契約のしるし

@yamimure

第1話

「ねえ、君」


 「人を見る時は目ではなく、毛並みと四肢と耳から見よ」とは、由緒正しい商人の家系たるヤルグルナ家を支える家訓である。というわけで私の毛と耳はふわふわで綿毛みたいなので、少なからず自慢したいところだ。


「まずは、落ち着いて。すーっと吸って、ふーっと吐くんだ。それからゆっくり、飲み込んでから要件を述べれば好いよ。此方はそこまで警戒していない。今日は本と食材だけで、可愛らしい女の子が運ばれてくるとは聞いていなかったけれどね」


 そしてもう一つ追加の家訓があって、「角が生えていたら必ず角で人を判断せよ」というものがある。そういう意味では、私の角は少し小さい。家族の中でも丸まり方がこじんまりしていて、威勢のない方だと思う。可愛らしいとも取れるかもしれないけれど、あんまり誇れはしないこと。


「──あ、あなたは」


 ──だから、興味があったのだ。

 父が「その人」と取引をしていると知った次の日、私は積荷に忍び込んだ。いつも物資は置いてさっさと帰ってしまうらしいから、見つかることなどなかった。夜中に運ばれてきてもうすっかりみんなが起きる朝、今頃家ではセカナリはどこへ行ったと大騒ぎだろうが、大したことではないだろう、うむ。

 そんなことより、そんなことよりだ。


「……そこまでじろじろと見られると、僕も困ってしまうのだけど」


 細い四肢、尖った耳。その端を硬く彩るのは、私たちみたいな毛皮ではなく、硬くて鋭い銀のような鱗。


「ああすみません、すみません! えっと、えっとですね」


 でもそれより、それよりやっぱり見なくちゃいけないのは、白い肌と青い髪の横から伸びる一対の角。やっぱり、角を見なくちゃいけない。


「こほん。あなたが、あの──」


 天威に逆巻く理の具現。神威を顕現す力の象徴。空をつんざき引き裂かんと真っ直ぐに伸びるその有り様が、きっときっと間違いなく──。


「龍、でしょうか」


 この女の子が龍である、何よりの証明だ。

 こうして私は無礼にも、神話に等しい存在と邂逅した。

 恐れを、畏れを、知らずに。



「……うん、君は正しい。僕はその通り、この山を治める龍だ。名をヨトワ、と言う。よろしく」

「あっあっありがとうございます、私の名前はセカナリ=ヤルグルナです! 商人をやっているヤルグルナ家の一人娘でして、えへへそうですねえどこから話せば困りましたね」

「落ち着いて、落ち着いてったら。ヤルグルナにはお世話になっているから、大体察しはつくよ。無理して喋る必要はない。緊張するのは、わかるけど」

「いやいや緊張なんてしてないですよ! なんで緊張するんですか! どういうところに緊張ポイントがあったんですか!」


 そうどーんと宣言すると、スラリと長い身体にくっついた頭が横に傾げられた。その仕草だけでもつい見惚れてしまいそうなほど様になっているので、この絹でできたコートみたいな服は初めて見たな、とか、角が重そう、などと気を逸らすためにどうでもいいことを考える。いやいや、そうではなくてですね。気になるものがあったらつい注目してしまうのは、もう生来の癖だから仕方ないのだが。


「これは緊張ではなく、興奮です! だって初めて、龍の子を見たのですし!」


 龍。それは我々他の人(角が生えてたり耳の形が違ったり色々だが)とは違う、世界にも数少ないと言い伝えられる希少な「人」。その特徴は毛ではなく鱗に覆われた肌と尻尾、そして何より真っ直ぐに伸びる荒々しい一対の角。それが、龍。大体膝くらいまでと同じ高さはあるな、あれ。たまげた。角を換算すれば大人の男の人より背が高いじゃないか。そしてそんな見た目だけではなく、龍とはとんでもない存在、らしい。なんでも自然をコントロールする力を持っているとか、五百年は生きるとか。とにかく、すごい人たちなのだ。

 それだけすごい人がいて、なんと私の手の届く範囲にツテがあるとわかった。そうなればやるっきゃないというのが、ヤルグルナ家ではなく私セカナリ個人の掟である。家訓より優先すべきだ、個人的には。


