2.白羽の矢

 青い宝石と称された母星は、赤胴のような不気味な雲に覆われていた。その光景を見た時、ナオは呼吸を失う程に動揺した。


 添乗員不在の小型宇宙船で、局長は搭乗員達に滔々と説明をした。

 惑星βは随分と前からコアが冷め始めており、やがて氷河期のような極寒の季節が訪れるらしい。其処に流星群が驟雨のように降り注ぎ、惑星は破滅的な被害を受ける。惑星βはもう寿命を迎え、その役目を終えようとしているのだと。


 其所で、政府関係者は首脳会議を開き、幾つかの対策を立てた。

 流星群をミサイルで迎え撃つ案、地下深くのシェルターでコールドスリーブする案。それから、将来、人類にとって有益となるであろう優秀な研究者や権力者、施設にいた年端もいかない幼いフラスコベビー達を選りすぐり、ノアの方舟に乗せて母星を捨てて宇宙空間に避難する案が採用された。


 ナオは不安で胸が一杯だった。

 この星には、まだ沢山の命がある。それを人間の勝手な采配で種を選び、多数の民間人を残して自分達だけが助かろうと言うのである。ナオとて、母星と共に心中するつもりは無い。ただ、残して来た動植物達のケージを開けてくれば良かったと諦念にも似た後悔に襲われた。


 形あるものはいつか滅びる。この世の摂理だ。

 だけど、命が終わるその瞬間、狭いケージに閉じ込められている動植物達を思うと頭が重く、罪悪感が喉の奥に詰まる。


 ふと思い付いて、ナオはキンカにメッセージを送った。

 既読は付いている。見てくれた筈なのに、返信が無いのは何故なんだろう。猛烈に嫌な予感がして、ナオは通信機器を引っ手繰ってキンカへ通話をした。けれど、それは繋がることは無かった。電源が切られているらしい。


 ナオは舌打ちを飲み込んで、妙案が無いものかと小型宇宙船の中を歩き回った。そして、自室として用意された部屋の中に、梱包されたままの私物と、机の上の小さな花を見付けた。


 宇宙空間を夜と勘違いしたのか、その透明な小さな花は微かに発光していた。五枚の花弁は凛と咲き誇り、人間達の動揺なんて気にすることも無く、誰の視線を浴びなくとも、堂々と静かに開花していた。


 これを、キンカに見せてあげたい。

 貴方が外に連れ出してくれたから、私は原始的生活の中で美しく咲く一輪の花を見付けたのだ。全部、キンカのお蔭なんだよ。まだ名前を付けていなかったから、一緒に考えようよ。


 届く筈の無い言葉が胸の中から噴水のように溢れ出す。

 ねえ、キンカ、無事だよね?

 だって、キンカは特別に優秀なフラスコベビーだった。ノアの方舟に乗れないなんてことは万に一つも無い。そう分かっているのに、時間経過と共にナオの不安は膨らんで行った。メッセージを見てくれている筈なのに、返事が無いのはどうしてなの。緊急事態だから、忙しいの?


 答えの無い問い掛けを繰り返している内に、ナオはふと思い立って梱包された荷物を開いた。中には生活雑貨の他に研究の為の機材とファイルが詰め込まれている。そして、その隅にはあのが息を殺すようにひっそりと置かれていた。


 彗石ラジオには、幼少期のままシーグラスが設置されていた。

 ナオは祈るような気持ちでスピーカーを手に取った。











 夜もすがらに咲き誇る

 2.白羽の矢











 彗石ラジオは、いつかのようにノイズ混じりの雑音が流れた。

 その中で幾つかの宇宙船の交信が聞こえる。ナオと同じように宇宙に脱出した選ばれ者なのだろう。


 その中にキンカの声は無いかと、一縷の希望に縋るように耳を済ませた。けれども、どれもキンカの少女のように澄んだソプラノは聞こえて来なかった。


 生育観察館の交信は、子供が泣いているのか騒がしかった。

 ナオは堪らなくなってキンカの所在を訪ねたが、返って来るのは重い沈黙だけだった。それから、幾つかの宇宙船に交信したが、キンカの所在は分からなかった。知っている者もいただろうが、誰も彼もが、死者を悼むみたいに沈黙するので、酷く焦燥感に駆られた。


 その時、置きっ放しにしていた彗石ラジオから小さな声が聞こえた。ナオは手にした交信機をベッドに放り投げ、手作りのちゃちなスピーカーを手に取った。




『ハロー、ハロー、誰か聞こえますか?』




 キンカの声だった。

 胸が潰れる程の安堵を覚えて、同時に炎のような怒りが込み上げた。この非常事態に、どうして彗石ラジオなんて使うのか。


 だって、宇宙船に乗っていれば交信機はある。それは彗石ラジオより確実に繋がり、相手へ声を届けてくれる。それとも、彗石ラジオでなければならなかった理由があるのか。ナオには、キンカのことがさっぱり分からなかった。




