第3話 覚えられない
「今度、おとぎ話の解説をしてくれる大学教授の講演会があるんですが、一緒に行ってみませんか?」
と慎吾は言った。
話の内容が佳境に入ってきてはいたが、会話が流れるような展開にならず、少し膠着状態になりかかったところで慎吾の提案だった。
少し話がぎこちなくなっていることに気付いていた永遠としても、話を逸らしてくれる方がありがたかった。
「ええ、面白そうですね。慎吾さんはその教授をご存じなんですか?」
と永遠がいうと、さっきまでのこわばった表情を崩して、
「はい、僕の大学時代の恩師に当たるんですよ」
と永遠の方も笑顔が戻ってきたと思った慎吾は軽快に答えた。
「慎吾さんは、大学で何を専攻されていたんですか?」
「僕は論理物理学を専攻していました」
「難しそうですね」
「ええ、実際に実験するわけではなく、数学的な観点から未知の数字を想定し、それを論理で解き明かそうというイメージになるんでしょうか?」
「じゃあ、その恩師の先生というのは、論理物理学者の先生なんですか?」
「ええ、そういうことになります」
「論理物理学の先生がおとぎ話をテーマに講演されるというのも興味深いことですね。どういったお話になるんでしょうね」
「おとぎ話が物理学に近いのか、それともおとぎ話の発想が物理学に結び付いてくるのか、どちらにしても、論理というものは、元々自然界にあるものを数字として解明しようというものですから、おとぎ話の世界も、昔の人がその当時の発想から考えたこととして十分にありえることだと思うんです」
「確かにそうですよね。今は科学が進歩したと言っても、まだまだ解明されていないことなんて結構あるんでしょうからね。そもそも全体が分かっていないんですから、今どれだけ解明されているかどうかなど分かるはずもないんですよ」
永遠も物理学には興味があるように慎吾は感じた。
「西遊記というお話がありますが、あれは唐の長安から天竺に向かって、一度も行ったことのない道を通って出向いていくというお話ですよね。あれだって、行ったことがない道をひたすら西に向かって歩いていくというものですよね。中には道なき道もあるでしょうし、どうすればたどり着けるのかなんて、誰も知らないんじゃないかって思うんですよ」
「以前に、ドラマとして映像化された時見ていたんですが、孫悟空であれば、雲に乗って一っ飛びですよね。でも天竺行きを命じたお釈迦様は、それを許さなかった。ある日孫悟空が雲に乗って天竺まで行こうとした時、お釈迦様と口論になり、孫悟空は自分の力ならあっという間に天竺まで行けると豪語したんですが、それをお釈迦様は黙ってやらせたんですね」
「それでどうなったんですか?」
「孫悟空は雲に乗って一気に数千里を飛んだんですが、そこで雲の間から、数本の柱が経っているのが見えた。そこで孫悟空は、そこを地球の果てだと思って、記念に自分の名前を書くことでのサインをしたんですね」
「それで?」
「また一気に三蔵法師のいるところまで戻って、自分が地球の果てまで行ったということを告げるんです」
永遠は黙って聞いていた。
慎吾は続ける。
「孫悟空はお釈迦様を呼び出して、自分が地球の果てまで飛んで行ったことを告げます。するとお釈迦様は、そこがどうして世界の果てだと言えるんですか? 証拠は? と聞いたんですね」
「さっきのサインがその証拠だというわけですね?」
「ええ、そうです。お釈迦様にそう言った孫悟空は自慢げにお釈迦様の前で威風堂々とした態度を取ります。しかし、そこでお釈迦様は孫悟空を見下ろして笑うんですよ」
「それで?」
「面白くないのは孫悟空です。どうしてお釈迦様が笑うのか怒って尋ねると、お釈迦様が答えます。あなたのサインってこのことですかって言って、自分の指の一本を差し出します。そこには孫悟空の名前が書かれていました」
「孫悟空が行ったと思っていた世界の果てというのは、お釈迦様の掌の上だったということですね」
「ええ、そうです。だから、よく掌で踊らされるという言葉を聞くことがありますよね。自分が策を弄して相手を翻弄したと思っていることが、実際には相手の術中に嵌ってしまっていたということです。どんなに強大な力を持っていたとしても、奢ってしまって前を見ることができなくなってしまうと、相手に翻弄されてしまうことに気付かないということへの戒めのようなものではないでしょうか」
「そういえば、百里の道を行くのに、九十九里行って半ばとすという言葉がありますが、まさしくこのことなんでしょうね」
「それともう一つの戒めとして、未知の世界、つまり見たことのないところというのは、実際に辿り着かないと本当にあるかどうか分からないというのも、このお話の中の戒めとしてありました」
「どういうことですか?」
「孫悟空たちが、やっとの思いで天竺に辿り着いたというお話があるんですが、そこでお釈迦様から約束の経典をいただいて、今度は復路を向かうというお話になります。そこでお釈迦様がいうには、往路は歩いてこさせてしまったが、復路は孫悟空の雲に乗って帰るがいいと言ったんです。孫悟空や他の弟子は喜びましたが、三蔵法師は疑っていました。お釈迦様がそんなことをいうわけがないということでですね」
「やはり、その天竺は偽物だったんですか?」
「ええ、そこは妖怪が作った偽の天竺で、一行を安心させたうえで捉えて、後は食べてしまおうとしたんですね」
慎吾はさらに続ける。
「実際に騙されたことを知った孫悟空が魔物を退治することで一件落着したんですが、彼らは自分たちの旅に疑問を感じるようにもなったようです。疑心暗鬼の中で旅をするというのも、ある意味ではお釈迦様が与えた試練なのかも知れないですね。僕はあのお話を見て、未知の世界というものがどれほど怖いものなのかということ、そして人間一度はその怖い未知の世界を乗り越えなければいけない試練として味合うものなんだって感じました」
「なるほど、この二つのお話を聞いただけで、おとぎ話のような話も、心理学的にも物理学的にも奥が深いものではないかと感じました。日本のおとぎ話などは、結構そういうイメージのお話多いかも知れませんね。ただ、お釈迦様のような絶対的な登場人物がいない場合が多い日本のおとぎ話ですが、逆にいうと、絶対的な登場人物がいないほど、余計に奥が深いような気がします」
と永遠は言った。
「どうしてですか?」
と慎吾が聞くと、
