第6話 ラッキーではなく

「あら?」

 今度は町田が口を挟む。おかしそうに笑っている。

「だったら、涼原さん。二人きりのときならOKしてたとか?」

「と、とんでもない。何でそうなるのよ」

「そうとしか取れないけど、さっきの言葉」

「最低限の話をしただけだったら。いきなり――キスしてくるような奴、誰が好きになるもんですか」

「じゃ、私がもらってもいい?」

 井口が冗談めかして言うと、すぐさま富井が反応を見せた。

「ずるい、私も」

「相羽君が涼原さんのこと、あきらめたかどうか分からないのに」

 町田がぼそっと言ったところへ、当の相羽が引き返してきた。空になった一輪車の車が、きゅるきゅる音を立てている。

 口をつぐんだ女子四人。

「まだ日陰に入ってる。外をやらないと、終われないぜ」

 言い残して、相羽は他の男子らのいる方に歩いて行った。


 六月後半、体育が水泳に切り替わる。二クラス合同の授業で、二組は一組と一緒。両クラスの男子は一組、女子は二組の教室で着替える決まりだ。

「ざわざわしてる」

 服を脱いでいて、純子達は廊下が騒がしくなったのに気付いた。

「男子は着替えるの簡単だから、もうプールへ向かってるんだよ」

 富井が水着の肩紐をかけ終わったときだった。

 後ろの戸が、がらりと音を立てて開けられた。純子は水着に片足を通しながら、そちらに目をやった。

「え?」

 相羽が足を一歩踏み入れ、立ち止まっていた。

 視線が合う。まだ服を着たままの彼は、表情が固まっている。

「きゃあ!」

 最初に純子が悲鳴を上げ、それが次々と教室中の女子に伝染する。

「エッチ! 覗き魔! 痴漢! すけべ! 出てけっ!」

「い、いや、ぼ、僕は、日番で遅れてて、他の奴に聞いたら、こっちで着替えろって」

 顔を赤くし、激しく両手を振る相羽。いつになく慌てている。

 彼の一番手近にいた純子は、タオルを全身に巻き付けると、大声でわめき立てた。

「いいから、荷物持って、さっさと出て! エッチ!」

 言われるがまま、相羽は自分の席から水泳バッグを取り上げると、転がらんばかりに外へ出て行った。

「全く、何考えてんのよっ」

 ぶつぶつ言う内に、純子は相羽と目が合ったことを思い出した。さっきの場面を脳裏に描いた瞬間、顔から火が出そうなくらい、恥ずかしさがこみ上げてくる。

(み、見られちゃった……)

 胸を隠すタオルを、ぎゅっと握りしめた。

(何で、あいつばっかりに!)

 恥ずかしさと腹立たしさとで、頭がかっかしてくる。

「早く着替えなよ」

 富井が急かす。白の水泳帽を指先で回して、暇そうだ。

「ご、ごめん。腹が立って」

「相羽君のこと? そりゃあ、私もびっくりしたけど、転校してきて初めての水泳なんだよ、相羽君」

「それが何だってのよ。覗いていいわけ?」

「あの様子からすると、他の男共に引っかけられたんだってば、きっと」

「え」

 着替え終わり、髪をゴムでくくろうとしていた手が止まる。

 廊下から、また声が聞こえてきた。相羽と他の男子数人。

「おまえら、よくもだましやがったな」

「へっへー。引っかかる方がどじ」

「そうそう。ちゃんと確かめろよ。中に女子がいるって、分かるはずだぜ」

「遅れて、慌ててたのに、そんな余裕あるかよ!」

 声が遠ざかる。

 純子は富井の「ね?」という笑顔に、不承不承うなずいた。

(なるほどね。……だけど、重ね重ね、何であいつにばっかり、こんな……。謝ってこない限り、許さないんだからっ)

 苛立ちを消せないまま、純子は皆と共に教室を出た。

 すると、とっくに行ったと思っていた相羽が海パン姿で立っていた。ぴんと背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取るや、おもむろに頭を大きく下げる。

「女子の皆さん、お騒がせして、どーもすみませんでした!」

 純子ら女子は、戸惑いで足を止める。

「僕が悪かったですっ。許してください」

 誰か一人が、くすっと吹き出した。それがきっかけとなって、みんな、くすくす笑い始める。次第に笑いは大きくなり、空気も和んでいく。

「許したげるワ、相羽君」

 相羽に近い位置の女子が、おかしそうに言うのに反応して、目だけを起こした相羽。恐る恐る、探るような視線を向けてくる。

「次からは通用しないからねー」

「急がないと授業、始まっちゃうわよ」

 主に二組の女子が、相羽に声をかけて行く。

 相羽の方も、やっと安心できた様子だ。頭を上げ、女子をやり過ごそうと、立ち尽くしている。

 後ろの出入り口から出た純子達と、相羽との距離が狭まった。

 純子に気付いたらしい相羽は、再びばつの悪そうな顔を見せる。

「涼原さん。そのう、またやっちまって……。謝らなきゃ」

「もういいわよ」

 純子は怒った口調で応じた。自分でも、どうしてこんな喋り方になるのか、よく分からない。

「さっきので充分。許してあげるから」

「この間の、その、キスの分――」

「それとこれとは別」

 きっぱり言って、純子は早足で相羽の前を通り抜けた。

(言い訳しないんだ、あいつ……)

 ちょっぴり、見直した純子だった。

「あーあ、謝ってばっか。かっこ悪いったらありゃしない」

 相羽の嘆く声が、小さく聞こえた。

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