第2話 のっぺらぼう
小泉は自分が小説を書けるようになったことが嬉しかった。中学入試に成功した時とはまた違った喜びだった。一番の違いは、中学入試の時はまわりが祝福してくれたが、小説を書けるようになった時は、誰もそのことを知る人がいなかったということだ。中学入試に成功した時の喜びは中途半端なものではなかったが、それは逆にプレッシャーになっていたことを、その時の小泉は知らなかった。
実際に入学してまわりが自分よりも成績のいい連中で、それまで、
「自分よりも上はいない」
とまで思っていた小学生時代が当たり前のように思っていたので、その時の戸惑いも中途半端ではなかった。
確かに自分よりも上の人はほとんどいなかった。いたとしても、彼らは自分から上だとはまわりに言わないだろう。自分の気配を消すかのようにひっそりと佇んでいて、虎視眈々と獲物を狙っているかのようなイメージだ。それは小泉も同じことで、小泉自身にしか自分のことは分からないと思っているからこそ、彼らの雰囲気を察することはできても、何を考えているかなど、想像するだけ無駄なことは分かっていた。
それだけに、彼らと競争するということは最初からしない。元々目標が違っているのだから、競争心を抱くこと自体無駄なのだ。だから、学校で競争相手がいるとすれば、それは自分よりも下の連中であり、競争相手にもならないと思っていたのだ。
しかし、今度は選ばれた人間が集まってくる場所だ。そんなことは最初から分かっていたはずなのに、実際に入ってみると、
――俺もあんな感じなのか?
と、自分を客観的に見ることが多かった小泉には、彼らの雰囲気が客観的に見た自分とあまりにもかけ離れていることにビックリした。
小泉の成績はあっという間に落ちていった。
入学してからの一学期は、中の上くらいだったはずなのに、二学期を終えた頃には、下の方にいた。一年生を終える頃には、進級すら危ういところにいたのである。
小泉の入学した学校は、中高一貫教育で、中学から高校へはエスカレーター式で入学できるのは、以前にも書いた。
しかし、他の学校にはない中学での進級できるかどうかのラインは、この学校には存在する。
「義務教育というのは、公立中学に言えることなんだよ」
と言っていた人がいたが、確かに私立の、しかも名門中学校であれば、学年の進級に落第があったとしても不思議ではない。
ただ、言葉としては、落第という言葉を使っていない。
「留年」
という言葉を使うようにしているのは、文科省への配慮であろうか。
聞こえはよくても落第は落第だ。一定の成績を摂れなければ進級はできない。それが進学校として当然のことなのかも知れない。
小泉の成績が一気に落ちた理由は、分かっていたはずの進学校の現実を、実際に味わってしまうと、戸惑いが隠せなかった自分に対しての思いが一番の理由だった。
「こんなはずではないのに」
という思いが戸惑いになり、戸惑いがいつの間にか成績を押し下げていた。
要するに自分に自信がなくなったのだ。
自分に自信がなくなると、不安が襲ってくる。しかも、その不安は言い知れぬもので、どこから襲ってくるのか分からないから余計に不安になる。そもそも不安の何が恐ろしいのかというと、どこから来るのか分からないから恐ろしいのであって、その理屈が分からない以上、不安と自信喪失のループが頭の中を巡ってしまうのだ。
小泉はその頃から自分を客観的に見るという意識を忘れてしまっていた。だが、自分を客観的に見るという行為は、元々意識してするものではない。意識していないだけで実際にはしていることで、それを忘れてしまったことで、自分が何を恐れているのか分からないことで不安が募ってくるのだった。
「もう、どうでもいいや」
と思ったこともあった。
成績が悪くなったことで、母親も父親も心配しているようだが、何も言わない。何も言わないというのは、それはそれで不安を煽るものだ。
――一体、何を考えているんだろう?
またしても自分を他人事のように見ようとしてしまう。
ただ、この時の、
「他人事」
というのは、
「自分を客観的に見る」
という発想とは少し違っている。
客観的に見るというのは、あくまでも自分を一人の人間として冷静に見ることができるということだ、しかし、他人事のように見るというのは、自分を冷静に見ることができない。冷静に見ることができないから他人事のようにしか見ることができないということを意味していて、逃げの意識が強いのかも知れない。
だから、両親が何を考えているのか分からないのだ。ひょっとすると、自分をその時に客観的に見ることができていれば、両親が何を考えていたのか、すべてが分からないまでも、一端くらいは垣間見ることができたかも知れない。
その時の小泉には、一端でも構わなかった。すべてが見えるよりも、むしろ一端が見えたくらいの方がちょうどいい。自分のことすら分かっていない小泉なのに、親のことすべてが分かるなど、それこそウソくさいというものだ。
小泉は中学三年生位になってくると、そのあたりのことが少しずつ分かるようになってきた。
それは、自分が置かれている状況に自分が慣れてきて、頭が回るようになったからなのかも知れない。冷静に見ることができるようになってくると、次第に自分を客観的にも見ることができるようになり、そのことがその状況に自分を慣れさせたのかも知れないと思うと、小説も書けるようになってきたのだった。
「すべてがいい方向に傾いてきたんじゃないか?」
と小泉は考えるようになった。
それまでネガティブにしか考えられなかった頭が、次第にポジティブ志向になっていき、気が付けば、
「俺って、こんなに楽天的な性格だったのかな?」
と思うほど、スーッと気が楽になっていくのを感じていた。
小説を書くのも同じことだった。
かしこまって書く必要なんかない。小説というものを、
「読み手に分かりやすく書けなければ小説ではない」
などという発想を抱いたことが、そもそもの間違いだった。
小説を書きたいと思った時、本屋に行って、
「小説の書き方」
などというハウツー本を何冊か買ってきて、読み漁ってみた。
そこには、何を書きたいのかということを基本に、読み手に対しての配慮も書かれていた。しかし考えてみれば、それはプロになりたいと思い、プロを目指している人のために書かれた本であり、
「今の俺には、こんなの必要ない」