「だって、絶対的な存在がないということは、何が正解なのかって証明できる人がいないということでしょう? それをいかにして教訓のように書き残せるかということが大きな課題になっているんじゃないでしょうか?」
永遠は、慎吾の話を聞いて、自分なりに理解しながら想像を膨らませているかのようだった。
「人間がいくら偉くなろうが、神や仏になれるわけではない。しかも神や仏というのはその存在は人それぞれの心の中にあって、それぞれ違っているものであるに違いないんですよ。そう思うと、架空の話は誰にでも想像できる。そしてその可能性は一人の人に無限にあると考えると、その中の突飛な発想も、中には実際に起こってもおかしくないことが含まれているように思えてならないんですよ」
慎吾の発想は永遠が考えていることを代弁しているようだったが、実際に永遠が感じていることと微妙に違っていた。
永遠はそのことを分かっているつもりだったが、違っていてもそれはそれでいいと感じたのだ。
相手に分かってもらいたいと思って話をしているつもりでも、実際には自分で理解したいという思いが強いのかも知れない。人というのは、それほど自分の発想に自信を持つことができないのだろう。だから、おとぎ話のようなものでフィクションを作り上げ、人それぞれに微妙に違う発想を抱かせることで、それぞれがコミュニケーションを交わせるというものではないだろうか。
「今度のおとぎ話のお話楽しみですわ」
と永遠がいうと、
「僕もなんですよ。永遠さんとお話をしていると、その教授の話を思い出します。僕がこうやってお話ができているのも、ひょっとすると先生のお話を想像できているからなんじゃないかって思うんです」
と、慎吾は答えた。
おとぎ話の講義をしてくれるという講演会の日になった。その日慎吾は普段と雰囲気が違い、背広を着ていた。普段の待ち合わせの時はスーツなど着ないので、新鮮に感じられた。
――そういえば、お見合いパーティの日も普段着だったわね――
と、永遠は今更ながらに思い出していた。
慎吾を見ていて、彼は普段着がよく似合うと思っていた。考えてみたら、普段着しか見たことがないのだから、似合うも何もないものだ。
実は最初に彼のスーツ姿を見た時、何とも言えない違和感があった。すぐに新鮮さを感じたが、あの時の違和感は何だったのだろう?
永遠はその違和感のことをすぐに忘れてしまっていたが、いつの間にか気になってしまうようになるということを想像していたであろうか。
「慎吾さんの背広姿って初めて見るんだけど、今日の講演会のためなんですか?」
「ええ、教授はそういうことに神経質な性格なので、僕も気を遣って背広を着てきたんですよ」
という慎吾に対して、
「じゃあ、私も正装してきた方がよかったかしら?」
「大丈夫だよ。僕がそう思っただけで、君は気にすることはない。もし、教授が連れまで気にする人であれば、僕は最初から話していたからね」
と言った。
それは当たり前のことだろう。一緒に行く相手に予備知識を与えておくのは最低限のマナーである。そんなことも分からないような慎吾であれば、永遠はお見合いパーティだけで終わっていたに違いないからだ。
そう思っていると、慎吾は話を続けた。
「でもね、教授は僕の大学時代までには本当にズボラだったんですよ。着ている服も同じ服が多かったし、身だしなみについても、大雑把だったんです。本当は僕も大雑把なので、そんな先生と馬が合ったというか、何も言わなくても通じ合えるようなところがありましたね」
と慎吾は言ったが、それを聞いて永遠は思わず笑ってしまった。
「馬が合うというのはいいことですよね。でもズボラ同士の気が合うというのは、どういう感じなんでしょうね。私には少し分からない気がするわ」
と永遠は言った。
永遠は神経質というところまではいかないが、人並みに几帳面なところがあると思っている。身だしなみなど当然のことで、意識するという方がおかしいと思うほど、几帳面な性格が自分では板についていると思っていた。
人によってはそんな几帳面な性格を、
「神経質だ」
と言って嫌っている人がいるということも分かっている。
しかし、それは無神経な方が悪いだけであって、永遠はそんな連中とは付き合わなければいいと思っていた。
次第に几帳面な自分でその行動範囲をいつの間にか狭めているということに気付かずにいると、気付いた時にはまわりに気の利いた人がほとんどいなくなっていたのだった。
一人一人自分から離れていくことは分かっていた。それでも永遠は、
――離れていくんであれば、それでいいわ――
と開き直っていた。
永遠は開き直りを悪いことだとは思っていない。離れていくのは相手が悪いからだと思っているので、自分に非はない。つまり堂々としていればいいことであって、開き直りには正当性があると考えていた。
意固地になっているという意識がなかったわけでもなかったが、それは自分の意地であって、
――意地を通すことは立派な自己主張だ――
と感じていた永遠は、次第に協調性よりも自分の正当性を重んじるようになっていた。
そんな女に男性が振り向いてくれるはずもない。相手が少しでも距離を感じれば、容赦なく離れていく。永遠も自分から近づこうとはしないので、お互いにぎこちなくもない。
その理由は二人とも悪いと思っていないからであろう。意地を通しているわけではなく、自分なりの正当性に自信を持っている。相手に悪いという意識よりも自分の正当性を主張するのは当たり前のことだ。
「他人はいずれ離れていく。自分と一緒に墓に入ってくれるわけではないんだ」
とまで友達に話したことがあった。
その友達とは次から会うこともなくなり、きっと相手は、
「この人にはついていけない」
と思ったことだろう。
永遠にとっての本音だった。普通であれば、心に思っていることであっても、正直に話す必要はないと思うのであろうが、永遠の場合は、
「自分の本音を話せないような相手と、必要以上に付き合う必要はない」
と感じていた。
それは、自分の中に、人を利用してやろうというような邪心があるわけではなく、純粋に人との関係を考えていることから生まれた考えだ。自分に正直だということを長所だと思っている永遠は、それこそ自分の意地だと思い、意地を貫くことを選んだのだった。
永遠は、そのうちに、
――自分はズボラな性格なのではないだろうか?
