第43話 ツール・ド・アース ④

 これが抜き打ち検査の類であれば悪質すぎる、とジミーは一瞬考えたが、厳格な雰囲気を持つ三人の圧に押され、文句を言わずについていくことにした。


 ホールに着くと、チームメイトとコーチがいた。


 険しいコーチの顔は薄暗いホールの光のせいか、どことなく幽霊じみた感じがした。


 ジミーが隣に座ると、コーチは腕をつかんできて、


「心配するな、お前は大丈夫だ」と言った。


 、とはどういうことか?


 聞きたかったが、静寂の圧があり聞くのは躊躇われた。


 暖房が効いているはずなのに、コーチの手は冷たく、余計に幽霊を想起させた。


 立ち込める異様な雰囲気はジミーを不安にさせ、完全に沈黙させた。


 先ずは血を抜かれてから、毛を抜かれて、それから何やらセンサーのようなものを当てられる。


「ここに、ションベンを入れろ、そして、こっちは大便だ。」


 ジミーは言われた通りにトイレに向かうと、職員の一人がついてくる。


「おい、付いてくるのか!?」


「こうしないと、潔白を証明できないぞ。」


 冷たく、厳格な響きだった。


 ジミーは吐き気と戦いながらなんとか小便と大便を出した。


 トイレから戻ると、頭を垂れたチームメイト4人が、職員たちに連行されていく。


 最後にコーチが連行されていった。


「ジミー、すまない。。。」という言葉を残して。


 ジミーは力無くソファに座ると、黙ってしまった。


「彼はクリーンよ。全てにおいて、何もおかしな数値は出ていないわ。」


「本当か?彼が一番怪しいんだぞ。」


「何も出ないんだからしょうがないじゃない。。。もう一回テストする?」


 このような職員の会話が続く。


 けっきょくその夜はジミーは合計で3回テストをさせられたが、なにも出なかったらしい。


 ジミーの口から出る音はすべてボソボソとしていて理解不能だった。


 部屋に戻っても良いと言われ、疲れ切ったジミーがフラフラしながらホールから出ると、本来は宿舎に入ってはいけないはずの報道陣に囲まれた。


「ジミー!きみはドーピング検査に引っかからなかったらしいけど、本当にチームメイトのドーピングのことは知らなかったのかい?」


「ジミー、明日からのレース、君は走り続けるのかい!?もうチームメイトは3人しか残っていないよ!」


「ジミーくん、今の心境を一言お願いします。」


「本当はみんなでドーピングしていたのじゃないのかな。なんで君はバレないのかな。」


(レース・・・明日・・・)


 空白になった頭に聞きなれた単語だけが反響する。マイクを向けられて、少しだけ意識が戻る。


「あ・・・」


 喋りたい内容も喋るべき内容もなにも頭になかったジミーが唐突に音を出すと、報道陣が一気に黙り込む。


「明日も・・・頑張ります。今日は・・・寝ます。」


 その後どういう経緯で部屋に戻ったのかは記憶にないが、ベッドで横になり気持ち悪さで身体を丸めている自分がいることに気づいた。そして、いつの間にか寝ていた。


 次の日、レース開始20分前に目が覚めた。喉の奥に残る酸味がすぐに彼を現実に戻す。


 つい半日前まで、世界最高のチームに恵まれ、世界最高の舞台に立ち、世界最高の夢をつかみつつあった、と信じていた。


 それが今はどうだ。チームメイトに裏切られ、世界の見世物になり、犯罪者疑惑をかけられ、夢まで絶たれようとしている。


 ならばせめて・・・彼はいつもの数倍は重くなった身体をレーストラックへと運ぶ。


 レース開始から数分後、ジミーがトラックに現れる。


 報道陣からはどよめきが聞こえる。


 自転車を取りに行くと、受付の人間は不思議な現象でもみるように彼のことを凝視する。


「俺のロードバイクは。」


「え、あ、ええっと、はい、ジミー・ワン選手。こ、こちらがゼッケンです。あの、レースはもう始まっちゃっていますが。」


「…分かっている。」


 すぐにゼッケンをつけてロードバイクにまたがる。ドーピング検査にひっかからなかった残りの2人は走っていないらしい。


 コーチもチームもいない。


 なぜここまで来たのか自分でも不思議だった。


 身体に力が入らないので、出だしはゆっくりであるが、漕ぎ始めると段々と力が湧いてきた。


(本当に、ロードって不思議なもんだな。つい昨日あんなことがあったのに、もうペダリングに夢中になっちまう。)


 半日ぶりに初めて気持ちよく息を吸えたような気がした。


(一人でも、走るさ。)


 ジミーのライドは苦難にさらされた。チームメイトがいないので、サイクリング協会が指定した最低限のサポートしか受けられない。


 しかしそれ以上にジミーの心を破壊したのは、浴びせられる罵声であった。


 国中で大騒ぎしたほどの期待が裏切られた時の国民の怒りの捌け口は、全てジミーへと向いた。


「恥晒し!」


「もう止めろ!」


 ひどい時には卵を投げつけられた。


 後で知ったが、この行為は厳重に罰せられたという。


 目に入った卵を拭い去る時に出ていた涙は、果たしてただ単に沁みただけだったのか…


 そして、ジミー・ワン、完走。


 順位は97位。終わった時に、両親が泣きながら出迎えてくれていた。


 泣きながら応援してくれる両親をみて、一からやり直そうと思った。


 しかし再起を図るジミーには、更なる困難が待ち受けていた。


 しつこく疑惑を向けてくるジャーナリストたちに囲まれ、スポンサーもいなくなり、コーチも不在。チームメイトは皆引退した。


 さらに翌年に両親が事故で死んでしまい、天涯孤独になる。


 それでもいつかの栄光を信じてジミーはペダルを漕ぎ続けた。


 無理がたたり、次回のツール・ド・アースの前には膝を痛めてしまう。


 そしてレースに間に合わせるための迅速な治療のために、貯金の大半をはたいて最先端の治療である再生技術に頼ったが、これが良くなかった。


 この技術が怪我を直すだけでなく、肉体強化につながるという発見があったのだ。


 このせいで、ジミーは、ツール・ド・アースの出場権を剥奪される。


 知らなかったことなのに、彼に対する世間の反応は冷たかった。彼をかばう両親ももはやこの世にはいなかった。


 こうして若き天才、サイクリング界の黒豹は、静かに引退したのであった。






 第44話『人間VS AI』 に続く。

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