第3話 電子音による暗示
瀬里奈は中学を卒業する頃から、音に関して敏感になってきた。まわりの音が気になるようになったというべきか、それがどうしてなのかよく分からなかった。理由が分かったのは高校生になってからであって、それまで気にしすぎるくらい気になっていたのに、
「どうして分からなかったんだろう?」
と感じるほど、分かってみると何でもないことのように感じられた。
「なんだ、そんなことか」
というようなことは、今までにも何度もあった、
そう感じるようになったのは、中学生になってからだったように思えたが、高校生になってこのことに気付いた時、
「そうじゃない、小学生の頃も結構あったような気がする」
と思ったのは、何かに閃いたからであろうか。
瀬里奈は、
「人と同じでは嫌だ」
と絶えず考えているわりには、意外と人のことを気にしていることが多い。
中学生よりも前に考えていたことに気付いた時にも、
「皆同じようなことを考えているのだろうけど、私の方が多いに決まっているわ」
と感じていた。
いつもであれば、そのままスルーするのだろうが、その時は、
「嫌だわ。どうして人と比べたりなんかするのかしら?」
と、自分で嫌だと思っていることを感じたはずなのに、思ったよりも嫌な気分がしなかったことに気付いて、苦笑いをしていた。
まんざらでもないと思っているわけはないはずなのに、どうして簡単に自分を許すことができたのだろう。何か納得のいく答えをその時に見つけたというのだろうか。自分ではそんな感覚はなかった。すぐにそんな思いも収束していき、考えることをやめてしまったくらいである。
人と比べることと、人と同じことというのは、厳密にいえば違っているのだろうか?
違っているとしても、違っていないと自分で思い込もうとしているのか、思ったことに納得が行ったのか、それとも、そんな理屈を考える前に、無意識に、いや習慣的に人と比べることが見についてしまっているのかのどれかであろう。
無意識な行動であるとすれば、自分では納得していないはずだ。だが、無意識な行動に対して、
「それは無理もないことだ」
として、片づけているのであれば、それは自分を納得させる以前の問題ではないかとも思える。
瀬里奈にとって自分を納得させられるというよりも、無意識な行動は、
「理屈ではない、図ることのできないこと」
として、それまでの自分になかった感情を、新たに植え付ける必要に迫られているからなのかも知れない。
それを瀬里奈は、
「大人への階段」
のように感じていた。
世間一般に言う、いわゆる
「大人への階段」
とは違うものだ。
そんな理屈を考える人など、他に誰もいないだろうと思うと、瀬里奈は自分を納得させることができる。そこまでの考えを結び付けることができたのも、やはり自分が大人に近づいたからだと思えてきた。
瀬里奈が音を気にするようになったのは、別に中学の卒業前が最初ではなかった。それまでも音に対して気になることもあったが、今回のように、すぐにその理由が分からなかったわけではない。
分からなかったことがあった場合、瀬里奈は後から思い出して。さらにそれを追求するということはなかった。
もっとも、思い出したということすら分からず、
「初めて思ったことだわ」
と感じて、その時初めて納得のいく答えを見つけることもあっただろう。
ただ、意識の中にはなかったが、何か悶々とした気持ちになった時、そのことを感じるような気がしたくらいだった。
だが、ほとんどは、その時に分からなければ、
「後から思い出すだろう」
と楽観的に考えたとしても、もう一度思い出すということはなかったはずだ。
後から考えたようと思った時点で、瀬里奈は記憶の奥に封印してしまったに違いないからだ。
記憶と意識のメカニズムについて瀬里奈は、
「それぞれに意識として別のものであり、いったん意識から離れたものを記憶として残してみたり、封印したりする。そのほとんどは封印されたもので、後から思い出すことはないもののように思う。封印したものは、思い出すことを前提にしていないんだわ」
と考えるようになっていた。
それは、高校生になってから考えるようになったことで、その意識はやはり、
「以前に考えたことがあるような気がするんだけど、どうしても思い出せない」
という思いが頻繁になってからだった。
中学時代まではそれほど多くなかったこの感覚が、高校生になってから急に増えてきた。その理由を瀬里奈は、
「思春期を抜けて、感受性が敏感になってきたからじゃないかしら」
と感じるようになった。
そう思った理由の一つは、
「感受性というのは、感じるということだけではなく、身体的、肉体的にも通じる何かがあるからに違いない」
と感じるようになったことだった。
瀬里奈は、記憶と意識も似たようなものだと思っていた。
「意識と記憶は決して交わることのない平行線のようなもの。つまりは、その間には超えることのできない結界のようなものが存在しているように見える。しかし、その実質的な距離は背中合わせであり、何かのきっかけがあれば、容易に結界に道ができてしまう。記憶と意識の間に存在する結界は、決して超えることのできないものなのだろうか?」
自問自答を繰り返してみたが、結論は生まれなかった。
ただ、記憶と意識が同一の感情内に存在するということは理屈的にはありえないことだと思っている。
「もし、その二つが存在するのであれば、どちらかに信憑性はないが、逆のどちらかは、決定的な信憑性があると言えるのではないか」
と、瀬里奈は感じていた。
瀬里奈が中学生の頃に考えていた、
「結界」
という発想とは、少し違ったものである。
違うものなのだから、
「今回感じた記憶と意識の間に立ちはだかっている壁は、結界と言ってはいけないんじゃないか?」
と感じた。
しかし、結界という意味でいうのであれば、記憶と意識の間に立ちはだかる壁の方が、中学時代に考えていた壁に比べて、その言葉にふさわしいのではないかとさえ考えるようになった。
それは、中学時代から高校生になるまでの間に、
「私は成長したんだ」
という意識であり、時系列というものが成長と必ず比例しているものだということを、当たり前という認識で感じている証拠であろう。
それだけ瀬里奈は成長というものを、
「神聖なもの」
として認識し、人それぞれであるが、個人差があれど、皆平等に与えられたものだという認識でいたのだ。
音を気にするのは、
「きっと眠れないからではないか?」
と思っていたからだ。
瀬里奈は高校生になって眠れない日が時々あるような気がしていた。眠りに就くまでに時間が掛かり、眠ってしまっても、すぐに目を覚まし、目を覚ますとなかなか眠れないというなかなかじれったい時間を過ごすことが多くなった。
別に悩みを抱えているわけではないのだが、眠れない時は余計に気が立ってしまい、深みに嵌ってしまうことは分かっていたことだった。
「どうしたら眠れるようになるのかしら?」
とベッドの中で自問自答した日々があったが、結局は何もすることはなかったし、できなかった。
それでも考え方を変えて、
「眠れないものを無理に眠ろうとしても無理なんだわ」
と考えたが、今回考えた「無理」という単語は、今までの余裕を含んだ遊び部分のある言葉と違い、本当に無理なものという発想であろう。
ただ、どうして眠れないのかという理由が分かったわけではない。それなりに何か眠れない理由があるからに違いないが、その理由を分かりかねていた。気にしなければいいとはいえ、一度考えようとした理由が分からないというのは気持ち悪いもので、急に思いついた時に考えると、却ってすぐに分かったりするものだとは思いながらも、なかなか忘れることはできないでいた。
音が気になるというのは分かっていたことだったような気がして、最近では耳栓を買ってきて、使うようになった。別に耳栓をしても完全に音が遮断されるわけではなく、却って細かい音として拾ってしまうことで、余計に気になってしまうこともあったが、それでも慣れというのは恐ろしいもの、気が付けば、耳栓をしなければ眠れなくなっていた。
それを郁美にいうと、
「気にしすぎよ」
と最初はまるで他人事だった。