と思うような内容だった。
最初は、そんなことを分からずに、書かれている内容がすべて正しいと思いながら読んでいたので、戸惑いもあった。自分の書きたいことが見つからないのに、読み手のことなど考えられるはずもないからである。
だが、読み手のことなど考えないようにすると、頭の中がスーッと軽くなったような気がした。
――かしこまる必要なんかないんだ――
と思うことで、小泉は小説を書けるようになった自分を正当化していた。
それまで数行で終わっていた一場面も、まわりが見えてくるようになった気がしたことで、いろいろ修飾できるようになり、気が付けば原稿用紙百枚以上の作品を書けるようになっていた。
自分の作品を読み返してみると、
「おや? 結構さまになっているじゃないか」
と思えた。
本人は、読者に一切気を遣っていないように思えたにも関わらず、読み返してみると、なかなか読みやすい小説になっている。
「こんなに読み手に優しい作品になっているなんて」
と、小泉の中で、
「優しい」
というキーワードが小説を書く上で初めて登場した時であった。
優しいと思うことがそれ以降の小説を量産する原動力になったようで、一作品を書くと、次の作品のアイデアも勝手に生まれてきた。
前の作品を書いている時には、次作について考えることはできなかった。それはまるで、両手で別々のことができないことで、音楽ができないと思った小学生高学年の頃を思い出させた。
小泉は、小学生の頃には、他の芸術に対しても、
「何かできればいいな」
と漠然と考えていたが、それを無理だと悟ったのは、小学三年生の頃だった。
音楽をしてみても、絵を描いてみても、どうも自分の思うようにはいかない。
「センスがないというべきか、それともそれ以前のセンスを引き出す才能がないということなのか」
と考えてみた。
音楽ができない理由としては、やはり左右で別々のことができないことが一番だった。
ピアノにしてもギターにしても、左右の手で別々のことができないとうまく演奏することができない。それを自覚したことで自分が音楽には向かないことを自覚したのだった。
小さい頃、家族で東北地方に旅行した時、すでに冬だったこともあって、宿のまわりには雪が積もっていた。雪など見たこともなかった小泉は、当然のようにはしゃいでいた。家族もはしゃぐ小泉を諫めるようなことをするわけではなく、小泉はノビノビと雪原を駆け回った。
駆け回ったと言っても、小さな子供なので行動範囲は実に限られたもの。大人の目の届く範囲でしか遊ぶことができないというのも、大人を安心させる理由でもあった。
初めて触った雪は、最初、冷たいとは感じなかった。
――雪って冷たいって聞いていたのに――
と、少し拍子抜けした小泉だったが、少ししてから、指先から痺れてきたのを感じた。
痺れは指先だけで、すぐに手の平の感覚がなくなってくるのを感じ、
――何だ、この感覚は?
と子供心に声に出せない驚きで戸惑ってしまった。
冷たいと思っていた雪がそれほど冷たいわけではないと思った時、小泉は雪を手の平ですくって、オムスビを作るかのように手の平でこね始めたのだ。
こね始めて数回で、指先の痺れと手の平の感覚がなくなるという段階的なことが自分に起こった。その間、少し時間があったかのように最初は思ったが、実際にはあっという間のことだった。
「どういうことなんだ?」
両の手の平を目で交互に眺め、さっきまで大きかった真っ白な雪が次第に小さくなっていくのを感じた。
手の平は真っ赤になっていて、指と指の間から、水が零れていくのを感じた。
零れる水は、言わずと知れた溶けた雪であり、真っ赤になっている手の平は、雪の冷たさによるものであることくらいまでは、子供の小泉にも理解できた。
小泉が雪を丸めたかったのは、雪合戦のように丸い球を作って、どこでもいいから投げたかったのだ。
「どうしてそんな気分になったのだろう?」
と後から思い出しても、その時の心境を計り知ることはできなかったが、とにかく道も分からないような雪原状態の中、とにかく何か一石を投じたかったというのが本音だったのかも知れない。
そんなに遠くに投げられるわけもなく、何しろ雪原状態ということもあり、目の前に見えている木々までがどれくらいの距離なのかも見当がつかない。
「見当がつかない」
ということが分かっただけでも、今から思い返してもすごいことではないかと思う小泉だったが、
「きっと自分が感じているよりも遠かったんだろうな」
という印象が頭の中に残っていた。
小泉は実際に雪を投げることはできなかった。一つ作ろうとしただけで、すぐに溶けてしまったからで、再度作ろうと思っても、今度は指が痺れてしまって、思うように作ることができない。
それでも自分の中の想像で雪のつぶてを作り上げ、放り投げている姿を想像していた。
やはり遠くまで投げることはできない。放物線を描いて、破裂するように雪原に落下したかと思うと、どこに落下したのかすぐに分からなくなるくらい、真っ白な中に溶け込んでしまっていた。
「なんだ、結局、自分の手の平の上に乗っていたとしても、投げたとしても、結局は消えてなくなる運命だったんだ」
と感じたが、
「なんだ」
と言いながらも、その気持ちはどこか寂しさを残し、気持ちをどこに持って行っていいか分からない言い知れぬ思いに駆られていた。
手の平の感覚は次第に戻ってくるようだった。すでに雪原への興味が薄れてしまっていた小泉には、もう二度と雪のつぶてを作ろうという気持ちにはならなかった。
だが、この時の気持ちだけが、心のどこかに引っかかっていたのだろう。小学三年生の時に、ピアノを弾いてみて、左右でまったく違った動きをすることができないことを思い知らされた自分が思い出したのは、なぜかその時のことだったのだ。
小泉は左右で別々のことができないことにショックを覚えたが、この時も雪原の時のように我に返った時には、音楽に対しての興味は失せていた。
「俺って、こんなにも諦めが早かったんだ」
と思い知らされたが、だからと言って、ショックだという印象はない。
「ふーん、そうだったんだ」
という程度のもので、諦めが早いことがいいことなのか悪いことなのか分かるはずもなく、それ以前に、
「いい悪いという感覚とは次元が違っている」
という印象を持った。
小泉が音楽への興味が潰えたのは、その時だった。
絵に関してはどうだろう?
