第11話 いいわけしない

「ありがとう。これ」

 借りた鉛筆を返すと、相羽は腰掛けていた土管から立ち上がった。

「待ってよ。ついでに聞きたいことがあるんだけど」

 純子は座ったまま、呼び止める。

(今、はっきりさせるのがいいかもしれない)

 目を瞬かせた相羽は、立ったまま聞いてきた。

「時間、遅くなるんじゃないか? 聞きたいことって?」

「……あなたが私にした、あのことよ」

 意地悪したくなった。上目遣いに相手の反応を窺う。

(これで分からなきゃ、すぐに帰ってやるから)

 相羽はほんの一瞬だけ、目を細め、考える素振りを見せたが、すぐに言った。

「ああ……キスしたこと。ごめん。許してもらえるまで、何回でも謝る。その気持ちは変わってない」

 彼は、純子と目の高さを合わせてきた。それが急だったので、純子はどきりとしてしまう。

「ちょ、ちょっと。そんなしゃがんでないで。そうするぐらいなら、こっちに座りなさいよ」

「いい?」

「当たり前」

 純子から少し間隔を開けて、相羽がゆっくりと座る。

「あのとき、どういうつもりであんなこと、言ったのかしら?」

 探りを入れてみる純子。

「あんなことって……」

 さすがに今度は、すぐに思い当たる言葉がないらしい相羽。

「忘れてないでしょうね? 私はしっかり、覚えてる。キスした理由を尋ねたら、『涼原さんが、あんまりかわいかったから』って、言ったわよね」

「それか」

 純子の視線を避けるように、相羽は顔を左に向けた。

「どういうつもりで言ったのか、答えて」

「それは……やっぱり、涼原さんがかわいかったから、素直に言ったまでで」

 相羽の声は小さかった。

(意地、通しちゃって)

 純子は半分呆れ、半分感心した。

「私ね、遠野さんから聞いたんだよ」

「えっ」

 絶句して振り返ってきた相羽は、ぽかんと口を開けていた。

「あなたねえ、遠野さんのランドセルか何かが背中に当たって、バランス崩したんでしょう? その弾みで、あんなことになった」

 言葉を切り、相手からの答を待つ純子。が、彼の方は唇をかみしめ、目線をそらしただけで何も言わなかったので、続けた。

「遠野さんをかばうために、お芝居するなんて、普通じゃ考えられない」

「……」

「私もかばってほしかったなあ――なんてね」

「ごめん」

 やっと口を開いた相羽。手の中の虫かごで、何かが盛んに跳ねている。

「あのときはさあ、まじで焦った。まさか、あんなことになるなんて……。どうすべきか、頭の中はごちゃごちゃに混乱してたけど、必死に考えたつもり」

「考えた結果が、あれ?」

「待ってよ。勘弁してほしい、ほんとに……。あのとき、わけを話していれば、僕や涼原さんだけじゃなく、遠野さんがさ、何か言われてたと思うんだ。極端なこと言えば、『無理矢理、狙って押したんじゃないのか』なんて風に。

 あの頃は僕、転校してきたばっかりだったけど、みんなの性格、だいたいのところは分かったつもりだったから。遠野さんは無口で大人しい。何を言われたって、ほとんど言い返せないみたいだ。雰囲気に流されちゃう感じ。だから、彼女のせいにするのはまずいなと思って」

「私はどうなるの? みんなの前で、いきなりキスされて、告白のおまけつき」

 自分で話している内に、またも恥ずかしくなってきた。こういう話は、何度も口にするものじゃない。

「涼原さんの性格は……当たっているかどうか分からないけど」

 歯切れが悪くなった相羽。本人を前にして、言いにくいに違いない。

「言いなさいよ。ここまで来といて、今さら」

「……勝ち気で、言いたいことは何でも言える。そういう風に見てた。比べるものじゃないかもしれないけど、あの状況では、遠野さんのせいにするより、僕と涼原さんだけの話にしてしまえば、まだましかなと考えて。僕も内心、パニック状態だったから、最善だったかどうかは怪しいけどね」

「大した気の遣いよう。驚いたわ」

 純子は勢いづけて腰を上げると、地面に両足を揃えて着地した。振り返ると、相羽が見上げてきた。

「涼原さん?」

「聞きたかったのは、これだけ。一応、正直に答えてくれて、ありがと。私も一応、すっきりした」

「遠野さんは、自分から君に話を……?」

「そうよ。あなたが思っているほど、引っ込み思案じゃないわよ、彼女」

「そうみたいだ」

 相好を崩し、軽く笑みを浮かべる相羽。その表情が、また引き締まった。

「改めて謝らなくちゃな、嘘をついた形になったこと。ごめんな」

「もういいわよ」

「本当に? 許してくれるのか?」

 相羽も立ち上がった。

「許すも許さないも、そもそもが誤解だったんだし。しょうがないじゃないの。でも、私だって、あなたが思っているほどは強くないかもしれないんだよ。それだけ、覚えておいてね」

「分かった。……よかった、やっと許してもらえた」

 ほっとしているのも明らかに、相羽は深く息を吐いた。

「そろそろ戻らないと、やばいかも」

 はたと気付く。時計がないから分からないが、かなりの時間が経ったような気がする。夕陽も赤も黒ずみ出していた。

「あーあ、ほんと、格好悪いったらない。涼原さんには謝ってばかりだ」

 相羽は虫かごの蓋を開けると、中の虫達を全部、逃がしてやった。

「土下座なんて真似、もうやめてよね。こっちが困っちゃう。だいたい、あなた、ここだけの話だけど、他の女子に人気あるわよ」

 目を丸くする相羽。

「だからね、簡単に頭下げてたら、幻滅する人もいるかもしれない。せめて、あなた自身が好きな女子の前では、なるべく格好つけてなさいよ」

 純子が若干のからかい口調を交えて続けると、相羽はしばし、静かになった。

(うん?)

 戸惑う純子に、ようやく返事が聞こえる。

「……格好つけたいんだけど、どうしてか、失敗ばかりするんだ」


――『そばにいるだけで エピソード1』おわり

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