「そうかも知れないけど、どこから聞こえてくるのか分からない音があるというのは気持ちが悪い気がしてね」
と瀬里奈がいうと、
「それは言えるかも知れないわね。私もたまに想像もしていなかったところから聞こえてくる音を感じて、ビクッとすることがあるもん」
という郁美に対して、
「そうなの? でもそんな時に限って、その音が何の音なのかも分からないのよ。想像もしていなかった場所から聞こえてきたといっても、その音の正体すら分かっていないんだから、想像もつかないも何もないと思うの。私はそういう状態の知れない状況に気持ち悪さを感じているんだって思うわ」
と瀬里奈がいうと、
「そうね、私にもあるわ。何かの音が聞こえてくるんだけど、それが何の音か分からないってね。でも、その後に感じた、どこから聞こえてきたのか分からないという感覚の方が強く残ってしまって、何の音かということの意識を打ち消しているような気がするのね」
と郁美は言った。
「その正体を郁美は分かったの?」
「私は分かったような気がするわ。それも友達とお話をしている時に急に思いついたのよ。その人がヒントを与えてくれたというべきなのかも知れないわね」
「どういうことなの?」
「その時は音に対してのお話はしていたんだけど、今話題に上っている話に直結していたわけではないのよ。その人がふと言った言葉が急に引っかかったのよ」
「何って言ったの?」
「その人がいうには、『電子音というのはどこから聞こえてくるか分からない』って言ったのよね。その言葉を聞いた時、目からうろこが落ちた気がして、それまでどんなお話をしていたのかということすら忘れてしまうほどの衝撃だったように思えたのよ」
「電子音……」
瀬里奈はその言葉を聞いて、少し考えていた。
「要するにデジタルな音ということよね。つまりは何かの電源が入った音だったり、携帯電話の着信音だったりね。家の呼び鈴なんかもそうかも知れないわね」
と言われて、瀬里奈はハッとした。
「確かにそうよね。同じ着信音を使っている人がまわりにいて、その人の携帯が鳴ったりすると、自分の携帯なのか、他人の携帯なのか、一瞬では分からないものよね。私はきっとその音が気になったのかも知れないわ」
と瀬里奈は思った。
「私、最近音が気になるせいであまりよく眠れないのよ」
「えっ、そんなに神経質になっているの?」
と郁美は驚いた。
「ええ、神経質というよりも、元々私って一つのことが気になってしまうと、まわりのことが目に入らなくなることがあるの。最近ではあまりまわりにそんな気にさせないようにしようと思っていたんだけどね」
というと、
「瀬里奈が集中してしまうとまわりが見えなくなってしまう性格だというのは、私には分かっていたわ。でも、それは一過性のもので、それほどひどいものだとは思っていなかったわ」
「そうよね。一つのことに集中して、まわりが見えなくなることって、誰にでもあることよね。その程度がどれほどのことなのかということが問題なだけで」
「ええ、私にも同じようなところがあるからね。気持ちは分かる気がするわ。でもね、そんな人に限って、人の気持ちを分かる気がするというだけで、本当はどこまで分かっているのかって疑問に思えてくるのよ」
郁美はそこまでいうと、少し黙ってしまった。
瀬里奈も少し言葉を続ける気もなくなり、気まずい雰囲気の空気が、微妙な時間を支配していた。
次に言葉を発したのは郁美だった。
「でも、少し意外だわ」
「何が?」
「瀬里奈が人のことを気にするという言葉を口にするなんてね。私は瀬里奈が他人のことはあまり気にしない人だと思っていたので、それが意外な気がしたの」
普通に聞けば、皮肉たっぷりの言い方であるが、郁美が瀬里奈に対して発する言葉としては自然だった。
ハッキリと口には出していなかったが、
「他の人と同じでは嫌だ」
という瀬里奈の性格を分かっている人がいるとすれば、それは郁美だけではないかと思っていたからだ。
「やっぱり郁美には分かっていたのね」
と瀬里奈がいうと、
「ええ、瀬里奈って意外と分かりやすいわよ。仲良くなれば特にそう思うわ」
と郁美がいう。
郁美はさらに、
「人って、自分の性格を隠そうとすればするほど、相手には分かるというものなのよ。でも瀬里奈だけは別な気がしていたの。瀬里奈は自分の気持ちに蓋をして、隠そうとしているのは分かるんだけど、何を隠そうとしているのかって、分かりにくいと思うのよね。だから中途半端な付き合い方しかしていない人には分かりにくいことではあるんだけど、私のように仲良くなってしまって、お互いに真正面から接している相手に対しては、これほど分かりやすい性格の人っていないように思えるのよ」
と言った。
「それは、ありがとうと言えばいいのかしら?」
「ええ、それでいいと思う。私だって皮肉を言っているつもりなんかないんだからね」
瀬里奈は郁美と友達になれて、よかったと思った。
人によっては、自分のことをズバリ指摘されて、指摘してきた人を煩わしいと思う人もいるだろうが、瀬里奈のように、基本的に人間が好きではないと思っている人には、一人でも理解者がいてくれると思うと、その人だけを大切にしていればいいと思う。煩わしさとは、相手に自分を探ろうとして、理解できないことを面倒くさそうに露骨に態度に出す人を感じた時だと思っていた。相手はそんな気持ちはないのだろうが、瀬里奈には分かっているつもりだった。これも、人にはない自分だけの長所のように思っているが、本当に長所なのか、一人で考えていて結論は出ないと思っていた。
――自分で思い込むしかないんだわ――
と感じたが、
「納得できることであれば、それは自分にとっての正解なんだわ」
と思うようになったのだ。
瀬里奈が自分を納得させることを優先するのは、そんな思いからだった。もっとも、自分を納得させられないことを他人が納得するはずもないというのも瀬里奈の理論であり、その理論を分かってくれるのも、目の前にいる郁美だけではないかと思うようになっていた。
「でも、瀬里奈はそんなに神経質になんかなることはないのよ」
「どうして?」
「瀬里奈が神経質になると、急に寂しくなるのか、たまに自分を他人と比較してみている時があるの。本人は分かっているのかどうか分からないけど、それではせっかくの瀬里奈のいいところが半減するんじゃないかって思うのよ」
「やっぱり郁美n私のことをよく分かってくれているわ」
「そう言ってくれると嬉しいわ。私も瀬里奈と一緒にいると、自分も他人とは違うという気持ちになれるの。私も基本的に瀬里奈と同じ考えなんだけど、徹底できない性格なの。そういう意味で瀬里奈を羨ましいと思うのよ」
という郁美に、
「そう言ってくれると嬉しいわ。でも私は郁美の余裕のあるところを見習いたいと思っているのも事実なのよ」
「そう? 私は天然なだけよ」
と郁美は笑ったが、その表情はまんざらでもなさそうだった。
瀬里奈にとって、そんな郁美の表情が、気に入っているところであった。
電子音を気にするようになったことを気付かせてくれた郁美のことを、
「元々、勘が鋭い人」
というイメージを持っていたが、相手が瀬里奈だからうまく感覚が絡み合っているのか、それとも相手が誰であれ、郁美という女性が鋭いのか、どちらなのか瀬里奈は考えてみた。
本当は、郁美が自分にだけ合う人であってほしいという願望があったが、考えてみれば瀬里奈自身があまりまわりに協調することなく、人と同じでは嫌だと思っているので、そういういいでは郁美には誰ともうまくいってくれる相手であってくれる方が、自分としては都合がいいとも考えられる。
だが実際に郁美は瀬里奈と一緒にいる時の方が発想も浮かぶらしく、
「私は、瀬里奈さんと一緒にいると、何でも分かる気がするの」
と言っていた。
この時の、
「何でも」
という言葉が、瀬里奈のことなのか、それとも、他の人もターゲットにして言っていることなのか、瀬里奈には分からなかった。
後から分かったことであるが、郁美にもその時にはどっちなのかよく分かっていなかったようだ。郁美自身も瀬里奈と一緒にいる時が圧倒的に多かったので、よく分からないは無理もないことだった。
