応援コメント

第108話 将来はヤ●ザか、良くて土方の社長?」への応援コメント

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    > 学生達と研究を一緒にやって、研究の仕方を教えるのも重要だった

    日本では大学の教員は文字どおり「教える人員」という面がかなり大きいので、研究の理念から具体的な技術まで、教えるという仕事が山積みだと思います。でも、@fumiya57さまの場合、お堅い研究よりは、人生のたくましい渡り歩き方のほうをより多くご教授なさったのではないかと、内心思っております (^^;) 実際、それってとても大事なことですね。

    や〇ざも自衛隊員も大学教授も、ふたを開ければ似たり寄ったり、と考えるのが素直な考え方かもしれませんよ (*´艸`)

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    日本の大学では、企業戦士になれる様に、最後に卒論で鍛えるという感じを受け取りました。特に、古くからある分野、私の専門では鉄鋼系、では、この意識が強く、学生達には不人気の研究室でした。修士へ行く学生が半数以上で、それは企業は、卒論レベル以上の学生を求めているからだと言われていました。私の様に、基礎研究で、人の知らなかったことを研究して、発見してしまう喜びで(単に面白いので)、研究をしていた人間には、そっちの教育とかはどうでもよかったのです。私の属していた機能材料の研究室は、人気がありました。そして、私の教え子達は、覚えている限りでも、キヤノン、エプソン、ソニー、ソニーセミコンダクター九州(もうない?)、パナソニック、ホンダ、東芝、日立、富士通等のその頃では人気の会社に就職できました。他にも鉄鋼系へ行った学生もいましたが、主に電気系でした。

    全体像を見ると、日本の企業は上位とされる企業が、全国の上位にある大学から、ランクの高い学生を順に採用していることがわかりました。米国では、いくら大企業でも、地方大学から成績の良い学生をいくらかの数取っています。日本のふりめかしい企業ほど、旧帝大に頼りすぎてしまっているとも思いました。

    私の悪徳ぶりは、学生と屋上で購入した美品などについてくる包装用のスポンジをガムテープで体をぐるぐる巻きにして、フルコンタクトの殴り合いをしていたこととかで教授しました。これを知った息子が私がクビになると心配してました(笑)。

  •  私の大好きな西原理恵子さんも言ってました。

     見た目が綺麗で嘘をつく友達は皆、どこかへ行ってしまった。残っているのは馬鹿でもヤンキーでも、嘘をつかない子たちだったそうです。
     みなさん、そういう方だったんでしょうねぇ。

    作者からの返信

    @Teturoさん、

    コメントありがとうございます。

    私の旧友・幼馴染にも嘘をついていた者もいたのかも知れませんが、私は、嘘を吐く人間がいるとは知らずに育ちました。物事を大袈裟に伝えたりするのはあっても、平気で、全くの嘘を言う人間には、大学生になるまで会いませんでした(米国です)。

    米国のビジネスマンと呼ばれる人間達は自分が有利になり、金儲けができるなら、平気で嘘を吐きます。私の上司がMBA持ちのビジネスマンだった時、科学に弱い知事とか上院議員の前で、科学的質問に対して、平気で嘘を吐くのには、驚き増した。大学にこんな人間がいたのかと、驚愕しました。これは上に書いた初めての経験とは別に話です。

    編集済
  • 先生、け、研修って、何するんですか?…爆笑。

    作者からの返信

    加福 博さん、

    コメントをありがとうございます。

    電話番とかもしていたと言っていましたが、いざこざの怒った時、先輩に継いて行ってパシリをするとか、何かを言いつけられ、一仕事してくるとかだそうでした。この地域は、日本の他の地域と違って、小さな組が数組存在していて、小競り合いが絶えなかったので、駆け出し極道にはもってこいの研修の場だった様です。組員の数が全国的に減っている現在では、どうかはわかりません。しかし、Googleでちょっと調べてみると、指定団体の数は九州では福岡が圧倒的(6)で、九州で、他に指定暴力団があるには鹿児島だけです(一つだけ)。大きな団体は各県に支部があるのでしょうが。

  • 先生って、型にハマらず、やんちゃなお子さんが大成する、まるで見本のような方なんですね。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    いつもコメントありがとうございます。

    ただの田舎のガキだっただけです。私は、母のおかげで、一応学業が出来たので、この道に進みました。今の様に先生の評価が進学に関わる事はなかった時代でしたから出来た事だと思います。今なら、学校では潰されていたかも知れません。

    大学へ教官として行って見たら、私より少し年上の先生方は、元全学連っぽい人もおられました。