第10話 代役

「やりなよ、純子」

 無責任に声を飛ばしたのは、富井だ。

「無理よっ。その、探偵の古羽は男だわ」

 一瞬、静かになった。が、流れは変わらなかった。

「いいじゃない、女が男役やっても」

「そうよね。宝塚みたいでいい感じ」

「じゃあ、涼原さんがあの格好をするの?」

「面白いっ、見てみたい!」

 みんな口々に好きなことを言う。挙げ句の果て、拍手する者まで出る始末だ。

「どうかしら、涼原さん?」

 先生が確認をしてくる。

「台詞をほとんど覚えていないんなら、もちろん、無理強いはしませんよ」

「い、いえ。それは……おおまかなところは」

「それなら、引き受けてもらえないかしらね? みんなも助かるわ」

「ええっと」

 口ごもる純子。頭の中、様々なことが駆け巡っている。

(こうなった原因は私にあるかもしれないんだ。じゃあ、引き受ければいい。でも、明日よ? 台詞、完璧にできるの、純子? もし覚えられないんなら、最初から引き受けちゃだめ。かえって迷惑)

 弱気の虫が顔を覗かせる。

 が、もう一方で、負けん気の強さが出た。

(何よ。こんなことぐらい、できる。できるわよ。だって、あいつが――相羽君が覚えられたのよ。私にできないなんて、おかしい。責任、取ってあげようじゃないのっ)

 結論は出た。

「私、やります」

 答えてから、声に張りが戻ったかなと、純子は感じた。

(よし、元気)


 学芸会前日の授業は昼までだ。午後からは準備なり練習なりに、存分に当てられる。

 しかし、純子にとっては、とても充分な時間とは言えない。

 最初に読み合わせを行い、間をつかむ。次に台本を持ったまま、動きを入れた。まずまずの感触。

「とにかく、通してやってみようっと」

 試してみたところ、案の定、とちりまくってしまった。

(台詞の最初だけ出て来て、あとが続かない。やっぱり、いきなりは無理よね)

 引き受けると言い切っただけに、内心、冷や汗をかく思いだ。

「頑張って」

「うん。ありがと、郁江」

 また声から元気が逃げていきそうになっている。頭を強く振り、集中して、台本に目を走らせた。

 一通り読んだところで本を閉じ、復唱してみる。さっきよりは行けそうだ。

「みんな、ごめんね」

 立ち上がって、再び最初から。

 そんな練習が、ぶっ通しで幾度も繰り返された。まだ完全にはできないものの、徐々によくなってきている。

「涼原さん」

 何度目かの練習を前に、立島が話しかけてきた。

 座って台本をむさぼり読んでいた純子は、はっとして見上げる。

「立島君……ごめんなさい。こんな、迷惑かけて」

「何を謝ってるのさ。君のせいじゃないし、やるしかないんだから。それより、あんまりきっちり覚えようとして、緊張してるんじゃないのかなって思ったんだけど、違う?」

「それは、まあ、相羽君にあんなこと言った手前、自分もきちんと覚えようってしてるから」

「そのことだけど、場合が場合だしさ、話の流れを大切にしよう」

「どういうこと?」

 きょとんとする純子。

「さっき、みんなで話したんだ。いざとなったらアドリブするから、涼原さんは話の流れだけはしっかり掴んで、意味の通るように台詞をつないでほしいってことだよ」

「そんなのって、できる?」

「やるんだよ」

 立島は苦笑いしながら、あっさりと言った。

「だから、涼原さんもやろうよ。これぐらいのことで、がちがちに固く考える必要なんてない。やるんだったら、楽しくやろう」

「――うんっ」

 純子は今日、初めて笑えたような気がした。

「ようし。相羽君が出られなくなったことを悔しがるぐらい、楽しくやってみせるんだから」


 それからは吹っ切れたか、演技の方はともかく、少なくとも台詞はほとんどとちらなくなった。

「そろそろ、体育館の舞台での練習時間だけど」

 前田が壁の時計を見上げて言った。

 本番は体育館の舞台で行われる。舞台を使った練習は限られているので、有効活用して、少しでも馴染んでおかなければならない。

「あ、衣装のことがあったんだ」

 きちんと衣装を着け、本番さながらにやろうというときになって、そのことを思い出した。

 女子は教室で、男子は体育館の控えで着替える。

「相羽君の着物、そのまま着られるかなあ」

「大丈夫。きっと着られる」

 衣装係の遠野が、落ち着いた声で言った。

「と言っても、私もこれに触るのは初めてなんだけどね」

「そっか。これまでは男子の衣装係の子が持ってたんだっけ」

 上着はぴったり合った。次は袴に足を通す。足の長さだけが心配。

「どう?」

 着込んでから、両手を広げ、遠野に見てもらう。

「おかしくない?」

「――ええ。念のため、歩いてみたら?」

 その場で動いてみた。別に動きにくいこともない。

「だけど……」

 町田が不安げな色を見せた。彼女はすでに着替え終わっている。

「髪が似合ってないような。ごめんなさい。でも、何だか相羽君のイメージが強くて」

「髪」

 自分の髪をなで上げる純子。

「忘れてたわ」

「男の探偵だもんね。こんな長くてきれいな髪じゃ、変に見える」

 前田も難しそうな顔をしている。

「今から女探偵に変えるのも無理よねえ」

「うん。台詞が直らないと思う」

「まさか、おだんご頭にするわけにいかないし」

「それじゃあ、完璧に変態よ」

「帽子をかぶったらどうかしら?」

「それ、いいかもしれない」

「けど……顔が見えにくくなっちゃう。劇なんだから、やっぱ、誰だか分かるようにしないと」

「かつらを借りるとか」

「今からじゃ間に合わないわよ」

 かんかんがくがく、意見が出される。だが、妙案はない。

「いいわ。私、切る」

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