「……とりあえず、積荷の中から出てきたらどうかな」

「ああ、そうかもです。いやそうですね、こんな体勢でお話しするのもなんですし」


 と、とりあえず嗜められた。ヨトワさんはこんな私の登場にも落ち着いているふうで、まさしくお姉さんといった感じ。見た目からして私より少し上の二十歳かそこら……いやいや違う龍はめちゃくちゃ長生きなんじゃん! 何歳だろ。見た目からじゃわからない。あとで聞いてみよう。いや失礼か? などとまた余計なことを考えながら、這いずり出し。ごとごとと果物やらの積荷と一緒に地べたに転がり出した私に、ヨトワさんが一言。


「ああ、いや。それもあるけれど、そうではなくて」


 ──そのままぴとりと、両の手を己の角にくっつけて。


「荷物の、整理を。……加減が効かないんだ」

 その瞬間、私の背後に嵐が吹いた。

 ……そうか、これが。


「『魔法』、ですね」

「よく知ってるね。そう、『魔法』だ。僕たち龍種の最大の特異性であり、この力で代々この山を護っているのさ」


 何もないところから旋風がびゅう、と吹いて、荷台の上にあるものを根こそぎ巻き上げる。大雑把に見えて丁寧に積荷の仕分けをするその風は、自然現象などではあり得ない。これが、魔法。……初めて、見た。


「この角が魔法を使う原動力でね。触れてやると、世界と呼応する。摂理を書き換える、とも言われているよ。そんな大したものにされても困るのだけどね」

「……はあ」


 ぽかん、と、ため息を漏らすしかできなかった。私にも角は生えているわけだが、これじゃまるで別物だ。いや、実際別物だろう。やはり私の角は弱々しい。見た目で立派だなあと思っていたけれど、それ以上にびっくりだ。話に聞いていただけでは、人は覚悟しきれないものだな、と思う。いつだって、予想は超えられるためにある。わくわくするに、違いない。これも私の掟である。未知と特別は、こうやって直に触れるためにあるのだと。


「さて、待たせたね。……聞いてる?」

「……ああはい聞いてます! いや、すごい。驚きまくりでした」

「そうか。驚かせてしまってすまない」

「なんで謝るんですか、驚いたってのは褒めてるんですよ!」


 だってすごいじゃないか、わくわくするじゃないか。未知、人智、どれもこれもを超えていく。そういう超常が、ここに在るのだから。だから当然喜ぶのだと、そう伝えて。私は今とても嬉しいと、そんなまっすぐな気持ちを伝えて。


「……驚くのは、よくないことだよ」


 それが自分にとっての当然だと、そんな答えが返ってきた。この出会いは素晴らしいものではなく、忌むべきものとでもするかのように。


「君は、何しにここへ来たんだい」


 問われたのは、行動の理由。好奇の理由。勇気の理由。興味深いというより、わからないことを怖がるみたいな聞き方に感じられた。相互の認識、当たり前。生まれた時から決まっているものを、確認し合うこと。「当然」は、どこまでも。


「もちろん、決まっています」


 どこまでも。


「あなたと、友達になりに来たんです」


 どこまで、行っても。


「それは、できないよ」


 「当然」は、交わらない。



「龍の生涯は知ってるかい? 他の人が世代を替えていく中、僕たちはただそれを見守り続ける。干渉しない。干渉されない。ただ生活は補助してもらって、そのぶんの見返りに調和を与える。『魔法』によって、龍は役目を背負うんだ」


 ふわり、ぱらり。また角に手を当てて、一陣の風が吹く。見れば豪華な装丁の本が一冊、ヨトワさんの手元に送られていた。あれは……うちで取り扱ってるものだ。確か、世界の図鑑シリーズ。風の吹いてきた方を見れば、同じくらい高価で分厚い本が山のように積まれていた。なるほど、なるほど。見るからに博識そうな口ぶりは、読書によって得た智慧に裏付けられたものか。

 ……いやあ、それってさ。


「知らなかったです。でも代わりに、一つ知ってます」

「ほう、なにかな」

「この世界には、知らないことがたくさんあるってことです」


 引きこもってすべてを知れるなんて、あり得ないじゃないか。

 だから、見たいと思った。荷物に潜ってこっそりなんて大目玉だと、何度目かなんだからわかっていても、どうしたって知りたい、目にしたい。それが私で、だからどこにでも飛び出すのだと、当たり前は決まっている。


