第4話 道化師

 早良には自分を惨めにしようと思えば、いくらでも惨めな想像ができてしまうような気がした。最初はそれを自分の特技のように思っていたが、それは惨めということの本当の意味を分かっていなかったからだ。

 それは、

「本当は分かっているのだが、自分で認めたくないという思いから、無意識に分かっていないと感じていたのかも知れない」

 という思いに近いものがあったに違いない。

 早良にとって、小学生時代の、特に高学年の頃はそんな思いが結構強い時期であった。

 親の不仲が、家庭の不和が、そんな早良を形成して行ったのかも知れないが、早良としてはそれよりも、

――こんな性格だったから、あの頃に惨めな思いをあまりすることなく過ごせたのかも知れないな――

 と感じた。

 つまりは、最初に感じた遠慮というものが、自分に対しての惨めな思いを打ち消すための思いだったのだと考えれば、自分を納得させることができた。屁理屈なのかも知れないが、自分を納得させることのできる理屈には手放しで受け入れる感覚であった。

「俺は自分の性格を無意識のうちに封印することのできる性格だったのかも知れないな」

 と感じたそんな時、早良に新たな経験が待っていた。

 今になってよく思い出すサーカスのテントの前に佇んでいる自分。

 確かにサーカスを見に行ったという記憶もなければ、サーカスを見たいと感じた記憶もない。

 しかしなぜか、天幕の中で何が行われているのか、見たような気がした。それはテレビで見たサーカス番組の影響なのか、それとも、ドラマの中のサーカスシーンが印象に残っていたからなのか分からないが、

――影響を受けていたからだ――

 という思いが強かった。

 ただ、記憶の中で、天幕の下から中を覗き込んだという思いだけは残っていた。当然下からちょこっと見ただけなので、

「その内容がどのようなものであったのか?」

 ということや、

「こんな雰囲気だったんだ」

 というイメージの類など、分かるはずもなかった。

 だが、天幕の下から覗き込むという行為に興奮していたという意識は残っている。だからこそ、記憶として残っていたのだろうが、どうして天幕の下から覗いていたのかまでは想像の域を出ることはなかった。

「別に俺はサーカスを見たいという気持ちがあったわけではない」

 というのが前提としてあった。

 そして、家族もサーカスに興味があったわけではなく、もし子供が、

「ねえ、サーカス見に行こうよ」

 と言ってきたとしても、

「我慢しなさい。あんなもの面白くもなんともないわよ」

 と言われていたに違いないと思った。

 早良はその言葉を想像した時、少なからずムッとしてしまった自分を感じた。

――自分で勝手に想像しただけだということを棚に上げたとしても、面白くないということを決めつけられるのは、どうにも気が済まない――

 と思った。

 自分で決めたことなら納得がいくが、いくら親とはいえ、いや、親だからこそ、勝手に自分の意見を押し付けられるというのは、虫が好かなかったのだ。

「親が、親だというだけの理由で子供に自分の意見を押し付けるのは、どうしたものか?」

 という話を誰かから聞かされたことがあったが、

――うんうん、まったくその通りだ――

 と、言葉にはしなかったが、心の中でそう唱えていた。

 それを見ていた言い出しっぺのその人にはきっと早良の気持ちが分かったのだろう。それ以上何も言わずに、何度も頷いていたのだった。

「言葉にしなくたって、思いは伝わるものだなんてよく言われるけど、そんなの嘘っぱちだよな」

 と、小泉は早良にそう言った。

 早良も至極当然だと思い頷いたが、その言葉を聞いた時にも、このサーカスの光景を頭に描いていたのだった。

 サーカスの中を見たわけではないが、天幕の外にも実はサーカスの小道具が置かれていたりした。もちろん、中を覗くことはできないが、コンテナのような木箱がたくさん置かれているのを見るだけで、いかにもサーカス小屋の近くにいるという意識を持つことができたのだった。

 後ろから気配がして、驚いて振り向いた。

 そこには一瞬のけぞってしまいそうなインパクトを与える人が立っていた。

 けばけばしい色の衣装を身にまとい、顔には白塗りをしていて、髪の毛は黄色く、パーマでも当たっているかのように縮れていた。

 身体つきは、完全に痩せていた。ピチッとした衣装が身体にピタッと嵌っていて、そのせいもあって、痩せていると感じさせたのだ。

 背は結構高かったように思う。身長が高いだけではなく、足の長さもビックリするほどだった。

 何よりも気持ち悪く感じたのは、口元だった。

 何も言わないその人の口元は、耳の近くまで避けていて、まるでかつて話に聞いたことがあった、

「口裂け女」

 の印象を持たせた。

 口裂け女の存在は、どこで聞いたのか覚えていないが、確か学校の先生から聞いたような気がした。授業を受けていて、時々自分の若かった頃の話をするのが好きな先生で、そこで出てきた「口裂け女」の話、怪談話の類だったが、その時の先生は準備も万端で、資料も用意しての脱線だった。イメージ画を見た時に感じたのは、

