第3話 早良氏
小泉に声を掛けられ、のっぺらぼうのことを聞かれた早良だったが、彼は彼で、子供の頃からのトラウマのようなものを引きづっていた。
早良は子供の頃、近くの公園に大きなテントが立ち、そこでサーカスが行われたことを今でも覚えていた。
人の顔を覚えられないという致命的な欠点を持っている小泉と違い、早良には実際の記憶が断片しか残っていないという、これも致命的な欠点があった。
「どっちの欠点がより致命的なのか?」
と、聞かれても、一概には一言で言い表せっることではない。
二人の性格、育ってきた環境、そして時代背景。それぞれが多様に絡んでくるからだった。
早良は子供の頃の記憶を、小泉ほどハッキリと覚えていない。理由はハッキリと分からないが、一つ言えることは、
「俺の記憶の小さい頃というのは、何十年も前の時代だったような気がするんだ」
というものだった。
小泉や早良の小さい頃の記憶といえば、今から十数年前くらいのものなので、少なくとも二十一世紀には入っていたはずだ。しかし、早良の記憶というと、まるで昭和後半くらいの意識が強く、時代背景としては、高度成長時代の終わり頃に近いものだったようである。
「それって、父親の持っている記憶くらいなんじゃないか?」
と言われると、
「確かにそうかも知れない。俺の親父は五十歳前後なので、高度成長の終わり頃にちょうど、親父が小さかった頃になるんじゃないかな?」
小泉もそう言われて、早良と一緒にい頷いた。
早良は小泉と同じで、ミステリーを読むのが好きだった。早良の読むミステリーは、最初こそ小泉と同じように戦前から戦後にかけてのものが多かったが、途中から社会派小説を読むようになった。
ちょうど時代が高度成長時代から、一段落して公害問題や貧富の格差が問題になってきた時代をターゲットにした小説が多かった。時代にして、昭和五十年代前半、今から三十数年前といったところであろうか。
早良が小さい頃の記憶が薄いため、小説を読むことで、その時代がまるで自分の過去だったような錯覚に陥るというもの仕方のないことなのかも知れない。近くに大きな公園があったというのも、そこに大きなテントがあったというのも、実際の自分の記憶なのか怪しいものだった。
だが、そのテントに入ったという記憶もないのに、テントの中で何を見たのかということだけは、なぜか鮮明な記憶の中にあった。
「あれは、確かにサーカスだった」
生まれて初めて見たサーカス。
いや、後にも先にもサーカスなど見たのは、あの時だけだった。早良はサーカスが好きだというわけではない。むしろ興味があるわけでもない。他の子供のように無邪気に楽しめたわけもないのだが、もし楽しめたように見えたのだとすると、それは晃かな演技だったはずだ。
演技をするというのは、早良にとってはこの上ない苦痛であった。楽しくもないのに楽しいふりをする。一体誰のために、そして、何のためにである。
そんなふりをしてまで自分に何の得があるというのだろうか? 損得のみで行動するわけではないのだろうが、損得勘定が記憶の中で一番鮮明に残るはずである。
損得勘定は記憶の中に残っていない。それを思うと、
「記憶を司る意識は、損得勘定なくして存在しえないものなのかも知れない」
とまで感じたほどだ。
だが、それは早良の勝手な思い込みだった。自分が記憶できないことを正当化させようとする理屈に損得勘定を入れこんだのは、あまりにもこじつけであることは分かっていたような気がする。その証拠にこの考えを誰にも話す気もなかったし、話したところで、
「一蹴されるに違いない」
と分かっていたことだろう。
だが実際に記憶として鮮明に覚えていなければいけないはずのことすら、まったく記憶の片隅にすらないこともたくさんあった。
「お前、あんなに衝撃的だったことなのに、覚えていないのか?」
と、ショッキングなことに一緒に出くわした人からはそう言われて、呆れられることも少なくなかった。