絵画を描こうと思ったのは、音楽がダメだと感じてから後のことだったように覚えている。
かといって、さほど時間が経ってからのことではなかったようにも思うので、半年も経っていなかったことだろう。
どうして絵を描こうと思ったのか、ハッキリとは自分でも覚えていない。何か気になる絵があり、そんな絵を描きたいと感じたわけでもなかったので、漠然とした理由だったのではないだろうか。
小泉は絵を書き始めてから、自分位は才能がないことをすぐに悟ったが、音楽の時のようにすぐに止めてしまおうとは思わなかった。
――ひょっとしたら、うまくなれるかも知れない――
という思いがあった。
それは誰にも言っていないことであり、小泉自身も自分の中のすべてに知られたくないという不思議な感覚にあった。
絵を描くためにはどうすればいいか、小泉はこの時、実際に本を読んでみた。
学校の図書館で、絵を描くための本があったので、それを開いて読んでみた。読んでみるとさすがに難しく、途中で挫折したが、ところどころ気になるところがあったようだ。
挫折してからすぐには、
「全部忘れちゃったようだ」
と感じたが、実際に絵を描いてみると、思ったように描けなかった。
その時に思い出したのが、絵を描くための本に書かれていた内容だったのだが、
――ああ、あの時に読んだ内容は、今の心境を示しているんだな――
と感じるところがいくつかあった。
それを自分では、
――読んでいた内容の本を思い出した――
とは思っていない。
確かに読んでいた本の内容を思い出したに違いないのだが、それは理解できなかったことに共感したという意味であり、思い出したという表現は、適切ではないと思うようになっていた。
まず最初に感じたのは、
「絵を描く時、最初にどこから書き始めるか?」
ということだった。
読んだ本には、全体のバランスを取るために、最初に全体を四分割してからそれぞれに当て嵌める部分の端から描いていくというようなことが書かれていたので、実際にやってみることにした。
しかし、実際にはそううまくいくわけもなく、最初から挫折したかのように感じていた。
高校生になって漠然と見ていたテレビ番組で、囲碁や将棋の話が出て、
「一番隙のない布陣」
という話が出た時、
「それは最初に並べた状態」
というプロの人の話を聞いて、小泉は目からうろこが落ちた気がしたのだが、その時同時に思い出したのが、絵を描こうとして最初にどこから描き始めようと思ったかというその時のことだった。
「最初で決まると言ってもいいんだろうな」
と考えると、自分が絵を描けるわけもないと思った子供の頃の考えが間違いではなかったということが証明されたような気がした。
絵画をやってみて感じたことは、いくつかあったが、最初はまず、
「バランスが問題だ」
と感じたことだった。
絵を描いていて、最初にキャンバスのどこに筆を落とすかということと絡んでくるのだが、絵を描く時に背景や被写体のバランスが大切であることを痛感した。
それは風景画でも人物画でも同じで、それが絵を描くことの基本であることを示している。絵を描けるようになるには、まず最初にこのバランスを掴むことができなければ、先に進むことができないだろう。
小泉はバランスを考えるのに、まずジグソーパズルで練習してみることを考えた。ジグソーパズルは、パーツすべてを組み立てれば、一つの作品が出来上がる。つまりは、パーツが最終的にバランスを見つけることに繋がると考えたのだ。
ジグソーパズルは思っていたよりも難しかった。
「最初さえ分かれば何とかなるんじゃないか?」
と思っていたが、そんな単純なものではなかった。
なぜなら、ジグソーパズルに最初など存在せず、すべてが最初であり、途中でもあるのだ。たまたま最初に組み合わせた部分がある程度まで完成したとしても、途中で行き詰ってしまっては、最初だと言えないと小泉は考えた。
それでも、
「いやいや、ここまで作っていれば、最初だって言ってもいいんじゃないか?」
という人もいたが、小泉はその人には笑顔で、
「そうかなぁ」
と生半可な返事をしていたが、内心では
――いや、やっぱり自分では納得できない――
と思っているのだった。
ジグソーパズルをいくつまで完成させただろう? いくつか簡単なものを作った気はしたが、納得のいくものができたとは思えなかった。
元々ジグソーパズルは絵画のためにしていることだったので、パズルが完成したことは、それなりの満足感を与えてくれたが、最終的な目標というわけではないので、本当の満足感とは程遠いものだった。
――ここまでできれば、絵画にも生かせるかも知れない――
と感じた。
だが実際に描いてみると、満足のいくものが書けているとは到底思えない。
小泉の描きたい作品がどんなものなのかがハッキリしていないまま描こうと思っていることが間違っているのではないかとも感じたが、描いているうちに描きたいものを見つけられるというのも、また正解なのではないかと思うのだった。
それでも小泉はバランスに関しては少しずつ理解しているように感じた。
「そのうちにバランス感覚も養えて、バランスなんか意識せずに描けるようになるんじゃないか」
と思うようになっていた。
だが、バランスについて忘れていたある日、急に思い出したことがあった。それは学校で見た天橋立のスナップ写真だった。
天橋立という言葉は知っていた。日本三景の一つで、確か日本海側だったような気がする。
「一度は行ってみたいものだよね」
と思ったのも事実で、教科書に載っていた写真を見たことはあった。
その時に見た写真というのは、ちょうど上下逆さまになった写真で、
「これ一体何なんですか?」
と思わず聞いた。
ちょうど横を通りかかった先生が、
「これって、天橋立じゃないか」
と声を掛けた。
「えっ、これが天橋立?」
教科書で見た写真とはかけ離れているようでビックリした。
「そっか、お前の方向からではそう見えても仕方がないよな。でも天橋立というのは、そういうものなんだ。今お前が言ったことが実際に現地で行われているんだぞ」
と言われて、
「えっ、どういうことなんですか?」
「天橋立というのは、絶景スポットがあって、そでは、展望台の上に乗って、股の間から見るというのが通説なんだよ。まったく違った光景になるという意味でね。それも、いくつか見え方があったりして、俺が気に入っている見え方は、天に向かって竜が昇っていくという姿なんだ」
と先生は言った。
「先生は竜が昇るのを見たんですか?」
「それが、俺にはそうは見えなかったんだ。本当は竜が昇っていく姿を見たくて、わざわざ天橋立まで行ったんだけど、残念だった。でも、違う意味でいい光景が見れたので、それはそれで俺には満足できたんだ」
「それはよかったですね」
「でも、お前がここで天橋立の写真を見て、逆さまから見た光景を感じたというのは、偶然としてもすごいことのように思うよな。お前は天橋立の見方を知らなかったんだろう?」
「はい、今日初めて聞きました。天橋立というのが日本三景の一つだということは知っていたんですが、本当に教科書に出てくることくらいしか知りませんでした」
というと、