「何か気持ち悪いんだけど、初めて見るはずなのに、以前にもどこかで見たような気がするな」

 というものだった。

 それが、小学生の頃に見たその人物だということに気付くまで、少し時間が掛かったのを覚えている。

 そこまで考えるまでにどれだけの時間が掛かったのだろう? 本人には結構な時間が掛かったという意識だったが、実際にはあっという間の瞬時だったに違いない。

――ピエロじゃないか――

 とすぐに気付いて当然だった。

 だが、その時の早良には、なぜかピエロという言葉よりも、道化師という言葉が頭を過ぎったのだ。

 最初に覚えたのは当然ピエロという言葉だった。道化師という言葉も後から知ったが、それがまさかピエロのことだと分かるまでには、かなりの時間が掛かったような気がした。これは早良に限ったことではなく、誰も口にしないだけで、皆感じていることなのではないだろうか。

 目の前にいるのは確かに道化師。ピエロとは違うものに感じられた。

 ピエロというと、その素顔はハッキリとしないにも関わらず、そのパフォーマンスで人を楽しませる雰囲気を持っているので、表情がなくとも、想像できるものでなければいけないと思っていた。

 しかし、目の前にいるその人は、見た目は笑っているように見えるのに、その奥の顔には表情がまったく感じられない。別におどけたパフォーマンスをするわけでもなく、ただ早良を見つめている。

 人から見つめられることには慣れていない早良だったので、完全に金縛りに遭ってしまった。

――どうすればいいんだ――

 完全に睨みを利かされ、身動きが取れなくなってしまった早良は、まるでクモの巣に引っかかってしまった獲物のようだった。

 声を出したいのだが、声にならない。

 もっとも、何と言って声を上げようと思っているのか、自分でも分からない。

 声を挙げるというのは、自分から言いたいことを発するわけではないのだ。もちろん、自分の感情を爆発させることもあれば、熟慮してから口にすることも大半なのだが、咄嗟の場合には、自分の考えとは裏腹な言葉が声になって発せられるものなのかも知れない。

 声も出せずに相手に睨まれているままにしていると、相手の顔がまったく変化していないことに気付いた。相手が道化師なのだから当たり前なのだが、その顔に施された化粧の奥には、感情を持った人間が存在しているはずである。

 相手もこちらの心境を思い図っているのだから、それに対しての表情を起こそうとしても不思議はない。道化師というものは、その表情を隠すために化粧を施し、奇抜な衣装に奇抜な行動を見せているのではないか。そう思うと、相手も人間を怖がっているからの行動であると言えなくもない。別に臆する必要などないのだ。

 早良はそのことを意識したことがなかったはずなのに、実際に道化師に見つめられると、以前にも同じようなことを考えたことがあったかのように感じられ、自分でも不思議だった。

 早良は自分の家庭を思い返してみた。

 家族はバラバラになっていて、誰が何を考えているのか分からない。何を言いたいのか聞いてみたい気もするが、

「聞くのが怖い」

 というのが本音だった。

 怖いくらいなら、聞かない方がいい。聞いて後悔するくらいなら、相手から言うのを待っているしかなかった。

 だが、待っていてもいい方向に向くはずなどないと思っている早良には、

「怖いけど、聞いてみたい気持ちもある」

 という思いもあった。

「何で俺だけがこんな嫌な気持ちにならなければいけないんだ」

 親も、そしてまわりも嫌な気分になっているのかも知れないが、自分と同じ気持ちの人はいるはずがない。そう思うと、自分のまわりがすべて悪いという思いに至り、自分だけが不幸の真っただ中にいるという被害妄想に駆られてしまうのだった。

「次郎君は、大人が嫌いなんだね?」

 籠ったような声で道化師が聞いてきた。

 その声は、ドラマなどで誘拐犯が電話を掛けてくる時に使っているボイスチェンジャーのような声だった。目の前の道化師はそんな機械を使っているわけではないのにそんな声を聞こえてきたということは、それがこの人の地声であることを示していた。

――だとすると、この人は道化師なんかではなく、本当に人間ではないのかも知れない――

 というおかしな発想になった。

 だが、この状況でのこの発想は決して無理なものではない。極限状態とまではいかないが、恐怖がこれでもかと早良に襲い掛かってきた状況での発生された声に対しての感情だった。

 家庭はそれから崩壊の一途をたどり、結局最後に家族でどこかに出かけたという記憶というのは、

「どれが最後になるんだろう?」

 というほど曖昧なものになった。

「相当昔のことのようだ」

 という思いもあれば、

「ごく最近だったような気もする」

 という、正反対の思いが、心の中である程度の信憑性を持った形で残っていたのだ。

 そのせいもあってか、サーカスを見に行って、そこで道化師に出会ったなどという記憶は、家庭が崩壊してからしばらくは、頭の中には残っていなかった。それでも将来思い出すことになるのだから、記憶の片隅にくらいは残っていたに違いなかった。