その頃の瀬里奈は、郁美が普段からいつも一緒にいる相手がほとんど自分であるということまで知らなかった。
「余計な詮索はしないようにした方がいい」
とお互いに感じていたようで、それを敢えて口にしなかったのは、それぞれに相手に対しての気遣いだったのだろう。
そのおかげでお互いに余計な詮索をしなかったが、なかなか腹を割った話もできていなかった。やっと知り合ってから半年を過ぎる頃に話ができるようになったのだが、そのおかげか、瀬里奈は郁美に対して勘違いしていたことに気が付いた。
それは、お互い様だったようで、
「この人なら、私のすべてを分かってくれている」
と、最初から思い込んでいたようだった。
その違いに最初に気が付いたのは郁美だった。
郁美はそのことを悟られないように、瀬里奈との会話の回数を徐々に増やしていった。だから瀬里奈の方も、郁美が彼女の方も自分と同じように余計な詮索をしないように思っていたことを感づかせることはなかった。
――それにしても、郁美は電子音のことなどに気が付いたわね――
と感じた。
――ひょっとすると、郁美の方も近い過去に同じような思いをして、そのことを思い出したのかも知れない――
と感じた。
確かに郁美は、今から思えば、他の誰かと話をしているところを見たことがなかった。
いや、正確に言えば、自分が話の中心になっているところを見たことがないというべきであろうか。きっと話しかけられて、戸惑いながらも話し返していただけなのかも知れない。
表情だってまったく違っている。目の色が違うとは、その時と瀬里奈と話をしている時の違いであろう。
――でも、電子音とはよく気付いたわね――
それがただの思い付きからなのか、それとも郁美の経験からによるものなのか、分かっていなかった。
瀬里奈は眠っていて急に目が覚めるようになった最近、感じることとして、
「この頃、よく夢を見るようになったんだけど、いつもちょうどいいところで目が覚めてしまう」
ということだった。
瀬里奈がちょうどいいところで目が覚めると思うのは、たぶん、まだ見ていたいと思っている夢だったに違いない。夢の内容まではほぼほぼ覚えていないのだが、怖い夢だったという意識はなかった。
そういう意味で、
――どうしてこんなにしょっちゅう目が覚めてしまうんだろう――
と感じるようになったのも無理もないことだった。
目さえ覚めなければ、きっと気持ちのいい夢を見て、目覚めもよかったに違いない。何よりも、目が覚めてしまったことを後悔することはなかったはずだ。目が覚めてしまったのは誰が悪いわけでもない。他人を責めるわけにはいかないので、結局悪いのは自分である。
しかし、目が覚めるのは仕方のないことと思うと、自分を責めるのも筋違いだ。
それは分かっているのだが、誰かを責めないとやっていられないという気持ちから、筋違いであり、しかも腑に落ちないと思いながらも、自分を責めてしまうのだった。
それだけに、目が覚めてしまう理由がハッキリとしないことは納得がいかない。自分を納得いかせるためには、目が覚めるようになった理由を追求しないわけにはいかなかった。目が覚める理由として電子音が影響していたということが分かったのは、目からうろこが落ちたという意味ではよかったのだろうが、これだけではまだ自分を納得させることができない。
そもそも自分の寝室で、なぜ電子音が響いていたのかという疑問が解決されたわけではない。朝、あまり目覚めのよくない瀬里奈は、目覚まし時計のアラームと、携帯電話のアラームとを併合させる形で目を覚ますようにしていた。スムーズ機能もつけているので、二度寝してもまたアラームが鳴る仕掛けにはしてあった。
だから、会社に遅刻するということはなく、朝もゆっくりち余裕を持って目覚めることができていた。
ただ、夜中に携帯電話のアラームが鳴ったり、目覚まし時計が部屋に響いたりなどということはありえない。どちらかの音であれば、すぐに分かるはずだ。
だが、目を覚ましてしまう原因となっている電子音は、目覚ましの効果があるほどの大きな音ではない。どちらかというと眠っている自分が夢の中にいるという自覚を与えてくれるものであり、その音が聞こえたことで、自分が夢から覚めようとしていることに気付かされる。
夢を見ている時に、
――私は今夢を見ているんだわ――
ということに気付くことはまずない。
夢を見ているという意識がないからこそ、夢から覚める素振りがないのだと瀬里奈は思っている。夢の中にいる意識がないことが、現実世界と酷似した夢の世界を味わうことができるのだろう。
「夢というのは、潜在意識が見せるものらしい」
という話を聞いたことがあり、その話を聞いてから、瀬里奈は潜在意識の存在を信じて疑わなくなった。
潜在意識が見せるものなのだから、まったく自分の知らない世界であることはまれだと思っている。もし、まったく知らないと思っていることであっても、本当は見ていて、忘れてしまっただけのものだと言えなくもないだろう。そう重いことで、デジャブという現象も納得が行くような気がした。
「初めて見たはずなのに、かつてどこかで見たことがあったような気がする」
という感覚がデジャブという現象である。
瀬里奈はその現象を、
「何かの辻褄合わせ」
という感覚を持っていたが、この感覚も人それぞれ、辻褄合わせというのもプロセスであって、最終的に行き着く先は、皆一緒ではないかと思っている。
人と同じでは嫌だと思っている瀬里奈だったが、最終的には同じであっても、そのプロセスが違っていれば、同じだとは思っていない。そこまで雁字搦めの感覚を持っているわけではなかった。
潜在意識が夢の裏腹にあるのだから、夢と現実も紙一重だと言えなくもないだろうか。夢を見ていて目が覚めるのは、何かのきっかけがなければありえないことではないだろうか。
瀬里奈は、夢に対してもう一つの考えを持っていた。
「夢というのは、どんなに長い夢であっても、実際に見ているのは目が覚める寸前の数秒間のことである」
という思いである。
これは何かの本に載っていたのだが、この言葉は印象的だった。
それまでは、夢は眠っている間、深い眠りに就いてから目が覚めるまで、ずっと見ているものだと思っていた。少なくとも数時間は見ているという感覚である。
だが、その話を聞いてから、夢から現実に引き戻されて、実際に目が覚めるまでの間、夢の内容を必死に思い出そうとしていた。実際に思い出せることもあるので、それを想像していると、夢の中であれだけ時間が掛かって見ていたはずのものが、あっという間に過ぎていくのを感じた。
もちろん錯覚である。
錯覚を感じてはいるが、納得のいく錯覚である。逆に錯覚だと思わなければ、錯覚という現象が理屈に合わない。理屈に合わない錯覚は、瀬里奈を納得させることはできない。
夢から現実に引き戻されてから目が覚めるまでの時間というのは、その時々でバラバラだと思っていた。覚えている夢を見たと思っている時は、思ったよりも長く感じられ、忘れてしまいそうなのだが、忘れたくないというもどかしい気持ちになっている時は、想像以上に短いものだった気がする。
しかし、最近の瀬里奈はその感覚に疑問を持っていた。
――ひょっとすると、どんな夢を見ていた時であっても、実際にはいつも同じ時間だったのかも知れない――
と感じていた。
そう思うと、今度は夢を見ている時間についても、目が覚めるまでと同じで、どんなに長いと思っている夢でも短いと思っている夢でも、それを現実世界の時間という単位に置き換えると、すべてが同じ時間だと考えることもできると思っていた。
だからこそ、
「夢というのは、どんなに長い夢であっても、実際に見ているのは目が覚める寸前の数秒間のことである」
という話が気になってしまう。
頭の片隅で気にはなっていたが、
――まさか、そんなことはない――
と思っていたので、その話を鵜呑みにはできないでいた。
頭の中にある夢の世界は、
「やはり現実世界と背中合わせであり、紙一重の世界にいるのではないか」
という思いであった。
四次元の世界について、以前見たSFドラマで表現していたのは、
「相手の声は聞こえるのだが、姿が見えない。同じ空間にはいるのだが、次元の違いで、姿を見ることができない」
