永遠とも思える一瞬の幸せ

いそた あおい

23時、ターミナル駅廃墟にて。

 赤いリボンを胸につけた、夏用の白いセーラー服を着た少女が二人、駅だった建物の屋根の上で座って夜の星空を眺めていた。この日は雲一つない快晴の満月の夜で、満月の光が地上を明るく照らしていた。

 しかし、地上には一つの星も見当たらない。二人がいる空間は、廃墟となって地面や外壁から生えてきた草や木によっておおわれているビル群によって、他の空間から切り取られた様だった。

 二人が座っている間には、二丁のアサルトライフルが横になっている。

 ポニーテールの少女が口を開く。

「ねえ、No. 271 ?」ポニーテールの少女は、No. 271 と呼んだ少女の方を向いた。「私たちは死ぬと星になれるのかな?」

「いきなりどうしたの、No. 312 ?人間は死んでも星にはならないよ。」

 No. 271 は、No. 312 の方を振り向かずに答える。彼女の腰上までの長さの黒髪が風で揺れている。

 かつて電車が行き交っていたであろう線路跡には、正高く育った雑草がさわさわと風に揺られていた。

 二人は、廃墟となった世界に突如として出現した、謎の存在「影」を討伐するために作られた組織に所属している。彼女たちの部隊には全部で五名の隊員が存在したが、今いる二人以外の隊員はすべて「影」に喰われて死んだ。

 彼女らが個体番号シリアルナンバーで呼び合うのは、組織から実名で呼び合うことを禁止されているからだ。彼女たちは、自分の名前を組織の人間に公表することを禁止されている。もし公表した場合は、命令違反として部隊から除外される。

「ねえ、No. 271。星空、きれいだね。一緒にこんなきれいな景色を見ていたら、わたし、あなたのこと好きになっちゃいそう。」

 No. 312 はいたずらっぽく No. 271 に語り掛ける。

「そう、わたしは前から好きだったよ。」

「へ?」

 No. 271 からの突然の告白に、No. 312 は呆然とする。No. 271 はやはり No. 312 の方を向かずに話を続ける。

「あなたは部隊の誰が死んでも、絶対に生きることを諦めなかった。わたしたちが最後の二人になって、わたしが絶望で動けなかったときも、必死に私のことを『影』から守ってくれたでしょ?」

「…あれは、一人になりたくなかっただけだよ。」

「もしそうだとしても、そうなんだろうけど、わたしはそれがすごくうれしかった。」

 No. 271 は No. 312 の方を向いた。

「だからわたしは、あなたのことが、好きなの。」

 No. 312 はドキッとした。No. 271 の笑顔を初めて見たからだ。地上で「影」と戦い始めてから No. 271 はただ淡々と「影」と戦い続けた。そのときの表情は、人間が感じる感情をすべて落としたようなものだった。

 口角を少し上げ、目尻をゆったりと下げ、頬をやや赤く染めたその笑顔は、この世の何にも言い換え難い微笑みだった。No. 312 は、ただ美しいと感じた。その微笑みを美しいと感じた。この美しい星空の世界で、その微笑みを永遠に見ていたかった。

 No. 312 の左腕が No. 271 の頬に自然に伸びて、左手が頬に触れる。 No. 312 は自分がなぜそのような行動をとったかは分からなかったが、そうするのが自然だと思えたのだ。

「きれいだよ、No. 271。この星空よりも、あなたのほうがきれいだよ。」

 No. 312 が小さくつぶやいた。No. 271 は No. 312 が自分に触れたことにほんの一瞬驚いたが、すぐに気持ちよさそうな顔をして目を閉じた。そして No. 271 は、まるですぐに崩れてしまうものを包むように、No. 312 の左手を両手で包み込んだ。No. 271 はそのままの状態で口を開いた。