特に早良をビックリさせたのは、小学生の頃、一緒に帰っていた友達とちょうど学校の近くの国道で大事故を目撃した時のことだった。
「ガッシャン」
遠くで大きな音がした。
そしてそのすぐ後に、
「プッシュ―ッ」
という糸を引くような音がしてきた。
これが猛スピードで金属が衝突した時の音であることをその時に分かっていたような気はしたが、とにかく音の激しさに、身体がすくんでしまって、金縛りに遭ったかのような気持ちになった。
「おいおい、車の正面衝突らしいぞ」
という声がまわりから聞こえてきた。
その頃には実際に音が鳴った時から少し時間が経っていて、少し止まってしまった時間が動き出してからも少し経っていたようだった。だが、金縛りに遭ってしまった早良は、まるで一瞬前に響いた音であるかのように耳の奥に響いている金属音が、ずっと耳に残って離れない。
野次馬がどんどん増えてきて、放心状態の早良と友達の横を、何人もが通りすぎて行った。
我に返って、早良と友達がやっとの思いで身体を動かして事故現場に着いた時、何重にも重なった人の壁があったが、子供ゆえに足元からすり抜けて一番先頭にやってくると、そこには惨憺たる情景が目の前に飛び込んできた。
原型をとどめていない車、そして、車の正面から立ち上る煙、周囲には異様な臭いが立ち込めていたが、それがどうやらエンジンから漏れ出したガソリンであるということを知ったのは、後になってからのことだった。
「何だ、これは」
初めて見る惨憺たる光景に、どこからこんなに集まってきたのかと思えるほどの野次馬がまわりを占拠していた。
早良は座りこんだまま前にも進めず、ずっと様子を眺めていたが、しばらくすると、
「ウーウー」
という音に混じり、
「ピーポーパーポー」
という二種類の音が確認できた。
その頃まで救急車とパトカーのサイレンの微妙な違いを考えたこともなかったのでどちらがパトカーなのか分からなかったが、一緒に聞こえてきたことで、その状況がさらにただ事ではないことが分かった。
野次馬の声が幾重にも重なり、何を言っているのか分からない。いわゆる「騒々しい」という状況なのだろうが、そんな状況、それまでにも何度も経験したことはあったはずだ。
それなのに、声が幾重にも重なって聞き取りにくい状況を、
――こんなの初めてだ――
と感じた。
そして、その後にも同じような騒々しさは何度も経験しているが、あの時ほど騒々しさを意識したことはなかった。それは、まるで騒々しさというのが自然現象であるかのようで、毎日でも味わっているかのようにまったく違和感なく受け入れることができていたことだ。
本当であれば、そっちの方がおかしな感情のはずなのに、騒々しさに違和感を覚えたあの時だけがおかしな状況だったなどと思っている自分が不思議だった。
ただ、そんな感情を思い出すことはなかった。
――いや、あの後に一度だけあったような気がしているんだが、いつのことだったのか、すっかり分からない――
と感じていた。
しかし、この時の分からないという感覚は、
「忘れてしまった」
という感覚で、
「覚えていない」
という普段から感じている思いとは違うものだった。
忘れてしまったという感覚は覚えていないという感覚に比べると、明らかに少なかった。覚えていないという感覚ほど曖昧なものはないにも関わらず多いということは、本当に記憶がどこかに飛んでしまったということを表しているのだろう。
早良は、
「俺は時々目の前が急にモノクロになってしまうことがあるんだ」
と、小泉に話した。
それまでにも何度もあったことなのに、小泉以外の誰にも話しをしたことがなかったのは、それだけ心を寄せることのできる友達がまわりにいなかったからだろう。
早良は思う。
――人生のうちで、どれだけ心を寄せることができると思う相手に巡り合えることができるのだろう?