と思うようになった。
神経質ではあるが、必要以上なことは決して何もしない性格になっていた。いわゆる合理的というのだろうか、その考えが嵩じて、自分を綺麗にしようというような女性になら誰にでもあるような考えが薄れていくのを感じていた。
特に親からよく言われていた。
「女の子なんだから、身だしなみくらいはしっかりしなさい」
という言葉が嫌いだった。
父親から言われていたことは特に嫌で、身だしなみに限ったことではなかった。
「世間一般の人に恥ずかしくないような行動や姿勢」
というのを、よく言われていた。
永遠は面と向かっては反発をしなかったが、心の中で、
「世間一般って何なのよ」
と思っていた。
永遠は子供の頃からよく言われてきたこの言葉で、
――世間一般とは、平均的に何でもできる人――
という意識を持ち、決して人のしないようなことをする人ではないのが、世間一般なのだと思うようになっていた。
平均的に何でもできる人というのは、永遠には違和感があった。それよりも一芸に秀でている人のことを尊敬するようになっていたのは、最初は親への反発だったのかも知れない。
だが、そのうちに親への反発というよりも、親の言っていることの正反対の気持ちで世の中を見ると、
――意外と捨てたものではないわ――
と感じるようになっていた。
人のやらないことであっても、悪いことばかりではない。むしろ人の嫌がることをするのって人からはありがたがられるものだ。
考えてみれば、親の言っていることには矛盾があった。人の嫌がることに対しては、
「大いにやらなければいけない」
と、他人との会話の中で言っていたのだ。
――何言ってるのよ。そんなこと言ってるから皆混乱するんじゃない――
と心の中で呟いた。
親に対して尊敬も何もなくなってしまったのは、その頃からだったに違いない。
永遠が親に対して反発していなかったと思っていたが、社会人になった頃から、
――反発心があったから、私はここまで成長してきたんだ――
と考えた。
「人は一人では生きていけない」
とよく言われるが、確かにその通りだ。
しかし、それは人に頼るという意味だけではなく、人を反面教師として自分の生き方に反映させることで自分を鼓舞することができるという考えであった。
これもまた自分の意地だということは分かっている。ほとんどの人が、
「そんな考えではダメだ」
というだろう。
しかし、それを誰が証明してくれるというのか、永遠にはそれが分からない。多数決で決まるのであれば、世の中紛争も何もなく、極楽浄土のような世界ができあがっているはずだ。少なくともどこかに小さな溝があり、その溝が少しずつ見つかっていき、それが一つになっていくと、歯車など役に立たなくなる。そう思った永遠は親への反発を正当化できるのであった。
「私ね。最初は謙虚なんだけど、慣れてくるとすぐにため口になるの」
と永遠が恥ずかしそうに言った。
「それは僕だって同じだよ。却ってため口になってくれた方が相手も気が楽になることだってあるんじゃないかな?」
「確かにそうだと思うんだけど、これって親への反発から来ていると自分では思っているのよ。本当はもう少し改めなければいけないと思ってはいるんだけど、どうしてもそれができないのは、それだけ親に対しての反発心が強いからなのかも知れないわ」
と思い出したように永遠は親への反発を口にした。
元々はズボラな性格に対して感じていたことだったはずなのに、どうしてため口を聞くことに話題を変えたのか、永遠には不思議だった。しかし慎吾を見ていると、ため口になってしまう自分のことを分かってもらいたいという気持ちから口にしたことだった。
「ため口というのは、相手をフィフティフィフティに感じるからため口になると思っていたんだけど、僕は少し違った考えなんだ」
「どういうことなの?」
「フィフティフィフティというのは、相手と自分が同等であるということから来ているんだって思うんだけど、会話において同等って本当にありえるのかって僕は時々考えていたんだよ」
「でも、話を成立させるためには会話がなければいけないでしょう? 自分の意見も相手の意見もそれぞれに納得のいくように説明しないと、会話というのは成立しないんじゃないかしら?」
「確かにそうだよ。でもね、自分が考えていることを相手に分かってもらおうとすると、どうしても相手と同等ではいけないでしょう? 説得するためには自分の意見を分からせるという力がいる。相手に自分の意見を分からせようとすると、力を相手に押し付けることも仕方のないことだと思うんだ。ただ、その力をいかに相手に意識させずに納得させるかというのが大きなテクニックですよね」
「ということは、相手が自分で考えて納得しているわけではなく、納得させようとしている人の力が働いているから、納得できるというの?」
「僕はそう思っている。相手の力がなければ、自分だけで納得するなんていうことはできないんじゃないかって考えるんだ。その力は誰にでも持っているものなんだけど、その力を自分で理解していないと、相手と対等に会話なんかできないんじゃないかな?」
「少し難しい話になってきたわね。そういう意味でいくと、会話において、お互いに意見を戦わせる時間がないと会話は成立しないということにもなるんじゃない?」
「ああ、その通りだよ。でも、それを相手に意識させないようにしようという意識が、納得させようという意識の中で、いつの間にか自分もその力のことを忘れてしまっていることがある。そんな時、自分の意見を相手が納得してくれたということで、自分が納得するんじゃないかって感じるんだ。要するに辻褄合わせのような感じなんじゃないかな?」
「辻褄合わせというと、私も意識したことがあるのは、デジャブという心理現象についてなんだけどね」