「ねえ、No. 312。昔は、愛する人にだけ自分の本名を教える文化があったらしいよ。」

 No. 312 は少しだけ体を No. 271 の方に寄せながら返事をする。

「そうなんだ。わたしたちもお互いの名前を知らないよね。でも、名前を教えたら除隊にされちゃうよ?」

 No. 312 はほんの少し心配そうな顔になる。

「大丈夫だよ。こんな場所に救援なんて来ないし、本部まで逃げ切れるわけがないよ。」

 No. 271 の言うことはつまり、二人の未来はこの場所で「影」に喰われるしかない、ということを暗示していた。

「二人でなら逃げきれるよ!頑張って逃げようよ!」

 No. 312 はそのままの状態で声を上げた。二人一緒でなら逃げきることができる、という希望的観測を。No. 271 はその希望的観測を否定する。

「No. 312。わたしたちが持っているライフルの残弾はいくつ?」

 No. 312 は答えられない。ここまで来るのに大量の弾丸を使ってしまったことを誰よりも知っているからだ。No. 312 の銃撃の精度はあまり高くない。訓練をあまり受けずに実戦に投入されたからだ。しかし、No. 312 はその銃撃の精度の低さを身体能力で補っている。なので、高い身体能力で「影」からの攻撃をかわしながら銃撃を当てるという戦闘スタイルに収まっている。そのため撃ち損じが多くなり、結果として「影」を倒すのに弾丸の消費量が増えてしまうのだ。

「泣かないで、No. 312。」

 No. 312 は自分が気が付かないうちに涙を流していた。自分の訓練不足のせいで目の前にいる自分を好きだと言ってくれた人を助けられない。そんな悔しさが胸の奥からあふれ出してくる。

 No. 271 は、仕方がないなぁ、という困った顔をしながら、No. 312 の左手を包むように握りしめた後、腕を伸ばして No. 312 を強く抱きしめた。No. 271 の左手は、No. 312 の後頭部を優しくなでる。

 No. 271 は、No. 312 の少し膨らんだ胸に顔をうずめて泣いた。No. 271 は No. 312 の後頭部を撫でながら言う。

「さっき言ったでしょ?わたしはあなたに助けてもらったから好きになったんだって。元はと言えば、わたしが絶望して動けなかったから、あなたにたくさんの弾丸を使わせちゃったんだよ?」

 No. 271 は、そうでしょ? という顔をしながら言った。

「でも、わたしがもっと訓練して、銃撃の精度を上げることができれば、もっと弾丸の消費をへらすことができたのに!」

「そうかもしれないね。でも、わたしはこれで良いの。もう、戦うのには疲れたから。」

 No. 271 は No. 312 の頭をなでながら、少し目を細めて応えた。

「もうかれこれ一年近く戦ってるでしょ?終わりのない戦いをこれ以上するのは辛いんだ。だからもう終わりにしたいなって。」

 No. 271 はひどく優しい声で言った。それはまるで、大切な大切な願い事を、ほうき星に願うときのように。声が作る振動で誰かを起こしてしまわないように。

 ちょっとの間、No. 312 の嗚咽があたりに響いていた。


 * * *


 二人はまた、別々に座り直して夜の星空を眺めていた。しかし、今度は二人の間に銃はなかった。銃は二人の足元に転がっている。二人は指を絡ませて手を握っていた。二人の間に、夏の湿った空気と心地の良い静寂が広がっている。