「そしてそれは、ヨトワさんも」


 そして、だから。だってそんなふうにずっと一人、山の中で悠久を過ごして生涯を終えるなんて。


「ヨトワさんの知らないことは、外にたくさん待ってますよ」


 山のような本を読んでわかり切るものか。とこしえを生きて万を知れるものか。世界は、もっと、もっと。


「だから私は、友達になりにきたんです」


 もっとたくさんの楽しみで、満ちている。


 「角が生えていたら必ず角で人を判断せよ」、その点こんな素敵な人は、私だって今まで知らなかったのだから。


「……本気かい」

「はい。だって龍のお友達なんて、すっごくわくわくするじゃないですか。それにそもそも誰かと仲良くなるって、すごく素敵なことなんですよ」


 そう、きっぱりと言い切った。これが私の、当たり前。そして誰にとってもだと、私は心底信じている。たとえ神様じみたひとだって、誰かと一緒にいていいはずだ。もくもくと全身の毛を泡立てながら、私はヨトワさんにそう告げた。

 ……けれど、彼女は何も言わず。

 また、静かに片手を己が角に触れて。

 刹那。ヨトワさんの尾先が、しゃなりと弧を描いたのち。

 一筋の稲光が、私とあなたの間に落ちた。

 雷鳴。

 片時雨。

 雷雲が、山の上空にできていた。


「こういう、ことさ」


 ぺたり。突然の音と光に、へたり込んでしまった私がいて。恐れと畏れを、知ってしまった私がいて。今までの私の上り調子は、刹那に焼きつく残光で真っ二つ。けれどヨトワさんは私の方から目を逸らさずに、ただ滔々と言葉を繋げ始めた。

 龍という種の、本質を。


「二十年前のことだ。だから私は二十ちょうどの時かな。本を読んで読み耽って、自然と外に興味が湧いた。今の君みたいに、当然に。好奇心があって、知りたいことがあって、一人の山じゃ限界があった。そうなればどうするか、君なら僕がわかるだろう」

「……人里に、降りた?」

「そうとも。君のように、勇気を振り絞って」


 雨に濡れた銀の腕。雫を落とす天墜の双角。彼女の顔が暗く見えるのは、空が急に暗くなったからだろうか? そうとは、思えなかった。


「そこで初めて、知ったんだ」


 悲しげに。諦めたように。


「龍というものは、他人とは共に暮らせないと」


 どうしようもない絶望を、知っているみたいに、ぽつりと一つ現実を零した。

 雨の中でも、溶けずに残っていた。


「まず茶屋に入って、目を見開かれた。龍というものがどう受け止められているかなんて、それまで知る由もなかったよ。今まで荷物を置いたらさっさと帰ってしまっていたのには、きちんと理由があったんだ」

「『必ず非礼のないよう、積荷を運んだら疾く帰れ』。そう父が言っていたのは、荷物の中で聞きました」

「そう。『普通』の人にとっての龍は、何をするかわからないものなんだよ。人里に降りず、永くを生きる。その上問題なのが、この角と、そこに紐付けされた『魔法』だ」


 そうか、と腑に落ちる。何故って、私も他の人と何ら変わりなかったから。龍の特異性、「魔法」と角。そこに目を奪われて、彼女自身を見ていなかった。好奇と畏怖は、紙一重。

 彼女が孤独なのは、龍だからではなく。


「……うっかり一人、僕の角に触ってしまってさ。逃げるつもりはないよ、って、勇気を振り絞ってくれたのだけど」


 特別な存在だから、ではなく。


「突風が起きて、勢いよく吹き飛ばされた。……僕が、何かしたいわけじゃないのにね」


 誰かを傷つけたく、ないからだ。

 どこにでもいる、優しい人だった。



 まばらだった雨はすぐに豪雨に変わり、その中で私とヨトワさんが見上げ、見下ろし。綿毛が水でべったりと肌についてみっともない私と、水滴によってより艶やかさを増すヨトワさん。雷鳴にびくりと縮こまるばかりの私の小さな角と、雷霆すら従えてしまうヨトワさんの大きな角。何もかもが、対照的。平行線で交わり得ないと、これ以上なく証明するかのように。