「デジャブって、あの以前にどこかで見たり聞いたりしたことがあるという心理の中の意識のような状態のこと?」
慎吾は不思議な言い回しをした。
「ええ、そう、そのデジャブのことが前に気になったことがあって、私なりに調べたことがあったのよ。どこかで見たのかというのは忘れてしまったんだけど、デジャブというのは、自分の意識の中にある何かの辻褄を合わせようとする心理現象だって載っていたのを見たことがあったの。そういう意味で『心理の中の意識』という表現に共鳴しているような気がするわ」
「意識の中の辻褄合わせということになると、デジャブも理解できないわけではない気がするな。僕もよくデジャブを感じることがあるんだけど、決まってすぐにどういう意識のデジャブなのかを忘れてしまうんだ。だから時々相手に合わせてしまっているように感じるんだけど、そんな時、急に我に返って、相手に対してため口になってしまうことがあるんだ」
「相手に合わせてしまっていると感じた時、ため口になってしまうというのは、何か照れ隠しのような感じなのかしらね?」
「照れ隠しというよりも我に返ることに対して、相手に悟られたくないという思いが働いているからなのかも知れないな」
と慎吾は答えた。
「私はどうしても人の顔を覚えられないっていつも思っているんだけど、その意識がどこから来るのかっていつも考えているのよ」
「僕も同じように感じることが時々あるんだけど、そんな時、いつも感じるのは、もう一人の自分の存在だったんだ。覚えているつもりで忘れているのは、覚えているのが自分ではなく、もう一人の自分の意識の中にあるからなんじゃないかって感じるんだ」
「私も今慎吾さんとお話していて、その意識が私にもあるんじゃないかって感じるのよ。でも、人の顔を覚えられないのは、集中している意識と、別の集中とが間に入ることで、覚えられないと感じることが、一番自分を納得させるような気がしているのよ」
「集中して覚えようとすることで、却って意識してしまって、その間に別の集中が入ってしまうと覚えていたことに自信が持てなくなる。そういうことかな?」
と慎吾がいうと、永遠は少し考えて、
「相手の顔が覚えられないのであれば、写真を撮っておけばいいと前に思って、なるべく友達になった人とはツーショットで写るようにしていたことがあったの。相手が男性だとなかなかそうもいかないけど、女の子同士だったら、別に意識することもなく、普通に写真に納まってくれるものね」
「それは僕も同じことを考えたことがあった。でもね、写真を撮ると、却って覚えられないという呪縛に嵌りこんでしまうことがあったんだよ」
「ひょっとすると、慎吾さんも私と同じ呪縛を感じているのかも知れないわね」
と永遠は、初めて慎吾に対して安心したようなホッとした様子を表情にして表したのだった。
「そうだね。呪縛というのは大げさなことなのかも知れないけど、僕の場合は、写真に撮ってしまうと、相手の表情を写真の中の固まった表情でしか覚えられない。つまりは、本当に覚えておきたいその人の性格がそのまま写真に現れているわけではない。まったく違ったイメージが表情に現れていたりすると、その人の顔を覚えておくなんてことできるはずもないですよね」
「まさしくその通りだと思います。私も今慎吾さんとお話をしていて、目からうろこが落ちたような気がするくらいですよ」
「僕が絵を描いていたのに、途中から写真に乗り換えたのは、今永遠さんが言ったような写真の呪縛を解こうという意識があったからなのかも知れないと今になって感じているんですよ。絵を描くというのは、バランスや最初にどこに筆を落とすかということの難しさからあきらめたように思っていたんだけど、実際にはそうではなかった。絵を描く時、大胆に省略すればいいという意識を持ったのは、ひょっとすると、永遠さんが感じたような覚えられないことの呪縛に対しての意識だったのかも知れない。写真に対してまだ何も答えは出ていないんですが、しばらくは写真に対して意識の深層心理を抉るような気持ちになるんだって感じました」
「呪縛なんていう言葉、どうして出てきたのか、私も不思議に感じます」
と永遠がいうと、
「それは、もう一人の自分という意識を強く持っているからなんじゃないですか? さっきの人の顔を覚えられないのをもう一人の自分の存在を正当化して、そのもう一人の自分のせいにしようとしているのは、どこか辻褄合わせをしているかのようじゃないですか」
「私は最近、お見合いパーティに出席するようになってから、余計に人の顔を覚えられなくなったような気がするんです。でも、最初の対面の時、どこかで会ったような気がする人って結構いるんですよ。そういう人に対しては、すぐにため口になってしまう。口では初めましてなんて言っているのにですね」
「相手はどうですか?」
「相手も同じように、ため口を返してくれます。そのほとんどは喜んでくれているように感じるので、私も悪い気はしないんですよ」
「それは、あなたが記憶の中でその人のことを覚えていたからなんでしょうね。だけど、覚えようと意識していたわけではない。無理に覚えようとすると、却って覚えられないものだって思いますよ」
慎吾の話を聞いていると、それまでの呪縛が少しずつ解放されて行っているように感じた。
「でも、相手は私が覚えていたことを知られたくないと思っているんじゃないかって感じるんです。お互いに初めての方が都合がいいでしょう?」
「そうかな? 確かに気を遣っているように感じるけど、その決められた三分間という時間が、とてつもなく長く感じられてしまうんじゃないですか?」
「それは確かに言えます。私は相手のことを明らかに覚えていたことがあったんですが、そういう人に限って、嫌な思い出しかないんです。二度と会いたくないと思った人ばかりなんですね」