しかし、出会うことができる前に、出会うことができる機会がなければ、それも成立しない。大学に入学してたまたま小泉と知り合ったから、その機会に恵まれたのだろうが、知り合う機会がなければ、それも叶わなかったはずである。
また、心を寄せることができると思った相手に知り合う機会があったとしても、本当にその人が自分の期待に適っている相手なのかどうか、その見極めも難しいところだ。本人はそのつもりでも相手がそのつもりでなければ、
「知り合わなければよかった」
と却って後悔してしまう結果にならないとも限らない。
それを思うと、
「人の一生で出会うタイミングなど星の数ほどあるのに、その中から本当に知り合いたいと思える人に出会えるのは、それこそ砂丘で宝石を見つけるようなものなんだろうな」
と感じた。
小泉と出会えたのを、
「たまたま」
と簡単に口にしたが、本来であればそんなに簡単に口にできる言葉ではなかろう。
しかし、早良はそれを簡単に口にする。
「それだけ小泉との出会いはセンセーショナルなもので、たまたまなんて言葉では片づけられないのを分かっていて、簡単に使えるというのも、相手が小泉だからだ」
と考えていた。
そんな小泉なので、自分が真剣に話したことを一蹴されたり、上の空で聞かれたりするとショックも大きいだろうと思っていた。小泉という男は、早良が思っていたように、自分の話を一蹴したり、上の空で聞くことのない男だった。だから、
「そんなショックを感じることもないだろう」
と思っていたが、早良がモノクロの話をした時、小泉はどこか上の空だった。
――あれ?
早良は少し動揺したが、なぜかショックではなかった。上の空ではあるが、一蹴することはなく、小泉は小泉で何かを考えているように思えたのだ。
二人の間の溝を感じた瞬間だったが。不思議と寂しさやショックはなかった。それまで何もなかったのが不思議なくらいで、今までになかった小泉を見ることができたと思い、それはそれで新鮮な気がしたくらいだった。
だが、それも最初だけで、
「そっか、モノクロに見えるんだ。実は俺も同じような経験をしたことがあったので、その時のことを思い出していたんだけど、きっとそれは君が感じたモノクロのイメージとは違っていると思うんだ」
と小泉は言った。
「それは、どちらかが変わっているということになるのかな?」
と聞くと、
「どちらかが変わっているという言い方をするんだったら、むしろ、二人とも変わっていると言った方がいいように思うんだ。元々モノクロに見えるということをお互いに誰にも話をしたことがないのは、自分の中でその経験が他の人にはない変わった経験であるということを意識していたからなんじゃないか?」
と小泉は言った。
「小泉くんは、自分が変わっているという自覚はあったのかい?」
「俺にはなかったよ。でも、他の人も同じような経験をすることはないだろうと思ったんだ」
「でも、俺も君と同じ経験をしているだろう?」
「そうじゃない。一言でモノクロに見えるというだけで、お互いにどのような状況で見たのかって話をしているわけではないだろう?」
「確かにそうだ」
「いつ、どこで、何時頃、どんな状況で、お互いにいくつくらいの時、そして、その予感があったのかなかったのか……。もっと上げればたくさんあるかも知れないけど、その時の状況が少しでも違えば、同じ経験だとは言わないんじゃないかって俺は思うんだけど、違うかい?」
と小泉に言われて、
「確かに」
としか言えなかったのは、小泉の言い分には一理あり、正論だとは思うが、どこかしっくりと自分の中で受け入れて消化できる気がしなかった。
「どうやら、しっくりと来ていないようだね」
と小泉に看破されたが、
「そこまで厳密に考える必要があるのかな?」
早良が小泉を気に入ったのは、あまり細かいところを気にしないところがあることも理由の一つだったので、そんな小泉の言葉とは思えない内容が、その口から語られたことに納得がいかなかったのだ。
「厳密ではないんだよ。俺の言っていることは正論のように感じているから厳密に思えるんじゃないかな? 俺はそんなに細かい人間ではないことは君が一番よく分かってくれていると思ったんだけどな」
「じゃあ、どういうことなんだい?」
「感じ方は人それぞれ、厳密という意味ではなく、自由な発想だって思ってほしかったんだけど、少ししつこかったかな?」
と言われて、
「いや、それならいいんだ。俺の方こそ少し意固地になりかけていたのかも知れないな」
と早良は苦笑いをした。
この時の苦笑いは、自分の非を認める時の苦笑いではない。どちらかというと照れ隠しの時に使う苦笑いだった。小泉はそんな早良を見てニッコリと笑ったので、どうやら早良の気持ちが分かっているようだった。
