3.地上の星

「惑星βが地球と呼ばれていた頃、この星は自然に溢れた美しい青い星だったんだよ」




 キンカは普段通りの明るい声で言った。

 けれど、私には彼女が笑ってなんていないことが分かっていた。AIの判別により生み出された優秀な生命、フラスコベビー。其処に感情があることも、他の人類と変わりないことも既に研究され、発表されていた。


 けれど、フラスコベビーは禁忌の存在として差別されていることも知っている。神への冒涜だとされて、政府が指定した未来以外を選ぶことは出来なかった。そして、この小型宇宙船に乗るには更に優秀な人類を残す為の篩に掛けられて、仮想空間を選んだライオットは生活能力が無いとされて選ばれなかった。


 仮想空間の彼等は、死ぬ間際まで夢を見る。

 惑星βに流星群が降り注ぎ、疫病や奇妙な生き物が溢れ、成層圏にミサイルが飛び交っても、他人事みたいに幸せな夢を見て死ぬ。


 どちらが良かったのだろう。

 私は思った。あの日の私達はどちらを選ぶべきだったんだろう。

 もしもあの日、キンカが彗石ラジオを作らなければ原始的生活なんて選ばなくて、私達は惑星β最後の瞬間にも手を取り合っていられたのではないかと、もう叶う事のない未来を夢見ている。




「色んな国があって、表面上は仲良くしながら腹の底を探り合ったり、悪戯にミサイルを飛ばしてみたり、科学発展の為に森林伐採をしたりして、いつの間にか惑星βの環境は破壊された。でも、長い年月を掛けてこの星は再生した。……だから、きっと遠い未来、この星はまた再生するかも知れない」




 キンカの声にはノイズが混じり、聞き取ることが難しくなって来ていた。それはアスファルトに浮かぶ逃げ水のように、追い掛けても、手を伸ばしても届くことは無い。




「不思議だね。自然は人の悲喜交々なんて関係無く、誰かの評価なんて気にすることも無く、生き残る為に適応し続けている。どうして、人間にはそれが出来なかったのかな」




 ただ、生きること。

 生きて、働いて、成長すること。嵐が来れば身を隠し、雨が降れば恵みを受け、次の命の為に自らを犠牲にすることも厭わない。


 人間は成長し過ぎた。自分達の生活が豊かになるように判断さえも機械に依存し、犠牲となる命を作り、己は水槽の中で幸せな夢を見る。このちぐはぐで歪な生き物は自らの棲家さえ破壊し、今度は新しい惑星を探し始めた。まるで、寄生虫だ。


 私は、どうなのだろう。

 キンカは、どちらなのだろう。

 自然の一部なのか、人間という名の寄生虫なのか。


 キンカは抑揚の無い声で、滔々と続けた。




譲葉ユズリハという植物を知っている?」

「ううん」

「譲葉はね、次の葉が育つ為に、古い葉は自ら落ちて行くんだ。……落ちて行く時、新しい葉をどんな気持ちで見たんだろう?」




 キンカの話はいつも唐突で纏まりが無くて、オチも無い。

 だけど、それはまるで、死に行く命が自らの知識を受け継ごうとしているみたいだった。私は、こんなキンカを知るのは初めてだった。


 クリスタルイヤホンは既にノイズが混ざって、まるで風前の灯のように弱々しく消えて行く。漣に似た雑音を聞いていると、幼少期に二人で聞いた彗石ラジオの音を思い出す。


 あの日の私達は、賭けに勝ったのだろうか。

 それとも、負けたのか。




「お願いよ、ナオ」




 泣き出しそうな声で、絞り出すようにキンカが言った。

 その声を聞いていると胸が引き絞られるように苦しくなって、ナオの目から止めることの出来ない涙が一粒零れ落ちた。




「美しい星を、世界を、平和を守ってね。どうか、幸せになって……」




 ナオはイヤホンを握り締めながら、小型宇宙船の丸い小さな窓を見詰めた。母星である惑星βは少しずつ遠去かり、今はもう宇宙空間に散らばった数多の星の一つになっている。膨大な星の海から、母星を見付けることは難しいだろう。滅び行く母星にただ一人残されたキンカに会うことは、もう二度と出来ない。


 これが最後の交信になると分かっていた。

 ナオは一言一句を聞き間違うことのないように、ゆっくりと丁寧に告げた。感謝と謝罪、愛情と悔恨、全てを込めて。声が震えないように腹に力を込めて、なるべく平静の声を取り繕って、ナオは告げた。




