第9話 雨の翌日
学芸会まで一日と迫ったこの日。純子は落ち着けないでいた。
(何よ、もうっ。遅い)
朝から相羽の姿が見えない。もうすぐ、授業が始まる。
(お礼に、これ、渡そうと思ってたのに)
机の奥にしまい込んでいた小ぶりな袋を、ぎゅっと握りしめた純子。
始業のベルが鳴った。結局、相羽は来ていない。
二分ほどした頃、先生がやって来た。
「今日は相羽君が休みだから、副委員長の涼原さん、号令をかけて」
「は、はい」
いささか慌てながら、純子は返事した。
(いけない、すっかり忘れてたわ)
「起立っ」
出した声が、少しだけど、うわずっている。小さくせき払いした。
「礼――着席」
座ってから、早速、先生に尋ねる純子。
「先生。相羽君は休みって、どうしてですか?」
「そうそう。風邪だって、電話がありました」
クラスのみんなに聞こえるように話す先生。
(風邪? まさか)
胸がずきりとする純子。
「重いんですか」
他の女子が聞く。
「ええ、そうみたいね。実は、学芸会の劇も無理かもしれないって」
途端に、全員が声を上げた。
「そんなあ」
「えー? どうするんだ?」
「探偵役がいなくなったら、できないよー」
先生は手を打って静かにさせようとする。
「はい、静かに。そのことは二時間目の最初に時間を取るから、話し合いなさい」
「今から決めようよ」
「算数は少し遅れているから、いけません」
ぴしゃりと言って、先生は教科書を開いた。
皆も、仕方なく大人しくなり、ノートや教科書を開け始めた。
(どうしよう……)
純子も外見は勉強する態勢になっていたが、頭の中では全然別のことを考えてしまう。
(私のせい……? ほ、ほんとに、ばかなんだから、相羽ったら。忙しいのに、何で送ってくれたのよ……)
不意に身体が揺さぶられた。
後ろの子が、純子の肩を揺すっている。
「え、な、何?」
「先生が」
そっと囁かれ、純子は慌てて前を向いた。
「涼原さん? 聞いてた?」
「い、いえ……。すみません、考えごとしてました」
「そう。じゃあ、その脳みそを、ちょっとこっちの問題にも使ってもらいます。問題三、やってみなさい」
「は、はーい」
がたごと音をさせ、椅子から立ち上がった。
二時間目の社会科を始める前に、劇のことが話し合われた。
「――というわけで、相羽君は喉を痛めて、大きな声を出せないそうだから、仮に明日、学校に来ることができても、劇は無理になりそうです」
最初に先生が概略を説明した。
「相羽君の風邪のことは置くとして、劇をどうするか、考えましょう。みんな、もちろんやりたいわよね?」
「当然!」
「やめたら、何のために台詞を覚えたんだか」
劇はやめないという声ばかり。
「それでは、あとの問題は、一つだけよ。相羽君がやる予定になっていた探偵の……何て言う名前だったかしら?」
「
揃った声が返した。
「そうだったわ。古羽探偵の役を誰がやるかだけ、決めなくちゃね。とりあえず涼原さん、司会をして」
「はい……」
答えて、声に元気がないと意識する純子。重たい足取りで前に向かい、教壇に立った。
「えっと……誰がいいですか。意見、ある人」
「探偵のイメージったら、他にできそうなの、立島ぐらいだろ」
早速、意見が出された。黒板に書こうとする純子。動作が操り人形のようにぎくしゃくしている。
「無茶を言うなよ」
即座に否定するのは立島自身。純子は手を止め、みんなの方を向いた。
「僕は警部役をやってるんだ。もし探偵役になったら、今度は警部を誰がやるんだよ?」
「あ、そうだった」
あっさりと引っ込められる。
(失敗、失敗)
誰にも分からぬよう、頭をこつんとやる純子。
(ぼーっとしてるわ、私。しっかりしなきゃ)
気を取り直して、全員を見渡す。
「長い台詞のない人で、探偵役をやりたい人、いませんか?」
反応はない。
「出てなかった人でもいいわ。やってみたいっていう人、いない?」
やはり反応はなかった。困ってしまって、自分のほっぺたを右手の人差し指で触る純子。
「もしやりたくても、台詞を覚えられないよ」
「そうだよ。時間がない」
純子は少し考え、みんなに聞いた。
「でも、劇をするには、絶対に探偵役を決めなきゃ。だから……だいたいでいいから探偵の台詞を覚えてる人、手を挙げてみて。役を持っている人も含めて」
純子の呼びかけに手を挙げたのは、実際には役を持っている者ばかりだった。立島、前田、井口の三名。
「立島君は警部役だし、前田さんも井口さんも、重要な役だわ……。ね、他にいない?」
途方に暮れる純子。
(やだ、泣きたくなってくる。……相羽君の風邪が私のせいだったら。私のせいで、劇ができなくなっちゃう!)
切羽詰まって、片手で頭を抱えてると、先生の声が聞こえた。
「涼原さん、あなたはどう?」
「はい?」
顔を上げ、右にいる先生の顔を見つめる。
先生は優しげな笑みを満面にたたえて、口を開いた。
「あなた、監督をしてたんですって?」
「監督だなんて、とんでもないです。単に、劇がちゃんと行くように、まとめるだけの役」
「まとめ役なら、劇の内容は把握してるわよね、きっと」
「それはそうですが」
「だったら、台詞もだいたいは頭に入ってるんじゃなくて?」
「え――」
先生の言わんとすることを理解した瞬間、純子は顔から血の気が引く感覚に誘われた。自分を指さしながら、恐る恐る確認する。
「ひょっとして先生……私が」
「そうよ。あなたの他に、見当たらないようだし」
「そんなあ」
純子は否定したが、他の者はそうではなかったようだ。最初ざわざわしていたのが、「いいんじゃない?」という空気に変わっている。
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