとこちらを見て、
「少し、独りで考える時間が欲しい。だがきっと、君が正しい」
屈み、目線を合わせてわたしの肩に手を置きました。
「君の覚悟を受け取った。君の望む事、それに応えるのが私の役目だ。その為なら、私も恐れを捨てたい」
約束です。肩に置かれた手を、わたしは両手で持って握りしめます。こうして手と手を取り合えていない間でも、わたしとあなたの結び目が切れたりはしない、心がそう思えるように。
想いを伝えること、想いが伝わったこと。なんだか嬉しくて顔が綻びます。ウォーレンさんはここから、わたしの分まで大変なことをたくさん背負うのです。迷惑をいくらでもおかけしてしまう。それはとても申し訳なく感じるべきですが、それすら棚に上げてしまう、もしくは、そのことを棚に上げてしまってよいと感じられることがきっと、あなたとの近さを示してくれているのかもしれません。
「……えぇっとー……」
ハーツさんの後ろから、木杖を持った顔が覗きます。アルカさんもお久しぶりです。
「出てきにくい空気だったんだけど……もうお話おわった……よね?」
アルカさんもアルカさんなりに、わたしのことが心配だったのでしょう。ハーツさんと違ってウォーレンさんにちゃんと言い出しにくくて尚更だったのかもしれません。
「そうね。あとはあんたの問題よ。頑張んなさい」
立ち上がったウォーレンさんに、ハーツさんは背中を叩きます。
すべての話が終わると、廊下の空気が急に冷たさを引き上げて、廊下の先から急に温かい空気が食欲をそそる匂いを連れてわたし達を誘います。
「さっ、じゃあ一緒にご飯食べるわよ!今日もいっぱい身体動かすんだし、ね!」
ハーツさんの景気よい声もよく通ります。アルカさんも、心配そうだった顔を崩して下階へ踵を返します。ハーツさんが続き、わたしが続き、そして、ほら!
「……あぁ。行こう」
ウォーレンさんも、後に続きます。
とはいえ少しの間ウォーレンさんは本調子ではない様子でした。ハーツさんたちと一緒に食堂のお手伝いをする日々に戻ってからも手放しに居られません。わたしの言葉がきっかけになったはずなだけにも不振のウォーレンさんが気にならないわけがありませんでした。でも、
「大丈夫よ、人間なだけ打たれ弱いのはむしろ当然だし」
とハーツさんも仰っていました。打たれ弱いのなら、打ってしまったわたしになおのこと責任を感じてしまいます。しかし、しばらくして踏ん切りを付けられたようでした。お仕事を終えてのある日のお夕食前の時間、
「少し、いいだろうか」
ウォーレンさんはわたしに声をかけて、
「あの場ですぐに言えなくて申し訳ない」
「ありがとう」
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