というものだった。
瀬里奈は子供心に、
「見えないのに、どうして声だけ聞こえるのかしら?」
と思ったものだが、同じ空間なのに次元が違うという感覚を納得できなかったことで、当たり前と言える疑問を感じたのだ。
だが逆に、
――同じ次元で違う空間にいれば、姿も見えなければ声も聞こえない――
と考えると、
「次元というのは、空間よりも感覚が近いものなのではないか」
と思えてきた。
次元の違いは、結界のようなもので、見ることもできなければ、感じることもできないと考えていた。だが、ドラマで見た次元という発想は、逆の考えに導かれるものであり、ある意味、瀬里奈には納得に導けるものに感じられた。
そんな風に考えていると、
「夢の世界こそ、四次元の世界に近いんじゃないかしら?」
と感じるようになっていた。
四次元の世界は、今の三次元の人間の発想では、行き着くことのできないものである。それなりに理由があるものだと思っている。
「三次元の人に、四次元を理解することはできない。納得できるわけはない」
と四次元では考えられているのかも知れない。
それだけ三次元の人間は、自己顕示欲が強く、自分たちだけが存在することができる価値があるという考えである。
そういう驕りがあるから、三次元の人間には、見たいと思っている夢の続きを見ることができないと思うのは、瀬里奈の中で無理もないことだと思っていた。
――ということは、夢の中の自分は、自分であって自分ではない。つまりは異次元の自分なのかも知れない――
と思うようになった。
だから、もう一人の自分を夢の中で意識すると、それが今まで見た一番怖い夢だという気持ちになっていた。
「もう一人の自分を夢で見ると、これほど怖い夢はないという感覚になり、忘れてしまいたいと思っても、意識の中に残ってしまう」
と感じていた。
だから、基本的には同じ夢の続きは見ることができないものだと思っていたのだが、最近ではそうでもないような気がしていた。どうしてそう思うのか自分の中で自問自答を繰り返していたが、
「急に目が覚めてしまう現象に陥っている今なら、できそうな気がする」
と思ったからだ。
そんな時、郁美から、
「電子音のせいじゃない?」
と言われたことが目からうろこを落とすことになった。
電子音がどこから鳴っているか分からないということは意識していないわけではなかった。
「ビックリした」
という意識は昔からあり、その原因がどこなのか分からないだけだった。
それも何度も感じていくうちに、次第に分かってくるというのも道理というもので、分かってくると、今度はまったく意識することがなくなってくる。意識しなくなってくると、電子音を意識したということ自体、自分の中で忘れてしまっていた。それはまるで夢の内容をまったく覚えていないかのように、電子音がどこから鳴っているのか分からないものだということを意識したことすら忘れてしまっているのだ。
ただ、ふとしたことでまた感じるというのは、それだけ電子音が生活の中で頻繁なものになってきているという証拠であろうか。意識するしないはその時々の感情の違いと言い切れるのか、意識したからと言って、その時は神経が高ぶっている時だという意識はまったくなかった。
ただ、最近は電子音を意識することが頻繁になっていて、
「ひょっとすると、電子音を聞くことで、見たい夢の続きを見ることができるかも知れない」
と感じたのは、まんざらでもない。
電子音のことをずっと意識するようになったことで、その時から、夢を見たという意識がハッキリとしてきた。まだまだ夢の内容を思い出せるまでにはなっていないが、焦ることはない。今まであれだけ夢に対しては確固たるものが自分を納得させてきたのだから、その壁を崩すのは容易なことではないことは分かっている。絶対に壁を崩す必要もないのだし、焦る必要などサラサラないのだ。
この間見た夢を思い出していた。
その夢は怖い夢だったとは思えない。楽しい夢だったのかどうかも分からないが、それは目が覚める時にホッとした気分になったからだ。
ホッとした気分になったということは、怖い夢を見ていて、現実に引き戻されたことで、
――よかった――
と感じたからなのか、それとも、その夢が現実に近い夢で、現実と夢の世界の混同が、頭の中で錯綜してしまい、目が覚めた瞬間すら分からないほど自然だったことで、ホッとした気分になったのかが分からなかったからだ。
夢の中で電子音を意識したのは、その時が最初だった。
その後にも何度か夢から覚める時、電子音を感じている。感じるたびに不可思議な思いが頭の中に残っていた。
「電子音を感じることが夢から覚める前兆になっているのか、それとも電子音は夢の中で鳴っているものなのか分からない」
という思いであった。
最初はアラームの電子音が現実世界で響いていることで、夢から覚める前兆になったのだと思っていたが、何度目かに目が覚めた時、ハッキリと意識したことで、
「あれ? 静かだわ」
と感じた。
部屋はシーンとしていて、アラームが鳴っていたわけではない。
「私が無意識に切ったから?」
と思って時計を見たが、時計はセットしていたアラームの時間までにはまだ少し時間があったのだ。
考えてみれば、アラームは目覚まし時計だけではなく、携帯電話にも仕込んでいて、パジャマの胸ポケットに入れていた。バイブ機能と音を一緒に出すようにしていたので、目覚ましの音よりも携帯電話の振動の方が先に感じるはずだと思っていた。多少の誤差があったとして、携帯電話が遅かったとしても、後から追い打ちをかけるように胸に襲ってくる振動でハッキリと目を覚ます機会に恵まれるのだから、効果はてきめんということであろう。
最初の頃は目が覚める瞬間のぼんやりとした意識と、目が覚めてしまったことで、電子音の役目は終わったという当たり前の状況に、意識するまでもないと思っていたのではないだろうか。
ということは、アラームの電子音を意識し始めたのは、実際には最初に聞いた時ではなく、それからかなりの時間が経過してからだということになる。よく考えればありえることではあるが、夢の世界から現実世界に引き戻される時に聞く電子音という、単独で考えるとそれぞれに言いたいことがいっぱいありそうなことの連結に、一旦意識することで自分がどこにいるのかを再認識しようと考えたのだろう。
我に返るという感覚とは少し違っているのかも知れない。
我に返るということは、意識していなかったことに気付いて、現実世界に引き戻されることをいう。この場合は、現実世界から引き戻されることだと思っていたのが、実際には分からなくなったことで意識し始めたのである。順序としては逆だと言えるのではないだろうか。
相変わらず、覚えている夢はほとんどない。電子音が気になるようになってから、特に夢を見る回数が増えたということも、減ったという意識もない。元々、夢を見る回数が、今までが妥当だったのかどうか、比較対象がないのだから、判断のしようがないというものだ。
自分がどう感じていたかということしかないのだろうが、多かったのか少なかったのか、瀬里奈の中ではどちらともいえなかった。
電子音を感じるようになってから、急に心細さが襲ってくるのを感じていたのは、
「電子音を意識することで、見たいと思っている夢の続きを見れるのではないか?」
と考え始めた頃だったのかどうかハッキリとはしない。
しかし、電子音を聞いて目が覚めると、本当であれば忘れてしまいたくないと思っている夢を忘れていることにホッとさせられる。それが続きを見たいと思っている夢ではないと分かっていたからなのだろうが、ホッとするのは完全に目が覚めてしまうまでの間だけで、完全に目が覚めてしまうと、今度は夢の世界から抜け出せたことに対して不安に感じるようになっていた。
感じた不安は心細さに変わっていき、その心細さがもたらせた不安な要素は、忘れてしまっていた。
何かを不安に感じるというのは、少なくともその不安にさせた何かを自分で分かっているということである。
「理由は分からないけど、不安なのよ」
と言っている人がいるが、瀬里奈の中では、
――それは不安なんじゃなくって、ただ心細いというだけなのでは?
