中
それからというものの毎日のように、アディソンは母親の目を忍んでは寝室へ訪れ、イーヴァに会った。いつ如何なる時も、彼女は優美で楚々として、そして自由だった。よく笑う彼女に、アディソンは日に日に夢中になった。
「イーヴァがうらやましいわ。とてもきれいで。」
身を丸め、足に顔を埋めてアディソンは声を漏らした。アディソンは、イーヴァの柔らかで、それでいて慎ましやかな胸や、きゅっとしまった細い腰、そしてさくらんぼのようにぷりっとした小さな丸い尻が羨ましかった。
「まあ、そんな悲しいことを言わないで、アディソン。あなたは素敵よ。」
「イーヴァは優しいのね。でもいいの。わたしはしっているもの。」
アディソンは自分の躯をぎゅっと抱きしめた。骨ばっていて関節のよく目立つ醜い躯。日焼けしてそばかすだらけの顔も嫌いだ。ちりちりに焼けたように短く、太い髪も嫌い。アディソンは自分の軀のすべてが嫌いであった。
「いいえ、アディソン。あなたはこころがとっても綺麗よ。」
「いいえ。わたしのこころは下劣よ!」
「どうしてそんな事を言うの、アディソン。」
「わたしはいつも醜くて、あさましい事ばかり考えてしまうのだもの。」
自分に持っていないものを持っているイーヴァを妬む自分。美しく清らかなイーヴァが乱れる姿想像してしまう卑猥な自分。すべてが憎い。すべてが気に入らない。
「自分を責めているのね、アディソン。」
自分の惨めさに、アディソンはしくしくと泣いた。イーヴァは幼い子供を諭すように、穏やかな声で「だいじょうぶ、だいじょうぶよ。」と声を掛けた。イーヴァが話しかけてくれるだけで、自分の身もこころも洗われていくようなそんな気分にさせられた。
「好きよ。大好き。イーヴァ。」
「ええ、わたしもあなたが好きよ、アディソン。」
次第にその淡い敬慕は激しい恋慕になり、アディソンは自分のこころを抑えるのが日に日に難しくなっていった。
イーヴァが声を上げて笑うだけでときめき、イーヴァが自分の名を呼ぶだけで胸が高鳴った。あの晴れの日の海原のような碧い瞳でじっと見つめられた日には、音が聞こえてしまうのではなかろうかと懸念するほどに心臓が早鐘を打った。
ああ、愛している。
わたしは、彼女を愛している。
今やアディソンは、イーヴァの顔をまっすぐ見つめられなくなっていた。目が合うだけで、顔から火が出るのではなかろうかと思うほどに躰が熱くなるのだ。
「ねえアディソン。」
「なあに、イーヴァ。」
アディソンは顔を背けながらも、心配げに答えた。イーヴァの声は何処か沈んでいる。どうしたのだろうか。
「近頃ずっと、顔を見せてくれないわ。」
「イーヴァ……。わたしの目は濁っているわ。」
「いいえ、アディソン。あなたの目はいつでも素敵よ。だからお願いよ。」
泣き出しそうなほどに寂しそうな彼女の声に、アディソンは堪らず振り返った。
そしてイーヴァは言った。「口づけを交わしてもいいかしら。」アディソンはそっと鏡越しに口付けた。ひんやりと冷たい感触が、唇に伝わった。
突如。
「こら、アディソン!こんなところで何をしているの!」
母親の大きな声が、室内に響き渡った。
母親に叱られたアディソンは、寝室の行き来を禁じられてしまった。
アディソンははじめ、部屋の片隅でただただ震えていた。――この家で母親は総司令官。彼女の言うことは絶対なのだ。部屋の扉がバタン!と開け放たれ、冷ややかな目をした母親が姿を表した。
「どうして言いつけを破ったの?」
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
「あなたのためを思っていつも言っていたのに。」
母親の平手がぴしゃり、とアディソンの右頬を打った。頬がじんじんと熱を持ち、それは徐々に鈍い痛みへと変容する。
アディソンの母親はいつもアディソンをどろどろに甘やかすが、然し言うことに従わなかったときだけ人が変わったように厳しくなる。たいていの場合、気の済むまでアディソンを打ち、暗い部屋の中へ閉じ込めるのだ。
「お願いだから、おねがいを守ってちょうだい。」
母親はヒステリックな声で罵倒した。アディソンは一定の間隔でそう言うようにプログラミングされたマシーンのように、ただ只管に「ごめんなさい、ごめんなさい」の答えた。
「そうやってすぐ謝れば済むと思って。」
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
「ああ、どうしてこんな風に育ってしまったのかしら。」
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
「何処で育て方を間違えられてしまったのかしら!」
母親の居なくなった部屋は真っ暗で、誰の声も何の音もしなかった。
――イーヴァに会いたい。
魔法の鏡の傍へ行って、彼女の下へ行きたい。会って、他愛のない話に花を咲かせたい。鏡越しで良いから、あの唇にもう一度触れたい。
――どうしてマムは、こんな酷いことをするの?
――マムは、どうして。
アディソンはだんだんに、靄々としたものが胸の内を燻るのを感じた。
イーヴァの小さな唇ならば、あんな悍ましい言葉を使わない
イーヴァの澄んだ声ならば、あんなにも
イーヴァの細い腕ならば、ひとに恐怖のような、悪魔の感情など植え付けない
アディソンは汚いものが大嫌いだった。嫌悪感すら抱いていた。汚いものは
母親は自分を一生醜悪な形に留めておこうとしているに違いない。腹立たしい。憎たらしい。胸の内を犇めく靄々としたものは、どろどろとした明白な反抗心になった。
アディソンは涙を拭うと、部屋の扉をこじ開けた。――部屋には鍵のようなものはかけられていなかった。
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