「そっか、まるで天橋立がお前を引き寄せたかのようじゃないか。この感覚を忘れない方がいいかも知れないな。これからお前が感じることが、今日のこの感覚に影響されることもあるかも知れないからな」
と言われて、
「そうですね。僕もそう思います。でも、不思議ですよね、逆さまから見るとまったく別の形に見えるというのだから、人間が感じる錯覚には何か力のようなものがあるのかも知れないですね」
「これは心理的にも証明されていることなんじゃないかな? このことを専門用語というか通称『サッチャー効果』というらしいんだ。向かい合っている二人の横顔を逆さまから見ると、ラクダに見えたりするというのが一般的な話だからな」
「それは、聞いたことがあります。実際にその絵を見たことがあるような気がしてきました」
実際に見たかどうか、その時はそれほど重要ではなかった。それよりも自分で想像できたことの方が小泉にはビックリすることだったのだ。
小泉はその時から、たまに上下逆さまに見るとどう見えるのかということを思い出しては、実際に股の間から見てみたりした。
「何だよ、それ」
と聞かれて、本当は、
「天橋立だよ」
と言いたかったのだが、わざとはぐらかすように、
「サッチャー効果さ」
と、相手に分からないような表現で答えた。
どうしてそういう回答をしたのかというと、相手にさらなる質問をされて、どう答えていいのか分からなかったからだ。サッチャー効果と言っておけば、とりあえす余計な追及はないと思ったのだ。
ただ、中にはサッチャー効果の意味を分かっている人もいたようだ。その時には何も言わなかったが、後になって、
「サッチャー効果って、俺も意識したことがあるんだよ」
と言っている人がいた。
「知っていたのか?」
と聞くと、
「ああ、上下逆さまに見て、まったく違ったものに見えるという、いわゆる人間の感性が及ぼす心理的な錯覚だよな」
と言われて、
「人間の感性?」
「ああ、人間には感性というものがあるのさ。感性があるから錯覚も引き起こすんだって俺は思うんだ。もちろん本能からの錯覚もあるんだろうが、それは矛盾しているような気がするので、俺の考えとしては錯覚はやはり感性から生まれるものではないかって思っているんだ」
彼の話には興味があった。
その話をしたのは、中学の頃だったか、高校に入ってからだったのか覚えていないが、彼とはあまり長い間一緒にいなかったような気がする。途中で転校してきて、またすぐに転校していったように思ったからだ。小泉にとって彼は風のように現れて、風のように去って行ったという存在で、
「本当に存在していたんだろうか?」
とさえ、感じさせるほどの人だったのだ。
――顔すら忘れかけているような気がするな――
と感じたほどだった。
小泉は、本当に人の顔を覚えるのが苦手だった。本人は覚えているつもりでいても、すぐに忘れてしまう。それは覚えているつもりなのだが、他の人の顔を見るとその印象が残ってしまい、一回前であっても、記憶にとどまっていない人の顔は、覚えることができないのだ。
もちろん、何度か見ていれば覚えてしまう。それは他の人と同じことなのだが、一見しただけではどうしても覚えられない。どうしてなのかを考えたが、子供の頃に考えていたのは、
「両手で同じことしかできないのと同じだ」
という思いだった。
一言で言えば、
「不器用だ」
ということなのだろうが、
「どのように不器用なのか説明しろ」
と言われると、
「両手で同じことしかできないのと同じだ」
と答えるに違いない。
――こんなところで音楽と重なってくるなんて――
と小泉は思ったことだろう。そのことを誰にも話しはしていないが、同じように人の顔を覚えられない人で、自分と同じようなことを感じている人はきっといると小泉は感じていた。
根拠があるわけではないが、
――いてほしい――
という願望はある。
だが、願望というよりも、
――いるべきなんだ――
という思いの方に傾いてきているように思えるのだが、それはどうしてなんだろう?
願望が断定に変わる時というのは、小泉の中で今までにも結構あった。特にこの時のように人の顔が覚えられないという感覚は、自分だけではないと思えたからだ。
ただ、ここまでひどいのは珍しい気がしていたので、きっと身近にはいないことは分かっていた。それでもいつか出会える気がしていて、その人と出会えた時、自分がどのように感じるのか想像してみたが、結局できなかった。
「人の顔を覚えられないというのも、結局はバランスが悪いからなんだろうな」
と自分を顧みていた。
人の顔は覚えようとして覚えられるものではないと小泉は思っていて、実際に覚えようとしても無理だったことを思い出していた。もちろん、
「覚えないといけない」
というプレッシャーを自らに与えてしまっているということを百も承知だったので、却って余計な力が入ってしまったと言えなくもなかった。
それでも、
「与えなければいけないプレッシャーもあるんだ」
と感じたからこそ与えたもので、元来自分には甘い小泉だったので、余計にプレッシャーは必要なのだと感じていた。
子供心によくそこまでとは思ったが、自分に与えるプレッシャーというのは、大人になるにつれて次第に緩くなってくる。自分を甘やかすわけではないが、知恵がついてきたことで、自分に対しての妥協が生まれてきたに違いない。
自分に対しての妥協は、完全に損得勘定に支配されているかのように思えた。
「自分にとって損にはならない」
と思える部分を認識し、ギリギリのラインまでを妥協で補うことができると思いこんでいる。それが小泉の考え方の真髄にあるのではないかと思うと、妥協が果たしていいことなのか悪いことなのか分からなくなってくる。
小泉はバランス感覚という言葉を頭に抱いていた。音楽を奏でる際に使用するピアノやギターは、左右の手で別々のことをしなければいけない。小泉にはそれができないので、音楽への才能はないと考え、音楽への道を諦めた。
また、絵画にしても、最初にどこに筆を落とすかということを考え、全体のバランスが分かっていないことで、絵画も向いていないのではないかと考えていた。
絵画のバランスで、「サッチャー効果」の話を聞いたり、天橋立のエピソードを思い返してみると、小泉は時々絵を逆さまから見るようにした。
キャンバスの中の絵を逆さまに見ることで何か見えるのかを探ってみたが、小泉には別のものには見えてこなかった。
そのうちに、天橋立のエピソードにあった、
「股の間から景色を見る」
ということを、天橋立でなければしてはいけないわけではないということで、家の近くでやってみることにした。
ちょうどその頃に住んでいた街は、山もあれば海もあるという、ある意味自然に恵まれた街だった。
ある晴れた日の夕方近く、学校の帰り道でやってみることにした。なるべく人がいない時間がよかったが、別に見られても気にすることはないと思っていた小泉なので、人に見られることへの違和感はなかった。その頃から小泉は、
「言いたい奴には言わせておけ」
と感じていて、それが結局開き直りであることにその時はまだ気付いていたわけではなかった。
股の間から覗いたのは、天橋立だけだった。それは他の人も同じではないだろうか? それを思うと、
――どうして誰もしてみようと思わないのだろう?