 家族の崩壊で早良は母親に引き取られた。その頃には中学生になっていた早良だったので、家族が崩壊したと言っても、まるで他人事のように受け止められた。

 まわりは、

「思春期の大切な時に心に傷を負った」

 と思っているだろうが、早良自身には、そこまでの感覚はなかった。

 むしろ他人事のように思うこともできて、その頃から、感情を表に出すことをコントロールできるようになっていた。

 相手に悟られないように、自分の気持ちを封印しているように見せることができた。

 実際に封印しているわけではないが、まわりからは、

「気持ちを封印させちゃったんだ」

 と思わせるに十分なイメージを植え付けることができるようになっていた。

 早良は、

――俺がこんな風になれたのも、どこかで誰かに出会ったかならなんだが、それが誰だったのか覚えていないんだよな――

 と思っていた。

 思い出せないことが、早良にとって、些細なトラウマとなっていた。大きなトラウマとは違うが、些細なことなだけに、その粘着性は大きく、粘着性があるがゆえに、自分への影響力は抜群だった。

 道化師を見たという記憶を、ある日突然思い出した。

 きっかけがあったとすれば、ちょうどその時、小さかった頃に幼稚園の先生の家に遊びに行った時のことを、本当に久しぶりに思い出していたことかも知れない。

 しかもその時、

「今日は、今までに思い出せなかったことを、もう一つ思い出せそうな気がするんだよな」

 という思いも一緒に抱いていた。

――子供って、どうして記憶を封印させようとするんだろう?

 後から思い出して懐かしく感じることも多いが、二度と思い出したくないという思い出もたくさんあったように思う。内容は思い出せないから思い出したくないことだって感じるのだろうが、一度思い出してしまうと、どんなことでも懐かしいと感じることになるのだろう。

 もし、それがトラウマであっても早良には懐かしさが伴っていれば、それはそれでいいことだと思うようになった。

 小学生の頃に見た道化師は、

「暗い顔をしていたんだ」

 と思うようになっていた。

 記憶の中の道化師が、本当に自分が見た道化師なのかと疑いたくなってしまうほど、自分の意識の中に、道化師の表情から、その心境を伺うことはできなかったはずだ。

 それとも、道化師というものが、相手に自分の気持ちを悟られないようにするために、顔を隠すような化粧を施しているのだと思いこんでいたからなのかも知れない。

 もちろん、その思いを否定することはできない。むしろ、その通りに違いないと思うからだ。しかし、逆に今から思い返して感じることができたと思うようになったことも無視できないことだと感じていた。

「子供の頃の記憶など、あってないようなものだ」

 という乱暴な考えもあるが、逆に、

「思い出すことができて、その時と違う感情を持てるのであれば、それは信憑性に十分なものではないだろうか」

 とも言えるだろう。

 早良は子供の頃から正義感の強い男の子だった。その正義感が本当に正しいものなのかどうかは分からないが、自分としては正義感を心の奥に隠し持つことで、自分が生きている意味を感じているような気がしていた。

 家庭のゴタゴタなど、自分には関係のないことである。大人が勝手に争っていることであって、なぜ自分が心を病まなければいけないのか疑問だった。だが、大人の勝手な理屈としては、

「お父さんもお母さんも、あなたを育てるということに関しては共通しての認識を持っているのよ。それなのに、子供のあんたは言うことを聞いてくれない。それがどれほどのストレスになってるか、分かってるの?」

 と、母親は子供に晃かなストレス発散からか、言いたい放題だった。

 だが、育てられているのは事実だし、下手に文句を言って、さらに神経を逆撫ですることは早良にとっても本意ではない。

 黙っていると、そのうちに何も言わなくなりやり過ごすようになったが、これが早良の性格を形成することになったというのは、皮肉なことであろうか。

「相手が文句を言ってきても、こっちが反応しなければ、相手はそれ以降、何も言ってこない」

 という思いだった。

 文句の一つや二つくらいはあっても、早くその場をやり過ごしたいと思えば、何も言い返さないことが一番だ。それからの早良が寡黙になっていったのも、そんなところがあったからだった。

 人と会話をしない。それがそのまま友達を作らない。いや、できないという原因に繋がって行った。だが、これは早良に限ったことではない。まわりの友達もおらずに一人でいる連中や、引き籠っている連中の大半は大小の差こそあれ、似たような考えの元、形成された性格だったに違いない。

 早良にとってサーカスを見に行ったその時、道化師の顔を垣間見たのだが、お互いに驚いていたのは間違いないだろう。道化師は表情が変わることはないので、その表情からその心境を計り知ることは難しい。

 しかし、分からなくとも、

――この人も俺と同じなんじゃないだろうか?

 と考えれば、おのずと見えてくるものがあるというものだ。

 早良は比較的小さな頃から、相手の気持ちが分からない時は、

――相手も自分と同じことを考えているんじゃないか?

 と思うようになっていた。

 実際にそう感じたことが間違いではなかったことは結構あった。もっとも、早良本人には分かっていないことだが、気配として感じていたのかも知れない。

 子供の頃に感じた道化師の思い、彼は自分の顔に道化の化粧がまとわれていることをどう思っているのだろう?

