第4話 何度でも謝るから

 朝、学校に向かう純子の足取りは、決して軽くなかった。

(あいつと顔を合わせるのも嫌だけど……みんなが何て言うか、恐い)

 地区毎に学年とは関係なく、男女別の班単位で登校する。純子は班長なのだけれど、今朝は何だがぼうっとしてしまって、低学年の子から「おねえちゃん、へんー」と言われる始末。

(あいつのせいだ。うん)

 表面では笑って、内ではいらいらしながら、純子は学校に到着した。

 なるべく目立たないよう、通用口から入る。

(どうせ教室に行くんだから、一緒だけど)

 と思いつつも、こそこそと上履きに替える。

「あっ、涼原さん」

 ほら来た。同級生の一人、町田芙美まちだふみ。比較的大人びた子だから、まだいい方かもしれない。

 渋々顔を向けた純子。目はふせがちだ。

「おはよ……」

「おはよう。昨日、大丈夫だった?」

「……あんまり」

 強がってみせようかと、一瞬考えた純子だったが、結局、正直に答えた。

「心配したんだよ。泣いてたし」

「ありがとう。とりあえず、元気出たから」

「相羽君、あんな人とは思わなかったわ」

 どうやら、町田も幻滅した口なのかもしれない。尤も、純子自身は相羽に対し、最初から何とも思っていなかったが。

「行こうっ。冷やかしてくる人、いるかもしれないけど、頑張って」

「うん」

 また少し、元気が出た。

 階段で三階まで行き、教室の前で深呼吸。中はそこそこ騒がしい。すでに全体の三分の一は登校しているだろう。

「さ。ファイト」

「う、うん」

 町田に付き添われるようにして教室に入る。

 騒がしさが小さくなった。純子に気付いたみんなが、一瞬だけ声を落としたためだ。

 とにかくも、相羽がいるかどうか、目を走らせる。いない。ひとまずほっとできた。

「あ」

 しかし黒板に目をやり、純子は唇を噛みしめた。

 白で大きく描かれた傘。その下、右に相羽の、左に純子の名がこれも白で書かれている。そして傘の先には、赤いチョークでハートマーク。ご丁寧に塗り潰してある。他にも、「けっこんおめでとう!」や「キスの味はどんな味?」等と、からかいや冷やかしがぎっしりだ。

「――っ」

 泣きそうになるのを、ぐっとこらえる。

 気が付けば、町田が背中に手を添えてくれていた。

「いい加減にしなさいよ」

 町田が言った。

「誰よ、こんなくだらないこと書いたの!」

「さあなあ」

 顔を見合わせ、にやにやする一部の男子。彼らの仕業で間違いなさそうだ。

「それよか涼原、相羽にめろめろになったんじゃないか? ははは」

「うれし泣きだったとかしたりして」

「ち、違うわよ!」

「やめなさいよっ」

 町田も一緒になって言ってくれる。

 これをきっかけに、クラスの大半の児童が男女に分かれて言い合いになってしまった。

 大騒ぎになっているところへ、さらに間が悪く、もう一方の『主役』、相羽が現れる。

「何だこれ。ありがちなもん、書きやがって」

 黒板をごんごんと叩いた相羽。騒いでいた男子達もさすがに気勢をそがれたか、大人しくなる。

「誰だよ、書いたの?」

 相羽は、いつものぼーっとした表情ではなしに、きつい面持ちをなしている。声もいくらか厳しい。

 男子二人が立った。

「おまえらか……。清水しみずクン、大谷おおたにクン」

 相羽は薄く笑いながら、つかつかと二人へ歩み寄る。クラスは今や、しんとしていた。

(どうする気よ、相羽の奴?)

 純子でさえ、はらはらして成り行きを見守る。

「何だよ。やろうってのか」

 清水と大谷の二人の声が、多少の荒っぽさを帯びた。

「何のことだ?」

 清水らの前で立ち止まった相羽は、今度は、にっこりと笑った。

「おまえら……うらやましいんだろ?」

「な、何を」

「正直に言えってば」

 相羽は二人の間に割って入ると、それぞれの肩に手をかけた。

「僕が涼原さんにキスしたの、悔しいんだろ。前から好きだったのを、転校生なんかにさらわれてさ」

「じょ、冗談言うな」

「そ、そうだぜ」

 清水と大谷はうなずき合ったが、どこかしら顔が赤い。

「誰が好きなもんか。あんな……」

「その続き、言える?」

 清水、大谷の順にその顔を覗き込む相羽。清水達は顔をそらした。

「言ったら、涼原さんにずーっと嫌われるぜ。この落書きと合わせて」

「――ふん、うるさい。もう放せよ」

「答える義務はないもんな。行こうぜ」

 騒ぎの張本人二名は、尻尾を巻くように退散し、自分達の席に収まった。

 その様を見届けてから、相羽は次に、純子の側までやって来た。

 全身が萎縮するのを感じる純子。

「な、何」

「顔も見たくないって言ってたけど、それは無理だから」

 言って、相羽は不意に床に座り込んだ。正座だ。

「ちょ、ちょっと、相羽君」

 純子の隣にいた町田まで慌ててしまっていた。純子はもちろん、他のみんなも驚き、ざわざわしている。

「昨日はあんなことして、悪かったと反省しています。ごめん!」

 床に手をつき、深く頭を下げてきた。

「や、やめてよ」

 純子の声は、自分でもびっくりするぐらい小さかった。無理に振り絞るようにして、続ける。

「そんなことされたって、私、自分の中で、あなたのしたことを許せるようになるまで、時間かかる。だから! 余計なことしないでっ」

「……分かった。でも、何度でも謝るから」

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