 No. 312 が静かに切り出した。

「ねえ、No. 271。あなたの名前は何?」

「うふふ、二人なら逃げ切れるんじゃなかったの?」

 No. 312 の質問に、No. 271 はくすくすと笑いながら答える。

「もう! そのことは忘れてよ!」

 No. 312 は頬をふくらませて No. 271 を見る。

「ごめんね? あなたを見ていたら少し意地悪をしたくなっちゃって。」

 No. 271 は少し申し訳なさそうな顔をした後、No. 312 の方を見て微笑んだ。

「わたしの名前は、チカ。“チ”は知識の、知、の下に日付の、日、って書いて、“カ”は約束を果たすの、果、たすって書くんだ。」

 智果は左の手のひらに右手の人差し指で、それぞれの文字を空書きしながら教えた。

「どういう由来なの?」

「自分で身に付けた智慧を使って、物事をやり遂げる人になって欲しいっていう意味でつけたって言ってたかな。」

 智果が思い出しながら答えた。

「そうなんだ。素敵な由来だね!」

「ありがとう。よし、次は No. 312 の番だよ。」

「うん。わたしの名前は、ユイだよ。“ユ”は優しいの優で、“イ”は依るっていう字だよ。」

 優依も智果のまねをして、それぞれの文字を空書きした。

「由来は由来は?」

 智果が、優依に急かすように名前の由来を尋ねる。

「字の通りだよ。優しくて、頼れる人になって欲しい、っていう意味でつけてくれたんだって。」

 優依は笑顔で答えた。

「それじゃあ、優依ちゃんは名前の通り、優しくて頼れる人になれたね。」

「なんで?」

「わたしのことを守ってくれたでしょ?」

「智果ちゃんさっきからそればっかりじゃん! 他にエピソードないのぉ?」

 優依は冗談めかして智果に詰め寄る。

「もちろんあるよ! ご飯の時に率先してみんなに配ってくれたりとか、大変な作戦の時にいつも笑顔でみんなを励ましてくれたりとか!」

 智果はそこまで言い切ると、一息置いて話し続けた。

「でも、わたしにとって、優依ちゃんが助けてくれたのは大切な出来事だったんだよ。だから優依ちゃんが聞き飽きちゃってもわたしは話すのを止めたりしないから!」

 ほんの少し頬を赤く染めながら力説する智果を、優依はずっと守りたいと感じた。

「そっか。ずっと一緒にいようね。智果ちゃん。」

「うん。ずっと一緒だよ。優依ちゃん。」

 二人は向き合って、両手の指を絡ませて手を握る。そして、二人はしばらくの間、お互いの額を合わせて、相手の体温を感じた。それを感じる二人の顔は、どちらも口角が少し上がり、ほおを紅潮させていた。それは一瞬でもあり、永遠でもあった。

 ほんの少し額を離すと、二人はゆっくりと顔を近づける。二人の湿った唇が一瞬重なった。二人は顔を少し離した。再び見えたお互いの瞳には、自身の虚像が映っている。

 二人は再び見つめあって微笑むと、今度は舌を絡ませてしっかりと唇を重ね合わせる。二人の周りには、草葉が風で揺れる音と、二人の短く小さい喘ぎ声だけが聞こえる。

 しばらくそうしていたが、二人は口を開けて唇を離した。二人の間には、銀色の糸が引いている。銀色の糸は自重で屋根の上に落ちた。

「優依ちゃん、わたし、優依ちゃんと同じ部隊に入れて良かった。今まで生きてきて、今日ほど幸せだな~って感じたことはないよ。」

 智果が静かに言う。それに応えるように、優依が口を開く。

「わたしもだよ。智果ちゃん。わたしのことを好きだって言ってくれてありがと。わたしも智果ちゃんのことが好き。」

 優依はそう言ってゆったりと微笑んだ。智果は、少し目を開いて驚いたような表情をしたが、すぐにおなじように微笑んだ。

「智果ちゃん、続き、しよ…?」

「…良いよ。今日のわたしは優依ちゃんだけのものだから。」

 二人はお互いのセーラー服の赤いリボンをゆっくりとほどいた。人が生活していたころの喧騒はもうない。この空間と時間は、ただ二人だけのものだった。智果が優依のリボンを完全にほどくと、少しためらうように顔を俯けて言った。