「ひょっとすると、顔に化粧が施されていることを意識していないんじゃないか?」

 と思えてきた。

 まわりはその印象の強さから、化粧をした道化師の顔ばかりを見ているだけだが、本人としては、化粧の施されていない自分の真顔を相手二見せていると思っているのだとすると、面白いものだ。

 確かにサーカスなどの道化師や、昔でいう、

「チンドン屋」

 と呼ばれた道化師の人たちにとって、その衣装は、今で言うコスプレのようなものであって、商売道具としてのユニフォームでしかないのだ。

 そう思うと、彼らの道化師の化粧は、本人の意志とはまったく関係のないところで存在していて、まわりも分かってはいるのだが、あまりの印象の深さにその意図を読みこめていないのだろう。

 だが、それこそが道化師になるゆえんではないのだろうか。相手に容易に気持ちを分からせないようにしながら、こちらの宣伝したいものにうまく誘導してくる。そのための方法が道化師の衣装であったり、化粧だったりするのだろう。

 早良は小学生の時に、

「フランケンシュタイン」

 という話を読んで強い衝撃を受けた。

 世の中で役に立つ人間を自らが創造しようとしたフランケンシュタインという博士が、その創造物に悪魔の心を植え付けてしまい、いずれはその怪物から殺されてしまうというような概要ではなかったか。

 これは、世の中に対しての警鐘であり、科学に対しての挑戦でもあった。この発想は恐ろしいというよりも、奇抜過ぎて、

「どうしてこんな発想が生まれてきたんだろう?」

 という作者のたぐいまれなる発想に驚かされたのだ。

 そして、自分が求めて、そして信じてきたものが一つ間違えると、正反対の大惨事を引き起こしてしまうということに繋がってくる。

 フランケンシュタインの発想は、その後の科学に一石を投じ、ロボット開発への大きな警鐘であり、そして限界を作ってしまった。

 その限界は結界と言ってもいいかも知れない。

 フランケンシュタインの発想があるから、人間はロボット開発の際に、その戒めとでもいうべき、

「ロボット工学三原則」

 というものを考案した。

 これは恐るべきことに、発案したのは専門のロボット工学者ではなく、SF作家だというから驚きだ。

 しかも、それが今から百年以上も前の話で、その小説を読んでいると、結界という言葉をどうして使用するのかということも分かってくるだろう。

 ロボット三原則には優先順位が存在する。その優先順位のために、開発された架空のロボットが、どうしてもそこから先に進むことができない結界に辿り着く。その結界というのはそこから先に足を踏み入れると永遠に抜けることのできない、

「無限ループ」

 に入ってしまうのだ。

 それを想像した早良は、まず考えたのが、

「底なし沼」

 という発想だった。

 沼に足を踏み入れると、もがけばもがくほど抜けられない底なしの沼。

「待てよ」

 底なし沼という発想もおかしなものであることに気が付いた。

 底がないということは、身体が埋まってしまってからも、沈み続けるということである。「ではどこまで沈み続けるというのか?」

 ずっと底がないのだと考えると、永遠に沈んでいって、地球の裏側にでも出てしまいそうな気がする。

 もちろん実際には途中にマグマがあり、そこまでしか沼は存在しえないのだろうが、沼をどこまでのものなのかということを考えていると、

「無限ループ」

 の発想に到達することだろう。

 無限ループの発想に入りこんでしまうと、まさに頭の中が、嵌りこんでしまった底なし沼であり、ロボット三原則を彷彿させるものとなってくることだろう。

 早良はフランケンシュタインからロボット三原則に繋がるこの発想にのめりこんだ時期があった。

 ロボット三原則では、やはり優先順位の存在のために、ロボットがにっちもさっちもいかなくなり、そのまま動けなくなってしまい、行動停止に陥ったという場面もあった。

 だが、小説はそれを許さない。ロボットに行動を起こしてもらわないと、自分たちの命がない。

「どうやって彼らを動かすか?」

 これが小説のテーマだった。

 つまり、無限ループに入りこむという前提の元、敢然とその矛盾に対して立ち向かったのだ。

 そう、つまりロボット三原則も、底なし沼も、そしてフランケンシュタインの話も、すべて、

「矛盾」

 という発想から生まれてきたのではないかと思っている。

 そう思うと、道化師の存在の中にも、無限ループであったり、矛盾という発想が潜んでいるのではないだろうか。そして、そのことを今考えている早良は、その大きな命題に入りこむことはできないまでも、ある程度までは近づけると思っている。

 もっとも、入りこんでしまっては抜けることができないと考えるのは、底なし沼の発想であって、決して入りこんでしまってはいけないということを示しているのだ。

「俺にとって道化師の存在は、今の俺の性格を形成するに大きな役割を果たしていたんだ」

 と今さらながらに当然のごとく感じていた。

 早良は中学の時、道化師を見たということを嫌というほど思い出さされたエピソードがあった。普段は道化師を見たということをあまり思い出すことはなかったのだが、その時は思い出したのだ。

 どうして思い出さなかったのかというと、

「きっと、思い出したくないことを記憶の奥に封印してしまうことができる、自分にとって都合のいい性格だったのかも知れない」

 と感じていた。

「だった?」

 性格というのは、そう簡単に変わるものではないことは分かっているが、まだ思春期前のことなので、その性格という者すら形成されていなかったと考えるのも無理もないことだった。

