第7話 夏の体育と言えば

 今年初めてのプールは、少し冷たかった。震えるほどではもちろんないけれども、水から上がって風を浴びると、鳥肌が立つ。プールの中の方が温かく感じられるぐらいだ。

「これから十分間、自由時間」

 水泳の授業で一番楽しみなのが、これだ。決まった順番に泳がされるのより、ずっと面白い。

「鬼ごっこ、しよ」

「うん。純ちゃんが鬼ね」

「あ、ずるーい!」

 二組の女子十人ほどで水中鬼ごっこが始まる。泳ぎに自信がある者でも、他の関係ない子達をよけながら追いかける、あるいは逃げねばならないので、さして優位にならない。

「それっ」

 純子が町田に追いついて、タッチした。鬼になった者は、その直前の鬼にはタッチを返せないルールが定着しているので、急いで逃げる必要もなし。

「あれ?」

 町田が、純子の方をまじまじと見ている。

「な、何?」

 タッチされないと分かっていながらも、警戒する純子。

「帽子、ないよ」

「え? あっ、ほんとだ」

 純子は頭に両手をやり、手応えのなさに焦った。

「探さなきゃ。私、ちょっと外れる。みんなに言っといてね」

「オッケー」

 町田は他の女子の方へ泳いでいく。

 純子はと言えば、目を細め、ゆらゆら揺れる水面に視線を走らせた。が、人が多くて、自分の帽子がどこに行ったのか、さっぱり分からない。

(困ったな……。沈んでるかもしれないし)

 息を吸い込み、頭から潜る。痛いのを我慢して、目を開けたが、たくさんの足が見えただけで、どうにもはっきり見通せない。

「っは!」

 息がもたずに、勢いよく水面から顔を出した。

 と、頭の上に何か置かれる感触があった。

「――あんた」

 相羽がすぐ横にいて、手を伸ばしている。純子は思わず、後ずさり。と言っても、水の中なので、ふわふわ揺れるように下がる。

「逃げなくても。ほら、また帽子、落とす」

「え?」

 相手の指さす先――自分の頭を見てみると、白い帽子がぺちゃんこの形で乗っていた。手に取ってみると、間違いなく純子の物。

「これ……」

 すでに行きかけの相羽に、声をかける。

「鼻先を漂ってたから、拾ってみたら、涼原さんのだった」

「あ、ありがと」

「別に礼なん――」

 いきなり、相羽の上半身が水面下に沈んだ。

 はっとして、見守っていると、すぐにまた浮かび上がってくる。

「てめ! 急に足、引っ張るなっ」

「新しい技の研究。実験台にしちゃる」

 それとばかり、他の男子が組み付いていく。

「きたないぞ。ハンディキャップマッチかよ?」

「おまえが強いんだもの」

 目の前で派手に上がる水しぶきに、顔をしかめながら、純子は何故か微笑ましくなった。

(……やれやれ)

 そして帽子を被り直す。

(あんな奴でも、ちょっとはいいとこあるんだ)

「タッチ!」

 いきなり、肩を押される。

「え、ちょ、ちょっと」

「鬼だぁ。帽子、見つかったなら、いいでしょ!」

 富井が逃げていくのを、呆然と見やる純子。

 気を取り直し、水に身体を預ける。

「――やられてばっかりじゃないんだから!」


 一学期の終業式は、楽しくもあり、嫌でもあり。楽しい夏休みを目前に、通知票をもらわねばならないから。

「どう?」

 前の席の富井が振り返って、聞いてくる。

「二重丸の数」

「五年の三学期よりは、増えたけど……」

 口ごもる純子。対して、富井は怒ったように反応する。

「増えたんなら、いいじゃない。私なんか、三つも減った。塾に行けって言われるぅ」

「私だって、三角が二つ増えたのよ。好き嫌いし過ぎちゃったせいだわ」

 などとお互いの傷をなめあって、帰ってからのお小言に備える。

 通知票のあとは、これもうれしくない大量の宿題の配付。プリントやらドリルやらに加え、自由研究用にと画用紙を渡される。

(画用紙を使うことを決められているみたいで、自由な感じしない)

 という文句は、無論、胸の内にだけでとどめておく。

 それから夏休み中の生活上の注意事項等が、うるさいぐらいこと細かく示され、一学期は終わった。

 さあ帰ろうと、席を立った純子に、いつかのように遠野が寄ってきた。

「あの……」

「遠野さん、何?」

「きょ、今日、言っておかないと……ずっと言えなくなりそうだから」

「え? 何のこと?」

 きょとんとしてしまう純子。手提げ――終業式だからランドセルは無用――を机に置き直す。

「あ、相羽君のこと」

「相羽……君?」

 ますますわけが分からず、首を傾げる。純子の耳元で、切り揃えられた髪が揺れた。

(遠野さんももしかして、相羽がいいとか。それにしたって、私に言ってくる必要ないし)

 色々と想像を巡らせつつ、純子は前髪をかき上げた。

「相羽君がどうかした?」

「……六月の半ば頃、そのう……相羽君が涼原さんと……したでしょ」

「は?」

 聞き取れなかった。

「何をした、ですって?」

「……キス」

 遠野の耳が赤くなるのが見えた。そんな純子自身も、顔が途端に火照ってきている。

「あ、あれは、あれは……確かにしたけど、あいつが、相羽君が勝手にやっただけで、私は何にも」

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