と感じていたが、それを相手に指摘することはなかった。
ただ、一度だけ郁美にその話をしたことがあったが、
「そうかしら? 私は不安というのと、心細いというのは同意語のように感じているんだけど」
と言われた。
郁美ならもう少し違った考えがあるかと思ったが残念だった。だが、本当は郁美もこの違いを意識しているようで、アッサリと瀬里奈の話を退けたのは、郁美の中に、
「誰かが自分と同じ考えを持っていることがあるとして、そのことを先に相手が意識していたということを相手に言われると、自分は何も言えなくなってしまう」
という思いがあったからだ。
それは怖いという意識であったり、自分の中にあるプライドのようなものとは違っていた。理由はハッキリとしないのだが、考えなくてもいい余計なことを考えてしまって、それが不安として残ってしまうことを恐れていたのだ。
瀬里奈は郁美の気持ちをよく分かっているつもりだった。彼女の発想は自分とも似ているので、何を考えているか感じようとした時、他の人であれば、紙一重であったり、背中合わせであったりする考えに迷っていたり、考えていたりするものだと思うのだろうが、郁美に対しては、
「決して、考えていることが複数あったとしても、それぞれが背中合わせだったり紙一重だったりすることはない。私が彼女の気持ちになって考えれば分かることだわ」
と感じるようになっていた。
瀬里奈にとって郁美という親友の存在は、
「他の人と同じでは嫌だ」
と考えている瀬里奈の、
「他の人では決してない」
ということであった。
「自分に置き換えて考えることのできる人」
それが郁美であった。
しかし、だからと言って、郁美は瀬里奈では決してないのだ。同じような考えであっても、その距離は他の人の同じような考えとは違ってかけ離れているものではないかと思っている。それは、
「距離ではなく、次元の違い」
という感覚であり、郁美に対してはまるで、
「異次元にいるもう一人の自分」
ともいえる感覚であった。
ただ、自分であってはならない相手でもあり、それを感じてもいい相手が郁美だけだということでもあった。汎用性があるようで、実は一番制約されている相手というのが、郁美なのではないかと瀬里奈は思っている。
「電子音が響いていると、それがどこから響いているのか分からない」
という発想は、一体いつからのことであろうか?
以前はいつ頃のことだったのか分かっていたような気がする。それが分からなくなってきたのは、夢と電子音が関係しているということを感じるようになってからだったような気がする。
「では、夢と電子音が関係していることに気付いたのは、いつのことだったのだろう?」
この思いは今から遡って考えるのは難しいことであった。
夢というのは、時系列とはまったく関係のないところで存在している。見ている夢を後から思い出して、
「あれだけ長かったかのように思えるのに、意識がハッキリしてくると、まるで一瞬だったような気がする」
と感じることがある。
だからこそ、
「夢というのは、目が覚める数秒で一瞬にして見るものだ」
という話を聞いた時、
「そんなバカな」
と口では言っても、心の中では何か悶々としたものが渦巻いていたような気がするのだった。
夢が時系列とは別のものだと考えると、夢を見ている時間そのものが怪しいものになってしまう。本当に眠っている時に見ているのかすら疑わしい。
眠っている時と起きている時で、意識がまったく違っていることが、
「夢の内容を覚えられない最大の理由だ」
と思っていたが、そうではないのかも知れない。
「夢というのが、時系列とはまったく関係のないところで存在している」
という概念を考えると、現実世界ではとても認めることのできないもののように感じられる。
夢を覚えられない理由は、やはり自分の中にあるのだ。
認めることができないので、納得することもできない。だが、実際に見ている夢は時系列に沿ってのものだとしか思えない。
ということは、時系列で見ることができた夢だけ、覚えていることができるものではないだろうか。時系列で見ることができる夢に、どんな法則があるのかは分からないが、夢を覚えている覚えていないの境目は、決して自分にとってどのように感じた夢なのかどうかという発想ではないということである。
だが、この発想が本当に正しいものなのかどうか分かるはずがない。検証しようもなければ、証明する手段もないのだ。あくまでも瀬里奈の発想であり、時系列で見たわけではない夢をいかに時系列で見たかのように組み立てることができるかということが、どれだけの夢を覚えていられるかのバロメーターと言えないだろうか。
夢という世界ほど漠然としたものはない。それだけに発想もいくらでもできるが、その発想を許すか許さないかは、本人の気持ち一つである。
夢と現実の世界、それは時系列の存在にも関わってくるものだと考えれば、次元の違いや結界の存在も、認めざるおえない何かを感じさせるものである。
瀬里奈が死にたいと感じたのは、夢から覚めたある日のことだった。それまでにも死にたいと思ったことは何度かあったが、目が覚めると同時に死にたいと思うことなどなかったはずだった。
普段から目を開けてから完全に目が覚めるまでには、かなりの時間が掛かっていたのだが、その頃は意外と完全に目が覚めるまでの間隔が短かった。
完全に目が覚めたという定義は、意識が朦朧とした状況ではダメなのだと思っていたが、実際にはそうでもなかった。本当に目が覚めたと思うのは、
「夢を見たはずだと思っていて、その夢を思い出そうとするのだが、思い出せないということが自分の中で確定した時だわ」
と感じる時ではないかと瀬里奈は思った。
そういう意味で、意識の感覚は完全に目が覚めるという状況に影響を与えるものではない。きっと目が明いてから意識が現実に引き戻されて、朦朧としていない状態になるまでは、一定なのではないかと思っている。
ただ、これには個人差があるだろう。実際の時間では人それぞれなのだが、意識としては一定している。この感覚も錯覚を与えるには十分なものではないだろうか。
瀬里奈はこの話も郁美としたことがあった。
「死にたくなることがある」
というところまで踏み込んだ話ではなかったが、
「完全に目が覚めるまで」
という感覚について話をしたことがあったのだ。
郁美の意見としては、
「私もそういう意見を持っていたことがあったんだけど、意識が朦朧としている状態で夢を見ていたはずのことを完全に思い出せないと感じることはなかったわ」
「というのは、意識が朦朧としている間では無理なことだと感じているということなのかしら?」
「そういうことね。瀬里奈の意見も分からなくもないんだけど、意識が朦朧としている状態で考えたことが、意識がハッキリしてから覚えているということも珍しいように思うの。人それぞれなのかも知れないけどね」
という郁美の話に、
「確かに人それぞれと言ってしまえば実も蓋もないような気がするんだけど、人それぞれという言葉、都合のいい表現よね」
と瀬里奈がいうと、一瞬ムッとした郁美だったが、
「そうかも知れないわね。でも私の言っていることは正論だと思うわ」
「瀬里奈が正論を当たり前のことのように言うのって、私には抵抗があるわ。でも瀬里奈がそういう言い方をするということは、正対して話をしている私の挙動が、瀬里奈をそんな表現にさせているのではないかと思うと、少し面白い気がするわ」
と郁美は言った。
瀬里奈に対して郁美は、言いたいことを言うことが多かった。下手に気を遣われることを嫌う瀬里奈の性格を熟知しているので、言い方はソフトでも、皮肉めいた言い方をすることもしばしばあったのだ。