「……ほら、雨も降ってきた。風邪をひく前に帰るといい。風邪は万病のもとだから、長生きしたいなら侮ってはいけないよ」

「それは、私とあなたでは寿命が違うと言いたいんですか。だから、一緒にはなれないって」

「そうかもね。否定はしない。むしろ、いいことかもしれない」


 彼女の黄金色の瞳孔が、雨雲に紛れるように曇って。


「どんな理由であれ、僕が一人になれるんだから」


 嬉しそうなふりをして、悲しい台詞を呟いた。


「……君のように可愛らしい角なら、どんなにかマシだったかな」


 ぽつり、私を羨んで。

 私が憧れた龍のすべてを、望まぬものと結論づけるように。


「君はいい子だ。誰にでも触れようとすることができる。……でもだからこそ、僕からは離れた方がいい。災いの根本になんて近づいて、己が身を危険に晒すことはない。他の誰にだって、愛されることができるんだから」


 目の前に落ちた雷で、すっかり腰は抜けていた。視界もチカチカして、あなたの姿を捉えるのがやっと。勢い勇んでやってきた割には、なんて情けない姿だろう。どんな理由があるとも知らず、無謀で無策に「友達になろう」、だなんて。

 ──でも、でもだ。

 ここまで話を聞いて、一つわかったことがある。まずは一つ、ヨトワさんについて知れたことがある。決意を固める、それだけの理由がある。

「ヨトワ、さん」


 震えて。


「何かな」


 立ち上がって。


「一つ、お願いがあります」


 焼けて湿った大地を超えて、ゼロ距離まで近づいて。


「目を、瞑ってください」


 二人の距離を、縮めた。


「それくらいなら、お安い御用だよ」


 ──ほら、やっぱり。

 この人は、何にも知らないじゃないか。

 煌めく瞳が閉ざされて、さっきまでの空みたいに青いまつ毛が伏せられる。雨に濡れるのもお構いなく、無防備に無警戒に突っ立っている。まったく、まったく。無知は罪ではないけれど、危ういものではあるというのに。天を操る龍の魔法より、よっぽど。天を司る龍の角より、どれほど。でも、無知は罪じゃない。そんなのみんな知らないだけで、知らないから恐れるだけ。でも知らなかったから、驚きと興奮で迎え入れられる。危ういからこそ、世界さえ動かせる。理解とは、そういうことだ。

 だから。すっと回って、あなたの右側に来る。

 ならば。すっかり湿り切ったつま先で立って、背を伸ばす。

 ──ああ、楽しみだ。

 どんな顔をしてくれるかな、どんなふうに想ってくれるかな。雨のように冷たいままなんて、あり得ない。

 だって、だって──。

 ──ちゅっ。

 あなたは初めて、人の温かさを知るのだから。

 大きな大きな角の端っこに、小さな小さな口付けをした。

 一瞬。

 永劫。

 どちらでも、構わない。

 時間の長さなんていくらあっても、未知を体験し切るには足りないのだから。

 ……ふう。

 満足、だ。

 ……だったんだけど。



「……ちょっと」

「はいなんでしょう、ヨトワさん」

「いや、いやいやいや」


 角はちゃんと感覚が通っているみたいで、キスした瞬間全身がびくんとなるのが見えた。ついでに瞬く間に雨が収まり、もうすっかり晴れそう、という感じだ。この雨も案の定、ヨトワさんの魔法で操っていたということか。……あれ、つまり。


「私、ヨトワさんの角で魔法使っちゃいました……?」


 そうおずおずと申し出てみれば、丸くなった目から無言の首肯。かなりかくかく、ぎこちなく。あれ、どうしたんだろこの人。びっくりしてくれるとは思ったけど、ここまでびっくりしてくれるとは。というか白かった顔が真っ赤だ。ひょっとしてこの人、そんなに純情か。


「……そうだよ。いや、そうだよ! 散々説明したばっかりじゃないか、龍の角に触れたら魔法が起きるって! 当人の意志に関係なく!」

「そういう怒ってるふうの割には、恥ずかしがりが全面ですね、ヨトワさん。いやー、びっくりしてくれましたね」

「あーもう、もう。そういうんじゃなくてね……もう!」


 先程までのクールキャラはどこへやら、露骨にドギマギ、あたふた。私としては、両親の真似事なんだけど。それもほっぺじゃないからセーフ、みたいな。

 つもり、だったんだけど。


「龍の魔法で、古くから言い伝えられているものがあってね。それくらい、確証はないってことなんだけど」


 あれ。さっきよりもっと顔を赤らめて、もうこっちもまともに見てくれない。そんなヨトワさんが、私に述べたのは一つの結果。


「……龍の角に口付けを施すのは、永年を共に生きる命の繋がりを作る儀式なんだよ」


 ……え?


