第7話 傘
練習を見守っていた純子は、大声でストップをかけた。裏方の彼女は、何故か監督の立場に推されてしまっていた。
「どこか違ったっけ?」
頭に手をやる相羽。その鼻先に、純子は台本を突きつけた。
「ほら、ここ。次に考えるのは『砂糖』じゃなくて、『スプーン』よ」
「そうだった。『次に考えるのは、スプーンのことです』か」
「自分で書いたくせに、推理の順番、間違えるんだから」
「意味は通じるんだけどな」
「他の人が混乱するでしょうが。ついでに言っておきますとね、砂糖のところの出だしは、『次に考えるのは、砂糖のことです』じゃなくて、『次に砂糖のことを考えてみましょう』だからね」
「そ、それぐらい、アドリブで……」
「そーゆーことは、ちゃんと台詞を覚えてから言ってよ」
純子にやり込められ、肩をすくめる相羽。
「じゃ、スプーンからもう一度」
「はい、はい」
純子は椅子に、相羽は教室中央に戻った。
「あそこまで厳しく言わなくても。演劇部じゃないんだからさ」
座ったところで、富井がくすくす笑いながら、話しかけてきた。
「演劇部じゃないからこそ、他の人はアドリブが効かないと思うの。だから、なるべく台詞通りにやった方がいいわ」
「それも一理ある」
あっさり引き下がる富井。
「けど、相羽君にだけ、特に厳しくない?」
「そ、そんなこと」
練習の様子を見守るのに集中できない。
「そうは見えないけどなあ。やっぱ、純ちゃんも」
「違う。そう見えるんだとしたら、厳しくしてるんだわ、きっと。でもそれは、あいつが台本書いた本人だという意味からで」
「そういうことにしときましょ」
「あのね」
後ろにいる富井へ振り向こうとして、止められる。
「ほらほら。ちゃんと練習、見てあげないと。涼原監督」
純子はため息をついてから、再び練習に見入った。
『四つ目に考えるべき点――それは、コーヒーカップを配った人です。
『はい、そうですが』
城島役の井口が答えたところで、純子はだめを出した。
「ストップ! また相羽君。細かいけど、『カップを配った』じゃないわ。『カップを運んだ』だから。テーブルまで運んだあと、井口さんと大谷君とでカップをみんなに配るんだからね」
「分っかりましたぁ」
相羽は自分のこめかみを、指先でこつこつと叩いていた。
学芸会まであと二日。ここのところ秋雨前線が活発で、あいにくの空模様が続いていた。
劇の稽古を終えて、外を眺めていた相羽は、窓をぴしゃりと閉めた。
「当日が晴れればいいや」
途端にせき込む相羽。
「まさか、風邪?」
教室の椅子を後片付けしていた純子は、心配になって声をかけた。
たまたま委員長と副委員長の二人が日番に当たっており、教室には今、純子と相羽だけだ。
「いや……発声練習しすぎて、いがらっぽいだけ」
「何だ。よかった」
「心配してくれたの?」
うれしそうに振り返る相羽。
彼に甘い顔をしたくない純子は、慌てて理由を考え出す。
「――それはもう、心配だわ。今になって、主役……と言うか探偵役が出られないなんてなったら、大変だもの」
「ははっ、違いない」
くじけた様子もなく、声を上げて笑う相羽。
部屋の錠をかけ、職員室に鍵と当番日誌を返してから、児童用の通用口へ向かった。一人でさっさと行くのも変なので、何となく並んで歩く。
「でも、よかったわ。みんなも台詞、覚えてくれたし、うまく行きそう」
「書いた甲斐があった。――と、結局、面白いのかな、この話って?」
ふと、不安げな表情を見せた相羽。
(へぇ? もっと自信満々なのかと思ってた)
微笑ましくなって、つい、口元をほころばせてしまう。
「いいんじゃないかしら」
外靴に替えながら、答えた。
「お世辞じゃなく?」
「うん。町田さんとか遠野さんとか、友達も面白いって言ってた。他のクラスの子に話したいのを我慢するの、大変みたいよ」
推理劇なので、話の筋はもちろん、誰が何の役をするのかについても、口外無用とされている。
「ほっ。肩の荷が下りたって感じだ」
まだ並んだまま、傘立てのある場所へ。
「……あれ?」
純子は、自分の朱色の傘がないのに気付いた。
「どうしたの? ひょっとして」
「そうよ、傘が……。誰かが間違って持って行ったみたい……」
今日は朝から強い雨足だったので、傘を持たずに来た子がいるとは思えない。
「確かに? もう一度、よく探したら」
「……ない」
傘立てに残る傘は、全学年を合わせても二十本に満たない。六年生の分に限ると六本だけだ。
「何色の傘?」
「色は、赤と言うか朱色だけど、それが?」
「じゃあ、その赤っぽい傘の子が間違えたんじゃないかな」
相羽の言う通り、傘立てには純子の物とよく似た色合いの傘が残っている。
「それを使っちゃえば?」
「そんなこと、できない。本当にこの人が間違えて持って行ったかどうか、分からないじゃないの」
「名前を見て、下駄箱にあるのがどっちの靴か確かめたら、分かるよ。傘があるのに、外靴がなかったら、間違えたってことだろ」
まるで探偵のように言う相羽。純子も感心しかけた。が、首を振る。
「ううん、だめよ。何かの都合で、車で送ってもらったかもしれないじゃない」
「そこまで考える、普通?」
「とにかく、万が一にも人の物を盗っちゃう可能性がある内は、嫌」
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