「ところで、君がモノクロに見えたその時というのは?」
と聞かれたので、いよいよ交通事故を目撃した小さい頃のことを話し始めた。
「そっか、記憶は薄いものだったんだ」
小泉は、早良の話を聞いて、早良が何を言いたいのかが分かったかのように、記憶の話を始めた。
その頃の早良にはまだ交通事故の記憶はうっすらと残っていた。しばらくしてから、
「交通事故を見た」
という記憶はあるのだが、人に話ができるほどの記憶が残っているわけではなくなっていた。
「記憶は薄いんだけど、印象の深さは大きなもので、結構なショックだったと思うんだ。インスピレーションのすごさとでも言えばいいかな?」
と早良はいうと、
「でも、そのせいで君はモノクロに見えるようになったって思っているんだろう? それは記憶よりも意識の方を表に出そうとしている表れなんじゃないかな?」
と小泉が言った。
「記憶よりも意識?」
「ああ、人によっては、意識よりも記憶を大切にしようと思っている人もいる。君とは逆の感覚でね」
「それは忘れたくないからということ? ということは逆に言えば、忘れっぽい性格なので、忘れたくないことを必死で覚えておこうという意識が強すぎるということかな?」
と言って、早良は苦笑した。
――記憶しておきたいというのは、意識の表れだよな――
と感じたからだ。
それは、まるで禅問答のようで、考えが堂々巡りを繰り返してしまいそうな要素を含んでいるような気がして、早良は苦笑したのだった。
小泉はその気持ちを知ってか知らずか、敢えてそのことに触れようとしなかったのか、話を続けた。
「忘れたくないという記憶がすべてじゃないからね。忘れたいと思っていることも、えてして忘れられないものだったりするんだよ」
と、小泉は冷静に答えた。
その時の交通事故のイメージを思い出すと、今度は別の記憶がよみがえってくる。
あれはもっと昔のこと、小学校に上がる前だったか、意識として残っているのは、幼稚園の先生の家に遊びに行った時という思いだった。
先生の家は旧家であり、大きな庭には蔵があったり、奥には広い田畑が広がっていた。その場所を覚えてはいるが、きっと今見ると、
「もっと大きかったような気がするな」
と感じることだろう。
実際に小学生の頃というと、低学年の頃に見たものを五年生くらいになって久しぶりに見ただけで、
「こんなに小さかったんだ」
と感じるほどだった。
その思いは最初に感じるもので、時間が経ってから感じるものではなかった。一種の直感のようなものだったに違いない。
果たして幼稚園の頃の記憶なのだが、低学年の頃の記憶よりも近いように感じられるのはなぜだろう?
とっさに思い出したからなのだろうか?
そう思うと、人間の記憶って曖昧なように見えて、実は緻密なものなのではないかと感じられるようになっていた。
まだ幼稚園生だった自分には、そんな大きな家というのは想定外で、まるで遊園地にでも来たような意識だったのかも知れない。
しかし、後になって考えてみると、実際には今の自分が意識できるくらいの大きさだったように感じたと思えてならない。小さく感じたり大きく感じたりできるのは、あくまでも自分の想定内ことであり、想定外のことには対応できず、見た目そのままが実際の大きさだったと言われると、納得してしまう自分がいるのだった。
母屋は新築だったようで、綺麗な洋風の建物だった。まるで先生が静養のお城に住んでいるお姫様のように感じられたのは、後になって思い出したからなのだろうが、家の大きさと先生の雰囲気に違和感がなかったということは、その頃から先生の中にある雰囲気を感じていたに違いない。
ただ、母屋以外はというと、昔からの旧家のイメージそのままだった。舗装されていない中央部分は、昨日降った雨の後がクッキリと残っていて、タイヤの大きな溝がそのまま地面に残っていた。
「確かに納屋で遊んだ記憶はあるんだ」
思い出しながら、早良は納屋の様子を思い出していた。納屋は思ったよりも明るく、開けっぱなされた至るところから、風が吹き込んでくるのを感じた。同時に異様な臭いも残っていて、
「牛の声でもしてくるんじゃないか?」
と思ったのを覚えていた。
普段から、誰もが覚えているようなことを覚えられないくせに、たまに思い出すことはなぜかハッキリと覚えていることが多い、たまに思い出すから覚えているのかも知れない。たまに思い出すということは、思い出したいという確固たる意識が存在しているからではないだろうか。そう思うと、先生の顔が思い出せないのが不思議だったが、相手が先生だったということはしっかりと覚えている。先生の顔を忘れてしまいたいという思いがあったのだろうか?
