渡辺光さんの場合

 家事代行・メイド派遣サービス『オーダー萌兎』、あなた好みのメイドが、あなたの家事を手伝います――。

 広告に出てきたその一文に、僕の手が止まる。

 馬鹿馬鹿しい。メイド、なんて言ったって、どーせ来るのはコスプレした不細工に決まってる。人類8割がた平凡。美人・美少女なんて、そうそう居ないのだから。

 けど、もしも。自分の好みのメイドさんが来てくれるのだとしたら。それはとてつもなくハッピーなことなんじゃないだろうか。

 僕は震える手で、広告をタップした。

 あの瞬間のことを表現するならば、魔が差した、としか言いようがない。

 ホームページを読み進める。値段設定はメイド喫茶よりも高い……家事代行がメインなのかもしれない。

 それよりも、僕が引かれたのは『電話で好みをお伝え下さい』の一文だ。

 電話、というのは少々ハードルが高いが、それならば不幸な事故は起こらないのだろう。

「あの! メイドの派遣してくれるって聞いたんですけど!」

 どきどきで電話して、僕はメイドさんを呼んだ。


 当日、僕はうきうきして玄関を開ける。するとそこには……。

「おわぉ……」

 くるくる茶髪の美少女メイドがいた。

「ご利用ありがとうございます。家事代行・メイド派遣サービス『オーダー萌兎』、派遣メイドの夢夏ゆめかです。渡辺光さんのご自宅で間違いありませんか?」

「あ、はい……そう、なんですけど……その、」

 ぺこり、と頭を下げる夢夏さん。ゴスロリ風ロングスカートのメイド服に身を包んだその人は、顔だけ見れば、花も恥じらう可憐な美少女である。そう、顔だけ見ればな。

 僕はしばしの現実逃避を試みる。どういうことだよ。これは。

 玄関先で僕は美少女メイド・夢夏さんをいた。

 自慢じゃないが、僕は背が低くない。182はある。気が弱いせいでなんの役にもたっていないが、背だけは高いのだ。そんな僕の、やや上にある夢夏さんの顔。

 どう考えたって185センチは超えている。もしかしたら、190あるかも。

 ハスキーめの声は、まだ女の子として認識できる。が、この身長と喉元の突起はさすがに無理がある。

 僕は「どうかしましたか」と首を傾げる夢夏さんに死んだ目を向ける。そしておもむろに口を開いた。

「チェンジで」

 僕は美少女メイドを頼んだのだ。オカマは頼んでいない。酷い詐欺もあったものだ。

 期待を裏切られ、俺は心の中でしくしくと涙を流した。

「え、泣けってことですか?」

 なんて? ちょっと発言の理解に苦しむんだが。

「ご利用規約にありましたよね?『即チェンジはやめてください、メイドさんが泣いちゃいます』って」

 メイドさん? 泣く? どの辺が? 冗談きつい。

「いいんですか? ここで大声で泣きわめかれても。ここで私が泣いたら、あなた、人にメイドの格好させた挙げ句、外に放り出す最低変態野郎ですよ」

「とんだ風評被害じゃないか!」

 だめだ。ついていけない。僕はそっと玄関を閉め……られない。

 夢夏さんが素早く足を差し込んできたのである。そして、無理やりドアをこじ開けようとしてくるのだ。こういうホラー映画、どっかで見た。

「ご主人様? 私とおはなししましょ?」

 くそ、力つえーな、おい!

