第2話 要望にはなるべく応えるよ

「な、ちょ、ちょっと待った! 待て待て!」

 顔を近づけてくる相羽を、必死で避けようとする清水。途端に、クラス中に爆笑が起こった。

「や、やめろ。誰が俺としろって――」

「何だ、違うのか?」

 とぼけた風に言って、清水との距離を元に戻す相羽。

「じゃ、この希望は取消し。そうだよな、清水クン?」

「あ、ああ、そうして、ください……」

 疲れた様子で椅子にへたり込む清水だった。

 相羽はまた教室の前に立って、両手を広げた。

「とまあ、こんな感じで、みんなの要望には応えていきたいと思います。遠慮なく言ってください。その代わり、協力も頼んます」

 芝居がかった関西弁口調に、笑いが絶えない。

 相羽が再び純子の方を見やってきた。

「涼原さんも力、貸して」

「う、うん」

 笑うよりも、感謝の気持ちでいっぱいになりながら、純子はうなずいた。

(相羽君、やっぱり、いい奴)

 相羽が最後に言った。

「先生、お待たせしちゃって、すみませーん」

 先生の表情が、やれやれと語っていた。

「じゃ、まずは席替えの抽選を、段取りよくやってもらおうかしらね」


 十月十日は何の日? そう、体育の日。

 あるいは、晴れの特異日。要は、年間を通じて快晴を記録したことが、これまでに一番多い日という意味。

 それからもう一つ。純子達の学校は、この日が運動会と決まっている。

「静かにしろっての!」

 男子の列の前で、相羽が声を枯らしている。

「ちゃんと並べ。そら、帽子の投げ合いするな」

「行進のときは自由なのに、入場前は整列しなきゃいけないなんて、変だぜ」

 先頭の男子が、小さな身体で主張する。

 オリンピック等からの影響か、入場式の行進は、男女二列は守るものの、きっちり足並み揃えることなく歩くのだ。

「列は乱したらだめだろ。それに、もしもいなくなってる奴がいたら困るんだよ。だからちゃんと並べ。数えられないじゃないか」

「分かったよー」

 不満そうにしながらも、男子の方もようやく真っ直ぐに整列した。

 女子はと言えば、お喋りこそ絶えないものの、とうの昔にきちんと整列し、人数確認も終わっていた。

「もっと、がつんと言えばいいのに」

 人数確認を終えた相羽を待ちかまえ、純子は意見した。入場行進が始まるまでは、まだ少し時間がある。

 相羽は地面に座りながら、さらっと答える。

「転校生の身としては、遠慮が出て」

「冗談ばっかり。四ヶ月も経って、遠慮も何もないってば」

 呆れたけれど、笑えた。

 二学期になって、教室での席は以前より離れた二人だったが、委員長と副委員長という関係上、話を交わす機会は増えているかもしれない。

 その内、やっと入場行進となる。音楽が流れるが、歩調を無理に合わせることなく、六年から一年の順に各六クラス、入場門をくぐって進み出ていく。

 朝もまだ早いのに、休日であるためか、すでに家族がかなり詰めかけている。カメラや8ミリビデオ等のレンズが、いくつもあった。当然、子供達は自分の親らを見つけては、手を振ったりピースサインしたりするのだ。

 グラウンドを半周したところで、奇数のクラスは右に、偶数のクラスは左に分かれた。紅白に分けるためだ。

 校長先生の挨拶、来賓の挨拶、先生からの注意等、長いセレモニーが終わって、最初の演技目の始まり。全校児童によるラジオ体操だ。

 気温が上がってきた。


 午前中のハイライトは、六年生男子全員による棒倒し。

 裸足、上半身裸になった男子達が、二手に分かれて対峙する。紅組は右、白組は左。どちらの陣営か明確にするため、組の色の帽子をかぶる。

 現在までのところ、純子達の属する白組は、一ポイント差で負けている。故に声援にも力が入ろうというもの。特に同じ六年の女子は。

「頑張れ!」

「負けたら帰って来るなー」

「蹴飛ばしちゃえっ」

 ……少々、物騒である。

 棒の先に立つ紅白それぞれの旗を取られると、その回は負け。勝敗は三回勝負で着ける。無論、先に二本取った方が勝ちだ。予行演習では、一対一からの三回戦がほとんど同時に旗を奪い合って、引き分けている。

 本番も似たような展開になった。一回戦は白組が先制するも、二回戦、紅組が取り返し、タイになる。

 三回戦。緊迫した空気が、スターターの音で破られた。

「あっ、あんなことしてる!」

 純子の隣で、富井が声を上げた。彼女の指さす先には、肩車をしている男子がいた。今、二人だが、さらに三人目が担ごうとしている。

「ありゃりゃ。てっぺんは清水君だよ。よくやる」

「危ないんじゃない?」

 最初は面白がっていた純子だが、急に心配になった。

 皆の思いも同じらしく、徐々にざわめきが広がっているようだ。

 三人が肩車を組んだだけでは、まだ棒の先には及ばない。しかし、棒を支える敵陣の枠を突破することは可能な高さだ。

(高さはいいけど、安定が……。今は紅組も遠慮してるけど、あのまま攻める気なら、相手だって黙ってないんじゃ)

 純子の予想は的中した。近付くトーテムポールを防ごうと、紅組の男子が一番下の子を囲む。さらにバランスが悪くなり、一番上の清水が、大きく体勢を崩した。

「危ない!」

 誰もが叫んだ。

 純子も、顔を覆った手のすき間から、落下する清水の姿を見た。

(だめ!)

 思わず両眼を閉じる。

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