第3話 八面六臂

 次に、ほーっというため息を、純子は聞いた。

 目を開けると、清水が――何故か――相羽に肩をはたかれていた。

「ど、どうなったの? 無事だったみたいだけど……」

 富井に尋ねる。

「見てなかったのー? 凄いんだよ、相羽君。落ちるの、ちゃんと予想してたみたいで、立島君と二人して、落ちてきた清水君を受け止めた」

「受け止めた? ほんとに?」

 信じられない気持ちで、純子はグラウンドに視線を戻す。

 ちょうど勝負が着く瞬間だった。清水が落ちたことに、敵の紅組の方がびびってしまったらしく、比較的あっさりと白が勝利を収めた。

 決着して、再び二手に分かれて並ぶ。

 純子は相羽の姿を探した。

(あ、いた。まだ清水を怒ってる……)

 清水の方はさすがにしゅんとしていた。

 退場し、応援席に戻って来た二組の男子達に、女子が声をかける。

「何やってんのよ、清水君。下手したら死ぬかもよ」

「何もなかったからいいようなものの」

「相羽君と立島君に感謝しときなさいよ」

 清水はこめかみの辺りをかきながら、二人に頭を下げている。

「いや、もういいけど。あんまり、無茶するなよ」

「そうだぜ。さっきはたまたま、うまく受け止められて、ほっとした」

 前委員長と現委員長が、続けざまに言うものだから、清水もこりたらしい。あとは大人しく席に着いていた。

(委員長の責任からやった……でもないか。本気で心配してないと、あんなことできないかも)

 感心して、相羽を見やっていた純子は、彼が怪我をしているのに気が付いた。

「あんた、怪我をしてるじゃないの!」

「え? どこ?」

 本人は自覚がなかったらしい。立ったまま、自分の身体を見下ろしている。

「右腕の内側。細長く切れてる」

 言われた相羽は、右腕の肘を曲げ、目の高さまで持ち上げた。純子の言った通り、細く白い筋が十センチ近く走っており、血がかなりにじんでいる。どうやら、爪か何かで引っかかれたようだ。

「あ、ほんとだ。何かひりひりするなと思わないでもなかったけど、分からなかった」

 それだけつぶやくと、そのまま席に行こうとする。

「ちょ、ちょっと。絆創膏ぐらい」

「これぐらい、放っといても治るさ。知ってるか? つまらない傷には、絆創膏を貼るより、唾でも着けとく方が早く治るんだって」

「でも……ばい菌とか」

「平気だって。そんなに心配してくれるなら、傷、洗いに行ってもいいけど」

「だ、誰が心配なんか。あんたが委員長として頑張るのは分かるけど、自分のこともちょっとは考えなさいよっ」

 また口が悪くなってしまう純子。

「ふうん」

 相羽はぼんやりとした目つきで、軽く笑った。

「じゃあ、涼原さんは副委員長として心配してくれた、と」

「……そ、そうよ」

「なるほど」

 相羽はまた少し笑って、席に収まってしまった。

(何よ、心配してるのに……)

 純子は、自分が唇を尖らせているのに気付き、慌ててかみしめた。


 昼食の休憩を挟んで午後最初の競技は、四次元レースと借り物競走。これは紅白の対抗種目ではなく、いわば息抜きのアトラクション。

(二学期の委員には、これがあるんだった……)

 運動会の説明を聞くまですっかり失念していた純子は、今さらながらクラス委員に選ばれたことを恨んだもの。

 アトラクション故、出場するのは少人数。つまり、各クラス委員の男子が四次元レースに、女子が借り物競走に出ると決められている。

 それはまだ我慢できるのだが、問題は借り物の内容なのだ。受け狙いのとんでもない注文ばかりで、悪名高い。

(去年は確か、『校長先生の眼鏡』とか『出店のアイスクリーム』とかがあったっけ。まだましだわ。『ピアノ』なんてのもあったし)

 こういう競技だから、参ったをしてもいいことになっている。

 その代わり、それぞれの学年一位になった組には、クラス全員に賞品が出るので、それなりに責任も背負ってる訳だ。運がよくないと勝てないだけに、少し厳しい。

 先に男子のレースが行われる。

 四次元レースとは、回転椅子に座って十五回転させられたあと、五十メートルを走るという単純なものだが、平衡感覚を失っているので、右ないしは左にコースを外れ、中にはつんのめるように倒れて起きあがれなくなる者もいる。そこが笑いを誘うのだ。

 六年のクラス委員、男子六名がスタートラインならぬ椅子に着く。

(これにはきっと、まともではいられないはず)

 相羽を見ると、珍しく緊張しているようだ。純子は自分の緊張感も忘れ、楽しみになってきた。

 スタートの合図と共に、椅子の脇に着いた係の者――先生だ――が椅子を回す。全然、手加減なしに十五回転だ。

 勢いよく飛び出した二人が、ラインダンスでも踊るように、同時にコースを右に外れ、倒れてしまった。いきなり爆笑が起こる。

 他の者に目を向ければ、相羽ともう一人がゆっくりと走り始め、一人がへたり込んで這うように進み、最後の一人はスタートさえできない。

「あれ?」

 純子は思わず、声を上げた。

 派手にこけるに違いないと踏んでいたのに、相羽はほぼ真っ直ぐに進んでいるではないか。ゆっくりではあるが、なかなかしっかりした足取りだ。

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