 どうせ、おはなし(意味深)だろ。暴力に訴えてくるんだろ。ドアの隙間から見える二の腕が僕よりも太いじゃないか。

 チェーンをかけようにも、今手を離したら確実に終わりである。

「か弱いメイドを外に放りだすって言うんですか?! この人でなし!」

「人聞き悪いこと言うなよ! 190オーバーで上腕二頭筋がそんなに立派なか弱いメイドがいてたまるか! 僕は、僕は美少女メイドをお願いしたんだよ! 茶髪ゆるふわ髪の美少女メイドを!」

「だから来たじゃないですか! 花も恥じらう美少女メイド(ゆるふわ茶髪)が! なんで閉め出すんですか!」

「自称すんな! お前男だろ! オカマを美少女とは呼ばねーんだよ!!」

「ふんっ!」

「あ、」

 ばき、と嫌な音を立てて、ドアが開かれる。ああ、賃貸……。

 崩れ落ちている俺の肩に手を置いて、夢夏さんがにこりと微笑む。

「ちゃんとおはなし、しましょ?」

「ハイ」

 僕は頷くことしかできなかった。

 高身長でがたいのいいメイド(男)に凄まれて拒否できる人間が、この世に何人いるんだろう。少なくとも、僕は無理だった。


 リビングで、僕はメイド(男)と向き合って座っていた。ほこほこと湯気を立てるのは、夢夏さんの淹れてくれた紅茶である。

 多分、圧迫面接でもこんなに緊張しない。

「詐欺だろ」

「なにがですか」

「あんたの存在が。僕、男のメイドは頼んでないんだけど」

「女性、という指定もされていませんよね?」

「いや、僕が頼んだのは……」

「『ゆるふわ髪の美少女メイド、家事を嫌がらずにやってくれて、一緒に買い物に行ってくれるメイド』ですよね? 合致しているじゃないですか。身長も、体格も、性別の指定もしていないんですから、問題ないはずです」

 うん、と力強く頷く夢夏さんに、思わずため息が出る。どっから来るんだその自信。

 そんなの揚げ足取りだろう。というか、美『少女』の時点で普通女の子だわ。

「なら、最終確認の時につっぱねればよかったじゃないですか!『メイドの夢夏が伺います』って麻沼さんが言った時に!」

「女の子だと思ったんだよ!」

 本当になんでこんなことに……。僕が頭を抱えると、夢夏さんは盛大なため息を吐いた。

「いいですか、渡辺さん。渡辺さんが依頼した家事代行は『買い物』と『ちょっとした家事手伝い』でしたよね?」

「はい、まぁ」

「問題は買い物です。いいですか、お野菜やお肉、フルーツぐらいなら別に誰でも持てます」

 力説するのはいいが、野菜や肉に『お』をつけないでくれ。フルーツじゃなくて果物って言え。話が全く入ってこない。

「けど、お米やお塩、お砂糖を十キロ買うようなら? 飲料を箱で買う場合は? 家具や畳、窓ガラスを買うなら? そうしたら、男手がいるじゃないですか!」

 僕は思わず天を仰いだ。買わねーよ、そんなもん。買うとしても、それをメイドさんには頼まねーっつの! どんな客想定してんだ、オーダー萌兎。

「そうはいっても、男がメイドって……」

「渡辺様、失礼かと存じますが、世界の男女比率はおいくつでしょうか」

「は、んなの半々にきまってるだろ」

「そう、半々です。つまり、メイドも男女比だって半々というわけです!」

「ふざけんな!」

「ふざけていません!」

 暴&論。こじつけがすぎるだろ。メイドって『女中』じゃん。『女官』じゃん。つまり女じゃんか!

 だが、なにを言っても夢夏には通じないのかもしれない。僕はもう一度ため息をつく。

「もう勝手にしてくれていいです」

 本音を言えば、もう帰ってほしい。料金は適正額払うから、今すぐ家から追い出したい。

 けれど、いくら想像と違ったとはいえ、呼んだのは僕だ。それはさすがに良くない。

「わかりました。では、渡辺様、なんとお呼びすればよろしいですか?」

「なんでもいいです……」

「ではご主人様と……」

「やめてください」

 光の速さで否定する。僕は、男に『ご主人様』と呼ばれる趣味はないんだ。「『さん』付けでお願いします」と弱々しく言うと、夢夏さんはにっこり笑った。

「では、渡辺さん。行きましょうか」

「え、どこに」

「『お買い物』へ」

 立ち上がった夢夏さんを僕は慌てて押し止めた。まてまてまて。まさかその格好で行くわけじゃないだろうな?!

