暴虐の艦 編
第26話 暗殺組織 黒血
「私の母はとにかく神経質で、たまにヒステリーを起こすような人でした。」
防水加工された動きやすそうなボディスーツを着込んでいる男が脚を開いて長椅子に座りながら語り始めた。
細身だが引き締まった筋肉に透き通るような肌が印象的だ。顔も細くやや釣っている目は座っているようにも見える。
「父は真面目で無口な人で、あまり一緒に遊んだ記憶がありません。」
うつろな黒い瞳は微動だにせず、落とした視線はどこを見ているようでもなかった。
「だから、というわけでもないのですが、子どものころの私は母親の顔色を伺うことが多かった気がします。何もなければ母親は優しかったのですから。過保護であったぐらいです。いつもべったりとされていたような気がします。」
股の間に組んでいた手を持ち上げる。その所作はゆっくりで機械のようにスムースだった。
「私の子どものころの楽しみは、母親の目を盗んで庭で遊んでいる時に、虫を見つけて潰して遊ぶことでした。手足を折ったり抜いたりして、ジタバタする様子を眺めるのも好きでした。大きい虫の手足を抜いて身動きできないようにして、小さい虫に食わせるのも好きでした。」
男は少し考え込んだ。
「なぜそんなことをしたのかって?その時になんであんなことが楽しかったのかは未だに分かりません。心理学の偉い人曰く、支配欲の現れだとか・・・母親に支配されている人生から脱却し、自分が支配する側に回りたいという欲求だったのか。それが現実ではかなわないから、虫に当たるんだろうかってね。」
そういうと、男は物憂げな顔になる。
「子ども心ながらに、悪いことをした、という気持ちはあったんですよ。それは今でも同じです。悪いことをした、という気持ちはあるんですよ。私は死んだ方がいいと思います・・・」
すると今度は顔を引き攣らせて拳を握りはじめる。
「でもね、悪いと思っていても、少し時間が経つと庭に戻って虫を潰したくなるんですよ。不思議ですよね。なぜかそこに戻って、後で後悔するような行動を、繰り返すんですよ。」
男は深呼吸をして落ち着く。
「普通の子だったら、美味しいものを食べたり友達と遊びに行ったりっていうのが楽しいってことなんですよね。でも、子どものころの私は、美味しいものを食べる時は、母親がこんなものを食べちゃいけない、身体を蝕むって言って怒るかもしれないってビクビクしていました。だから、美味しいものを食べてもそこまでは美味しくないフリをしました。」
またしても、物憂げな表情に戻る。
「お友達・・・じゃないか。他の子に会うときも、その子を楽しませなきゃいけないという焦燥感がありました。機嫌をそこねちゃいけないんだって。だから思ってもいないのにその子が喜ぶことを言ったり、勝負事にはわざと負けてあげました。」
男はうなだれる。
「私はこう思うんですよ。虫は何も言い返さないし、怒りもしないから、だからあの場所に戻っていったんだなって。あれは私の弱さだったんです。恐ろしい世界の被害者の私が、唯一加害者になれる場所だった!」
そう言うと、時計を見て男は立ち上がった。男は背が高かった。短髪でツンツンした黒い髪がよく似合っていた。
「ファザー。もう時間なので私は行かなくてはいけません。今日はここまでにします。それではファザー、良い旅を。」
部屋の中にはロープが吊るされ、青白い顔をしたファザーの首回りにしっかりとまとわりついていた。だらんとぶら下がるファザーを尻目に、男は着替えてアパートの部屋から出ると、被害者の指紋が付いた手袋を外しそれをサッとしまう。
監視カメラに映らないように階段を下り、入口に向かって歩いていくと、長い髪で顔が少し隠れている女が、通路にもたれかかりながら、男をギョロリと見る。
男と女は合流すると、無言で歩き始めてアパートを出る。
そして車に乗り込みその場を立ち去った。
「・・・ずいぶんと時間がかかったわね。」
女がボソリと喋る。
「ああ、すまなかったね。ほら、今日の仕事は珍しかったでしょう。神父だなんて。」
男はゆったりとした口調だ。
「元神父ね。あの人は、破門された人らしいわよ。」
