第13話 初めての訪問

 汗が出て来た。

「あ、あのね、私、これでも女なんだけど」

 反応がまた凄まじい。

「えー、嘘ーっ。探偵役だからって嘘つかないでー」

「冗談ばっかり! 引っかけるのが好きなのね?」

「ごまかしてもだめよ。プログラムにちゃんとあるわ。相羽信一って」

 他の女子も、揃ってプログラムを示してきた。

「あの、だからね。それは間違いで、昨日になって、急に配役が変更されたんです。私の名前は涼原純子って言ってね」

「信じられなーい」

「ひょっとして、好きな女子がいるの? それで断るために、そんな風に……」

「優しいんだ。ますます好きになっちゃう」

 誤解はなかなか解けそうにない。

「私達、先に行ってるからね。たっぷり、楽しんでちょうだい」

 町田達は冷たいもので、そそくさと教室の方へ向かおうとする。その顔は、明らかに面白がっていた。

「もうっ、助けてよー」

 叫ぶと、一人、富井だけが戻って来てくれた。

「大変だわねえ」

「せ、説明して、みんなに」

「口で言うより、簡単な方法があるよ」

 そっと耳打ちしてくる。

「何?」

「裸になったら?」

「――郁江のばかあ!」

 純子が怒鳴りつけるよりも早く、富井はきゃあきゃあ言いながら逃げてしまった。


(きれいなマンション)

 見上げ続けると首が痛くなりそうなぐらい、高い建物。クリーム色の壁に、部屋の仕切りが等間隔に付いている。遠くから眺めれば、まるでチェック柄だ。

(建ってから、まだ一年も過ぎてないんだろうな)

 純子はランドセルを背負い直した。手には花束、肘には手提げ鞄を引っかけている。

(ここの五階、五〇三号室よね)

 メモを取り出し、再確認する。

 自動ドアの玄関を抜けると、エレベーターが二本、見えた。

(今日は人目を気にしなくていいから、その点は気楽なんだけど)

 矢印のボタンを押して、箱が下りてくるのを待つ間、首を傾げる純子。

(訪ねる理由が理由だもんね。お見舞いかあ。気が重い)

 形としてはクラス代表だが、純子個人の気持ちはまた別。

 下りてきたエレベーターに一人で乗り込み、5のボタンを押した。

 1、2、3……と順次、点灯する番号を見ていると、次第にどきどきしてくるのが分かった。

「あはは、やだな。何、緊張してんだろ、私」

 声に出してから、深呼吸。

 ちょうど五階に到着した。

「五〇三、五〇三……。あった」

 端から三つ目の部屋。表札にも「相羽」とある。間違いない。

(相羽君のご両親て、どんな感じの人なんだろ。運動会にも来てなかったわ、そう言えば)

 もう一度深呼吸して、ブザーのボタンを弱く押した。

「はい?」

 インターフォンになっている。スピーカーから女の人の声が流れてきた。多分、相羽の母親だろう。

「あの、六年二組の涼原と申します。クラスの代表で、お見舞いに来ました……」

「あら」

 しばらく待っていると、ドアが開けられる。

 パーマネントをあてた、細い目の奥に聡明そうな眼差しをたたえた女の人が出て来た。自宅にいるというのに、淡いピンクのスーツを着こなしている。

「ありがとうね。どうぞ、上がってちょうだい」

「はい、お邪魔します……」

 入ってすぐ、きょろきょろと中を見回した。初めて訪問する家なので、つい、興味深く見てしまう。

 用意されたスリッパに足を通す。

(くっ。かわいい!)

 うさぎのアップリケが左右ともに施されており、その二羽がじゃんけんしている絵柄が楽しかった。

「お名前、聞いていいかしら? 『涼原』何て言うの?」

 女の人が尋ねてきた。とても若い声に聞こえる。

「純子、です」

「そう」

 平担だった口調が、少しだけ弾んだような気がした。

「あなたが純子ちゃん」

「えっ?」

 純子が聞き返そうとする直前に、女の人はノックした。ドアには、大人の目の高さに、デザイン化された文字で「SHINICHI」と入った木札がかかっている。

「信一。起きてる?」

「うん。なあに、母さん?」

 部屋の中から小さい返事があった。

「お友達よ。涼原さん。いいでしょう?」

「ええっ? お、あ、あっと、ちょっと待ってもらって」

 部屋の中から、物をひっくり返すような音が。慌てる様が脳裏に浮かぶよう。

 つい、笑い声をこぼすと、相羽の母親――おばさんが小さくうなずく。

「信一は学校ではどうだか知らないけど、家ではこんなものよ。そうだわ。あの子、クラスで浮いていないかしら。転校が多いと、気になるものなの」

「全然。すぐ、溶け込んじゃって。相羽君、とても人気あるんですよ。女の子から」

「そうなんだ? 私に似たのかな」

 事実、相羽は母親似のようだ。部分部分を取り出せばさほど似てないかもしれないが、全体の顔立ちや雰囲気がどことなく、しかし間違いなく似ている。

「あの、これ」

 いつまでも持っているのもおかしいかなと思い、純子は花束を差し出す。

「みんなで買ったお見舞いです」

「信一も幸せ者だわ。ありがとうね。みなさんにもお礼を言っておいてね。だけど、手渡すのは、信一にしてやって」

「あ、はい」

 花を包むビニールが、かさかさ音を立てた。

「いいよ! 入ってもらって」

 相羽の声がした。おばさんの顔を見やると、いいわよとばかりにうなずき返してきた。黙って会釈し、目の前の扉のノブに手をかける。

「こんにちは」

 開けた扉のすき間から顔を覗かせると、部屋の主はベッドの上で、ぎょっとした表情を見せた。

「な……もう上がってたんだ?」

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