「貴方は、輝く小さな星よ」




 今は昔、自然に溢れた青く美しい惑星だった地球。

 数え切れない程の生命が芽吹いた生命の星。母星を捨ててまで生き延びようとした愚かな人間達の中、ナオにとってキンカは確かに輝く星だった。


 ありがとう、と。

 掠れた声でキンカが言った。気付くと交信は既に途切れていて、窓の向こうに母星を見付けることは出来なかった。


 頬の濡れる感触も構わず、ナオは彗石ラジオを抱き締めた。そして、ナオは、広大な宇宙空間に赤い鋭光を見た気がした。それは私達が守れなかった一人の女の子と、母星の放つ最後の光だったのかも知れない。










 夜もすがらに咲き誇る

 3.地上の星











 惑星βから二度の次元ワープをすると、小型宇宙船は嵐に放り投げられた小舟のように激しく揺れた。彼方此方で悲鳴が上がり、吐瀉物が飛び散り、人々が失神する最中、ナオは必死に彗石ラジオを抱き締めていた。


 視界一面に輝く星空は、まるで天の底に穴が空いたようだった。星屑は砕いた氷のように、ちりちりと光っている。小型宇宙船は次元ワープを抜けると速度を落とし、目的の惑星へ無事着陸した。


 深い森に包まれた緑色の惑星は、青い灯火のような匂いが漂っていた。原始的生活に慣れていた私達は、惑星βに似た小さな海岸線を拠点として生活を始めた。この星の生態系を知り、食べられるものとそうではないものを見分け、生息する動物から逃れる方法を見出し続けた。


 狩猟採集の傍ら、ナオは森の中を歩いていた。雨上がりの腐葉土はスポンジのように水を吸って、大地を踏み締める度に足元を濡らす。息苦しい程の酸素と湿度に満ちた新しい惑星は、私達が守れなかった惑星βの、人類の存在しなかった頃に酷似していた。私達がこの惑星を選んだのか、それともキンカに導かれたのか。今となってはもう確かめる術は無かった。


 深い森の奥深く、木々はアーチ状に広がり、樹冠は地図のように見え、赤銅色の日差しに当てられて金色に縁取られていた。私は森の中を歩き続け、その奥にぽっかりと広がる野原を見付けた。


 見たことのない植物と昆虫が複雑な生態系を作る新しい惑星に、私はあの光る花を植えた。既存の生態系を侵食することの無いように細心の注意を払いながら植え替えると、その花は透明な花弁を項垂れたまま、まるで萎んだ風船みたいだった。


 けれど、夜になるとその花は仄かに発光した。

 それは、船の燈火によく似ていた。


 私達の新しい惑星は、夜になると一年の殆どが厚い雲に覆われていて、今は懐かしい星空も見ることは叶わない。彗石ラジオは気紛れに宇宙空間の交信を拾い上げるけれど、終にキンカの声は聞かれなかった。


 皆が懸命に新しい惑星での過ごし方を考えている間、私は光る花の周囲を囲むように硝子の壁を作った。増え過ぎることで、キンカの見付けた惑星の自然を破壊したくなかったからだ。


 光る花はたった一輪しか無かったのに、或る朝、見に行くと土から新芽が出ていた。キノコのように胞子を飛ばしたのだろうか。それなら、天井に蓋が必要だ。


 小難しい顔でナオが唸っていると、子供達がやって来て、一端の研究者みたいに観察を始めた。日に日に花は増え、ナオは慎重に囲いを広げた。けれど、不思議なことにその花は広場の外には群生しなかった。


 透明な花の咲き誇る一面の花畑は、夜露に濡れて硝子細工のように光っていた。そして、夜になると、今ではもう見ることの出来ない夜空の星のように地上を美しく照らし出した。


 私は、その花にキンカという名前を付けた。


 キンカは日中は気配を消すように透明な花弁を閉じて、夜になると墨を垂らしたような森の奥深くで輝いた。無数に咲き誇るキンカは、彗石ラジオを完成させた日の彼女の笑顔みたいだった。


 今日のわざを成し終えた人々は、まるで日課のようにキンカを眺めに来た。それは、私達にとっての故郷の姿だった。湿った夜風に当てられながら、私は凛と咲くキンカの群れを眺めている。蛍のような淡い光を見ていると、不思議と懐かしく、心が安らぐのだ。


 この花が咲いている時、例え彗石ラジオが彼女の声を届けなくなっていても、心の何処かで繋がっているのだと思えたからだ。


 そんな時、ナオはいつも彼女との最後の交信を想起した。


 ――美しい星を、世界を、平和を守ってね。どうか、幸せになって……。


 胸がぎゅっと苦しくなる。

 私の幸せを願い、星屑の海に消えた彼女。貴方は私の幸せについて考えてくれたのかな。私はね、貴方が生きて幸せでいてくれたなら、他には何も要らなかったんだよ。


 鉛色の雲が空を覆う。雨の気配は無く、キンカは今日も夜に咲き誇る。返事が無いと知りながら、ナオは胸の内に願いを溢した。




 ねえ、キンカ。

 この地上に咲く星の海を、貴方に見せてあげたかったよ。

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