この時の郁美は、気を遣っていないだけではなく、実際に苛立っていたのかも知れない。郁美が面と向かって、
「正論」
などという言葉を口にするなど、なかなかないことである。
まるでわざと瀬里奈を怒らせているのではないかと思うほどの雰囲気に瀬里奈は、郁美の気持ちを察しているつもりになっていたが、ひょっとすると自分が郁美に翻弄されているのではないかと思ったりもした。
瀬里奈は郁美がどうしてその時怒りを感じたのか分からなかったが、この時の短い会話を忘れることはなかった。
瀬里奈は自分が死にたいと思ったのは、その時の郁美との会話があったからではないかと思うようになった。ただ郁美の言っていることに対して瀬里奈が違和感を感じるというのはある意味筋違いではないだろうか。なぜなら、
「人と同じでは嫌だ」
という感覚を持っているのだから、
「人それぞれ」
という言葉は、いかにも瀬里奈風と言ってもいいくらいなので、何も瀬里奈が目くじらを立てる必要もないはずだ。
それを思うとおかしいのは瀬里奈の方であり、郁美と話をしたこの時は、精神的に隔たりがあったのか、噛み合っていなかったのは一目瞭然だった。
瀬里奈の方がずれていたのか、それとも郁美の方がずれていたのか、それとも二人ともずれてしまったのか、もし、二人ともずれていたのだとしても、最初から二人ともずれていたとも思えない。触発があったと考えてもいいだろう。そうなると、やはり最初はどちらかがずれていたことになり、最後の考えは成り立たなくなってしまう。
ただ、この話の後から、明らかに瀬里奈は自分の中で心境に変化がもたらされたということを意識していた。何を元に心境の変化というのか分からないのだが、その時に郁美は瀬里奈に何か期待していたのではないかと今となって考えればありえないことではなかった。
瀬里奈が死にたいと目が覚めてから感じたのは、見ていた夢を覚えていたからではない。どんな夢を見たのか思い出そうとしても思い出せないということは、怖い故ではなかったと言えるだろう。ただ、
「夢の続きを見てみたい」
という感覚になったわけではないので、忘れてしまったことの第一の理由というわけでもないようだ。
死にたいと今までに感じたのは、具体的に何か理由があったわけではない。苛めに遭っていた頃も死にたいと思ったことは否定しないが、すぐに打ち消していた。
死にたいと感じるというのは、他の人も自分と同じ状況に陥ったら感じることだと思ったからだ。
「他の人と同じでは嫌だ」
と思うようになったのは、苛めとは直接関係のないことだと思っている。
しいていえば。
「人と同じでは親だと思うことが苛めに繋がったという方が強い気がする。この感覚がすのまま表に出たとは考えにくい。そう思うと直接的な原因ではないと思うわ」
と思っていた。
実際に、自分を苛めていた人に、後から聞いた話によれば、
「あなたに対して苛めたいと思ったことは本当は一度もないのよ」
と言われて、
「どういうこと?」
「あなたは苛めている私が楽しんで苛めていたように感じているかも知れないけど、私の方も本当は苛めなんかしたくなかった。でも苛めをしないことで自分を許せなくなる価格が嫌だったの。苛めをしないと自分を許せないという感覚は苛められていた人には分からないと思うけど、苛めている方は本当にやり切れない気持ちになっていたのよ。仲直りしたいという気持ちも確かにあった。でも、あなたを見ると、私の気持ちをあなたが受け入れてくれるようにはどうしても思えなかったのよ」
と言っていた。
「そうなんですね」
というと、
「あなたは私に苛められて、死にたいって感じたことも何度もあるでしょう?」
と言われて、
「そうかも知れないけど、今から思えば、あまりなかったような気がするの。思ったとしても一瞬だったように思うからね」
「あなたはそうだったのね。それなら、死にたいと感じたのは私の方が多かったかも知れないわね」
「そうなの?」
「ええ、あなたを見ているとそう感じるの。そう感じてしまうと我慢できなくなって、あなたを苛めてしまうのよ」
「えっ、苛めたことを後悔して死にたくなったというわけではなくて?」
「ええ、そうなの。だから死にたいと思う理由は何だったのか、思い出すことはできない。もっとも、そう感じていた時も、その理由を理解していたかどうか、自分でも分かっていないのよ」
死にたいと思ったことが、自分を苛める理由になるとは思えない。つまり彼女の言い分に間違いはないだろう。
「もし、死にたいと思わなければ、私を苛めていなかったと思いますか?」
「ええ、あなたを苛めていたとは思いませんけど、他の誰かを苛めていたように思えますね」
「ということは、死にたいと感じたことでターゲットが私になったということ?」
瀬里奈は到底納得のいく話ではなかった。
彼女の話を聞いていれば、まるで死を意識しなければ自分が苛められることはなかったと言っているのだし、しかもそれが苛めの直接な原因ではないということからも、自分がなぜ苛められていたのか分かっておらず、それがきっと瀬里奈をその後、
「死にたい」
と目が覚めた時に感じる理由になったのではないかと思うのだった。
死にたいと思った時に感じたのは、
「夢の中で、死後の世界を垣間見たからでは?」
と感じたが、忘れてしまっている夢なのに、死後の世界を見たとどうして言えるのか不思議だった。
目を瞑るとその光景が目の前に現れた。だが、その光景が本当に死後の世界のものだという意識とは程遠い気がした。確かに気持ちの悪い世界ではあるが、自分が考えられる範囲での天国とも地獄ともかけ離れた光景にしか見えなかったのだ。
言葉で表現するには難しいかも知れない。目を瞑ってじっとしていても、目の前の光景が変わるわけでもなかった。それは現実世界でも同じことなので、別におかしいとは思うはずもないのだが、目を瞑って見える世界が、まったく微動だにしないことを、瀬里奈は不思議に感じていた。
まったく動かない世界をじっと見ている感覚は、まるで目の前にある鏡に自分を投影させて、その姿を見ているような感じだ。鏡の中というのは、現実世界とは温度差があり、じっと見ていると、次第にその変化に気付くようになってくる。
変化というのは、動きがあったり、今まであった場所から移動していたりという感じではなく、
「色が失せていくような気がする」
ということであった。
目の前の鏡に写った光景は、次第にモノクロに変わっていく。それは目が慣れてきたからだということで自分を納得させるのは簡単だが、それだけではないような気がしてくるのだった。
「色が失せてくると、見えているものが見えなくなるような気がする」
と郁美は以前言っていたが、その時は何のことを言っているのか分からなかった。
しかし、実際に夢の中とはいえ感じてみると、本当に見えていたものが見えなくなりそうな気がしてくる。
だが、実際には見えなくなるわけではなく、見えなくなったものは何一つとしてないように思えた。想像よりも確証を感じていたが、その理由は、
「動きがないこと」
ではないかと思えたのだ。
動きがないことで、まわりは固まってしまったかのように思える。瞬きをなるべくしないようにしていると、動きのないものは目が慣れてきているせいなのか、次第に暗くなっていくのを感じる。
目の前に写っているものも、次第に小さく感じられるようになり、全体的に狭くなったように思えた。
しかし、実際には視界の幅が変わったわけでも、遠近感が狂ってきたわけでもなく、最初とまったく何ら変わっていない光景を見ているだけだった。
――こういうのを錯覚というのかしら?