「その格好で行く気?!」

「なにか問題がありますか?」

 夢夏さんは持参していたらしい肩掛けバッグを持ってきょとんとしている。問題しかないとなぜ気づかないんだ。

 大の男が、美少女顔とはいえ高身長でメイド服を着た男と街中を歩いてみろ。悪い意味で目立ちまくるに決まってる。

 通行人に二度見三度見されるならまだしも、下手したら通報すらされかねない。

 などと夢夏さんに伝えようとして、そういえばこの人はメイド服でここまで着たんだと思い出した。

 顔は可愛いとはいえ、相当目立ったろうに。メンタルダイヤモンドかよ。

「え、着替えってないの?」

「予備のエプロンならありますけれど、そういうことではなく?」

 うん。そういうことじゃない。僕は潔く買い物をあきらめた。メイドさん(男)と二人で行って通報されるよりも、後で一人でいった方が百倍ましである。というかそもそも、男と買い物に行く趣味も僕には無い!

「えー、っとですね……あの、やっぱチェンジで」

「え、泣く?」

「違う! あの、仕事内容変更ってか、買い物は無しの方向で!」

 泣く? じゃねーよ、恐ろしい。

「え、いいんですか?」

「考えてみたらさ、そんなに必要なものないなーって!」

 そう。僕は、ただただ美少女とお買い物に行くというシチュエーションを味わってみたかっただけなのだ。そしてそれには男も、通報されるリスクも要らない。

「だから、掃除と洗濯と料理……は要らないから、それだけお願いします」

「承りました、渡辺さん」

 納得してくれたらしい夢夏さんにほっとして、僕は椅子の背もたれに体重を預ける。

 てきぱきと働く夢夏さんをぼんやり眺めた。手際いいなぁ。家事代行は伊達じゃないらしい。


「渡辺さん、渡辺さん、起きて下さい」

「ん……」

 ハスキーめの声に促されるまま目を開けるとそこには、逞しい体つきをした美少女がいた……。

「うわっ?!」

 いつの間にか眠っていたらしい。飛び起きる羽目になった僕に、夢夏さんは「おはようございます」と頭を下げる。

「お時間になりましたので、お声がけしました」

「あ、あぁ、うん……」

 寝起きに夢夏さんを見るのはちょっと心臓に悪かった。脳がバグりそうだ。

 まだ回らない頭を叱咤しつつ、僕は封筒を差し出す。本来なら対面時に渡すはずだった利用料だ。

 夢夏さんは封筒を両手で受け取り、鞄にしまう。

「ご利用ありがとうございました。今回のことに懲りず、今後も家事代行・メイド派遣サービス『オーダー萌兎』をお願いいたします」

 深々と頭を下げる夢夏さんに、俺はとりあえず頷いておく。まぁ、もう頼まないと思うけど。

 一応玄関までは送って、俺は室内へ引き返した。

 部屋に入ってまず、あれ、と思う。

 夢夏さんがくる前は、どことなく埃っぽかった室内。使わないせいで、黒ずんでいたキッチン。溜め込んでいた洗濯物の山。

 それらが綺麗になっている。というか、家が広く思える。

 夢夏は、家事代行としての仕事は十二分にこなしてくれたらしい。

「あ」

 ふと机を見た僕は、ラップのかけられた料理が乗っているのを見つけた。

 料理は要らないと言っておいたのに、作り置いていったらしい。

 男の作ったものなんてなぁ、と思いつつ、僕は唐揚げをひとつ口に放り込む。食品に罪はないし、お腹も空いていたし。

「うま」

 顔は美少女で、家事を嫌がらずにやってくれて、一緒に買い物にも行ってくれる(らしい)。そして料理も上手い。

 夢夏さんに取った態度を、少しだけ後悔した。



 END

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家事代行・メイド派遣サービス『オーダー萌兎』 ゆらぎの花 @yuraginohana

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