と感じた。
この思いは単純なものだったのだが、よく考えてみるとそう思わなかったことが不思議だった。
股の間から見て綺麗なのは確かに天橋立なのだろうが、他の場所から見ても同じことを感じないと、どうしてそう言えるのだろう?
確かに一人でやると恥かしいと思うだろうし、天橋立のように、竜が天に昇っているように見えるというイメージがあるから天橋立が綺麗なのは誰もが認めることなのだろう。
だが他の場所で誰も試してみないのはどうしてなのだろうか?
天橋立というのが有名になったのは、股の間から覗くようになって、それが竜が天に昇っていくように見えたからなのか、それとも、最初から有名で、股の間から覗いてみたのは、
「有名なところを逆さに見るとどうなるか?」
という一種の興味本位からのことなのかによって変わってくることだろう。
ずっと小泉も股の間から景色を見てみようなどということを思いついたりしなかった。きっと他の人も同じに違いない。
そう思うと、天橋立に来た一人の観光客が、その時何を思ったのか、
「その場所で股の間から見たらどうなるか?」
と、ふと感じただけのことなのかも知れない。
ただの偶然なのだろうが、その偶然は自然なことであり、偶発的なことで、決して何かの力が働いているわけではないと小泉は思っていた。
だが、小泉がこの時、股の間から景色を見てみようと感じたのは、本当に自然な偶然であり、偶発的なことだったのだろうか?
小泉には何か別の力が働いていたように思えてならない。それが何の力なのか分からないが、その時に初めて感じた力ではなかったような気がした。
「見えない力って、存在するものなんだよな」
と、小泉は時々感じ、自分に言い聞かせていたような気がしていた。
股の間から見た景色は、小泉の考えていたものとは少し違っていた。
――こんなにも、空が広いなんて――
空が広いものだということは普段から感じていて、普通に見ていて陸地や山とのバランスから考えても、
「空って小さすぎる気がするんだよな」
と感じていた。
実際に普通に見てみると、空の割合としては、半分以下くらいにしか感じなかった。
もちろん、山があるからそう感じるのであるが、山がない平野部であったとしても、目の前に広がっている大地と空の割合は、ちょうど半分ずつくらいに感じられることであろう。
だが、股の間から覗いてみればどうだろう。下の方に広がっているだけだと思っていたそらが、その大部分を占めていて、ほとんどが空に感じられるではないか。これはもはや半分どころの騒ぎではない。ほとんどが空に見えると言っても過言ではないだろう。
しかも、最初に感じた空と山の距離は、明らかに空が遠くに感じられ、立体感など感じているはずはないと思っているにも関わらず、距離感だけは持てているのが実に不思議なことだった。
だがそれはずっと続いたことではない。その不思議な感覚は最初だけで、同じ時に二度目に見た時には、すでにその感覚はなくなっていた。
「不思議な感覚だ」
という思いだけを残したまま、イメージだけが残っていて、理屈が消えていた。
そんな不思議な感覚は、その時が後にも先にも最後だったのだ。
小泉は、股の間から覗いた景色を見て、
「やっぱり、俺には絵画はできないんだ」
と、改めて感じた。
こんな発見をしながら、自分の中で目の前の光景を直視して、素直に描ける自信がなかったからだ。
ある作家がテレビで話していたのを思い出した。
「絵というのは、目の前にあるものを忠実に描くだけではいけないんだ。時として必要の内と思うことは大胆に省略するくらいの気持ちがないといけない」
と言っていた、
聞いた時は、
「何を言っているんだ、こいつ」
と思ったが、なぜかその言葉が頭の中に残っていた。
そして実際に自分が絵を描いている時、この人の言葉が頭に浮かんできては、我に返る自分を思い出す。
我に返るということは、キャンバスに向かっている自分は普段の自分ではなく、何かを考えていることの証明だった。
確かに小泉は、絶えず何かを考えている少年だったが、すぐに我に返ってしまい、
「今、俺は一体何を考えていたんだろう?」
と感じることが多かった。
我に返る前の自分が何かを考えていたのは分かっているのに、それが何だったのか、たった今のことでも覚えていない。そんな自分に小泉は腹が立っていた。
絵を描きながら、何かを省略しようという思いに駆られていたのだということに気が付いたのは、股の間から見た景色を思い出すようになってからのことだった。
股の間から見えた景色は、普段見ているけしきとはまったく違っていた。目の前に広がっている景色の一つ一つに変わりはないが、そのバランスに関してはまったく違っていたのだ。
位置関係は間違いないのだろうが、場所が違っていることでバランスが崩れている。その証拠が、あまりにもだだっ広く感じられた青い空だった。
青い空は、無駄にさえ感じられるほど広かった。どうして逆さから見るという発想を思いつかなかったのかということが、無駄に広い空を見て、分かった気がする。
自分の中で、
「無駄なものを見たくない」
という思いが小泉に青い空を必要以上に無駄に見せたくなかったのだろう。
ということは、小泉の中で、
――青い空が無駄に見える時があるということを知っていたのではないか――
という疑念が感じられた。
あくまでも疑念であるので、確証があるわけではない。それでも見てしまったことで感じた違和感が、見たくないと思わせていた違和感とは違っているように思えてならなかった。
なぜなら、逆さまから見た空と山の間には、今までに感じたことのない距離感があったからだ。
距離感を感じたことなどなかったはずなのに、それを感じたということは、今まで心の中に違和感を持っていながら、その正体がハッキリとしないことから、ずっと慣れてしまっていた空と山との距離感を普通のものだとしか見えていなかったのだろう。
小泉は、股の間から見たことで、この距離感というものを無意識にイメージしていたということ、そして今まで慣れで見ていたという感覚を思い知らされたことで、絵画への興味がまた復活してきたと思った。
だが、超えられないものは超えることができないというものだ。再度、距離感への違和感が小泉を袋小路に陥れる。思い知らされるということは、元々感じていたことが妄想のように思っていたのに、再度何かのきっかけで感じさせられると、違った感じ方が芽生えてくる。その状態を、
「思い知らされる」
というのではないだろうか。
小泉は絵を描きながら何かをいつも考えていた。そして気が付けば、自分が描いている絵が描きたいものとは違っていることに気付かされるのだった。
そんな感覚を何度か味わったことで、小泉は絵を描くことを断念した。音楽の場合は結構早く諦めがついたのだが、絵画に関しては、なかなか諦めがつかなかった。それは絵を描いている時に絶えず何かを考えていたからで、そんな自分を小泉はいじらしい思いで見ていたようだ。
小泉が絵を諦めたのは、絵を描こうと思い始めてから一年が経っていた。その頃には小説にも興味を持っていて、最初は絵画の方に興味があったが、どのあたりかで、その興味が逆転していたようだ。ただ、小説を書こうと思ったのは、絵画を志す気持ちがあったからで、もしその気持ちがなければ、小説を書きたいなどと思うこともなかったに違いないだろう。
小泉がもう一度、
「絵を描いてみたい」
と思うようになったのは大学に入ってからだった。
大学に入ると、小説だけを書いている自分がもったいなく感じられた。一度諦めたとはいえ、もう一度絵画をやってみたいと感じたのは、早良と出会ったからなのかも知れない。
早良は別に絵画に造詣が深いというわけではないが、絵を見ている時の彼の横顔には何か引きこまれるものがあった。その横顔を見ていると、子供の頃に感じた股の間から見えた光景を思い出していた。
そう思うと、早良の横顔は、本当はまったくの無駄ではないかと思えてきた。早良が見ている絵に対して、どのような感情を持っているのか計り知ることはできないが、彼の横顔は途中から笑顔に変わっている。
――真剣に絵を見ていたと思っているのに、この笑顔は何なんだ?