 しかしその反面、

「いや、性格というものは持って生まれたもので、それを成長過程で変えることはできない」

 と言えるのではないだろうか。

 だが、それでも持って生まれたものであったとしても、成長過程なんだから、変わったように見えるのも仕方のないことだ。そう思うと、早良には自分の性格というものが分からなくなってくるのだった。

 早良が嫌が上にも思い出さされたと思っているその時に、彼はテレビを見ていた。まわりには数人がいたような気がする。それも知り合いと見ていたというわけではなく、どこかの待合室にあったテレビに見入っていたような気がしたのだ。

 待合室というと、きっと病院だっただろう。そのこともうろ覚えだったのだが、それだけいやが上にも思い出したことが印象的だったに違いない。

 早良はテレビを最初から凝視していたわけではない。待合室にいて、何もすることがなかったことで、目の前にあるテレビを見ていただけだった。

 テレビを見ている時に入るコマーシャルタイムであるが、

「どうしてあんなに皆真剣に見ているんだろう?」

 と考えたことがあった。

 きっと自分もまわりの人から見れば、真剣に見入っているように見えるのかも知れない。それは真剣に見ているわけでも、集中しているわけでもない。ただ、目の苗を流れる映像しか自分に入って来ていないことで、集中しているように感じさせるだけなのだろう。

 これは当たり前のことを言っているようだが、誰もコマーシャルに集中していることを意識していないから、何も感じないということだろう。

 テレビの映像はコマーシャルからすぐに本編に変わった。それは情報番組だったが、ちょうど特集コーナーの最中だった。

「今回の匠様は、工芸界でも有名な足利先生に来ていただきました。先生は民芸品に秀でていて、各地の民芸をお造りになっています。各県で売り上げナンバーワンの商品も数品あり、押しも押されぬ業界をけん引されておられる方です」

 と、女性アナウンサーの紹介から、一人の初老の男性が現れた。

 まだまだ現役で髪の毛には白いものが斑になっていたので、結構な年齢ではないかと思わせたが、彼を見ていると、

――人間、年齢なんて関係ないんだな――

 と感じさせた。

 しばらくは、民芸家の作った作品を紹介する時間が費やされ、

「さて、それでは問題です」

 と、いきなりリポーターのアナウンサーがそう切り出した。

 スタジオのMCはビックリして、

「な、なんでしょう?」

 といううろたえたリアクションをしたが、見ようによってはこれも演技、インパクトを強めようという狙いがあったのかも知れない。

「実はこの足利先生、民芸品を作る傍らで、実は別の趣味がおありになるんです。それをお当ていただきたいと思います」

 と振られたスタジオMCは、

「それは民芸には関係のないことですか?」

 と聞かれて、

「うーん、関係ないと言えばそうなんですが、先生の才能を生かしたものであることは確かですね」

 と言われて、少しMCも考え込んだ。

 あまりにも返答がなかったので、リポーターが心配になったのか、

「じゃあ、ヒントと行きましょう。その内容は子供たちに対してのもので、先生はこの趣味を生かして、全国の学校や幼稚園に訪問しているくらいなんですよ」

 と言われても、それだけではあまりにも漠然としている。

 そのうちに一人のMCが、

「人形劇ですか?」

 と答えた。

 すると、それを待っていたかのようにリポーターは、

「おしい!」

 と一声掛けた。

 するともう一人のMCが何かを思いついたのか、

「あ、影絵ですか?」

 と答えた。

「正解です。人形劇では人形を作るのは一人でもできますが、講演には少なくとも数人は必要です。でも、。影絵ですと先生一人でも大丈夫なんですよ」

「えっ、そうなんですか? 影絵も人がいるような気がしますが?」

 というMCの意見ももっともなことだった。

「はい、ですがここからが先生の真骨頂で、先生が一人でもできる影絵を考案し、それを自分でやるようになってから、全国を回るようになったんですよ。これも一つの先生の才能なんですよね」

 と言った。

「なるほどですね。それは素晴らしい。私も子供の頃には影絵を見たという記憶がありますが、残念なことに少し怖かったという印象しか残っていないんですよ」

 それは早良も感じていたことだった。

「うんうん」

 と頷いて、さらに先を期待していたが、今度は足利先生が口を開いた。

「確かに影絵は怖いと思われる人が多いかも知れません。どうしても、影を強調するために背景が夕日のようなイメージになってしまう。それは妖怪が出てくる時に見られる時間帯ですよね。だからその気持ちはよく分かります。しかし、私は怖いというのもひっくるめて、影絵を好きなんです。怖いというのは確かにあまり感じたくない感情だと思いますが、怖いものほど面白いと私は考えています。妖怪の話にしても、怖いけど見てしまう。それだけ引き込まれるものがあるということですね。それは怖いと思わせるものに対して引きこまれるのではなく、怖いということそのものに引きこまれているように私は思っています。だから私は影絵を子供たちに見せるために、全国をまわるということを考えるようになったんです」

