第85話 導く者の資質
グレースが枕を濡らして己の無力さを嘆いていた頃、コズモは無人ラウンジの片隅で一人酒を飲んでいた。
その様子を斜め後ろから見つめていたシルエットは、やがてコズモに近づいてくる。
「お隣、よろしいですか。」
ステラはカウンターに座るコズモに後ろから話しかける。
「ん…」
コズモが軽く返事をすると、ステラはコズモの左側の少し高いカウンターの席によいしょと座り、スカーレット・オハラを注文する。
しばしの沈黙が流れる。
「よく…ここにいるのが分かったな。」
コズモは片手をグラスに軽く握りながら、僅かな振動で揺れる液体の表面を眺めていた。
「昔を思い出すようなことがあったら、いつもここでしょう。」
ステラが出されたカクテルを持ち上げると、呼応するようにコズモもアードベック十年物の入ったグラスを軽く持ち上げて、チン、と小さな金属音を響かせる。
「そうだな、昔を思い出す…あの娘は、若い頃の君によく似ている気がする。」
「あら、光栄ですわね。私はあんなにお行儀良くは出来ませんでしたわ。でも、それを言うなら、船長、あなたにも…」
「…ああ、そうかもしれないな。」
グラスを引き摺る音、そして液体が喉を通る音が、やけに大きく静寂に割って入る。
「理想を追える…少し、羨ましい気もするな。」
「あら船長、私たちは今でも、理想を追っているではないですか。」
「……そうかもしれんな。3万年も昼寝して、未知の生物と戦って、他の惑星に移住しようとして…諦めの悪い童のようなものか…」
「その諦めの悪い童がいるお陰で、こうして私たちは生きていますわ。」
この静寂に似合わない、少し大きな声をあげてしまったことで気まずくなったのか、ステラはその後を続けなかった。
続けたのはコズモだ。
「我々はみんなどこかで、ゾアンを獣たちだと思い込みたかったのかもしれないな。」
空になったコズモのグラスをロボットが受け取り、新しいグラスをコズモの前に置く。
「…そうですね。私たちにとっては、その方が都合が良いのでしょうから。」
「ゾアンを侵略するのが嫌になったか?」
「私は本当は、動物だって無意味に殺したくなんかありません…」
「…そうか。」
飲み終えたステラのカクテルは、今度はチャイナブルーに置き換えられる。
「でもね、船長。」
ステラはチャイナブルーをグイッとかなりの勢いで流し込んだ。
「即座に彼女の申し出を拒絶したのは正しい判断だったと思います。作戦の実行が迫っているなか、余計な期待を持たせないことはとても誠実なことと思います。」
コズモは分かっていると言うように指でグラスをカツンと叩くと、ゆっくりと語り始めた。
「『人間と一緒』などという言葉は、みんなが最も聴きたくなかった言葉だったのだろうな。それをガツンと言われて、心を動かされなかった人間があの場にいたのかね。」
ステラは下を向く。頷いたのか、項垂れたのかは分からない。
「すべての生き物は、奪うことで生きています。そして、奪われることで、他の生き物たちが生きていけます。これが繰り返されていくのです。何も、人間に特別なわけじゃありません。人間だけがどの連鎖から逃げられると考えるのは、烏滸がましいことです。」
「…当然の考え方だな。お互いが全力で生存をかけるからこそ、より高い存在へと近づいていく。人間という生き物の舵取りを任されているのが、たまたま俺というだけか。」
コズモはため息をつく。
「…私は、今は亡き帝国の王家の家系。大義と宿命を掲げ、国を豊かにし民を統べるために、多くの血を流した血統です。」
語るステラの目には、苦悩が伺えたが決して消えることのない光が宿っていた。
「指導者は、国の根となるのが宿命です。根が腐れば国は衰退し、根がブレれば国は傾き、根が壊れれば国は崩壊します。あなたの役目は、宇宙に起こるすべての不条理や理不尽をなくして回ることではありません。人の代表として、人の根となり、人を守り、人を導くことが務めです。」
コズモはそれを聞いて、フッと、その夜初めて少し笑う。
「船長には、君がなった方がいいんじゃないのか。」
ステラとコズモが顔を上げてお互いに向き合うと、目が合う。薄暗いバーの割にはやけに目がよく見える。
「わ、私は、屁理屈ばかりで、上に立てるような人ではありません。あなたのような、カリスマはありませんわ。」
コズモは、うーんというように背をのけぞらせる。
「そうか、それならば仕方がない。じゃあもう少しだけ、この損な役回りを続けることにしようか。」
コズモは手にしたグラスをとって、中の飲み物を飲み干すと、もう一杯注文した。背景に、小さい音のクラシックがかかり始める。
「お付き合いしますわ。」
ステラも同じように、カクテルを飲み干した。
第86話『煌めく星に願いを込めて ①』へ続く
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