そういえば、納屋の中で、開いている扉の手前に誰かの顔が自分を覗き込んでいた。完全に逆光になっていたので、それが誰の顔なのかハッキリとはしていない。
「あれは先生だったんだろうか?」
先生の家に遊びに行ったのは早良一人ではなかったので、先生だったという証拠はないが、先生以外には考えられないという思いがあり、その時に先生の顔を確認できなかったことが、今となって先生の顔を思い出せない最大の理由ではないかと思うのは、乱暴なことではないだろう。
さらにその日、何もなければ先生の家に遊びに行ったという意識も、後から思い出すほどのものではなかったはずだ。
「忘れてしまいたくない」
という思いが心のどこかにあったから、忘れることがなかったに違いない。
そう思うと何を忘れてしまいたくないのかを考えてみたが、やはりそれは先生の顔だったのではないかと思えた。それなのに思い出せないということは、忘れたくないという思いよりの強い何か、たとえば、
「覚えておきたくはない」
と思わせる何かがあったのだと考えると、理屈には合っているだろう。
早良は、納屋を見ると、血の臭いを思い出すのだった。鉄分を含んだ臭いが充満していて、充満しているにも関わらず、意識しているのは自分だけ。つまり血の臭いを嗅いだのは自分だけであり、他の人に分からないようなケガをしていたのかも知れない。
早良は、その日の記憶を本当になくしていた。
「忘れてしまいたい」
という意識があったから忘れたわけではない。本当に忘れる理由があったからだ。
「あの日、お前はケガをして、救急車で運ばれたんだ」
と、後になって友達に教えてもらった。
その友達はその日、一緒に先生の家に遊びに行っていた友達だったが、どうやら、彼の親からその日のことは、
「絶対に誰にも言ってはダメよ。特に早良君にはね」
と言われていた。
「どうしてなの?」
と聞くと、
「誰にでも触れられたくない過去というものがあるのよ。後になって蒸し返すことなんかないわ」
と言われた。
どうやら、早良の両親から、口止めの圧力が掛かっていたようだ。それを思うと、その日ケガをしたのは、早良の両親に無関係ではないように思えた。まさか先生に頼んでケガをさせてくれなどと言われるわけはない。ただ、ケガをしたことで何かを忘れる要素になったのだとすれば、そこに両親の何かの思惑が見え隠れしているんだとすれば、早良にとっても忌わしい過去以外の何物でもないだろう。
その時の早良の両親は、早良に何かを忘れてほしいという意識があったようだ。まさかケガをすることを望んでいたいたわけではないだろうが、心の奥に住んでいる悪魔が顔を出していたことは確かなことだったのだろう。
そのことを誰も知らない。両親もきっと、
「この思いは墓場まで持って行こう」
と思っているはずだ。
まさか、息子が何となくだが、気付いているなど、想像もしていないだろう。
しかも皮肉なことに、先生の家での納屋での事件がなければ、両親への不信感も、
「忘れてしまいたい」
と思うこともなかったはずだ。
その思いが早良に事実を封印させ、封印が解けるとその時には、両親の思いと、自分たちの甘さが露呈してしまうことを知る由もなかった。
「俺はあの時、何かを見たような気がする」
何を見たのか、想像もつかなかった。
きっと、両親の思惑が何であったのかを知るよりの、その時何を見たのかを思い出す方が困難ではないかと早良は思っていた。
しかし、実際にはその時に何を見たのかを思い出す方が難しくはなかった。ただ、それを思い出すことで、その時の全貌を思い出すためには、二重、三重に張り巡らされた難関を解き放たなければいけないことになるというのを、まったく知らなかったのだ。
そういう意味では両親の思惑から考えてみる方が、全貌を解き明かすという意味では簡単だっただろう。