と感じたが、錯覚を錯覚と感じない自分もいて、マヒしてしまった自分に見つめられている気がしてくるのだった。
目の前にある死後の世界と思しき光景は、いわゆる、
「グロテスクな世界」
であった。
何を持ってグロテスクというのかは分からないが、前に感じた、
「エロティシズムとは紙一重」
という意識を思い出していた。
「エロの中にグロを感じることはできるが。グロの中にエロを感じることはできない」
と、かつて瀬里奈は感じていたが、今回見たと思っている死後の世界に対して感じたことは、
「エロであってもグロであっても、その中に別々にエロもグロも感じることができる」
というものであった。
要するに何でもできるというもので、エロの中に別のエロも含まれていたり、グロの中に他のグロも感じられたり、感受性が汎用的になったと言えるのではないだろうか。
瀬里奈は、死後の世界という意味での、天国と地獄という世界をイメージしたが、絵画で見たようなイメージとは少し違っていた。
天国、いわゆる極楽というのは、蓮の花が咲いている横で、お釈迦様が佇んでいるという雰囲気。地獄というのは、鬼がいて、その近くには血の池や針の山という拷問のための設備が用意されているイメージであったが、瀬里奈の中ではもっと単純で、極楽というところは、エロの境地に近いもの、いわゆる女性がたくさんいて、真ん中に男性がいるというハーレム状態をイメージしていた。地獄にしても、鬼がいるわけではなく、ただ気持ち悪いものが蠢いているだけの世界であり、そのイメージはその人が嫌だと思うものであって、人それぞれと言えるものではないだろうか。
夢の中に出てくる世界に、
「煩悩は出てこない」
と感じていた瀬里奈だったが、こうやって想像してみると、
「まるで、エロとグロの集約した世界を見ているようだ」
と感じた。
夢の世界なのだから、別にその人が感じているはずの潜在意識が見せているものなので、エロであってもグロであっても別に問題はないだろう。しかし、少なくとも現実世界以外のものに、現実世界では実現できないものを期待している気持ちがあるのも事実ではないだろうか。
ただ、そんな世界を想像するだけの材料は今までに豊富にあった。
「いいことをすれば天国に行けて、楽しい生活を送ることができる。悪いことをすれば地獄に落ちて、苦しみが待っている」
と当たり前のように子供の頃から思っていた。
それはきっと親から言われたことを信じているからなのか、それとも学校の先生に言われたことなのか、それとも他の誰か?
いろいろと考えていたが、相手が誰であったりせよ、少なくともそれを信じさせるだけの自分にとって、
「一番信じたい人」
が存在したことに間違いはない。
それが誰であったのかいまさら想像しようとしても難しいことであってが、確かにそんな人物は存在した。それを思うと、
「自分が誰かの影響を受けずに生きてこなかったということはないのだ」
ということを、いまさらながらに感じさせられた。
もちろん、そんなことは分かっていたつもりである、分かっていて、
「人と同じでは嫌だ」
という性格になっていた。
それは、前提として、
「自分に影響を与えた人が確かにいた」
という思いを抱いていたからではないかと言える。
瀬里奈は、それが親であったり、先生であったりしてほしくないという思いから、人と同じでは嫌だと思っているのかも知れない。
親や先生を虫唾が走るほど嫌いだというわけではないが、今後の人生で自分に影響を与えないでほしいという思いが強いのを分かっていた。それはまだ自分が大人になり切れていないからであって、大人になり切ってしまうと、この思いが変わってしまうかも知れないとも感じた。
だが、そんな思いになるくらいなら、
「大人になんかなりたくない」
という思いもある。
今の世の中、引きこもりであったり、人と関わろうとしない青年が多いが、その中のどれくらいの割合になるかは分からないが。同じ思いを抱いている人も少なくはないことだろう。
エロとグロの世界をイメージした瀬里奈は、それを夢の世界で見たものだと認識していた。
天国と地獄というまったく正反対の世界が存在し、死んだ人間はそのどちらかに行くということを信じている人は、ほとんどの人間に違いない。もし、他に意見があるのであれば、それはそれで問題で、もっと知れ渡っていてもいいはずだ。誰かが故意にその意見を抹殺でもしないかぎり、一つの意見として認められてもいいはずだからだ。
しかし逆の発想として天国と地獄という発想自体、あまりにも奇抜であり、そのために他の意見が入り込む余地がないと言われれば、それを当然のこととして受け入れる人もほとんどに違いない。
それほど天国と地獄という呪縛は強いものに違いない。
この発想がいつから存在し、定着していったのか、瀬里奈に分かるはずはないが、少なくとも宗教的な布教を考えると、それを信じることで救われると思った人が多いのも事実であろう。
地獄にしても、
「戒め」
という意味では宗教的には重要な解釈の一つだったに違いない。
宗教というものが、人間の生活に対してどれほどの精神的な介入になったのか、それぞれの時代で違っていたとしても、そこには大きな慣習が存在し、現在に至っているのではないだろうか。
瀬里奈は、死後の世界、つまりは天国と地獄という発想は、夢の中でしか考えることができない。そう思うと、
「夢というのは、死後の世界への入り口なのかも知れない」
という発想も生まれてきた。
そういえば子供の頃に感じた発想として、
「もし眠ってしまって、このまま目が覚めなかったらどうなるんだろう?」
と考えたことがあった。
そのせいで、あれだけ一定の時間になれば眠くなって、いつも寝る時間が一致していた子供の頃だったはずなのに、急に眠れなくなった時期があった。
いつも同じ時間に眠くなるのは、子供心にも瀬里奈は、
「当たり前のこと」
として認識していた。
親としても、
「あの子は、ちゃんと決まった時間に寝てくれるから助かるわ」
と言っていたのを、母親の言葉として覚えていることから、本当に子供っぽいと思っていたようだった。
だが、眠ってしまって起きてこれないことを考えるなんて、最初は自分だけだと認識していた瀬里奈だったが、次第に他の人も同じ経験が一度くらいはあるのではないかと思うようになった。
どうして眠ってしまうとそのまま起きれなくなるという発想になったのかということを考えていると、
「死後の世界を夢で見てしまうからだ」
と思ったからだ。
ということは、その時はまだ夢で死後の世界を見たことがなかったということである。もし見ていたのであれば、起きてくることができたのだから、
「もし眠ってしまって、このまま目が覚めなかったらどうなるんだろう?」
などという発想は成り立たなくなってしまう。
だから天国と地獄という世界の発想を抱いたのは、逆の発想から、
「夢を見たからじゃなかったんだ」
と、最近になって瀬里奈はそのことに気が付いた。
ただ、それも、元々の発想として、
「天国と地獄の世界という発想は、夢で見た」
という前提があって、それを否定する形で生まれた発想だった。
それを思うと、最終的に結論付けた発想であっても、元々は正反対の発想から進展したものも、少なくはないような気がする。
瀬里奈は、
「ある時、急に死にたくなる衝動に駆られる」
と思うようになった時期があった。
今のように、一定の時間になると死にたくなるような発想ではなく、どちらかというと、不定期に感じるものだった。
だが、一定の時間に感じる時というのは、頻繁に感じていることなので、怖いという発想に慣れてきているというか、感覚がマヒしてきているのか、それほどの恐怖もない。慣例的になっているので、
「ああ、また今日も感じてしまった」
という気持ち悪さの方が強く、感じたことに疑問を呈することはなくなっていた。
しかし、最初に感じていた頃の不定期な感覚は、
「どうしてこんなことを感じたんだろう?」
恐怖もさることながら、それ以上に感じてしまったことが自分のどんな心境から来ていることなのか、そのことに対しての疑問が大きかった。
その思いが強いせいか、疑問と恐怖が一緒になり、しかも頻繁ではないことから、そのすべてが恐怖心として植え付けられていた。
「こんな思い、二度としたくない」
と感じてしまったことを後悔するのだが、感じたことが無意識だったことで、自分を責めることもできず、やるせない気持ちになってしまっていた。
この頃には、ひょっとすると、どうして死にたくなったのかという意識もあったのかも知れない。恐怖心を抱かなくなった今となっては、その頃の心境を思い図ることは難しくなったが、瀬里奈には、
「その頃なら分かっていたのかも知れない」
と感じるものがあったのだ。
「怖い夢を見るのは、普段から何かに対して不安を抱いているからなんじゃない?」
と言われたことがあったが。その話があまりにも当然のことを言っているようで、心の中で、
――そんなことは、最初から分かっているわよ――
と無意識に言っていた。
瀬里奈は、
「不安を抱いていることと、ただ心細いと感じていること」
という二つが同じことだとは思っていない。
「心細いから、不安を抱くのか、不安を抱くから心細いと感じるのか、どちらでもないような気がする」
と思っていた。
不安を抱くというのは、何か具体的な理由が分かっている時であって。心細く感じるのは、具体的な理由がハッキリとしないけど、心が平穏ではない状態の時をいうのではないかと思っていた。
郁美と不安と心細さについて話をしたのは何となく覚えていたが、その結論が出たのかどうか覚えていない。瀬里奈は郁美との話の中で、話題に出たことが必ずしも最終的な結論が出たということが比較的少なかったような気がする。それは本当に結論が出なかったのか、それとも結論は出たが、その結論を忘れてしまったのかが分からない。もし忘れてしまったのであれば、それは瀬里奈が結論として認められないと思ったことであろうが、果たしてそんな思いが郁美との間にあったのかどうか、瀬里奈は分からなかった。
エロとグロの世界、天国と地獄などの正対する二つの世界観を思い描いていると、以前考えたことのある「サッチャー効果」を思い出した。人の顔などを正面から見るのと、逆さにして見るのとではまったく違った光景が拝めるという現象であるが、いわゆる錯視であり、錯覚である。
この場合のエログロ、天国と地獄という、正反対の発想も同じものを逆さにして見た時と同じ発想ではないかと考えれば、サッチャー効果であり、それは錯覚だと思えることになる。
「では、どちらが錯覚なのか?」
と考えると、天国と地獄の場合は地獄を錯覚だと思いたいと感じるだろうから、エロとグロで考えれば、グロを錯覚だと思いたいに違いない。
では。エロというのは錯覚ではない正当なものとして理解してもいいのだろうか?
