第93話 絶望との対峙 ③
サンティティはグレースの部屋の前を出ていくと、フラフラとカフェに立ち寄った。
何か食べようと思ったわけはない。行き場がなく、ただ来てしまっただけだ。
カフェには、仕事終わりの研究員たちが何人かいたようだが、サンティティの目には入っていなかった。
ティーとサンドイッチを頼み、ボーッとテーブルに座っていた。
後ろの席から声が聞こえてくる。
「まったく、良いご身分ですよね〜。自由に仕事をサボれる人は。」
わざと聞こえるように喋っているのであろう。だが、サンティティの耳にはほとんど入っていなかった。
「医務室からもいなくなって、二人で一体何をしていたんでしょうね〜。」
また大きな、今度は女性職員の声が聞こえてくる。
「あー、でもしょうがないよな。今の俺たち、何もすることないもんな〜。」
別の男性職員の声が聞こえてくる。
「誰かさんが妙なことを口走っちゃったせいで、交流もできないし、身体実験も禁止しちゃったからね〜。」
「本当、あの偽善女。研究の邪魔よね〜。若いからって発情したメスみたいに彼氏を部屋に連れ込んでさ。いっそのこと、そればかりやってればいいのよ。良い部屋まであてがわれてさ。」
ガタッ
サンティティは立ち上がると、研究員たちの座っているテーブルまでやってくる。
研究員たちは、白々しく黙り始める。
「…取り消せ。」
「…はい?何か聞こえましたか〜?」
完全にふざけたような口調で返す職員の声に、クスクスと他の職員が笑う。
サンティティは目の前のお盆を手にして、それを女性職員に向けて勢いよくひっくり返した。
「キャア!」
食べ物で女性職員の白衣は色とろどりとなる。
「な!てめえ、何するんだ!」
サンティティはすかさず叫んだ男の胸ぐらを勢いよく掴み、拳を振りあげる。
「ああ〜!ちょっと待った〜!」
ダニーが勢いよく駆け込んできて、間に割って入った。
「サンティティ、どうしたんだよ。お前らしくないじゃねえか。」
サンティティは自分が胸ぐらを掴んだ男を睨み続けていたが、ダニーの声を聞いてから、足を引きずるようにゆっくりとその場を去っていく。
「これで済むと思うなよ!目撃者もいるんだ!懲罰があるからな!」
サンティティの去り際に男が捨て台詞を吐く。
ダニーがすぐに男のところまで駆け寄ってくる。
「おいコラ!滅多なことは言わない方がいいんじゃねえのかぁ!俺がその気になったら、この研究のこと、船全体に知れ渡るぜ。透明性をうたっている現政府がこんなことを隠してたってバレたら、果たして罰されるのは、どっちかな?」
職員たちはダニーの鋭い眼光にビビり、ぐうの音も出なくなり、その場をいそいそと退出していった。
(チッ、らしくねえのは俺の方じゃねえか。)
ダニーはフラフラと歩いているサンティティに走って追いつく。
「おい、一体どうしちまったんだよ。」
「だ、ダニーさん。オレ…オレ…」
サンティティは苦痛に歪んだ表情を向ける。
(まったくもって、どうしちまったんだよ。お嬢ちゃんは最近ずっと元気ないし、こいつはこいつでおかしくなっちまったし…)
ダニーは困った顔をしながら、サンティティの部屋までついていき、衝撃の事実を聞かされることになる。
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部屋に入ってもう数分も経っていないうちに、自分にはさっぱり分からない映像と写真を見せられながら、ダニーは神妙な顔をしている。
果たしてどんな顔をしているものか…そんなことに考えは巡らない。
目の前で恋人の必然の死を語る痛々しい若者はやけに非現実的な存在に見え、感情が肉体を離れて悪い夢の中を彷徨っているようだ。
二人に対して弟妹のような感情が芽生えていたのだろうことに、皮肉にも初めて気付かされた。
細胞を若返らせれば良い。
臓器なんていくらでも作れる。
そんな世界で、病死なんて信じられないことだが、脳はブラックボックス…専門家のサンティティがお手上げなのだから、本当にどうしようもないのだろう。
ダニーは途切れかけていた現実とのリンクを取り戻し、嘆き悲しむサンティティの胸ぐらを掴む。
「諦めてんじゃねえ!!お前が諦めてどうする!」
サンティティの顔は悲痛に歪んだままだ。
「…僕が、手を尽くしていないと、思ってるんですか。」
サンティティは鼻水も出しっぱなしに唾を吐くように喋る。
「…当たり前だ、分かってる。分かってる…」
よく見えれば、サンティティの部屋はめちゃくちゃに散らかっていた。以前覗いた時は女子の部屋かと思われるほど綺麗に整理整頓されていたというのに。
その後、二人は無言のまま、静寂の中でサンティティの啜り泣く声だけがしばらく聞こえていた。
永遠かと思われる沈黙の中、ダニーが語りかける。
「グレースには…伝えるのか。」
「…」
サンティティは答えない。
既にグレースは大きく傷つき、友人たちの助けで少し元気を取り戻した程度…今、とてもではないが、こんなことは言えない。
しかし、グレースの前で隠し通せる自信が全くない。
…否
伝えるべきではないか…彼女は既に覚悟している。いつか、そう遠くない将来、自分の脳は次々と現れる腫瘍との戦いに敗れ、その命運は尽きるのだと。
覚悟ができていないのは、サンティティの方だった。
しばらくの間、病気に変化はなかった。それゆえ、このまま何も起こらず、グレースは長生きできるのではないか。そして、最後のカウントダウンの前には自分が何とかできるのではないかっと。そのような淡い夢を見ていたのだ。
グレースは、ゾアンとの戦争を終わらせることが自分のラストミッションである、と言った。そしてラストミッションは上手くいかなかった。
それから気持ちを切り替え、ハルモニア侵略後の世界において、その命をゾアンとの交流のために使おうと、そう決めた。
この気高い魂が、何もなさぬまま、こんなところで尽きてしまうという残酷な現実を、果たしてどう受け止めろというのであろう。
…伝えなくてはならない。
そして、最後の一瞬の時まで、その手を握っていてあげよう。
無力な自分には、そんなことしか出来ないのだから。
ハルモニア侵略まで、後三日…
第94話『イブキ教会議 ①』 へと続く
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