「それは夢の記憶と同じ現象なんじゃないですか?」
「というと?」
「夢を覚えている時というのは、決まって怖い夢の時だってさっきも言っていたじゃないですか。人の顔を記憶しているというのも、覚えていたくないという不快に感じる顔だと思うと、記憶というのは、夢の世界と現実世界とで比較対象になりえるということになりませんか?」
と慎吾は言った。
「夢というものに対して、私はもう一つ考えていることがあるんです」
と永遠が言った。
「どういうことですか?」
「夢というのは、潜在意識が見せるものだって話を聞いたことがあって、私もそうなんだろうって思っているんですが、本当にそうなんでしょうかね?」
「というのは?」
永遠は奥歯にものの挟まったような言い方をした。
慎吾は、何が言いたいのか分かるような分からないような漠然とした思いを抱いていたのだが、何となく言いたいことは分かっていると思っていた。
「夢は覚えている夢と、覚えていない夢がありますよね。さっきもお話に出たように、本当は眠ってからいつも夢を見ていて、そのほとんどを覚えていないだけなんじゃないかって考えもありますが、夢を見たことすら忘れてしまっているというのは少し不思議な気もするんですよ」
永遠は決して話が下手くそなわけではなく、言葉を選んで話しているつもりなのだろうが、話の内容がデリケートなもので、どうしても表現が難しくなってしまっているのではないだろうか。
「永遠さんは夢というのは創作なんじゃないかって思っているんですか?」
「ええ、創作という表現がいいのか、架空という表現がいいのかなんだって思います。どちらも英語にするとフィクションという意味なんだって思いますが、その反対をノンフィクションだとすると、私は夢はフィクションであってほしいと思うんです」
永遠の言いたいことが少し分かった気がした。
慎吾は永遠の意見を聞いたうえで、
「僕は逆を考えます。夢というのはやはり自分の中にある潜在意識が見せるものだと思うんですよ。ただ、題材が潜在意識というだけで、そこから膨らませて見る夢は、創作なんって思いますね」
と、慎吾は言った。
「私は、中学生の頃、小説を書いてみたいと思ったことがありました。実際には書くことができなかったんですが、書くとすればフィクションしかないと思っていました。でも、テーマを考えたり、プロローグを考えようとした時、どうしても自分の経験からしか話を作ることができないので、それで小説を書くことを諦めたんです」
と永遠は言った。
「それは小説を書く人皆同じなんじゃないでしょうか? プロであってもアマチュアであっても一緒なんじゃないかって思いますよ。要するに、人間は自分が経験したこと以上のことを頭に描くことはできても、経験したこと以外を頭に描くことはできないんじゃないかって思うんです」
「なるほど、そうかも知れませんね。そういう意味でいけば、夢だって経験に基づいて見ているものに違いないですからね。夢の方が起きていて発想するよりも制限がないのかも知れませんね。だから、夢から覚める時、忘れてしまうのかも知れませんね」
という永遠の話を聞いて、
「その発想はおとぎ話の発想に繋がるものかも知れませんよ」
と慎吾は少し話の矛先を変えた。
「どういうことですか?」
「昔から伝わるおとぎ話の中によく出てくるものとして、何か悪いことをすると、その報いを受けるというものがありますよね。玉手箱を開けてお爺さんになってしまった浦島太郎のお話だったり、見てはいけないと言われて、我慢できずに見てしまって、いなくなってしまった弦の恩返しの話だったり、そんなお話に通じるものがあるような気がしたんです」
「それは直観でですか?」
直観という言葉を口にした永遠を見て、慎吾は相手が自分と同じことを考えていると思ったのか、
「ええ、その通りです」
と、頷きながら答えた。
「直観という意味を考えると、忘れてしまうのも分からなくもないような気がします。夢というのは、目が覚める数秒の一瞬で見るものだと何かの本で見たことがありましたが、僕も今はその意見に賛成です。そう思うと、覚えていないもの理屈に合うような気がしませんか?」
という永遠の話に、
「それは、夢の世界が現実世界とは別の次元に存在しているからだという発想ですか?」
と慎吾がいうと、
「そう思ってもらってもいいと思います」
と永遠はこちらもハッキリとした口調での言い回しではなかった。
「永遠さんは、何か自分で経験したわけではないと思えることは、信憑性のないものだと思う性格なんだって僕は感じましたが、そんな中で僕と話をしていて、実際に経験したわけではないことでも、信憑性を感じられるようになってきたんじゃないですか? ただ、そのことに絶対的な自信が持てないことで、どうしても抽象的な言い回しになってしまう。それがお話していて読み取れるんですが、どうでしょう?」
慎吾の話は永遠にとって、いちいちもっともなことに聞こえていた。ハッキリと言葉にしようと思うと、今度は言葉に詰まってしまい、何か言いたいけれど、口出しできない時というのは、慎吾の話に同意して、信憑性を感じていることなのかも知れない。
永遠はそのことを分かっていた。
「ひょっとすると、人の顔を覚えられないというのは、夢を忘れてしまっているということと何か関係があるのかも知れないわ」
と永遠がいうと、
「永遠さんは小説を書こうと思ったけど、書けなかったといった時、経験からしか書けないと自分で思ったからだって言ってましたよね?」
「ええ」
「それは永遠さんが、小説というものは創作物であって、言い方は悪いですが、ノンフィクションなどは邪道だと思っているからなんじゃないですか?」