 足利先生の言葉には、妙な説得力があった。

 早良にも似たような感情があったような気がする。そしてその感情は、

「感じてはいけないこと」

 として封印してきたと思っている。

 ただ、これは早良に限ったことではなく、他の人みんな同じではないだろうか。そのことを誰にも知られたくないと思う気持ちから、

――こんなことを考えているのは俺だけなんだ――

 と、言葉に決して出せない思いを、封印していたのだろう。

「では、そろそろ足利先生に影絵を披露していただきましょう」

 とリポーターは、明後日の方向に指を向けると、カメラもその方向に向きを変え、そこに現れた影絵のセットを写し出していた。

 ここまで来ると、さっきまでテレビを見ていた人たちは散り散りになっていて、どこかに行ってしまった人、雑誌を読んでいる人と、テレビを見ている人は少なくなった。

――やっぱり、影絵なんていうものに興味のある人はいないんだ。というよりも、怖いということをテレビで宣伝しすぎたことが原因ではないか。そうだとすれば、テレビ局も甘いよな――

 と感じていた。

 画面に映し出された映像は、確かに怖い印象だった。話を聞いていなくてもこの映像を見ただけで異様な雰囲気であることは誰にでも分かることだった。

「先生が用意できるまで、少しお待ちください」

 と、さらに待たせるのだから、テレビの画面から人が遠ざかるのも無理もないことだった。

 足利先生が用意している場面は映し出されない。当たり前のことだが、本当は視聴者としては、皆その姿を見たいのではあるまいか。早良はそう思うと、待っている間にその光景を想像している自分に気付いた。

 もちろん想像の域を出ることができないので、本当の姿とはかけ離れたものなのだろうが、早良にはそれでもよかった。目の前にそのうちに写し出された影絵を想像するだけで、何か過去の記憶を呼び起こされる気がしたのだ。

 早良は背景の夕日ばかりが気になってしまい、恐怖を拭い去れずにいた。夕日のバックに映し出される影絵に不気味さを感じながら見ていると、気が付けば背景は少し変わっていた。

 そこに見える背景はどうやら室内を映し出しているようだった。今回のテーマとなっている影絵の時代背景は、どうやら江戸時代の雰囲気のようだ。江戸時代の長屋をイメージしているからか、障子が出てきたのだ。

 バタッと閉まった障子の向こうには、やはり夕日と同じ明るさの背景が映し出されている。そこには人間の背景が映っているが、髪の毛の長さから老婆のような気がした。

 実際に老婆で間違っていなかったのだが、どうして瞬時にしてその場でその光景が老婆によるものなのか分かったのか、自分でも不思議だった。当てずっぽうというわけでもなく、明らかな自信がそこにはあった。老婆でなければいけない何かをその時に感じたのだろう。

 そのイメージがあってか、早良は夕日を見ると、その時に感じた老婆を思い出すのか、夕方になると、風のないのを感じた時、近くから老婆が自分を見ているのではないかという衝動に駆られた時期があった。

 その時期はそんなに長くは続かなかったが、それだけに、

――あれは夢だったんじゃないか?

 と感じさせるものであった。

 夕日を見つめていると、いつもは風を感じる。しかし、風をまったく感じない時が時々あるのだが、それが夕凪の時間であるということは分かっている。だから早良は夕方になると、

「今日は風が吹いているのかな?」

 と最初に感じるのが癖のようになってしまっていた。

 あまりにも無意識なので、風のあるなしを感じているという意識さえ、無意識だったりしているため、たまに風を意識する自分が、普段から風を感じているということに疑う余地も持っていなかった。

 早良は、夕方を意識するようになってから、夕方近くの方が最近では意識してしまうようになった。夕凪が怖いという意識がありすぎるからなのか、それ以前に意識が行ってしまっているのだろう。

 影絵を見たことを思い出していると、最近見た夢を思い出してしまった。

 普通夢というと、

「目が覚めるにしたがって忘れていくものだ」

 と思っていた。

 しかし、その夢も目が覚めた時には確かに忘れていたはずなのに、なぜ後になって思い出すことになったのか、自分でも分からない。

 実際に、今まで見た夢で、目が覚める時に忘れてしまった内容を、後になって思い出すなどということはなかった。思い出そうとする意識もなく、思い出せないまでも、思い出そうとする意識があったのなら、覚えていてしかるべきだと思っている。

 夢を見るということは、意識の中に記憶として残っているものが、ふとした瞬間、表に出ようという衝動に駆られるからだと思っていた。つまりは、記憶として残っていることでなければならず、意識がその記憶と呼び起こそうとするために動くだけのきっかけがなければいけない。

 早良にはその意識があったのだろう。そして記憶も……。

 早良は影絵の恐怖が夢の中に出てきた気がした。そして影絵の中で、障子がバッと開いた瞬間を思い出した時、そこに道化師が立っているのを見た。

 だが、いきなり道化師が立っていたわけではない。記憶を紐解いていくと、道化師がこちらに背中を向けて、ゆっくりと歩いていた。

 道化師というと、その風体そのままに、歩き方も滑稽なものだと想像していたが、それは勝手な想像である。道化師と言っても、普段は普通の人間、感情もあれば、鬱状態に陥ることもあるだろう。

