落語を聞いていると噺家がまくら(本題に入る前に世間話をしたり、本題に関する小噺などをする)でよく言うんですが・・
「お子さんを見かけて声をかける時、褒めるじゃないですか。そんな時にね。
おやぁ、可愛いお子さんですねぇ。お嬢ちゃん? あれま、坊ちゃんでしたか、こりゃぁどうも。いえね、あんまり可愛かったもんで、てっきりお嬢ちゃんかと思いましたよ。ってんでね、こう言っときゃぁまず間違いないですよね」
などと、これは落語で言う可愛いお子さんを褒める常套句とも言える台詞です。
落語好きの私は、このての相手に対する心持ち良い会話テクニック(そんな大層なものじゃないかな?)をとても気に入っていたんですが、最近ではそんな会話は如何なものかと言われる時代になりました。
だって男だ女だということを話題にのせるだけでも、ちょいとはばかれるようになったんですからね。
そこへいくと、ご子息の男の子だ女の子だと余計なこと言わないでよ、という主張?は誠に理に適っているのかも知れませんね。
作者からの返信
@ 88chama様、
コメントありがとうございます。
落語の世界は奥が深いですね。
米国は、まず、女性の称号が、MissとMrsだったのが、今はMsです。そして今は、referred asと言うフレーズをよく見かける様になるました。ゲイとかの人達には、メールや名刺にどう呼ばれたいか書き込んであります。
赤ちゃんの頃って、性別がわからない子って多いですよね。とくに可愛いと。
それで、聞くのをためらい、「かわいい、お子さん」までで会話を終わらせていました。
作者からの返信
雨 杜和さん、
コメントありがとうございます。
孫は未だ、7ヶ月で、性別は、ややわかり難いと思いますが、異人種の影響もあるのではないかと思います。息子の場合は、3〜4歳でしたが、まあ、顔つきは女の子に間違えられても不思議はなかったと私も思っていました。3歳までは、長い金髪でしたし。
おー、怒らせてはいけません。
男でも女でもよろしいやないの。
何でそないに拘るんでっしゃろ。
おもしろかったです!
作者からの返信
オカン🐷様、
コメントありがとうございます。
息子は一応研究者で大学の教官なのです。研究者の間では、研究内容においては、ぶつかってお互いの結果が正しいと争う事はあるんです。私の教授も、ハーバード大学出身のジェントルマンでしたが、研究の話になると人が変わるので驚かされていました。それはあくまで、研究に関しての話であるべき事ですが、そう言う研究ライバルとは、付き合いも悪くなる事もあります。逆に、学会で罵り合っていても、夜は一緒に酒を飲む様な付き合いもあります。そこは、相性なのでしょう。
息子はそう言う世界を幼い頃から見て育っています。きっと、それに合う性格だったか、性格になってしまったのでしょう。一般人との対応にも時々それが出てしまうのでしょう。実は、エッセイにも書いたのですが、食べることが大好きで、食べ物にかんしても色々と要らない知識を集めているのです。フライの件でも、下働きのアルバイトへ放った言葉かと思っていたら、店長と分かってからの会話だと言ってました。
息子の時々出る上から目線の行動、私に似たのが間違いだと、今でも妻に苦情を言われています。
男の子は女の子と間違われるのは侮辱なのでしょう。息子が孫の話をしてきたのは、あのバス旅行の話が、我が家の逸話になっているからです。