「いざ、そういうことをするってなると、ちょっと恥ずかしいね。」

 優依はいたずらっぽくくすくすと笑って言う。

「智果ちゃんは乙女だね。」

「もうっ、優依ちゃん!」

 智果はほんの少し非難がましい目線を優依に向けたが、すぐにくすぐったそうな表情で笑った。

 二人は再びちょっとの間、微笑みながら見つめあった。

「智果ちゃん、好きだよ。」

「優依ちゃん、わたしも好きだよ。」

 二人は舌を絡めてキスをしながら、お互いの胸に手を伸ばした。セーラー服の上から胸を触る。

「んっ…。優依ちゃん、気持ちいい?」

「うん。智果ちゃんも気持ちいい?」

「うん。優依ちゃん、意外と胸大きいんだね。」

「そう…んっ…でしょ?」

 二人は頬を赤く染めながら、お互いの胸の感触を確かめ合う。優依が智果を抱えるようにして仰向けにする。智果はそれを抵抗せずに受け入れる。

 優依の手が智果のプリーツスカートを捲し上げた。智果の下着の中に優依の手が入る。

「やっ…!」

 智果は突然の出来事に思わず声を上げてしまった。同時に智果は、とっさに優依の胸を触っていた腕を戻して、スカートを伸ばして隠そうとする。優依は微笑みながら尋ねる。

「ごめんね、智果ちゃん。嫌だった?」

 智果はほんの少し感じる恥ずかしさに、視線を優依から外した。

「嫌じゃ、ないよ。」

「そっか。じゃあこのまま続けるよ?」

「うん。嬉しい。」

 優依はこわばっている智果の手を安心させるように左手で取って、右手を智果の下着の中に滑り込ませる。

「ひゃぁっ!?」

 智果は、自分の中に入ってきた優依の指に対する驚きと気持ちよさで、思わず声を上げた。今まで感じたことのない感覚に、ほんの少し腰が浮いている。

「ふふ。智果ちゃん、かわいいね。」

 優依はそのまま智果の唇に自分の唇を重ねる。幸福感が二人を永遠に誘う。二人だけの時間が流れる。廃墟となり、草木が生い茂ったビルたちがこの空間を切り取って二人だけのものにしている。人のいない静寂が、星空を埋め尽くす星たちが、二人の空間を彩っていく。

 しかし、その静寂は永遠にはならなかった。二人のポケットに入っていた携帯通信機トランシーバーから、アラートが鳴る。このアラートは、トランシーバーに内蔵されたセンサーによって近辺の「影」の出現を感知したことを知らせるためのアラートだ。

「こんなところまで追ってくるなんて…!」

 優依は怒気を含んだ言葉を発しながら、ライフルを手に取って起き上がろうとした。しかし、智果は優依の右の手首をつかんで制止する。

「優依ちゃん、わたしはもう戦うのに疲れたってさっき言ったでしょ?」

 智果は、諦めたような表情で微笑んでいる。

「でも…」

「良いから…。優依ちゃん、ずっとわたしのそばにいて。」

「智果ちゃん…。」

 優依は悔しそうな顔で智果の方を見た。だが、すぐに決意したような表情になって智果のそばにしゃがみこんだ。

「わかった。わたしはずっと智果ちゃんのそばにいるから。絶対にどこにも行かない!」

「…ありがとう、優依ちゃん。」

 智果は初めて自分から優依の唇に自らの唇を重ねた。二人が重なり合っている屋根の下では、相変わらず長く育った雑草がさわさわと揺れている。草木が生い茂る廃墟ビル群の中にできた二人だけの空間に徐々に影が差していく。星空はずっときれいなままだ。二人はこの美しい徐々に暗くなっていく空間の中で互いの体を相手に預けた。今この瞬間を、幸せな時を、永遠に自らに刻み込むために。


 * * *


 東の空が白み、朝日が昇ってきた。太陽が昇り、その光は草木をさらに高く育む。

 昔駅だった建物の屋根の上には、指を絡ませたまま握られた手が付いた腕が二本、赤いリボンが二本、旧式で使い古されたライフルが二丁転がっていた。

 いたるところから草や木を生やした廃墟ビル群の窓にくっついているガラス片が、太陽の光を反射してきらきらときらめいている。

 空を見上げると、雲一つない青空が永遠に広がっているように錯覚させる。

 二人の永遠の空間は、ただ静寂を保っていた。

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永遠とも思える一瞬の幸せ いそた あおい @iSoter_kak

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