と小泉は感じた。
自分ならあんな笑顔ができるはずはないと思っているし、動かない芸術作品である絵画のどこに、笑顔の要素が含まれているというのだろう?
「笑顔なんて、俺は一度もしたことない」
と思ったが、それは自分が笑顔を作ろうとすると、すぐに顔面が引きつってくるのを自覚していたからだ。
逆に言えば、
「顔面が引きつった時は、無理して笑顔を作っている時に他ならない」
この頃まで小泉は自分が感じている本能のようなものは、誰もが持っていて、同じ感情でなければ発生しないものだと思っていた。
――笑顔なんて――
小泉は作られた笑顔が大嫌いだった。
家族団らんの様子をテレビドラマなどで見ていたが、
――こんなのウソでしかないんだ――
と、心の中で呟き、自分の家族を今さらながらに思い出している自分に苛立ちを覚えていた。
――思い出したくもないはずなのに――
という思いは、絶えず付き纏った。
絵を見ながらの笑顔を思い出していると、急に気持ち悪く感じられた。すると、さっきまで感じていたものが、
――本当に笑顔だったのか?
と感じるようになり、それが横顔であることから、小泉は自分が勘違いをしていたのではないかと思うようになった。
「あれは笑顔なんかじゃない。もっと別のもの、そう、恐怖を含んだ表情が引きつっていただけなんじゃないか?」
と感じた。
笑顔と恐怖とでは正反対ではないか。そう思うと、横顔に感じたイメージは、最初に感じたことで思いこんでしまったが、実際にはまったく違った感情だったのだと気付いたにも関わらず、
「もう一度あの表情を見たとして、最初から恐怖の表情だって感じることができるんだろうか?」
と思えた。
再度、笑顔のように思えるのではないだろうか。そう感じてくると、小泉は自分の第一印象は、
「ひょっとすると、的を得ているものなのかも知れない」
と感じられた。
そして、的を得ているが、完全に捉えることのできない感覚は、
「逆も真なり」
で、違和感を持った時には、まったくの正反対を思い浮かべればいいのかも知れないと感じた。
そのうちに小泉はミステリー小説を読んでいるうちに、小説を書いてみたいと思うようになり、実際に書いてみるとなかなか難しく、書けるようになるまでかなりの時間が掛かった。
ただ、絵画や音楽のように途中でやめたりしなかったのは、小説を書くということが自分に合っていると思ったのか、書いてみたいという願望が他の芸術に対してよりも明らかに強かった。
小泉は東北旅行を思い出し、雪原の小説を書いてみたくなった。その時に一緒に思い出したのが、遠野という街に寄った時に聞いた民話だった。
まるで日本昔話に出てくる話のようで、怪奇小説なのだろうが、子供向けとしても描かれているという一種異様な雰囲気の話である。
確かにアニメ作品の中には妖怪が出てくる怪奇作品もあるが、基本的には怖がりの小泉には向かない小説だと思っていた。
だが、雪国の光景をイメージしていると、どうしても浮かんでくるのは怪奇な発想であり、雪女であったり、雪男であったりするのだが、雪国には関係のない妖怪も頭の中に浮かんできた。
その中のイメージとして印象的だったのが、
「のっぺらぼう」
であった。
のっぺらぼうというと、身体は普通の人間と変わりはないのだが、顔にはまるで白い覆面を被ったかのように何もない。
ただ印象として、鼻や口、そして目のある場所には窪みや膨らみがあり、そこにそこに目や口や鼻が存在しているかのように思わせた。
それはきっと白い覆面をしているという想像の元があるから、そう感じるのかも知れない。勝手なイメージが作り上げた想像は、人から与えられる印象に比べて実は大きなもので、余計に恐怖を煽られるのだった。のっぺらぼうの不気味さは、顔がないことだというよりも、
「そこに顔があっても不思議はない」
という状態なのに、顔がないことではないだろうか。
のっぺらぼうの話というと、本当は雪国とは関係なく、明治時代に書かれた小泉八雲によって書かれた小説の中に描かれているものが印象的だ。
このお話は、「むじな」と呼ばれる小説なのだが、この小説には特徴的なところがいくつかあった。
このお話は、一人の商人が誰も通る人のいないような寂しい場所を通りかかると、一人の若い女性がうずくまってしゃがみこんでいた。
「どうしましたか?」
と問いかけると、後ろ向きでしゃがみこんでいた女性がこちらを振り向くと、そこには目も鼻も口もない顔がこちらを見ている。
驚いた商人がその場から一目散で逃げ出す。
すると近くにあった屋台の蕎麦屋に駆け込むのだが、そこで商人は、その蕎麦屋の店主に、
「どうしましたか?」
と後ろ向きに聞かれる。
息も絶え絶えの商人は、今見た化け物の話をするのだが、蕎麦屋は驚くこともなく商人の方へと振り返り、
「こんな顔ですかい?」
と言うと、蕎麦屋も目と鼻と口の内のっぺらぼうだった。
商人は気を失ったことで、蕎麦屋は消え失せた。
結局はすべてはむじなが変身した姿だったということだが、いわゆる、
「キツネに化かされた」
というのと同じ発想であろう。
なぜ、彼が驚かされなければいけなかったのかなど疑問は残るが、恐怖を煽るには十分な作品だ。
特に蕎麦屋によるダメ押しはオチを数倍の効果にしている。このように二度にわたって人を驚かせる階段として、
「再度の怪」
と呼ばれているらしいが、風貌と合わせて恐怖を煽るには効果は十分であろう・