 道化師がゆっくりと歩いているその光景は、昭和初期、いや、明治から大正に続く時代の雰囲気を感じさせた。小説で読んだ光景、さらにはその時代背景にのっとった、小説の映像化で見た光景を彷彿とさせる。

 舗装もされていない道路、家のまわりには板塀があり、垣根や石塀、さらにはブロックのようなものではなかった。

 板塀と舗装されていない道路の間には、溝を埋める板が何枚も連なっていた。まさしく映像で見た明治からいわゆる昭和の戦前と言われる時代までの光景だった。

 早良は夢の中とはいえ、道化師の動向をハッキリと見えていて、後ろから追いかけているという意識もあった。

 ただ、目の前を歩く道化師には追いかけられているという意識はないのか、まったく振り向こうとはしない。

 要するにまったくの無防備なのだが、その無防備に対して油断ができないと思った早良だった。

 無防備な歩き方ではあるが、隙のない歩き方でもあった。少しでも自分が横にずれたりすると、急に相手が振り返り、

「お前のいることは分かっていたさ」

 と言って、例の化粧を施した顔のまま、言われるのだと感じた。

 その声はどこから発せられるものなのか分からない。まるで喉の器官がつぶれてしまっているかのようなその声は、恐怖というよりも、ヘビに睨まれたカエルである自分が、まったく何もできずに捕まってしまっている様子を感じ取らせた。

「俺はこのまま食われてしまうんだろうか?」

 と感じさせるほどの恐怖なのだから、何も無理して道化師を追いかけなくてもいいはずだった。

「怖いもの見たさ」

 という言葉があるが、それとは違っている。

 怖いものという言葉とは次元が違っているように思う。怖いものの原点がどこにあるのか、それが問題なのだが、お化けや幽霊のたぐいとどっちが怖いのかと言われると、

「架ける計りがない」

 という返答しかできない気がする。

 目の前の道化師との距離も均等にしておかなければいけない。近づきすぎれば気配で分かるだろう。しかし、遠すぎても相手に却って意識させるかも知れない。それだけ注目する方も意識を集中させなければいけないのだから、その気配を相手が気付かないとも限らない。

 その日は晴れているはずなのに、途中から舗装されていない道が、ドロドロになってくるのを感じた。途中までは固い道の上に、砂塵すら舞っているかのような雰囲気だったのに、どうしてここまで急変してしまっているのか、理解できなかった。

 ただ、これが夢だということに気付いた最初の時が、この時だったのかも知れないと早良は感じた。

 夢を何度も限りなく見てきた自分が、夢を見ているという意識を感じたことがあるのはどれくらいだろう。数えるほどしかないような気がする。

 ただ、夢を見ているという意識を夢の中で封印してしまっているという意識は確かにある。それがどれくらいのものなのか想像もつかないが、夢を見ているという意識は確かにあったのだ。

 その時の共通性を思い出そうとするのだが、思い出せない。

「ひょっとすると、そんな思い出し方をすることで、せっかく思い出せるかも知れないという芽を摘み取っているのかも知れない」

 とも感じたことがあった。

 早良はその道化師を追いかけながら、

「あの人の素顔って、どんな顔をしているんだろう?」

 と考えた。

 以前、道化師の姿を見た時にも同じことを考えたはずだったのに、そのことをすっかり忘れている。

 忘れている原因は、

「あの時、道化師の顔が目の前にあって、しかも、それが偶発的に顔と顔が鉢合わせた感じだったんだ」

 という理由だった。

 思いがけず鉢合わせたことで、相手の顔に対しての意識が飛んでしまった。まず最初に感じたことは、

――相手に自分の顔を凝視されてしまった――

 ということだった。

 相手に凝視されてしまったことで、完全に自分の意志は消えてしまい、相手の言いなりになってしまう自分を感じた。そのことへの恐怖に、

――自分の意識をできる限り消し去ってしまおう――

 という意識が働いたに違いない。

 道化師というのは、そういう意識には長けているのだろう。その化粧から、相手に自分の心境を悟られないことは分かっているので、安心していることだろう。勝ったような気がしているに違いない。

 早良は道化師がゆっくり歩いているのをいいことに、少し余裕を感じながら歩いていた。

――どうせ追いついても仕方がないんだ――

 と感じたからだった。

 だが、歩きながら少しずつ道化師の歩みのスピードが速まってきていることに気付いていなかった。

 途中まで来ると、ちょうど四つ角に差し掛かる少し手前から道化師が急におどけたようにスキップを踏みながら、軽やかに角を曲がっていくのが見えた。

「しまった」

 思わず声に出してしまったが、早良も急いで道化師の後を追った。

「逃してなるものか」

 とばかりに小走りが本気の走りとなり、疾走している自分に気が付いた。

 道化師が曲がったその角まで、あと少し。その時、道化師が曲がってからどのような行動を取ったのかということを、ふと頭の中で考えている自分がいた。

 早良に追いつかれないように、早良が曲がってくるのを意識しながら、それでいて、少しでも角から遠ざかってしまうかのような様子が思い浮かんだ。

 その時初めて早良は、

「追われる人間の辛さ」

 というものを知った気がした。

 今まで自分が誰かに追われるという意識をしたことがない。学校の成績もあまりよくなく、いつも自分の前には人がいるのに、自分の後ろには人がいないという意識しかなかった。