また思い出すという意味でもそっちの方が簡単のはずだった。しかし、それをしようと思わなかったのは、両親への思いであり、それは決して配慮や遠慮というありきたりなものではなかった。
早良は両親に対していい思いを抱いていない。それは、小泉も同じであったが、その根っこは小泉よりも深かったことだろう。
早良が、
「忘れてしまいたい」
「覚えていたくない」
という思いをそれぞれ抱いたのは、そんな複雑な両親への思いがあったからだ。
だが、それぞれをうまく使い分けるほど自分のことを理解できているわけではない早良は、
「どうしても覚えられない」
という思いが頭の中にあり、忘れてしまいたいという意識よりも、覚えていたくないという意識の方が強いのだということは自覚していた。
先生の家で感じた鉄分を含んだ血の臭い、交通事故で感じた臭いと一緒になり、
「血の色って、どす黒いものなんだ」
と感じるようになった。
その思いがモノクロの方がより気色悪さと恐怖を煽るのだと感じさせる要因となったのだ。
ただあの時の記憶は自分のケガが原因だったのだ。友達数人と先生の家に遊びに行って、納屋で遊んでいた記憶はあった。その時の記憶としてハッキリと分かっているのは、
「何て急な階段なんだ」
という感覚だった。
昔の木造家屋などは、今の時代では考えられないほど階段が急だったりすると聞いたことがある。どうしても限られた建物の中で場所を取らずに階段を作るには、急な設計が必要だったのだろう。
昔の階段は、今の階段のように、途中で曲がっていたり、折り返したりしておらず、一つ上の階まで一直線に伸びている構造になっている。そのために急になっているのは仕方がないのだろうが、その時の納屋は、さらに急だったのだ。
友達が先に立って、納屋の階段を上っていく。それを後ろから追いかけるように昇っていくのが早良だったのだが、やはり最初というのは度胸がいるもので、幼稚園生の中でもリーダー格の少年が一番先頭を上り始めた。
彼が最初に昇ることに対して、誰も異論はなかった。
もっとも、その時に誰が先頭であっても、文句は出なかったような気がする。少なくとも早良には誰が先頭でも文句はなかった。もし、誰も先頭を名乗り出なければ、自分が最初でもいいと思ったくらいだった。
普段なら、決して先頭など行きたくないと思うはずなのに、その時の早良には何か開き直りのようなものがあったのかも知れない。
最初に昇り出した人が、当然のことながら最初に一番上まで着いた。そして次々と到着しているのを見ると、
――最後というのは、失敗だったかも知れないな――
と感じた。
最後まで力を使わなければいけないことを後悔していたのだ。
その時、ふと早良は下を向いてしまった。
「うわっ」
思わず声を立ててしまった。
「こんなにまで高いところに昇ってきたのか」
思わず目がくらむのを感じた。
上ではすでに到着した連中は、まだ階段の途中にいる早良のことなど、誰も気にしている人はいなかった。
その意識は早良にはあった。
――俺だけが宙ぶらりんなんだ――
と思うと、急に指先が痺れてくるのを感じた。
頬に冷たい風を感じて、スーッと力が抜けていた。
だが、その時の納屋は冷たい風が吹いてくるような環境ではなかった。表は蒸し暑く、風もない空間に階段は掛けられている。
――汗を掻いていたから、冷たい風を感じたのかも知れないな――
と後で感じたが、冷静になって考えても他に何も思い出すことはできなかった。
その時にふと感じた生暖かい、いや、生臭い臭いがあった。魚や動物のような生臭さではない。どちらかというと、鉄分を含んだ熱を持っているかのような感覚だった。
――この思い、どこかで――
と感じたが、その時が初めてだったのは間違いない。
ではどうしてそう思ったのかというと、それ以降でも同じような感覚に陥ることのあった早良には、この思いが頭の中でループしていることに気付いていた。
「ふとしたことで、思い出してしまうんだ」
