第12話 教皇チェン
『ライフ』の発見に人々が喜んでいたころ、イブキ教のペンタクロン司祭は教皇の招集で大聖堂へと急いでいた。イブキ教は、信徒十万人を抱えるオムニ・ジェネシス最大の宗教団体である。
信者の大半は第七区代表ダーマッサー率いるエリア37−40に住む住民であるが、信徒は基本的にどのエリアにも存在した。
ペンタクロン司祭が大聖堂に着くと、他の司祭たちはすでに席について教皇チェンの登場を待っている状態であった。
「おはようございます。親愛なる神の子らよ。」
「おはようございます。親愛なる神の子。」
挨拶を済ませ、ペンタクロン司祭が席に着くと、まもなく教皇が大聖堂の入り口より姿を表した。従者を従え、ゆっくりと歩きながら教皇の座へと向かう姿は神々しく、司祭たちは席を降りて跪いて顔を上げようともしなかった。
「よい、よい、親愛なる神の子らよ。神の前では我らは等しき愚か者たち。どうぞ、面をあげてください。」
みなが渋々と顔を上げるころには、教皇は座に着き始めていた。教皇チェンの痩せた顔には深いシワが刻まれ、天然の縮れ毛は今や完全に白髪だった。
チェンは45年前に教皇の座について以来、寿命をもって人生を終了せんと願い、一切の延命措置や若返りの措置を行なっていない。
健康的に生きて、寿命によるまっとうな終焉を迎える、というのが教皇チェンにとって人生を終える最善の方法だった。
これは宗教の理念とはさほど関係なく、教皇個人の考え方によるものであったが、教皇の影響を受けて延命を拒む信者も少なくはない。
そのため、オムニ・ジェネシス内で老人を見かけたら、まずはイブキ教の信徒であることを疑われる。
「神の子らよ、今日集まってもらったのは他でもない。この老ぼれに、またしても神はお声をかけてくださった。」
司祭たちはおお、っと各々に小さく声をあげた。全ての司祭の注意が教皇へと向けられる。
「私の寿命が尽きかけている。そして尽きると同時に、『予言の力』に目覚める人物がいるとのことだ。諸君らは一刻も早くその者を見つけ、その者の手足となりその力の意思に従わなくてはならない。その者は、真実を知り、悪を見破る者、となるため。」
「!!!」
司祭たちの間で、衝撃が走る。『予言の力』とは、教皇が神のお告げとして人々へ伝え、睡眠中にとてもリアルな描写をもって伝えられる未来図。
いわゆる、予知夢・・・である。
チェンは自らの予知夢の中に内在する様々なヒントを読み取り、これを神からのお告げとして皆に伝えてきた。
前の予言では『まもなく、太陽が大きなエネルギー波を打ち出すので、人類は1年以内に別の惑星へと旅立たなくてはいけない。そして、人類はコールドスリープ技術により、生き残ることができるだろう』として、人類の行く末を的中させている。
教皇チェンの『予言の力』は外れたことがない。
懐疑主義者は何かの裏工作だと陰謀論を唱えたりするが、百年以上も教皇を間近で見てきた司祭たちは、その力の真実をよくわかっていた。
予言を信じ、この宗教団体はコールドスリープ技術の発展に投資をして、その成功へ一役買っている。
そうであるが故に、今回の予言に、一同はショックを隠しきれなかった。教皇は自分の死を予言したのである。
どんな言葉をかければいいのか、みなが迷っている時、古参のペンタクロン司祭は背筋を伸ばし、硬さのある整った唇を半開きにし教皇へと向き直る。
「教皇様!今からでも、遅くはありません!持病を治し、延命措置を行なってください!『予言の力』は、すでに教皇様が恩恵にあずかっているではないですか!教皇様こそが神の伝道師なのです!」
他の司祭たちがペンタクロンを恨めしそうに見る。ペンタタクロン司祭にもわかっていた。お告げは絶対である、と。従わなければ、どんな厄災に見舞われるか分からない。
だがそれでも、若いころに両親をなくし、教皇の管轄にある孤児院に入り、教皇が親代わりになり育ててもらったペンタクロンにとって、教皇は、教皇以前に父代わりでもあった。
「最愛なる我が息子よ、あまり親を困らせるものではない。」
教皇は真っ直ぐにペンタクロンを見据えた。その眼差しには、慈愛の心が溢れていた。
「人類は、まもなく最大の試練を迎えることになる。その試練に耐えうるためには、新しい力を持つ者が必要なのだ。この老ぼれがいつまでものさばっていては、新しい力は目覚めないのだ。わかってくれるな?」
ペンタクロンは、場に不相応とは分かっていながらも、肩を小刻みにゆらし涙を流すのを止めることはできなかった。他の司祭は黙って下を向き、ペンタクロンの声にならない嗚咽を静寂と共に聞いていた。
「そ、その者は、ど、どのような人物なのですか・・・」
ペンタクロンの振り絞ったような小さな声は、やけに大聖堂に響いた。
「それがさっぱりわからないのだ。ただ、この人物は教会が総力あげて探し出さなくてはいけない。さもないと、厄災から人類はほろびてしまう、と予言された。」
チェンは、少し物思いに耽るように眉をひそめて目線を左下へと落とした。
「探し当てたら、その人物を教皇とし、教会最大の加護を与える必要があるという…私にもわからないが、私が死ぬまでにそれは分かりやしないらしい。なので、その後の舵取りは、ナジーム司祭、あなたにお任せします。」
ナジーム司祭は、教皇チェンに最も長く使えた司祭である。ペンタクロンにとっては兄のような存在であった。
ナジーム司祭は、自分に舵取りが任されたことで、教皇の命はもう風前の灯のようなものであることを悟り、顔全体の筋肉が引き攣り、ピクッと動いたが、すぐに目を閉じて、ゆっくりと鼻から深呼吸をして、しっかりとした口調で「分かりました。」と答えた。
チェンはその後、司祭の一人一人に対して別れの言葉を残した。皆がもう湧き上がる涙を抑えることはできなかった。
「案件は以上だ。こうしてみんなで集まれるのは、これで最後になると思う。最後に言わせてほしい。私は恵まれた。こうして信頼のおける信徒に囲まれて死ねることほどの喜びはありません。『予言の力』を呪ったこともあったが、結果的に私は、最高の生を謳歌することができた。悔い残ることは何一つない。この場でみんなに感謝したい。ありがとう。」
神の声の代弁者となることに人生を捧げ、おおよそ自我と呼べるものは捨てて生きた。
全てを捨てた献身は、チェンに全てをもたらした。
チェンは、自分を導いてくれた神に、ただただ感謝するのみであった。
涙する司祭たちを尻目に、教皇は大聖堂を去り、綺麗なコスモスの咲くガーデンのある家へ帰り、その二日後、眠るように息を引き取った。その死に顔は、とても安らかであったという。
(父上・・・とても素敵な夢をみて、旅立たれたのですね。)
ペンタクロン司祭は死体の前で長めなまつ毛のある大きな目に涙を浮かべ、別れを済ませた後、ナジーム司祭にお供する形で『予言の力』に目覚めた者を探す旅路へとついた。
第13話 『フーコ VS マリアンヌ』に続く
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