第60話 美華の名を継いだ者 ①

 トレーラーを開けた瞬間、フーコは思わず目を伏せた。


 オムニ・ジェネシスで死体を見る機会なんて滅多にない。


 しかし、目に針が刺さり、悲痛な顔で口を開けたまま固まっているその地面に横たわる身体が死体であることは一目瞭然だった。


 マリアンヌも同様に目を伏せた。


 後ろから第二区代表のダテが「どうした」と寄って来たが、すぐに死体を発見し、口をポカンと開けて硬まってしまった。


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「あの女の仕業だな。」


 フーコが拳を作り、もう一つの手の平を叩くと、パン、っと大きな音が鳴る。


 フーコ、マリアンヌ、グラシリア、ダテ、そしてスタンプの五人は、グラシリアが有するハッキングルームにいた。


 外からの電波は一切通さず、ハッキング専用のコンピューター以外は置いていない、外部から何も干渉されたくない時などに利用される部屋だ。


 黒血ブラックブラッドの存在について第二区へ赴きダテと密会をした直後に作られた部屋でもある。


「すみまセン…私がもう一撃加えていれば、彼女にも逃げられなくて済みまシタ。」


 マリアンヌが皆に謝ると、フーコは「マリアンヌ!」と声をかける。


「あの状況だったら、あんな逃げ方されるなんて、想像できないよ。それに…」


 フーコはマリアンヌのところへ歩いて、座っているマリアンヌの頭をそっと撫でる。


「マリアンヌは優しいんだから、そんなこと出来ないよね。あの時は、最善の手を尽くした。それでいいんじゃないかしら。それに、マリアンヌがいなかったら、私は毒針で死んでいたかもしれないでしょう…」


 フーコはマリアンヌの目から自分の目を離さなかった。その目は優しかった。


「…話してくれる?」


 マリアンヌはニコっとする。


「もちろんデス。こうなってしまった以上、隠しても仕方のないことデスね。」


「一体何の話だ?」


 ダテが質問する。


「いや、分かれよ。なんでマリアンヌさんが毒の血清を持っていたのか、考えなかったの。」


 グラシリアが答えると、ダテは、ああ、その話か、という風に合点がいったようだ。


「少し、昔の話をしマスね…」


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 その日の道場には、いつもとは違う緊張感が漂っていた。


「始めえ!」


 号令がなると、白い道着と小さめのグローブを身に着けた男女が対峙する。


 後ろには、〖神濤気しんとうき流〗と書かれた大きな板が壁に掛けてある。


 二人とも構えは低く、上半身はリラックスしているのか、どこかゆらゆらしている。脚の方は小刻みにステップを踏んでいるが、細かいせいで、はたから見ると少し震えているようにみえた。


 構えこそ同じであるが、女は右脚前のサウスポー、男は左脚前のオーソドックスだ。


 二人は互いの間合いに少しずつ近づいていく。


 男の方が大きく後ずさりして、肩を上下させ、フー、フー、と力を抜こうとする。対峙の緊張感から、力が入ってしまったらしい。


 女の方はというと、それに合わせて肩を上下させ、同時に鋭く脇を開けて閉じる動作で一瞬手を振り構えを直す。手の振りが鋭いので、ズバっと道着のはためいた音がなった。


 二人はもう一度間合いを詰めていく。


 しっかりと構えを取っている相手に攻撃を仕掛けるのは難しい。


 少しの間、間合いの取り合いと、お互いに前足に軽い関節蹴りを放つ攻防が続く。


 そして、男が意を決して関節蹴りに見せかけて大きなステップを踏む。


 女の方はそのステップに合わせて擦るように一歩下がる。


 男が右のパンチを出すようなフェイントをかけ、そのフェイントを引く勢いで左のロングフックを放つ。しかし、そのロングフックが届く直前に、女の左のショートストレートが右腕を下げてガラ空きになった顔を撃ち抜き、ロングフックは歩く当たっただけで男はそのまま倒れてしまった。