そんな言葉がピッタリであり、この時の臭いが、幼い頃からの早良にとってのトラウマとなってしまっていた。
その生臭い臭いは、早良の口の中からしてくるようだった。それからその臭いを最初に感じた時、いつも反射的に感じる口の中の臭い。やはり、間違いないようで、それまで掻いていなかったはずの汗を感じると、あの時のような頬に当たる冷たい風を感じたのだった。
その時、目を閉じてしまったのだが、目を開けると、急に別の人の顔が目の前にあり、その人の顔に見覚えがなかったことを自覚していた。そして感じたのは、その人の顔がえげつなく歪んだ唇を見せたことへの恐ろしさだった。
歪んだ唇から、異様な臭いが漏れてきた。
――これは――
そう、さっきまで自分の口の中に感じていた鉄分を含んだ気持ち悪い臭いだった。すると、その人の歪んだ唇の端から、真っ赤なドロッとしたものが溢れてくるのが見えた。
――血だ――
その時、幼稚園生の早良にそこまで理解できたのかは分からないが、血だと思った次の瞬間に、モノクロに景色が変わってしまった。
これも後から感じたことだが、
「血だと思った瞬間、恐ろしさから、真っ赤な色を否定したいという思いが頭を過ぎったのかも知れない」
という思いだった。
そう思うと、交通事故を目撃した時にモノクロに感じたあの感覚は、飛び散った鮮血を見て、
「あれを真っ赤な血だと認めたくない」
という思いが頭を過ぎったのではないかと感じた。
だが、よく考えてみると、真っ赤な鮮血よりも、モノクロのどす黒いドロドロとした液体の方がリアルな感じがして気持ち悪い。
「目の前に写る現実の世界が、本当の世界だと誰が言えるのだろう?」
と、早良は考えた。
リアル過ぎない方が気持ち悪いこともあると思えた。真っ赤な血よりもモノクロの血の方が早良にはリアルだった。それはきっと、一番最初に感じた血を見た時、思わずモノクロに感じたことで、自分がリアルと否定したいと思ったからだと感じていたが、実際は逆だった。
リアルさを求めるよりも、それを否定しようとして想像した方が、リアルな創造物となってしまい、余計にドロドロとした恐怖を、自分に植え付けてしまうのだろう。
目の前で飛び散った血に色がなければ、立体感も感じられない。ただ、そこにあるものが何であるか、分かっているにも関わらず、その微妙な色の違いにも気付かない。いや、気付かないように自分で仕向けているのだ。それが余計な恐怖を煽ると、自分で分かっていないのだろうか。それが早良にとっての特徴であり、短所なのかどうなのか、分かりかねるところであった。
早良はその時の記憶を、普段はまったく意識していない。それなのに、いきなり意識してしまうことがある。
それも時々起こることであるが、定期的というわけではない。
ある瞬間に感じるものなのだろうが、その共通性をいまだに知ることはできない。
「今分からないんだから、きっとずっと分かるわけもないよな」
と、自分に言い聞かせてみた。
その返事を言い聞かせた自分がしてくれるわけもない。本当に言い聞かせる相手である自分がいるのかどうかも分からないのだ。
交通事故の目撃と、幼稚園の時に感じた血の臭い。幼稚園の時に血の臭いを感じた時、友達が階段から落ちたらしかった。
早良は自分もその時、気を失ってしまったことで、その後の騒動をまったく知らなかった。どうやら救急車がやってきて、病院に担ぎ込まれたらしかった。大したケガではなかったので数日間の入院で済んだようだが、その時の修羅場のような事態を、気を失いながらも遠い意識の中で分かっていたかのように思う。
その証拠に、救急車のサイレンを感じた時、またしてもあの血の臭いが感じられてしまう。
――こんな思い、俺だけなんだろうな――
と思っていたら、どうやらそうでもないことが分かった。
誰もが自分の中だけに抱えていることというのは、えてして話をしてみると、共感できることが多いのかも知れない。それまでは、