確かに言い方は悪く、それを認めてしまうのには抵抗があったが、慎吾の言うことはもっともだった。
永遠は、黙って頷くしかなかったが、それは気持ちを表現することができなかったからだ。言葉にしてしまうと、どう言ったとしても、それは言い訳にしかならないと思ったからだ。
その言い訳は相手に対してではなく、他ならぬ自分に対してのことであって、そのことを慎吾に知られたくないと思っていた。
「私、自分がやりたいと思っていることに対して、最初にこだわりを持つようにしているんです。逆に言えば、こだわりが持てないものに対して、やりたいという気持ちにはなれないんだって思っています」
と永遠がいうと、
「それは僕にも分かります。きっと僕以外の人にも分かってくれる人はたくさんいると思います。考えてみれば、小説を読む時だって、主人公になったような気持ちになって読むものじゃないですか。いろいろな性格の人が、文章という縛りの中で形成されている性格を読み取ることになる。でも皆同じ人物を頭に描くんですよね。好き嫌いはあるでしょうが、決して別の人格を思い描くわけではない。そう誘導する文章というのは、すごい力があるんじゃないかって思いますよ」
と、慎吾は言った。
「書き手の気持ちを読み手が忖度する必要なんかないと思います。文章を読んで感じたままのイメージが、どれだけ覚えられるかと思えば、覚えておくことと、忘れないこととは違うんじゃないかって思えてきます」
「どういうことですか?」
「覚えているから忘れないようにしようと思うのであって、覚えられないのはそれ以前のことだって切り離して考えるんですよ。最初は誰でも切り離して考えているはずなのに、いつの間にか、覚えられないことと忘れないようにしようと思うこととを混同してしまうんでしょうが、最後には切り離して考えるようになる。それは絶対であって、その場面で違っているとすれば、途中の混同して考える部分の長い短いに凝縮されるんじゃないでしょうか?」
永遠の意見は、慎吾を少し考えさせた。
「以前、僕も似たようなことを考えていたことがあったように思えるんですが、その記憶が今永遠さんと話をしていてよみがえってきたような気がします」
と慎吾がいうと、
「それは私も同じです、話をしていて次第にハッキリと見えてくることがあって、だから途切れずに言葉が続いているんじゃないかって思うんですよ」
と永遠が言った。
「僕は夢を創作だって考えたことが今までに何度かあったんですが、永遠さんはあくまでも潜在意識の見せるものだって思いますか?」
「よくは分かりませんが、潜在意識自体が創作なんじゃないかって考えるのは、暴走でしょうか?」
「その考えは、自分否定に繋がるんじゃないかって僕は思うんだけど、永遠さんは思いませんか?」
「私はそこまでは思いません」
と、即答だった。
「そういえば永遠さんはどうしてお見合いパーティに参加したんですか?」
慎吾は聞いてきた。
「深い意味はないです。そろそろ適齢期なのかなって思っただけです」
自分の考えをオブラートに包んだが、改まって聞かれると、どうしてお見合いパーティなどに参加したのか、今さらながら自分でもよく分からなくなっていた。
すると慎吾は話した。
「僕も最初は大した意味があったわけではないんです。お友達になれそうな人がいればいいというくらいだったんですが、どうも僕の話は難しいらしく、相手の人はすぐに引いてしまう。それでも軽い話など僕にはできなかったので、話ができそうな人が現れるのを待っていたんですよ」
「それが私だったということですか?」
「そういうことになりますね」
永遠は慎吾の話を聞いた時、
――本当かしら?
と感じた。
自分もオブラートに包んでいるのだから、相手も同じようにありきたりな返答しかしていないようにしか思えなかったのだ。
「私でよかったのかしら?」
「よかったんじゃないですか? 少なくともお友達としての会話は成り立つと思っています」
と慎吾は言った。
「じゃあ、慎吾さんはお友達から始めた恋って、そのままゴールインすれば幸せになれると思いますか?」
という永遠の質問に、
「それは人それぞれだと思いますよ。ただ、これは差し障りのない回答なので、これでは面白くないですよね。私は一捻りして考えると、お見合いパーティで知り合ってお友達から始めた恋に、ゴールはないと思っています」
それは、暗に、
「あなたとはゴールインすることはありません」
と言っているようなものだった。
だが、永遠はそれでもよかった。慎吾と話をしていると、まるで自分を見透かされているかのような怖さを感じていた。その怖さは短い期間であれば問題はなく、むしろいい刺激を与えてくれると思えるが、半永久的と考えると、先が見えてこないことへの底知れぬ恐怖を感じる。
先が見えないことへの恐怖というと、永遠は最近見た夢を思い出した。
あれは数日前だったと思ったが、目の前には断崖絶壁が広がっていた。
一列になって、まるでアリの行進のようにひたすら前を目指している。誰も上を向くことも振り返ることもなく、ただダラダラと前に向かって歩いているだけだった。皆頭からフードを被っていて、衣服は白装束だった。まるで何かの宗教団体であるかのような様子で、永遠は自分がそこにいることに対して、不思議と違和感がなかった。
「……」
人々は口々にモゾモゾと何かを口ずさんでいるようだが、何を言っているのか分からない。
お経のように聞こえるが、お経ではないことだけは分かった。人それぞれに言っている言葉が違ったからだ。
永遠は何も口ずさむことはなかったが、口だけは動いていた。何かを喋る意思もなければ喋っているという意識もない。
――ひょっとすると、自分で何か声を出しても、自分では聞こえないんじゃないか?
