第11話 髪と電話

 純子が言い切ると、その場にいた女子全員が、静かになった。その一秒後には、大騒ぎと化す。

「本気?」

「うん……。そうするのが一番早いし」

「だ、だめよ」

 遠野が心配そうに言ってくる。

「こんな、きれいなのに」

「そうよ。ここまで長くするのに、時間かかったでしょ?」

「それは……まあね」

「だったら、やめときなよ。もったいない!」

「けど、この役、引き受けたんだもの。合った格好をしないと」

「今日、いきなり言われたのよっ。そこまで考えなくていいってば」

「涼原さん、私が余計なこと言ったわ。謝るから、そんなことしないで」

 町田が抱きつかんばかりに、謝ってきた。

「う、うん。じゃあ、とりあえず、今は……。時間ないから、早く行こうよ」

 純子はそう言って、真っ先に教室を出た。


(どうしようかな……)

 お風呂から上がり、長い時間をかけて髪を乾かし終えた純子は、鏡の前で考え込んでいた。

 学校での最後の練習は、予想以上にうまくいった。用心して、本番ではもしものときのため、台詞を教える係を配することになったが、まずは大丈夫だろう。

(女子はみんな、切るなって言うけれど。男子は半々ぐらい? 切った方がいいって言う子が多かったかも。確かに、演技には邪魔になってた。ときたま、周りの人や物に、髪の先が当たったみたいだし……。何より、探偵の印象が)

 明日の朝一番で切ろうかな。そんな思いが頭をもたげつつあった。

「純子、電話」

 母親が知らせてきた。

「はーい」

 部屋を出て、階段を下りる。

「誰から?」

「声がかすれてて、よく聞き取れなかったわ」

「何よ、それ」

 そんなのよくつないでくれたわと呆れながら、送受器を手に取る。

「もしもし? 替わりました」

「あ、涼原さん? 僕、僕」

 眉をしかめる純子。さっき母親が言ったように、がらがらにかすれた声が流れてきた。加えて声量も小さいため、聞き取りにくい。

「あの、失礼ですが、どなた様でしょう……?」

「どなた様って。相羽です」

 がらがら声がかしこまって答えた。

「相羽君? わぁ、全然、分からなかった」

「そんなにひどい?」

「うん。あの……寝てなくて大丈夫なの?」

「いやあ、本当は寝てる方がいいに決まってるんだけど。ははは」

 どこかから息が漏れているような笑い方だ。

「昨日、帰ってから動き回ってたら、熱っぽくなってさ。それでもまあいいかと思って、朝、起きてみたらこの声。参ったな」

「そんなに喋らないで。……私のせい……よね」

 小さくなる声。内緒話でもしているかのように、二人とも小声になってしまった。

「何で?」

「だ、だって」

「送ったのは関係ない。考えたら、その前から喉、おかしかったんだ」

「でも、寒いのに、わざわざ遠回りして……」

「だからあ、それは僕が自分で判断したこと。喉の調子も考えずに、無茶をしたのは自分の責任。涼原さんが気にしなくたって、いいよ」

「……」

 涙が流れそうになって、言葉が出ない。

「どうかした、涼原さん?」

「……ごめんなさい。ありがとう」

「何で礼なんか。ま、いいや。そういうつもりで電話したんじゃなくて、こっちこそ謝らなくちゃ」

 喉がいがらっぽくなったのか、せきを一つする相羽。

「あの、本当に大丈夫なの?」

「平気、これぐらい。それよか、劇、迷惑かけたみたいだ。特に涼原さんに」

「聞いたの?」

「色々、電話でね。悪いと思ってる。だけど、もう君に任せるしかないから……うまく行きそう?」

「何とか」

「気楽にやってよ。それでさあ……髪、切るって聞いたけど、本気か?」

「……誰がそれを……」

 はっとして聞き直す純子。手に汗がにじんできて、送受器を持ち替えた。

「女子の何人かが、僕のところに電話して来た。『あの子、男役になりきるために、髪を切るって言い出してる。相羽君からも言って、止めてやって』だって。いい友達だね」

「何を言ってるの。私がいいって言ってるんだから――切る」

「そんなことで責任取ろうとするなよなあ」

 ぜえぜえと息をしながら、相羽は言った。

「元々、責任なんて感じなくていいんだ。さっきも言ったように、僕が悪い。だいたい、考えた?」

「何をよ」

「いきなり髪を短くして行ったら、他の人が動揺するかもしれないってこと。そうなったら、演技どころじゃなくなる」

「それは……。男子は切ってもいいんじゃないかって言ってたわ」

「そんなもの、冗談に決まってるだろ!」

 大声を出した相羽。すぐにせき込んでしまった。

「ご、ごめん。やっぱ、調子よくない」

「……」

「男子連中、切ったら面白いなという程度で言ってるんだ。まさか君が本当に切るなんて、考えてやしないって。こんなこと言うの、恥ずかしいけどな――髪は女の命ってことぐらい、男子にだって分かるんだぜ」

「……ほんとに、そう思う?」

 純子は、鼻をくすんと鳴らす。

「思うよ。たかが劇とは考えたくないけど、あんまり思い詰めるのもよくないんと違う?」

「ええ、そうかもね」

 肩の荷が下りた。そんな気がしてきた。

「髪のことだけど、どうしても気になるんだったら、後ろでひとまとめにしたらいいんじゃない? 幅の広い布を使ってさ。ポニーテールっぽい髪型の男なら、そこそこいるよ。結ぶ位置は、なるたけ首の近くがいいだろうけど」

「そうよね。うん、そうするっ」

「髪、切らないよね?」

「うん」

「よかった。それが電話の目的だったんだ。はは。長くなっちゃった。ごめん、こんな時間に」

「ううん、いい。こちらこそ……うれしかった」

「そう? 勇気出して、電話した甲斐があった」

「勇気って?」

「女子の家に電話するの、勇気がいるんだぜ。じゃあ、いい加減、切らないと。明日、楽しく頑張りなよ。もしも行けたら応援する」

「ありがとう。あの、相羽君。お大事にしてね」

「どうもどうも。お大事にするために、早く電話を切らないとね。明日は名推理を披露してくださいよ、古羽相一朗殿」

「え? ――はい、分かりました!」

 電話が終わってからも、しばし、電話機の前に立ち尽くす純子。

「純子? 終わったんなら、そんなとこにいないで。身体、冷えるわよ」

「はあい」

 勝手に顔がほころんでしまう。

「長かったわね。結局、誰からだった?」

「クラスの子。明日のことで励まされちゃった」

「ふうん。それだけにしては、随分、うれしそうだけど」

 母親からの指摘に、純子はどきっとした。でも、隠す必要はない。

「うん。うれしいの!」


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