小泉は、自分が、
「いつかのっぺらぼうに出会うのではないか」
と感じていたようだ。
出会いたいと思っているわけではないが、出会った時の覚悟くらいはしておかなければいけないと思っていた。
小泉が今までいろいろな芸術を取得したいと思ってきたが、その都度頭に思い描いていたのは、こののっぺらぼうだった。
「もし、俺がのっぺらぼうだったら、芸術をこなすことくらいは難しいことではないかも知れない」
と思っていた。
それだけ、のっぺらぼうを意識していて、のっぺらぼうへの恐怖から、その力を未知のものとして感じないわけにはいかないと思っていた。
小学生の頃に初めてのっぺらぼうという言葉を聞いた時は、さほど怖いものだとは思っていなかった。
しかし、そのうちに頭の中に残ってしまっていることを意識していると、思い出すのが怖いと思うようになり、
「意識を封印したいと思うこともあるんだな」
と感じるようになっていた。
しかし、ひとたび思い出して見ると、
「これこそ、書きたいと思っていたことなのかも知れない」
と感じた。
音楽も、絵画にしても、
「奏でたい」
であったり、
「描きたい」
というものが厳密にあったわけではない。
それを思うと、ハッキリと書きたいと思っているものがある小説は、書けるようになったというのも必然であると言えるのではないだろうか。
音楽にしても絵画にしても、目の前のものを忠実に反映させることしか思い浮かばない小泉には、
「俺には向かない」
と思わせるものだった。
しかし、小説には発想することにより、いくらでもアレンジができ、書きたいものが何なのかを模索することができる。いくらでも無限に可能性がある限り、伸びしろはあるのだ。
小泉が最初に書いたのっぺらぼうをデザインにした小説。まるで子供の作文と言われても仕方のないものだったが、それでも書けるようになったのは嬉しいことだった。
小泉は、いつものっぺらぼうのことを考えながら小説を書いている自分に気付いた。
第二作目の題材に選んだシチュエーションの舞台は天橋立だった。
天橋立で例の股覗きをした時の心境と、恋愛を搦めた小説だったが、自分が絵画を目指そうとした時にイメージした天橋立が浮かんできた。
実際に見たわけでもない。当然股の間から見たわけでもない竜が天に昇って行くという姿を、いかにも見てきたように描く自分は、
「罪悪感を感じないようにするにはどうすればいいか」
ということを考えた時、
「そうだ、のっぺらぼうになったような気分でいればいいんだ」
と感じた。
目も鼻も口もない。それはまるで罰ゲームのようではあったが、表情がないということは感情を表に出さなくてもいいということだった。
相手に自分の感情を悟られないということはいいことばかりではない。本当に分かってほしいと思っていることがある場合、相手にその感情が表情として伝わらない以上、何をどういえばいいのか分からない。相手は無表情で訴えられても気持ち悪いだけに違いないからだ。
自分が相手の立場でも同じである。のっぺらぼうというものに対して、小泉は気持ち悪いという感情以外何も浮かんでこない。それでものっぺらぼうを描きたい。
「小説というものは、自分のうちに秘めた気持ちを表にいかに出すかということだ」
ということを感じていながら、自分にのっぺらぼうを置き換えることを否定しない気持ちになっているはずなのだ。
「だからこそ描きたいのか?」
内に籠めておくだけでは気持ち悪いだけ、表に出すことで気持ちのありかを確かめようという思いが衝動として小泉の中にあったのかも知れない。
小泉にとってのっぺらぼうを小説に書くことは、自分の中の恐怖を表に出すことのように思えていた。
「俺は心の中に、たくさんの恐怖を秘めている」
と思っている。
ただ、その恐怖は怖いというだけではなく興味をそそるものでもあった。
「怖いものほど面白い」
と言っていた人がいたが、確かあれは漫画家ではなかったか。
子供の頃ほど恐怖に興味を抱くものらしいが、小泉の場合は逆だった。子供の頃は、
「怖いものは怖い」
とハッキリしていて、それ以上でもそれ以下でもなかった。
しかし、中学から高校に掛けての小説を書けるようになるあたりから、怖いものにも興味を示すようになった。それはそれまで怖いと思っていたことを客観的に見ることができるようになったからで、怖いものすべてが自分に災いをもたらすわけではないと思えるようになったからかも知れない。
クラスメイトの中には、明らかに怖がりなのに、恐怖映画を観てきたりしている人もいた。最初はどういう心境なのか想像もつかなかったが、自分に災いをもたらすものでなければ何も怖くないと考えているのだとすれば、行動が理解できるというものだ。
だが、小泉が考えているような客観的な見方をしているのだろうか?
考え方も感じ方も人それぞれ、特に相手の心境を思い図ることのできないと思っていることなどは、すべてが想像の域を出ないと思っている。いくら想像してもその外に相手がいるのであれば、その姿を見ることすらできないだろう。
人の姿が見えないと思うのは、相手を客観的に自分が見ているからというよりも、自分の想像の外に相手がいると考える方が普通である。そうは思っても、自分の主導で客観的に人を見ていると思いたいのは、心のどこかで人間を信じているからなのであろうか?