――誰にも知られたくない思い――
と感じていたものが、ひとたびまわりに知られると、
「もっと早く共有したい気持ちだったな」
と言って、お互いの気持ちを開放させることへの喜びが生まれてくるのだということに気付くというものだった。
だが、交通事故の時の記憶はさておき、幼稚園の頃に味わった先生の家に遊びに行って、納屋でケガをした友達がいたという記憶は、本当に自分の記憶だったのかと、年齢を重ねるごとに強く感じるようになっていた。
年齢は重ねるもので、減っていくものではないので、明らかに記憶からは遠ざかっていて、薄れていくものであることに違いない。それなのに、急に鮮明に思い出してみたり、思い出したはいいが、肝心な何かが抜けているように感じたりするのは、明らかに何かの力が導いていることのように思えて仕方がなかった。
「あれは、本当に俺の記憶なんだろうか?」
と、早良は次第に記憶自体への疑問を感じるようになった。
だが、その鮮明さは記憶に間違いはないと思わせる、だとすると、記憶を持っているのが本当は自分ではないと考えることも無理のないことのように感じられた。
早良は、その時に自分がケガをしたという意識はない。しかし、その時の納屋の記憶がよみがえってきた時、なぜか顎の下がヒリヒリして、痛みを感じるのだった。
「なぜなんだろう?」
どちらかが本当のことなのだろうが、記憶だけでは判断できない。その時のことを知っている人は早良のまわりにはすでにいなくなっていた。
その頃のことを知っているとすれば、それは母親ではないだろうか。幼稚園の先生も、その時に一緒にいた人も、すでに早良のまわりにはいない。先生の家に一緒に遊びに行った友達が誰だったのかということすら、分からなくなっていた。
その時のことを唯一知っていると思われる母親に一度聞いてみたことがあったが、
「もう忘れたわよ。一体いつのことを言ってるの?」
と、相当昔の記憶を呼び起こさせようとしているかのように聞こえた。
早良くらいの年齢であれば、幼少の頃の記憶というと、かなり前のことになるのだろうが、実際には早良が訊ねたのは中学の頃、まだ十年も経っていないくらいの頃のことなので、大人にとって、そんなに簡単に忘れてしまって、
「いつのことなのよ?」
などと言えるほど古い記憶になるのだろうか?
確かに母親はここ十年の間にいろいろなことがあったようだ。
勤めていた会社を辞めて専業主婦になり、育児や家事に追われる毎日だったはずなのに、早良が小学校の高学年に上がった頃、父親の浮気が発覚。それ以降の家庭は完全に変わってしまった。
誰も何も口にすることはない。何を考えているのか分からない毎日を送っていた。遠慮というものがこれほど苦痛なことだとは知らなかった。早良が自分で遠慮だと思っていることも、本当に遠慮なのか、自分でもよく分かっていなかった。
そもそも、遠慮って誰にするものなのだろう?
母親に対して? それとも父親に?
遠慮してほしいと思っているのはこっちの方だ。自分は何も悪いことをしているわけではないのに、大人の都合で神経をすり減らすかのような立場に追いやられるのは溜まったものではない。
学校でも次第に無口になっていく。元々、喋る方ではないので、無口になっていっても、誰もその変化に気付かない。それはそれで悲しいものだ。
だが、それでも早良には関係なかった。下手に慰めの言葉などを掛けられると、どんな気持ちになったことだろう。きっと自分に対して相手が優位性を示していることに気付いてしまうと、自分が惨めになるだけで、自分の存在が相手を引きたてるためだけにあるのだと思うと、これほど情けないものはないに違いない。
小学生の早良にそこまで気付いていたとは思えないが、後になって思うと、そこまで考えてしまう。
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