と永遠は感じた。
「あ~」
と、声を出してみたが、確かに聞こえない。
その代わり、声を出したと思っている時、キーンという音が耳鳴りのように聞こえてきた。
――どういうことなのかしら?
と感じたが、自分の中で想定内のことであった。
アリの行進が進む中、集団は途中でつり橋に差し掛かった。すでに断崖絶壁の海の近く、荒れ狂う海を見ていれば、どれほど風が強いものなのか、想像がつく。
想像がつくというのは、風を受けていながら、その恐怖が感じられなかった。まるで他人事のように、
――風が吹いているわ――
とは分かっているが、恐怖には繋がることはなかった。
そんな強風の中、つり橋を渡るなどというのは、自殺行為に思えるほどだったが、行進はスピードが緩むことなく、かといって、急ぐこともなく、最初と同じようにダラダラと進んでいくのだった。
「ヒューヒュー」
と、明らかに風の音は耳鳴りのように響いている。
耳鳴りのような風の音を感じたその時、呟いている声も大きく感じられた。声が大きくないと耳鳴りに掻き消されてしまうだろうから、声も大きく聞こえたように感じたのだろう。
この思いは、永遠が夢を見ていても冷静であることを示している。逆に夢の中だから冷静になれるともいえるのではないだろうか。ただ。その時の永遠は自分が夢を見ているという感覚はなかったはずだ。それなのにやたらと冷静な自分に永遠は無意識の中で、
――これは夢なんじゃないか――
と感じていたとも思える。
永遠はつり橋を渡っていると、自分の想定外の動きをしていることを感じた。橋を渡っているのが自分だけではないのでそれは当たり前のことなのだが、半分くらいまで進むと、それまで感じていなかったはずの恐怖が急に頭をもたげてきた。
目の前の人を見ると、恐怖に身体全体が震えていた。さっきまであんなに何の感情もなかったはずの人から、恐怖という意識を感じたことで、永遠自身も恐怖におののいているのではないかという思いに捉われるようになった。
――さっきの皆が呟いていた声、あれって「怖い」って言っていたんじゃないかしら?
と感じた。
そう思って耳を澄ましてみると、確かに、
「怖い」
と皆が呟いていた。
声のトーンが皆違っているので、別の言葉を呟いているように感じたのかも知れない。なぜなら、聞こえてきた声のトーンは皆同じだったからだ。声のトーンが同じだったということが錯覚を呼び起こし、皆同じ言葉を口にしているのに、それぞれ違った言葉を発しているように思えたのだろう。
すると、永遠も自分がさっきから、
「怖い」
と口ずさんでいるのを感じた。
永遠の目の前の人が急に風に煽られたかと思うと、つり橋がグラグラと揺れて、目の前の人は橋から落っこちてしまった。
「危ない」
と永遠が声に出すことができたのかどうか、途中までは意識があったような気がしていたが、永遠もバランスを崩して、そのまま断崖絶壁の谷へ、真っ逆さまに落ちていくのを頭が描いていた。
だが、それは他人事であった。
目の前の自分が谷底に落ちていくのを、橋から少し離れたところで見ている自分の目に映り替わった。
――このまま死んじゃうのかしら?
と思うと、目を瞑った。
次の瞬間にどこかに現れるということが最初から分かっていたように、まるで目が覚めたかのように永遠は気が付いていた。
そこは、自分の部屋の寝床の上でもなければ、知っている光景でもなかった。まだ夢の続きを見ていたのだ。
「ここはどこなのかしら?」
とまわりを見渡すと、目が覚めた瞬間、真っ暗になっていた目の前が少しずつ光が戻ってくると、そこは洞窟であることが分かった。
洞窟には川が流れていて、その先は海に続いているのだろう。確証はないが、海に繋がっていなければ、説明がつかないと思えた。
――夢を見ているのに、説明もなにもないものだ――
と感じたが、目の前にもう一人誰かがいるのを見つけると、なぜかホッとした気分になった。
集団意識が尊いものだということを初めて知ったような気がした。だが、それは普段の周田錦とは違っているもので、ホッとしたというのも、助かったという感覚とは程遠いものであった。
目が慣れてくると、正面が明るくなってきていることに気が付いた。耳を澄ませるとさっきまで耳鳴りがしていたようにシーンとしていたにも関わらず、ザワザワとした雰囲気に感じられてきたのは、そこが波の音であることに気が付いたからだ。
波の音というと、ザルの上に穀物を入れて、左右に揺らしているという音響効果の映像が頭に浮かんだのは、中学時代にテレビ関係の仕事に興味を持っていたからだった。
テレビ関係に興味を持っていた時、怖いものが嫌いだったくせに、奇妙なお話にはなぜか興味を持っていた。
鏡や時間や影などの媒体やアイテムというものに深層心理を織り交ぜる形のお話に興味を持っていた。さらにそんなお話の気に入った部分は、
「ラストの展開にぼかしを持たせる」
ということであった。
そういう意味で、よく夢も奇妙な話を見るようになったような気がする。
しかも、話のほとんどは似たようなパターンのシチュエーションになっていて、豊富ではない発想の中でバリエーションをいかに発揮するかという無意識な思いが意識となって現れるのかも知れない。
光が見えてくると、永遠はその先に鏡を思い浮かべた。思わず後ろを振り向いてみたが、そこにあるのは暗闇だけだった。
――気のせいだわ――
と感じ、再度正面を向きなおすと、さっきまで見えていた光がどこかに行ってしまっていた。
――振り返るんじゃなかった――
