第41話 ツール・ド・アース ②

 先頭集団のレーサーたちが海峡を渡り切る。


 渡り切ったすぐ後での休憩地点で各々に走りながら水筒を受けとり、それを一気に飲んで捨てる。


 先頭集団は若き天才ジミー・ワンを含めた7人。この日の残りの距離は平坦50キロ。


 トップを引くのは総合トップの象徴である、黄色い下地に黒い斑点のジャージを着たサイクリング界最強の男、メイトである。


 集団の場合、後ろにつく方が圧倒的に有利である。


 風除けがいるのといないのでは、疲労度が全く違う。


「無茶するな!メイト。」


 メイトのチームメイトのハルベルトが一気に加速し、集団の先頭に来る。


「お前は最後のスプリントのために脚を溜めておけ。このグループは俺がコントロールする。」


 終盤の局面までチームメンバーが残っている強みである。


 集団のスピードをコントロールし、最後のスプリンターのサポートができる役がチームメイトで残っていると、圧倒的にレースを優位に運べる。


 20キロほど走った時点で、ハルベルトがハンドサインを送ると、集団は一気に加速した。


 アタックである。これをやられると、列の後ろがキツい。


 急な加速に、集団後尾で食らいついていた2人が集団から千切れてしまう。


 予測できない急な加速は後尾のサイクリストを疲れさせるが、メイトは息ぴったりにハルベルトについているので疲れない。


 しばらくすると、加速は徐々に止まり、一度千切れた二人がなんとか追いついた時点で、再び加速した。


 今度は三人が千切れる。


 加速がおさまっても、もう千切れた三人が別の集団を作ってしまい、トップに追いつくことはなかった。


 そして残り10キロ。レースタイム、残り10分ほどで勝負がついてしまう局面で、ハルベルトは徐々に加速する。また1人、マウンテンキングの異名を持つジェームズが千切れた。


 残っているのは、ハルベルト、メイト、ジミーの3人だけだ。


(しぶとい!)


 後方をチラッと見たハルベルトは黒いジャージのジミーを確認する。


(どうする?ここで全力で引いて、残り5キロあたりでメイトに託すか。それとも、もっとギリギリまで引いてから押し出すか。)


 ハルベルトはさらに加速する。


(いや、この黒い豹は、スプリンターだ。長い距離のロングスプリントで疲弊させる。)


 ハルベルトはほぼ全力に近いライドを始める。ハルベルトの意図をメイトは感じとった。


(任せろ、この若き黒豹は俺が仕留める!)


 メイトは息ぴったりにハルベルトの後をついていき、飛び出すタイミングを伺っている。


『ジミー、もうチームで残っているのはお前だけだ。そろそろメイトが飛び出してくるぞ、準備しておけ。』


コーチがマイクでジミーにアドバイスを送る。


『分かってる。調子が良い。見ていてくれ。』


『…そうか、分かった。』


 残り4キロ、ハルベルトが力尽き、メイトが勢いよく飛び出す。


「逃さねえよ!!」


 ジミーの声は、熱狂する観客の声に掻き消された。しかし、それでも聞こえていたのか、メイトが不適な笑みを浮かべた。


 黒斑点の黄色いジャージの後に黒いジャージがピッタリとくっつく。


 残り1キロ、観客の熱狂はピークだ。レーンの両端を所狭しと押し合う観客が、声の限りの声援を送る。


 残り500メートル、ジミーがメイトと並ぶ。


 低い姿勢から顔を前に突き出したままの姿勢。首は静止したように動かないが、脚と下半身は激しいリズムを刻み左右にロードバイクを揺らす。


 通常サイクリストは極限までウェートを軽くするために、上半身に筋肉をつけるような事はしない。そのため、上半身は痩せている。


 ジミーも例外ではなかったが、彼は元来スプリンターだ。


 スプリントの際の姿勢を保つのに身体を支える腕の力と体幹が必要なので、サイクリストの中でも彼は上半身がガッシリしている方だ。メイトにはそれがない。


 強い体幹に速いケイデンス、そして波打つような滑らかな下半身のボディワーク、そしてそれらを最大限に活かす前傾姿勢。


 ジミーはこの日、一匹の黒豹となった。


 残り200メートル。


 ジミーの脚は限界に来ていた。


(脚全体の感覚がおかしい。痛いのに、もう自分の脚じゃないみたいだ。)


 ジミーは唇を噛んで痛みに耐える。


 しかし、先に限界が来たのはメイトだった。


 残り100メートル、徐々に差がつく。必死のライディングをするも、メイトが黒豹に追いつく事はなかった。


 サイクリング神はステージ185で、若き黒い豹に狩られ、敗北した。





 第42話『ツール・ド・アース ③』に続く

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