夜もすがらに咲き誇る

mk*

1.ドリフトグラス

彗石すいせきラジオさ」




 真鍮のような夕陽が水平線に沈んでゆく。

 なだらかな砂浜は斜陽に染まり、水面は赤く錆びた鏡のようだった。磯から顔を出した寄居虫ヤドカリみたいに、キンカが見上げて言った。


 惑星βが地球と呼ばれていたのは、もう昔のことだった。深刻な環境汚染と破滅的な軍事衝突によって幾つかの国が消滅しては結合し、やがて一つの大きな国になって、もう数百年経っている。


 ナオが生まれた頃には人間の平均寿命は樹木のように伸びていて、義務教育を終える頃には将来、原始的生活と仮想空間を選択出来るようになっていた。


 幼体生育館で生まれ育ったナオとキンカは、XXの染色体を待つフラスコベビーだった。この頃にはAIにより、痛切な人口問題が解決しており、完璧に管理の行き届いた自然豊かな惑星が再生され始めていた。私達は胎盤代わりのチューブを共有したという珍しい存在で、ちょっとした外出が特別に許されていた。


 私はキンカに連れられて、養庭の端にある擬似海岸へ来ていた。施設の中にあるフロアはスクリーンに投影された偽物だとキンカが毛嫌いしていたからだ。本物の水面に夜空が映ると、まるで星の海にいるような不思議な感覚なのだと嬉しそうに語っていた。


 擬似海岸には、ナオの知らない奇妙な動植物が溢れていた。それはサファイアのような蟻であったり、硬い鱗を持った蛞蝓なめくじであったり、水銀を貯める蓮の葉であったり、透き通る翅を伸ばす魚であったりした。惑星βの生態系は地球と呼ばれていた頃から随分と様変わりしたらしいが、当時を知らないナオには全てが目新しく、輝いて見えた。


 キンカは、黄金色に輝く砂浜で玩具みたいな装置を取り出した。

 彼女は困った盗み癖があり、時々施設の倉庫からガラクタを引っ張り出して妙な物を組み立てる。それが上手く作用する時もあれば、観察者達が真っ赤になって怒るような大惨事の時もあった。故に、彼女の悪戯に付き合うのは、ハイリスク・ハイリターンの賭けだった。


 この日のキンカは賭けに勝ったらしく、彼女の取り出した装置は正常に作動した。そのは、其所等に転がっている鉱石をアンテナとして、宇宙空間を遊泳する音波を拾う一種のアクセラレーターだった。


 キンカの作った彗石ラジオが、中央貿易センターの交信を拾った時には二人で手を取り合って歓喜した。けれど、その殆どはノイズ混じりの雑音で、二人の試みは、ただの散策に変更された。


 そして、私はその他愛の無い日々が水平線に沈む夕陽のように眩しく、愛おしく感じられた。当時を振り返ると、胸が締め付けられるような息苦しさと、足元の抜けるような空虚感に苛まれるのだ。


 あの日のキンカは、賭けに勝った。

 では、私はどちらだったのだろう?

 勝ったのか、負けたのか。それはどうか、貴方に決めて欲しい。











 夜もすがらに咲き誇る

 1.ドリフトグラス










 キンカの拾って来た鉱石は、磨り硝子のような淡い青色をしていた。波間に揉まれたせいか、その鉱石は丸みを帯び、丁度シーグラスによく似ていた。彗石ラジオは宇宙空間から飛来した惑星の欠片を使っているから、いつか何処かの惑星の音波を拾うかも知れない。彼女は歌うような口調でそんなことを語っていた。


 浅葱色の鳳仙花の実が弾ける頃、私達は幼体生育館を卒業した。将来の選択をする時、私達は当然のように原始的生活を選択した。ナオがその決断をしたのは、偏にキンカと過ごした日々が楽しかったからだった。


 施設の外に出たナオは、目まぐるしく変化する環境に適応する生物の研究を始めた。仮想空間を選択したライオットという少年は、アバターとなって集合住宅で生活しているらしい。そして、キンカは発明家になるのだと豪語して、ナオには理解出来ない不可思議な装置を作り出しては発表し、痛烈に批判されたり、輝かしく表彰されたり賑やかに過ごしていた。


 私達が順調に成果を積み上げると、施設にいた観察者達は興味深そうに頷いては喜んだ。実験は成功だと拍手を送られたが、その目は無機質で、いつの間にか彼等は仮想空間の住民に変わっていた。


 私もいつか、仮想空間で暮らす日が来るのかも知れない。

 群青のナマケモノが地を這う姿をレンズに収めながら、ナオはそんなことを思った。私達は17歳になっていた。キンカは惑星βを飛び立って、幾つかの新しい鉱石を見付けて学会に発表した。


 燐石と名付けられたその不思議な鉱石は黄鉄鉱によく似ていたが、素手で触れることの出来ない高温を放っていた。保管に手こずっていると、風の噂で聞いた。互いに忙しく、キンカとは中々直接会うことが出来なくなっていた。


 私は所属する生物観察局の夜勤を買って出て、新種の花を観察していた。それは、透明な硝子板に挟み込まれた小さなケージの中で地中に根を伸ばし、夜の間だけ咲き誇る。開花の刹那、星のように発光するのだ。その理由は分かっていない。発見者であるナオは、学名を付けることすっかり忘れて観察に没頭していた。


 徹夜明けの朝は、体は重いのに、変に頭ばかりが冴えていた。

 宛てがわれた社宅のベッドに倒れ込み、眠る寸前にキンカへ一枚の画像データを添付して送信した。それは完徹したナオの成果とも呼べる発光する花の映像だった。


 返事は無いまま、ナオは泥のように眠った。

 起きた時には既に太陽は高く昇り、影は深く短くなっていた。出勤時間に余裕があったので、何となく、幼少期にキンカと過ごした幼体生育館を訪れた。施設は蜂の巣を突いたみたいな大騒ぎで、顔も知らない観察者達が新しいフラスコベビーを連れ出している所だった。




「何処へ行くんですか?」




 ナオが訊ねると、観察者は目の前で両手を叩かれたみたいに目を丸くした。それから、それぞれ出方を伺うみたいに顔を見合わせて、早く職場へ戻るように言った。


 嫌な胸騒ぎがした。

 急足で生物観察局に戻ると、ひょろりと長い社長が仮面のような笑顔を浮かべて待っていた。




「これから、皆で惑星Ωへ行って研究をするんだ。ナオも早く支度をしなさい」




 顔は笑っているのに、口調は重く、否定を許していない。

 まだやり掛けの研究はあったが、ナオは大人しく従った。そのように教育されて来たから、疑ったり反抗したりするなんて考えもしなかった。


 最低限の私物と観察中の光る花のケージ、それから幼少期にキンカが作った彗石ラジオを抱えて、ナオは空き缶みたいな小型宇宙船に乗った。他の研究者は既に搭乗を終えており、宇宙船の中は準備万端とばかりに梱包された雑品が載せられていた。


 離陸する時には、いつも緊張する。

 他惑星の探索は初めてではないけれど、離陸すると足元に地面が無いことに不安を覚えるのだ。最新技術の詰まった宇宙船は大きく揺れることも無く、無事に大気圏を突破した。


 宇宙空間に到着したことをAIコンシェルジュの声がアナウンスする。ナオはほっと息を逃し、宇宙船の丸窓を覗き込んだ。愛しき我らの惑星βは、その殆どが海洋であり、青く光る宝石に似ていた。


 けれど、窓の向こうにあったのは、ナオの知らない惑星βの姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る