「聞こえてるよ、キンカ」




 ナオが答えると、スピーカーの向こうでキンカか息を漏らすように笑った。それは、実験と称した悪戯が見付かった時の笑い方にそっくりだった。


 僅かな沈黙を挟み、キンカはそっと言った。




「花の動画、見たよ。星みたいに綺麗だったね。本当はすぐに返事がしたかったんだけど、非常事態でしょ?」




 ごめんね、とキンカは悲しそうに言った。

 正直な所、そんなことはどうでも良かった。キンカさえ無事ならば、他のことは後回しで良い。今、キンカはどの宇宙船に乗っているのだろう。彗石ラジオを弄っているくらいだから、無事なのだろう。


 ナオがほっと息を逃す寸前、キンカが言った。




『この目で見てみたかったよ。一面に咲く光の花、きっと綺麗なんだろうな』

「大丈夫だよ。宇宙船に一株持って来てるから、合流したら見せてあげる」




 当たり前のようにナオが答えると、キンカは沈黙した。

 宇宙空間の向こうに、巨大な流星群が見える。研究者達の予測通りならば、惑星βは壊滅的な被害を受けるだろう。もしかしたら、滅亡してしまうかも知れない。


 ナオがそんなことを考えていると、キンカは泣きそうな声でそっと言った。




「もう、見られないの」




 どういう意味だ。

 だって、キンカは宇宙に避難した筈だ。時間は掛かるかも知れないけれど、宇宙センターに到着すれば会える筈だ。キンカの才能は人類には必要なのだ。母星から逃げ出した私達が立ち直すには、キンカの知能と技術が。




「ねぇ、知ってる?」




 語り聞かせるような穏やかな声で、キンカは言った。




「惑星βがもうダメだってこと、私達が生まれる前から分かってたんだって」




 キンカの話は唐突で、ただの世間話や雑談のように聞こえた。

 淡々と話し続けるキンカの声を、ナオは御伽噺を聞くような不思議な心地で聞き入れることしか出来なかった。


 キンカは無感情に、滔々と語り続けた。




「世界政府と各地の有識者が集まって何度も会議をしたんだけど、隕石衝突とコアの停止は免れないって結論が出た。だから、彼方此方の研究者達が状況を打破すべく、優秀な遺伝子を集めたフラスコベビーが生み出されたんだって」




 惑星βの核とも呼ぶべきコアが回転を停止したら、地球の磁場が不安定になる。そのままでは磁場が消失し、太陽風に晒されてれて惑星βは滅亡するだろう。其処に畳み掛けるようにやって来た数多の流星群。人類は宇宙に逃げるしか無かった。




「だけど、人類を宇宙に送り出すには、誰かが惑星βに残らなければならなかった。広大な宇宙空間で迷子になったら困るからさ。特別優秀で、後腐れの無いフラスコベビーが丁度良かった」




 稲妻に打たれたかのような衝撃が体中を駆け抜けた。

 まさか、キンカは惑星βにいるのだろうか。私達を導く為に、たった一人で。


 心臓の音が煩い。指先から血の気が引いて、酷い眩暈に立っていることが出来なかった。ナオがベッドに倒れ込むと、キンカは呑気な声で「びっくりした?」なんて戯けて笑った。


 どうして、キンカが残らなければならないの?

 他の人じゃダメだったの? 私達がフラスコベビーという造り出された禁忌の命だから? その為に生まれて来たの?


 私は拳を握り、唇を噛み締めた。溢れる涙を宇宙服の裾で擦ると、頬に痛みが走る。全てを無視して、なるべく平静の声を取り繕いながらナオは問い掛けた。




「それは、キンカじゃなきゃダメなの?」




 ナオが訊くと、キンカは答えた。




「誰かが死なければならないとしたら、それは私であるべきだと思った」

「……どうして」

「守りたいものがあったから」




 キンカの守りたいもの。

 私には、彼女以外に守りたいものなんて一つも無かった。キンカが彼女らしく生きて、好きなことをして、どんなに忙しくても笑っていてくれたらそれで良かった。それで良かったのに。




「昔話をしようよ、ナオ」




 キンカは明るい声でそう言った。

 その時にはもう彼女の声は靄が掛かったみたいに薄ぼんやりとしていて、私達のいる小型宇宙船は惑星βから少しずつ離れていた。赤金色の滅び行く惑星と、宇宙空間を駆ける箒星の群れ。母星に残された最後の人類。次元ワープをしたら、もう惑星βを見ることも、キンカの声を聞くことも敵わない。


 私は涙を啜り、彗石ラジオに耳を傾けた。

 それが最後の会話になると、知りながら。

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