 後ろから追われるという意識はなかったが、誰もいないことに不安は感じていた。それは追われるものの辛さとはまったく違ったものであることは自覚できていた。

「俺も追われてみたいな」

 という意識もあった。

 だが、基本的に追われることに慣れていないので、絶対に前がおろそかになってしまうことは分かりきっていた。

 早良はそんなことを考えながら進んでいくと、角まであと少しだと思っていたのに、なかなか角まで辿り着くことができない。

「どうしてなんだ?」

 と考えてみたが、その答えは見つからない。

「いや、何か答えを見つけないと、あの角まで辿り着くことができないようになっているんじゃないか?」

 と思うようになった。

 しかし、何をどう考えればいいのか分からなかった。そう思っている間に刻々と角までは近づいているはずなのに、辿り着くことができない。

「まるで堂々巡りを繰り返しているようだ」

 と思ったが、それこそが真理なのかも知れない。

「堂々巡りを繰り返すことは悪いことではない」

 と考えた。

「急がば回れ」

 という言葉もあるが、堂々巡りは正解を求めるために不可欠なものだと言えるだろう。

 だが、その正解というのがどこにあるというのか、早良は考えてみた。

「そうだ、正解なんて人それぞれ、皆が一つのことに向かう必要はない。だからこそ同窓巡りを繰り返しながら、自分の行きつく先を探っている」

 と考えれば、辿り着けないわけも分かる気がした。

 すると、さっきまで辿り着けないと思った角まで辿り着いた、一気にその角を曲がった早良だったが、そこには予期せぬ者がいて、

「ビックリして心臓が止まってしまうかのようだった」

 と感じた。

 早良の予想では、そこにひょっとして道化師が待ち構えているかも知れないと思い、心の隅に予感として持っていなかったわけでもない。だから、そこに人がいたことに対して、それほどの驚きはなかった。

 だが、そこにいたのはまったく想像もつかない人で、一瞬そこに、

「鏡があるのではないか」

 と感じたほどだった。

 つまりそこで見たのは自分の顔だった。

「いや、貌だったはずだ」

 一瞬、驚きから顔を背けた早良だったが、意を決してもう一度見ると、そこにはさらに驚くべき人が立っていた。

「のっぺらぼう」

 そう、目も口も鼻もない顔面が寸胴になっているのっぺらぼうだったのだ。

 自分の顔がそこにあった時の驚きはハンパではなかったが、そこにさらにのっぺらぼうがいたのも、別の意味で恐ろしいものだった。

「お前は一体誰だ?」

 と早良が聞くと、

「俺はお前さ」

 と口もないのに、喉が反応して声にならないような声を発した。

「俺はお前の未来の姿さ。絶えず過去にばかり執着しているお前と、未来のお前とではまったく違っているんだ。だが、未来のお前と言っても、実は同じ時代に存在しているんだぞ」

 と言われた。

「どういうことだ?」

「お前は今、道化師を追いかけてきただろう? あの道化師は実は今のお前なんだよ。未来のお前はこののっぺらぼうの俺というわけさ。そして、同じ時代に存在しているお前は、今のお前の存在を知ってしまった。そして自分だけが本当に自分だと思うようになったことで、俺が生まれたというわけさ。だから俺はお前を葬りに来た」

「俺は死ななければいけないのか?」

 死ぬことの恐怖よりも今の自分の立場を知りたいという衝動が強かった。

「元々お前という存在はないんだよ。だから、死ぬという概念ではなく、虚像は消え去るだけなんだ」

「まるで影絵のようだ」

 というと、

「その通り、道化師であるお前は道化師に戻るだけなんだ」

 とのっぺらぼうはそう言って、

「もう一つ教えてやろう。もう一人のお前、小泉という男なんだが、やつももうすぐこの世から消える。やつも元々存在していないやつだからな、その役目はさっきお前が見た道化師がやってくれる。つまりはそれぞれの時代のそれぞれの自分を、本当の自分が交互に葬りに行くということだ」

 まるで何を言っているのか分からない。

「心配するな。これはお前たちだけに起こったことではない。同じような人は五万といるんだ。これが一種の時代の裂け目とでもいうべきか、世界という次元の歪みを元に戻すために起こる何千年に一度かの出来事なんだ。自分でも自覚があるだろう? こんな世の中なくなってしまえばいいと思ったことも無数にあるはずだ」

 やつの言う通りだった。

 早良は自分一人で十分だと思っていたこの世界だが、消えてなくなるのが自分たちだけではないと聞いた時、少なからずの安心感があった。

「生きるって一体何なんだろう?」

 最後は本当に当たり前のことを考えてしまった早良は、永遠にその後悔をし続けるのだろうか?


                  (  完  )

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異次元同一時間 森本 晃次 @kakku

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