普通エロスというと、
「秘められたるものであり、あまり表に出すものではない」
という意識が定着しているように思うがどうであろう?
そんな意識を持っていると、自分の両親が自分に感じていたことも、このエロと同じ発想なのではないかと思えてきた。
一見、子供のことを考えてくれていると思っている両親だったが、時々そう思うことに違和感を感じることがあった。その理由はハッキリとしないのだが、何か奥歯にものの挟まったような言い方や、思わず歯ぎしりをしたくなってくるような感情を持ったが、それがどこから来るものなのか分からずにいた。
子供だったということもあり、
「大人にならなければ分からないものなのかも知れない」
と感じたが、自分が大人に近づくにつれて、
「ひょっとして、大人になり切ってしまったら、分からない発想なのかも知れない」
とも思うようになった。
つまりは、両親も子供の頃に同じような理不尽な、そして納得のいかない違和感を感じていて、同じように、
「大人になれば」
と考えていて、そのまま大人になってしまって、結局理屈が分からないまま、子供に対して違和感を感じさせる、そんな親になってしまったのかも知れない。
「私もそんな親になってしまうのかしら?」
と考えると、一体何が、そして誰が悪いのかということを考えずにはいられなかった。
しかし、考えたとしてその答えが出るとは思えなかった。
「そんなに簡単に答えが出るくらいなら、親の親から脈々と受け継がれてきたであろうこんな悪しき伝統はなかったに違いないわ」
と感じた。
だから、エロスのように、
「秘められたるものであり、あまり表に出すものではない」
という発想が、暗黙の了解となり、心の奥底に遺伝のような形で残っているのではないだろうか。
ただこの遺伝は自分たちだけではなく、皆同じことが言えるのだろうと、瀬里奈は感じた。
電子音が気になるようになってから、死にたくなる時間が頻繁に起こるようになったのと同じで、時間帯もほぼ同じであることに気が付いた。一日の中で一番寂しさを感じる時間、いわゆる夕方にその兆候が現れた。
「風が止んでしまう時間」
つまりは夕凪と言われる時間であった。
夕凪の時間が寂しく感じるようになったのは、小学生の頃からだった。
あの頃はまだ友達と放課後に表で遊ぶことも結構あり、親が共稼ぎをしているという理由で、家に帰りたくないと思っている子がほとんどだった。
共稼ぎをしているわけではない友達以外には、家にまだ生まれたばかりの弟や妹がいることで、家に帰っても構ってもらえないという人もいた。人それぞれであったが、瀬里奈はそこまで家族的には不幸というわけではなかった。だが、まわりを見ていると、見ているだけで自分まで不幸に感じられ、本当はそこまで不幸ではないということは重々理解しているつもりだっただけに、自分の気持ちのやり場に困っていた。
だからと言って、一緒に遊んでいる人たちと離れるような気持ちにはならなかった。彼らから離れてしまうのは、自分が一人ぼっちになってしまうことを意味していたからだ。
自分の居場所がないと思うのがいいのか、一人ぼっちになってしまうのがいいのか、瀬里奈は悩んだ。どちらがいいのかというよりも、
「どちらが自分にとってマシなことなのか」
という選択肢しかないことに違和感も感じていたのだ。
その違和感は加算法ではなく、やはり減算法であることも、瀬里奈をやり切れない気持ちにさせる一つの大きな要因であった。
そんなことを感じる相手と一緒にいても楽しいはずもなく、募ってくる思いは、
「寂しさ」
であった。
――寂しさから逃れるために、やり切れない気持ちを選んだはずなのに、どうして寂しい気持ちになるんだろう?
と瀬里奈は感じた。
よく考えてみると、それは寂しさから来るものではなくて、不安が募ってくることから来る、
「寂しさに似た感覚」
であった。
不安が募ってくると、毎日次第に人と一緒にいても寂しさを感じるものだということに気付いたようで、
「お腹が空いたな:
と感じるようになっていた。
漠然とした感覚だったが、お腹が空いたという感覚は、その時だけ不安な気持ちを和らげてくれるような気がした。
それは、
「夕方になるとお腹は空くもので、夕凪であろうと、友達とのやるせない時間であろうと、同じことだ」
と考えたからだ。
そんな時、夕方の一定の時間に、町内に響く音楽があった。夕方の時間になると、公民館が流す音楽のようだが、「夕焼け小焼け」の音楽がよく流れていたのを思い出した。今でもその音楽を聴くと、
「お腹が空いた」
という感覚になる。
その時に同時に、その音楽がいろいろなところから流れてきていて、しかも時間差があることに気付いていたのだが、きっと別々の公民館から流していて時間差があるのも、わざとではないかと思っていた。その時から、
「全体に響き渡るような音は、どこから聞こえてくるのか分からない」
と思うようになっていた。
そのせいもあってか、電子音がどこから聞こえてくるのか分からないと感じるようになってから、夕方の一定の時間に、まるで耳鳴りのように電子音が響いてくるのが感じられた。
不安が募る感覚がよみがえってくる。恐怖に襲われる時間だ。それを振り払うにはどうすればいいか? それを思った時、瀬里奈は急に死にたくなる気分になる自分を感じたのだった。
この感覚は、見ることのできなかった先の夢を見たいと思う感覚、そして自分が人の顔を覚えられないということに無意識ながら悩んでいるということ、そしてさらには両親への思いなど、いろいろ入り混じって、自分が何を考えているのかを思い知らされているような気がした。
今日も電子音の音が聞こえてきては途切れたような気がした。瀬里奈は死にたいと思うことだろう。
鏡に写った自分を今日も見ていた。いつものように左右対称で上下はそのまま、しかし、最近特に気になっていた鏡に写った自分を感じていた。
その思いは、
「この人、誰なんだろう?」
鏡に写った自分が分からない。
それは、色がついていないモノクロなのに、鏡に写った自分の顔面から真っ赤な色の液体が流れ落ちていたからだった……。
( 完 )
電子音の魔力 森本 晃次 @kakku
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