「そこまで!」


 終了の合図がなる。


「え~と、大丈夫デスか。」


 女は男を気遣う。


 男は起き上がろうとするが、号令をかけた男性に「急に起き上がるな」と言われ、寝かされて色々と質問をされてから起き上がる。


「あ、姉貴は、やっぱり強いっすね。」


 男は撃ち抜かれた顎をさすり、もう片方の手で坊主頭をさすっていた。


「ダミアン、お前は突っ込み過ぎだ。マリアンヌが大きく下がるとでも思ったか。フェイントも中途半端に打っていたな。こうして、肩の動きと身体の動きでフェイントをかけて、それから左フックにつなげれば、ガラ空きになった顎に食らうこともなかったろう。」


「は~い、お師匠!」


 師匠と呼ばれた男は、今度はマリアンヌの方をみる。


「マリアンヌ、見事なKOだったな。正直なところ、もっと競った勝負になると思っていたが、一撃で決めやがって。」


「ハイ、もう少しダミアンの戦いを見て、癖を掴んでから、と思っていたのデスが、いきなり突っ込んできたので…つい手が出てしまいマシタ。」


「あ、姉貴…キツイッす。」


 ダミアンは落ち込んだ様子だ。


「今回は、いつものように完全なプロテクターをつけずに危険を承知で安全においてはギリギリ妥協した試合をした。実践を経験して欲しかったからだ。どうだ?いつもと緊張感がまるで違っただろう。」


「は、はい。姉貴がめちゃめちゃ怖かったです。」


「はっはっは、そうだろうよ。身体が恐怖に勝手に反応して、いつも通り動けなかったろう。」


「いや、マジそれっすよ、師匠。」


「はは、マリアンヌはどうだったんだ。」


「え、え~っと。楽しかったデス。」


 師匠と呼ばれた男とダミアンは苦笑いをした。


「じゃあ今日は終わりだな。明日からまた修行に励むように。」


「「オス、師匠!」」


 二人が声を合わせて答える。


 その様子を少し遠目に見ていた思われる女性がいた。スラっとしていて黒い髪を団子にしているその女性は、色が白く、小さな口に塗った赤い口紅が目立っていた。


 師匠と呼ばれた男と同じく、若返りの技術は使っていないようで、二人とも健康的には見えたが、中年ほどであったろう。


 師匠と呼ばれた男が、その女性に近づく。


「大分、喋れるようになったわね。」


 女性が語りかけた。


「ああ、しかも、才能がある。そろそろお前もヤバいんじゃないのか。」


「ふふふ、まだ私のレベルではないわよ。でもそうね、後数年もすれば、かしら。ようやく私も美華メイホアのタイトルを譲る時が来たのかもね。」


「お前ぐらい強い女はもう出てこないと思ってたけどな…あとは、神濤気しんとうき流の奥義を、彼女がマスターできるか、だな。」


「あればかりは、あなたにしか出来ないわよ。」


「いやいや、そうでもないぞ。あいつには才能がある。俺には分かる。気は十分に満ちているし、鼓動ビートの流れが、ものすごく綺麗でな。使いこなせば、俺以上の使い手になるぜ。」


「そんなこといって、あの子、ちっとも掴めないじゃないの、その鼓動ビートとやらを。」


 女性がそういうと、師匠と呼ばれた男は少し顔を暗くした。


「何というか、感情にブレーキがかかっちまっている感じなんだ。優しいやつではある。でも、イマイチ心を開ききれない、というか、本人は自覚ないんだろうが…あれでは、生命いのち鼓動ビートを感じることはできない。」


「やはり、チャイルドソルジャーだった時の経験が、彼女の心に深いトラウマとして残っているのかもね…もう地球を出て10年も経つのに…」


「まあ、長年失語症で喋れなかったが、ようやく喋れるようになったんだ。それだけでも良しとしよう。そして俺やお前、そしてダミアンのことを家族だと思ってくれている。今はそれで良しとしよう…」


「そうよ!私たちにとっても、彼女は大切な家族だもの!いいじゃない、彼女が奥義を身に着けられないなら、それはもうこの時代にはいらないってことなのよ。」


 女性の言葉に、男は苦笑いで返した。


「それもそうだな!」


 男は元気よく返事した。





 第61話『美華メイホアの名を継いだ者 ②』に続く。

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