と感じたが、それは振り返って再度、元の位置に顔を戻した気がしていたのが、間違いではないかと思ったことで、自分の感覚が信じられなくなったことが永遠にさらなる恐怖を呼んだ。
それでも前に進もうと思った以上、諦める気にはならなかった。前に進むことで永遠は怖いと思っている夢から覚めることを意識していた。一番最初、
「これは夢だ」
と思ったはずなのに、夢が進行していくうちに次第に夢であることを意識しないようになっていた。
それが、また夢だと思うようになったのは、つり橋の上から洞窟にシチュエーションが変わったからだ。
場面が変わったこと自体は夢だと思わせる最大の要因ではなかった。出てきたシチュエーションがつり橋と洞窟という、永遠の中にある、
「頭の中の妄想のアイテム」
に合致したからであった。
永遠は見えない道を歩いていたが、不思議と足元を踏み外す気にはならなかった。これだけ真っ暗闇なので、本当であれば足を踏み外しそうで怖いと思うのが当然なのに、恐怖を感じないのは、最初に見た明かりの光景が脳裏に残っているからなのかも知れない。
そう思っていると、またしても波の音が近づいてくるのだった。波の音はさざ波のような静かではなく、明らかに波打ち際に打ち付ける轟音であった。
ただ、轟音から想像する波打ち際は、永遠を助けるようなものではないことはハッキリしている。波打ち際から、どこか上に上がる道があるとは思えない。勝手な想像なのだが、信憑性を感じるのは、明らかにそれが夢であるという証明でもあったのだ。
「夢というのは、目が覚める寸前の数秒に見るものだ」
という話を聞いたことがあった。
その話に永遠は信憑性を感じている。
夢から覚めた時、覚えていないという現象を納得させようと思うと、この話に信憑性を与えることが一番だと思うからだった。
波の音だけに集中していると、目の前に見えてくるはずの外の光景がなかなか見えてこない。
――本当に出口ってあるのかしら?
と感じた。
そう思うと、出口だと思っているところが実際に見えてこないということは、逆の発想として、
「夢から覚める瞬間」
が目の前に広がっているという感覚を覚えた。
――夢から覚めるんだ――
と、永遠は感じたが、そう思ったかどうかすら分からない。なぜなら本当に目が覚めてしまったからだった。
目が覚めたという意識はあった。見ていた夢はやはり次第に忘れていき、完全に目が覚めてしまった時には、どんな夢を見ていたのかすら忘れてしまっていた。怖い夢は忘れないはずなのに忘れてしまったということは、見た夢が怖い夢ではないという意識があったに違いない。
それを慎吾と話をしている時に思い出したのは、どうしてなのか分からなかったが、永遠が思い出した夢に感じたものは、
「悪循環の矛盾」
というものであった。
自分とゴールするつもりはないと言った慎吾の顔を横目に、永遠は以前の夢を思いだしていたが、永遠は彼の横顔を見て、何となく自分に似ていると感じた。
自分に似ているという感覚は、普段から鏡をあまり見ることのない永遠にとっては不思議なものだった。自分の顔ほど一番認識していないものだと思っていた永遠は、自分の顔をまるで他人事のように思っていた。
ただ、顔を意識することはなくとも、表情は気になっていた。
――今、どんな表情をしているんだろう?
と思っても、人はそれを、
「今どんな顔をしているんだろう?」
という表現になる、
表情は顔に含まれると思っているからなのだろうが、永遠の場合は違った。永遠が考えるのは、顔が表情に含まれるという考えだ。
それぞれを重ねて考えると矛盾を感じる。その矛盾は悪循環を秘めている。夢の中で永遠の感じた、
「悪循環の矛盾」
という考えは、その一つなのではないだろうか。
悪循環の矛盾を考えていると、永遠は一つの発想に行きついた。
それは、
「タマゴが先かニワトリが先か」
という命題であった。
逆説という意味のパラドックスにふさわしい命題であるが、なかなかこのことを論議に挙げる人はいない。難しい話だというよりも、結論が出ないということを誰もが分かっていることで、論議をすること自体に無駄を感じているからではないかと永遠は考える。
さらに永遠は、五分前の自分と五分後の自分を重ねて考えてしまう。どっちの自分も自分なのだと思うと、左右の手で別々のことができている人間には、五分後や五分前の自分を確認することはできるのではないかと感じた。
しかし、実際に確認することはできても、信憑性が限りなくゼロに近いと思い込んでいることで、確認するに至らない。そう思うと、
「悪循環の矛盾というものは、結局自分だけの世界で作りあげられたものではないか」
と、永遠は考えるようになった。
目の前にいて微笑んでいる慎吾の顔を、限りなくゼロに近い信憑性で見つめながら、永遠は悪循環の矛盾について考えていた。
「この人は私の子孫なのかも知れない」
慎吾が永遠に向かって漆塗りの立派な箱をくれているのが目を瞑れば想像できた。
――これって玉手箱?
そう思うと、永遠は開けてみなければ気が済まない。
気持ちを新たに開けてみた。すると、白い煙が目の前に立ち上り、そこにはそれまで知らなかった世界が開けていた。
「私は元の世界に帰ってきたんだわ」
と思うと、今まで覚えられなかったすべてのことが、記憶の中に封印された気がした。
この時代がさっきまで永遠がいた世界から見て過去なのか未来なのか、それとも時代は変わっていないのか、
「これこそ夢であってほしい」
と感じた永遠であった。
( 完 )
悪循環の矛盾 森本 晃次 @kakku
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