第61話 美華の名を継いだ者 ②

 マリアンヌとダミアンの実践試合があってから数年後、マリアンヌとダミアンは、それぞれ美華メイホア小龍シャオロンの名で、地下格闘技界で戦っていた。


 そもそも当時のオムニ・ジェネシスでは格闘技の公式試合などはなかった。


 地球を出てまもない頃は、子供たちも多く、働けるものは船の環境を整えるために働いている者たちばかりで、スポーツに勤しむものが少なかったからだ。


 人々の娯楽は専ら仮想現実であった。


 サプリメントや再生治療のおかげで健康は維持できた上、黒豹ことジミーがツール・ド・アースで経験したように、テクノロジーの発展によりドーピング基準は曖昧になり、「スポーツの試合は面倒臭い」とも思われるようになってしまっていた。


 そんな中、退屈を持て余していた民衆と、当時からアウトローが集まりイマイチ法整備の緩かった第七区という条件が重なり、マフィアが金儲けのためにギャンブル制の地下格闘技を始めた。


 これがヒットし、神濤気しんとうき流の創始者であり、マリアンヌとダミアンの師匠であるフーウェイも、一口乗ることにした。


 マリアンヌは瞬く間に地下格闘技のチャンピオンとなった。


 それもそうであろう、参加する女子はそのほとんどが、ただの気性の荒い好戦的な女で、格闘技をまともにやったことのないストリートファイター達であったからだ。


 ダミアンも何とか勝ち抜いていき、ついにタイトルマッチまで漕ぎ着けていた。


「よぉぉぉぉぉし!ダミアン、お前に大金賭けてるからな!頼んだぞ!」


「師匠、任せてください!」


 ダミアンはそう言って出ていったが、チャンピオンのキールにコテンパンにやられてしまった。


 師匠のフーウェイは呆然とする。


「ま、負けた…大損だぁ〜。」


 フーウェイが嘆いていると、妻であり美華メオホア胡蝶コチョウが背後から近づいてくる。


「こら!あなた!こんなくだらない事をしていたの!このロクデナシ!」


 胡蝶コチョウにそのまま家まで連れて行かれ、散々叱られて、フーウェイとマリアンヌとダミアンはギャンブル試合から身を引いた。


 そして、他流試合は禁止された。


 _______________________________


 それから、実にまた40年もの月日が流れた。


 美華メイホア胡蝶コチョウの命ももう長くないと思われた。


「もうそろそろ、お別れの時が近づいて来たようですね。」


 ベッドに横たわりながら、胡蝶コチョウは薄ら笑いを浮かべた。


胡蝶コチョウサン…」


 マリアンヌも、もう白髪が目立ち始めた歳である。


「…あの、こ、胡蝶コチョウサン…今からでも、再生治療を…師匠も、毎晩のように泣イテ…」


 そう言いかけたマリアンヌに、胡蝶は指を当てた。


「もう決めたことだから、それはいいの。しばらく試してみたけど、やっぱりあれは古い考えの私たちには合わないわね…不釣り合いなぐらい、もう長生きしちゃったし。あの人と一緒に決めたことだから、もうズルはしないの。」


「そう、デスか…差し出がましいこと言って、ごめんナサイ…」


 マリアンヌがそう言うと、胡蝶コチョウは起き上がって、マリアンヌに手招きをする。彼女が近づくと、そっと手を彼女の膝に乗せた。


「あなたこそ、新しい世代の子なんだから、再生治療を受けたらどお?彼氏でも作って、楽しく生きればいいじゃない。ずっと独り身なんだから…」


「そんなことをしたら、いつまで経っても胡蝶コチョウサンにも、師匠にも、会えなくなっちゃうじゃないデスか…」


 恥ずかしそうに言うマリアンヌを見て、胡蝶コチョウは微笑んだ。


「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。こんな娘に看取られるなんて、私は本当に幸せだわ。」


「む、娘って。」


「あら?私の勝手な思い込みだったのかしら。あなたは、私の唯一の娘よ。どんな親子にも負けないし、どんな人にも自慢できる娘なのよ。お母さんって、いつ呼んでくれるのか、ずっと待っていたわ。」


「お、お母さん…」


 マリアンヌは、胡蝶コチョウを抱きしめる。胡蝶コチョウもマリアンヌの背中をそっとさすった。


「お母さん、今までありがトウ。本当の親のことも、ズット黙っててくれたのデスね。」


 胡蝶コチョウはハッとなって抱擁を解いてマリアンヌを見る。


「し、知っていたの!?いつから!?」


 マリアンヌは下を向いて少し微笑んだ。


「13歳ぐらいの時デス…自分の過去が気になって、内緒で調べていました…」


(13歳…失語症が治った時!?)


「お母さんは、墓場まで、事実を隠そうとしてくれていたのデスね、私を庇うために…傷つかないようニ…私が、実の親をミッションで殺してしまっているコトを。」


「ま、マリアンヌ…」


 胡蝶コチョウは一瞬動揺したが、マリアンヌの微笑みを見て、もうとっくの昔に吹っ切れていたことを悟った。


「そのことを知ってイテ、見ず知らずの私を引き取って育ててくれていたのデスね。親のことは一切知らないって嘘をついテ。私、一言も喋らないのに、毎日話しかけてくレテ…」


 マリアンヌは、また胡蝶コチョウを抱きしめて、ありがとう、と言った。


「ほら、こんなに良い娘、私は幸せだよ。」


 胡蝶コチョウも、もう思い残すこともない、と目を閉じた。


「あ、あと、ごめんなサイ。私、最後まで神濤気しんとうき流の奥義、マスターできませんデシた。」


 胡蝶コチョウはクスっと笑う。


「あれは、あの人の妄言なんだから、気にしなくてもいいのよ。あんな技、彼は得意体質だからできることなのよ。」


 マリアンヌと胡蝶コチョウの間でこんな会話があってから数日後、胡蝶コチョウは帰らぬ人となった。


 死に間際、夫のフーウェイは「俺もすぐに行く、待っていてくれ。」と涙を流して見送った。


 そしてそのさらに数日後、三十年以上も行方知らずだったダミアンが神濤気しんとうき流の道場に現れた。






 第62話『美華名を継いだ者 ③』に続く





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