「つまりその、君は」


 うーん、これは。


「僕と生涯離れられない、そういう関係になってしまったわけだ」


 私の方が、びっくりだ。

 雨雲は裂け、青空には虹がかかる。

 一つの契約が結ばれた事実に、空までもが驚いているみたいだった。



「……どうしよう。ああもう本当に、どうしよう」


 さっきからそればっかり。私も唖然とはしたけれど、そんなの吹き飛ぶくらいにヨトワさんはオロオロしている。私が何も考えなさすぎなのだろうか?


「いや、責めてるわけじゃない。ただただ、我が身を呪うばかりだよ」

「私がやったことで、私がしでかしたことなんですけど」

「そうはいかない。龍との契約は、今日っきりで終わるわけじゃない。これからの五百年、僕と君は対になる。長い距離は離れられないし、龍の命の一部が入り込んでしまっている。……そんな辛い責任を、誰かに負わせたくなんてなかったよ。畏れられる存在に、だなんて」


 雨は止んで太陽が見えて、それでもヨトワさんの顔は浮かない。まだまだ自分の世界に閉じこもって、出てきたくないって感じだ。

 それはもう無理だって、自分で説明してるんだけどな。


「ほら、帰りますよ。私はこれから親に怒られにいかなきゃいけないんですから、命が繋がってる人もついてきてください。一週間は外出禁止かもしれないですから、そしたら覚悟してくださいね」

「……どうして」

「なんでしょうか、ヨトワさん」

「どうしてそんなに、笑っていられるんだ」

「どうして、ですかあ」


 その質問は難しい。実に難しい。答えを出すのが難しい、という意味ではなく。


「今日一日はたっぷり、どきどきわくわくしたからですよ」


 私を理解してもらうには、少々時間がかかるかもしれない、ということだ。

 それならば幾百年の付き合いが増えたのは、むしろかなり喜ばしい。


「怖く、ないのかい。恐れは、ないのかい」

「そうですねえ、ヨトワさんがそう思うのはわかります。一人でずっと、自分自身がそうだったんですもんね。あなたは、龍の有り様が怖かった。己の力を、恐れていた」


 まあ、それは仕方ない。どうしたって他の人とは違う特別だし、私もその特別に目を奪われていた。ならばヨトワさん自身だって、龍を畏れておかしくはない。結局は、そういうこと。定命を外れた幻想は、どうしたって特別だ。

 でも、だから。


「でも、私には──」


 だから、今ならわかることがある。

 ずっと、わかっていたことがある。


「──こんなにも驚きを与えてくれた人が、これからずっと一緒なんですから」


 未知も特別も、とっても素敵なものなんだ。

 特別な人という最大の未知を、これから五百年かけて知っていこうじゃないか。


「……そうか。そうかい」

「はい。ヨトワさんと一緒なら、これからずっと飽きないですよ」

「たまには山に戻らせてくれよ」

「それはもちろん。でも、引きこもりはダメですよ」

「それは大変だ。出不精極まれりだからね」

「覚悟しておいてくださいね」

「楽しみにさせてもらうよ」


 これは一つのお伽話。どこにでもいる小さな角の女の子が、ここにしかいない大きな角の女の子に、魔法をかけられた話。一生一緒にいる、誰かが誰かを特別にする。そんなどこにでもありふれた魔法を、私もあなたにかけた話。

 それだけの、長い永い始まりだ。


「さあ、行きましょうか」

「ああ……っと。ちょっとやることがあるから、しばらくあっちを向いていてもらえないか。……少し恥ずかしい。顔は、見せられない」

「いい、ですけど」


 はて、なんだろう。そうは思えど疑問は抱かず、そんな私はかなりのバカかもしれない。しばらく後ろを向きながら、無防備に無警戒に突っ立っていた。

 まるで、寸刻前の誰かさんみたいに。

 だから、やっぱり。

 ──ちゅっ。

 お返しとばかりに私の角に当たった柔らかいものは、きっとやはり契約のしるしなのだ。

 これは一つのお伽話。知らないことは怖くて恐ろしくて、だけどだからこそわくわくするという話。世界は未知と驚きで溢れていて、それは全部が素敵な出会いに繋がっているという話。そんな結論に二人で辿り着いて、これからも歩んでいく話。

 それほどの、光る煌る幕引きだ。

 めでたし、めでたし。

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