「そうだったのか・・・まあ、『元』でもいいか。大事なのは僕が彼を神父だと信じていたことだよ。時間がかかったのは、あの場で『懺悔』ってやつをしてきたからだよ。」
女はギョロっとした目を一瞬だけ男に向けた。
「あなたが信心深いとは初耳ね。」
「いや、神様なんか信じてないよ。でもさ、ちょっとだけ自分のことを話したんだ。そうしたら、自分が子どものころに戻った気がして・・・」
男は不意に自動操縦だった車のハンドルを強く握り、小さく唸り声をあげる。ハンドルをしばらく握ると、自動操縦はマニュアル操縦に切り替わる。放たれた殺気に女は反応した。
「ちょっと!子どものころのトラウマで、いきなりキレないでくれる!?」
眉をひそめた女の様子をバックミラーで眺め、男の肩から力が抜ける。ハンドルから手を離す。
「ああ、すまない・・・それでさ、懺悔して、本当に良かったんだよ。なんか、自分のことが紐解くように段々と分かってくる気がするんだ。今度時間があったら、懺悔を続けたいなと思っているよ。お嬢も、いつかやってみたらいいんじゃないかな。」
「あいにくだけど、私はあなたと違ってあれこれ余計な事は考えないわ。仕事をしてお金をもらうだけ…もっとも、ゴミのような連中を殺す時の、脳天を突き破るような快感は、なかなか癖になるけどね。」
「さすがお嬢、プロフェッショナルだねえ。」
女は何も返さず無表情で首をコキコキと鳴らす。男も黙ってしまい、車内は無機質になった。
車はバス停で止まり、2人はそこから10分ほど歩いて繁華街へと進む。女はマッサージ屋へ、男はバーへと入っていく。
マッサージ屋に着くと「ディープ指圧、首の根本と踵をお願い」と女が伝える。受付は「ご案内します」、と言って、地下の部屋へと女を通し、女はその部屋の隠し扉から退室していく。
男の方はバーテンダーに「個室を頼む、騒がしい羊たちが多いもので。」と言うと、「かしこまりました」と言われ、これまた地下の「個室」に案内され、そこにある隠し扉から退室する。
2人は無言で地下の通路を介して別々の部屋へと入る。部屋は両方とも殺風景で白い椅子とテーブルが置いてあるだけである。席には番号が書いてある。2人は各々の番号を確認もせずに席に座ると、テーブルに手を置く。
ピッと小さな音がしたかと思うと、虫のような小さなドローンが飛んできて、2人の顔をスキャンする。ドローンが飛んで帰ると、部屋全体から音が聞こえてくる。
「No.5、オペレーションQ54の経過を報告せよ。」
「No.3、オペレーションQ54の経過を報告せよ。」
それぞれ別々の場所で違う番号で呼ばれる。
「No.5、報告します。オペレーションQ54。ターゲットは元神父、デニシュ・ハンブラビ。殺害手段、『絞殺』。処理、『偽装首吊り』・・・」
「No.3、報告します。オペレーションQ54。ターゲットは元神父、デニシュ
・ハンブラビ。No.5のオペレーション時、ターゲット周辺にて人影なし。隠し監視カメラなし…」
2人の報告をが終わると「ご苦労であった。報酬はすでに振り込まれている。」と言って声は消え、ドアが開く。
二人は一言も喋らないまままったく同じ道を戻り、マッサージ屋とバーから外へ出る。二人はそのまま出会うこともなく、別の道へ進んだ。
ボスが何者なのかは誰も知らないし、誰もそれを詮索はしない。
殺し屋という商売はそもそも孤高なものであり、元来このように組織化されるようなものでもない。みな、組織とは定期的に仕事を持ってきてくれるからの付き合いである。
オペレーション時には、誰が誰と組むのかはボスが決めるが、No.3のマニーシャと、No.5のバシリスクと、No.2のウールという男はよく組まされた。いや、もう一人、たまに組む奴がいた。その昔、組織の情報を売ったエージェントだ。
ここで売られた情報のせいで、それまでは顧客以外は存在していることさえ知られていなかった組織は、裏社会の都市伝説となる。
血の気配あるところに潜む闇の影『暗殺組織
第27話『CFA密会 ①』に続く
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