第10話 無視できない虫採り少年


 八月も、と言うより夏休みも残すところあと三日になって、純子は富井ら友達三人と集まって、宿題を片付けにかかった。

 結果、ほとんど全部を埋めることはできた。埋められなかったのは、算数二問に理科一問。どれも、出題の意味がとらえられないのだ。

(これだけ埋めれば、先生に怒られることはないだろうけど……心残りで、何となく気になる)

 富井の家からの帰り道、純子はずっと、分からない問題の意味を考えていた。

 この辺りでも少なくなった空き地の横を行くとき、純子は草むらの中から白い棒が伸びているのに気付いた。

「……網? 虫捕りの網だわ」

 つい、つぶやく。とても懐かしい光景のように感じた。

 がさがさっと音を立て、草むらから網を持った主が現れ――。

「相羽……君」

 意外な印象を受ける。相羽が虫捕り網と虫かごを持って出て来たのだ。

「な、何やってんの!」

 初めて相羽は純子に気が付いたらしく、ぼんやり、顔を向けてきた。

「涼原さん。偶然、二度目だね。あれ? また髪型……」

 言われて、純子はヘアバンドに手をやった。そろそろ学校が始まるから、ストレートに垂らしてみたのだ。アクセントに着けた白いヘアバンドが似合っているのかどうか、改めて気になる。

「髪のことはいいでしょ。何をしてるのよ」

「何って、昆虫採集だよ」

「虫を捕ってるのは分かるけど、こんなところにいないでしょう?」

 何の気なしに、空き地に入り、相羽の側まで行く。

 腰をかがめ、相羽の提げる虫かごを覗くと、バッタみたいな虫が何匹かと、てんとう虫やカナブン、小さな蝶等が少しずついた。

「……結構、いるのね」

 感心して、相羽を上目遣いに見やる純子。が、当の相羽は首を横に振った。

「いや、少ないよ。種類が少ない。前いた学校、近くに大きな林があって、かぶとやくわがた、いたもんなあ」

「ほんとに?」

「うん。大きくはなかったけど。あーあ。最初はこれを自由研究にするつもりだったんだよなあ」

「そんな無理を。ここには虫、多くないもの」

「みたいだね。危うく、失敗するところだった」

「じゃあ、結局、何を研究したの?」

「月の観察。うまい具合に月食、あっただろ?」

「あっ、あったあった。私も見たわ。なるほどね。でも、同じことした人、多いんじゃないかしら?」

「かもしれない。非常事態だったから、仕方ないでしょ」

 苦笑いする相羽。

「それで、何でまた、昆虫採集をしているのよ。もういいじゃない」

「最後の努力……ってつもりでもないんだけど、やりたかったから。この辺りは原っぱも少ないや。ここ、やっと見つけたんだ」

「ふうん」

 また虫かごを覗く。バッタが跳ねたので、思わず、顔を離した。

「はは、恐がってんの」

「ち、違うわよっ。ちょっとびっくりしただけ」

 純子は頬をふくらませた。それからふと、気になったことを聞いてみた。

「ねえ、この虫達、どうするの? 宿題に使わないんだから、標本にする必要、ないでしょ?」

「もちろん、逃がすけど。飼うことできたらいいんだけど、色々と難しいから。長生きさせられないし」

「よかった」

 ほっと胸をなで下ろす。本当に純子は胸を手に当てていた。

「涼原さんは、昆虫が気持ち悪くないの?」

「触るのは苦手だけど、見ているだけなら平気。あ、でも、蜘蛛とかごきぶりとかはだめよ、もちろん」

「あはは、そりゃそうだ。ミミズは平気でも、ごきぶりは僕も嫌だ」

 それから相羽は話題を換えた。純子の持つ手提げに視線を落としながら、聞いてくる。

「涼原さんは、どこか出かけた帰り?」

「え? えーと、友達の家に。宿題を仕上げに」

「そう言えば、今月の初め頃、会ったときに宿題見せろって言われたような」

「そんな言い方、してないでしょ!」

 握りこぶしを両手に作り、強く主張する純子。

 相羽は網を持ったまま、お手上げのポーズを小さく作った。

「はいはい、してないしてない。で、できたの、宿題?」

「う……だいたいは。三つだけ、書けなかったけれど」

「どの問題?」

 熱心に聞いてくるので、純子は手提げからプリントを出し、指で押さえた。

「算数は、こことここ。理科が……これよ」

「お、ラッキー」

 声が高くなる相羽。

「何がラッキーなのよ」

「ここなら教えられる」

「え? ほんとに?」

 純子の声も大きくなった。

「嘘なんか言わない。時間あるなら、今、教えるよ」

「助かるっ。お願い」

 ノートの真っ白なページを開き、解き方及び答えを教えてもらう。空き地に放置されている土管の一つに座り、自分の膝が机代わりだ。

「合ってると思うけど。間違ってたら、ごめん」

 立て続けに三つ、問題を解いた相羽の額には、さすがに汗が浮いていた。

「ううん、凄い。合ってるわ」

 解き方を読み返して、確信を持つ純子。元々、問題の意味が分からなかっただけなのだから、解いてもらえばあとから過程を追うのは充分にできる。

「ありがとう。本当に教えてもらうなんて、思ってなかったわ」

「お礼はいらない」

 何故か、焦った様子の相羽。続けて言う。

「その代わりさ、教えてほしいところ、あるんだ」

「冗談でしょ? こんな難しいのが解けて、他に解けない問題なんて、なかったと思う」

「そんなこと言われても、まじで分からないんだ。国語のドリル、持ってる?」

「あるけど」

 純子は言われる前に、国語のドリルを取り出した。表紙が紅色の、大きくてかさばる問題集だ。

「えっと、あー、これこれ。あ、あの、何か書く物」

「はい、これ」

 教えてもらった手前もあるし、ノートを破って、鉛筆と共に渡す純子。

 相羽はよほど慌てているらしく、先ほどとは比べ物にならない乱暴な筆跡で写していく。

 その様を見ている内に、段々、おかしくてたまらなくなってきた純子。

「ふうん。相羽君って、国語が苦手なんだ。でも、テストは八十点ぐらい取ってたみたいだけど」

「あんなの、授業で習ったのを丸暗記しただけ。こういう、いきなり文章を読まされて、問題を解くのが苦手。登場人物の考えていることなんか、簡単に分かるもんかよ」

「ふふっ、それもそうね」

 やがて相羽が分からない問題の答全部を書き写した頃には、日が暮れかかっていた。空き地の側には外灯が二本あって、早々と灯が入っている。ひと気はなくなっていた。

「終わった!」

 喜色満面の彼の表情を見て取り、純子はくすっと笑えた。

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