小泉は、基本的に自分は人を信用していないと思っている。友達ができないのも自分がそう思っているのだから、まわりも自分に対して同じことを考えていて不思議はないと感じているからだ。
「他人を見ていると自分を写しているようだ」
と考えたこともあったが、果たしてそうなのか、
「まるで鏡だと思えばいいんだ」
と思うと、鏡が本当に写し出した人を正直に表しているものなのか、誰も疑問に感じないのを不思議に思った。
小泉は鏡をあまり見ることはなかった。
「まるで女の子のようだ」
と、鏡に見とれている自分を想像すると、恥かしく思うからだった。
だが実際にはそれ以上に鏡を見るのが怖かった。その理由は、
「鏡というものが、本当の自分しか映し出さないからだ」
と感じたからだった。
小さい頃は、鏡に写った自分が怖かった。
「これが僕の顔なのか?」
もっと野性味を感じさせる男だと思っていたが、そこに写っていたのはお坊ちゃまと言われても仕方のないくらいの顔立ちで、下手をすれば、女の子に間違えられそうにも感じられた。
特に小さい頃は、おかっぱの髪型にさせられていたので、がたいが大きければまだマシだったのだろうが、小柄な上に華奢な身体つきでは、どう見ても女の子に間違えられても無理もないと思えたほどだった。
何よりも鏡を見た自分が最初に、
「まるで女の子みたいじゃないか」
と思ってしまったことが致命的だった。
最初に感じてしまうと、その思いを払拭させるにはかなりの時間と労力を要する。
小さい頃は母親が怖かった。父親に対して怖さを感じないかわりに母親がうるさかったからだ。
ちょっとしたことで文句をいう。それは子供にだけではなく、自分のまわりにいる人に対して、誰にでも文句を言っているような人だった。
大人になって思うと、裏表のない潔い性格にも思えるのだが、子供の頃にはそんなことは分からない。ただ、誰にでも文句を言わないと気が済まない性格にしか見えなかったのだ。
小泉はその頃から、のっぺらぼうというものを無意識の中で意識していたのかも知れない。
のっぺらぼうということを意識することなど、人生のうちにそう何度もあるわけではない。子供の頃に意識することはあっても、大人になって意識するとすれば、それは自分が恐怖というものに包まれている時、その存在を意識するわけではなく、のっぺらぼうというものを意識しているわけではないのに、想像するものがのっぺらぼうそのものを感じているということになるのだ。
それが鏡を見ることへの恐怖に繋がっていた。
小さい頃、初めてのっぺらぼうというものが、妖怪として存在すると聞かされた時に感じたのは、
――鏡を見て、そこに写っている自分の目と鼻と耳がなかったらどうしよう――
というものだった。
だが、そこに大きな矛盾が隠れていることを小さな子供ながらに意識していた。
「目がないのに、どうして鏡が見えるんだ?」
という思いである。
少なくとも目はあるはずである。だから、鏡を見てそこに写っている自分の目がないことだけはありえない。そう思うと、鼻も口も耳も、絶対にあるはずであった。なぜなら、目だけあって他がない姿など、想像もつかなかったからだ。
だが、逆に目も鼻も口も耳もない姿は想像することができる。童話に出てきた話を読んでもらっただけなので、実際にそんな姿を見たわけでもないのに、想像だけができるというのは、実に気持ち悪いものだった。
小さい頃ならまだしも、小説を書くようになった中学時代の小泉には、その矛盾がハッキリと分かった。しかし、
「小さい頃にその矛盾を感じたから、今になってからでもその矛盾を感じることができるのであって、小さい頃に矛盾に気付かなかった人は、大人になったからといって、本当に矛盾に気付けるのか、不思議なものだ」
と感じていた。
小泉にとって、この矛盾は誰にでも気付くことのできるものに感じられるが、まったく疑問に感じない人は、いつまでたっても気づけるはずはないと思っていた。
それは、考えが一直線であるからであって、ちょっとでも隣の筋の考え方を見る余裕があれば、すぐに気付けることである。しかし、真っ直ぐにしか前を見ることができなければ疑問などありえないだろう。
ただここでの真っ直ぐというのは、あくまでも自分に対して真っ直ぐという意味で、生き方全体に対してまっすぐでいるというわけではない。生き方全体に対して真っ直ぐな人間というのは、実に希少価値であり、必ずどこかで挫折して、真っ直ぐには生きられないことを悟るはずだからである。
自分に対してまっすぐな人間ほど、生き方に対して真っ直ぐではいられない。それは逆も言えることで、生き方にまっすぐな人は、自分に対して真っ直ぐではいられないということを示しているだろう。
そのことを考えていると、生き方と自分に対しての姿勢と同じ人は誰もいないように思えた。すべてが対称であり、それはまるで自分の姿を左右対称に映し出す鏡のようではないか。
のっぺらぼうを感じるということは、その左右対称を意識することであり、ひいては鏡に写る自分を意識するということである。だから、鏡に写る自分を想像した時、
「目と鼻と口がなかったら、どうしよう」
と思うのも、無理もないことであるに違いない。
のっぺらぼうを意識していないつもりでも意識するのは、
「のっぺらぼうというものを想像できているはずなのに、実際には想像を絶するものがのっぺらぼうである」
という、まるで禅問答のような発想から来るものではないだろうか。
だから意識していないつもりでも意識していると思わせる。
その感覚があるからこそ、小説も書けるようになったのかも知れない。
自分の中で意識していないと思っていることを意識していたり、意識していると思っていることを意外に意識していなかったりと、その現象を考えることで、小説のネタが少しずつ剥がれ落ちてくるのを感じさせるのだろう。
小説を書けるようになった小泉は、自分でも不思議なくらい、まわりを見ることができるようになった気がした。だが、それはあくまでも自分中心の発想であり、自分に関わりのないものは、相変わらず見えてこない。
狭い範囲での発想こそが小泉の小説の根底にあるもの。だが、それは小泉にだけ言えることではなく、誰もが感じていることではないかと思うようになっていた。
「小説家なんて、プロでもアマチュアでも、自己中心的でなければ書くことなんかできないんだ」
と思った。
つまりは、小説というのは、自分を中心にした人間物語だからである。
「だから、フィクションばかりを小説のように感じるんだろうか?」
自分中心であって、ノンフィクションであれば、もはや小説ではなく、ただのドキュメンタリーであり、それを小泉は自らが書きたいと思っているものではない。何もないところから新しいものを作り出す発想。それが小泉の小説なのだ。
さらに小泉を悩ませている理由の一つにある、
「人の顔を覚えられない」
という心の中のわだかまり、
「それこそ、のっぺらぼうの発想」
と、小泉は感じていた……。
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