心にグッとくる(セシリア)

「これで……ようやくね」


 気丈なお義母様の溜め息まじりの小さな声に私も曖昧に笑って返す。


「今年のメリメント・ゲラは波乱万丈だったわね」


 始まりから波乱に満ちていた今シーズン。「これからどうしようか」と社交界の荒波の乗り方に悩んでいる間に事態は二転三転した。


 終わってみればソリア側妃様は廃妃されて北の修道院に送られ、ティファニー嬢は先日亡くなった。


 表向きは御子は死産でティファニー嬢は出産の際の出血が止まらずに亡くなったことになっているが、実際は御子が生まれるのを待って毒杯を仰いだのだ。御子については聞いていない。


 決してお好きではなかったが、死刑になったと聞いて喜ぶほどでもなかった。


 言葉にすれば複雑。

 私でこうなのだから旦那様は……。


「セシリア、余計なことを考えてはいけないわ。争いで負けた側に情を残してはいけないの。彼らのようにはならないと誓ったら忘れてしまいなさい」


 お義母様の忠言が苦く感じるのは私が未熟であるからに他ならない。


「直ぐにできなくてもいいわ。でも必ずできるようになりなさい」

「はい」


 私にはできるようになりたい、ならなければいけない理由がある。


「あら、ルイーズが目を覚ましたようよ」


 少し離れた部屋から娘ルイーズの泣き声が聞こえたが、私はそのままお義母様と話を続けた。


「いいの?」

「私が行くまでもないかと」


 十日前に生まれたばかりのルイーズは屋敷にいる者全ての関心を一身に集めていて、ルイーズが泣けば大勢が集まる。そして今頃はルイーズの前で自分が先だと大柄な男性二人が押しのけ合っているだろう。


「我が家にはいま育休をとっている体力自慢が二人もいるではありませんか」



 ルイーズが産まれるとお義父様は宣言通り育休を取り、「何で父上が」とぼやきながら旦那様も育休を取った。


 次期騎士団長だが現在は新人の旦那様はさておき、現役の騎士団長が育休を取るなど前代未聞。


 しかし騒ぐ貴族たちを前に宰相閣下が「大丈夫、襲撃の予定はない」と言い切り、皇帝陛下に承認印を押させた。それが一昨日の出来事でお義父様は今日から育休が始まった。


「宰相閣下も必死ね」


 先週ルシール様から懐妊の報せが届いている、宰相閣下はご自身が育休を取るために前例を作ったに違いない。



「全く育休は父親の特権だというのに……」


 ぼやきながら入ってきた旦那様の腕の中は空、お義父様の勝利らしい。



「セシリア、休めているか? 横になっていなくて大丈夫なのか?」

「ええ、大丈夫よ」



 あのメリメント・ゲラ初日の夜会のあと、旦那様に「セシリア」と名前で呼んでいいかと許可を求められた。


 ――― うちは辺境の田舎貴族だ。母上だって領地に戻れば傭兵たちに『姉御』って呼ばれているんだぞ。蛮族相手に上品ぶっても仕方がないからな。


 それは初めて私があの人に名前呼びされるときと同じセリフ。あの時と同じように旦那様は「堅苦しいのは苦手なんだ」と笑う。


 それが意味したのは一から始めようということ。


 周りから見ればまるで飯事ままごと、実に白々しいことだろうが旦那様の目から「許してほしい」という懇願が消えたのが嬉しい。


 あれがある限り私は常にあの人の裏切りを考えねばならず、あの女性ひとのことがいつまでたっても忘れられないから。



 私が妊娠していたことも幸いしていた。安定期の後半になって一気に膨れだしたお腹を見て、旦那様は初めて見る生き物のような目で私を見るようになった。


 ――― どれだけでかい子が生まれるんだ?


 膨れたお腹全てが赤子ではないのだけれど、お義母様が崇めたてられるチャンスとばかりに私の口をふさぎ「お産は大変なのよ」と旦那様たちをここぞとばかりにこき使っていた。



「何をしていたんだ?」

「皆さまから頂いたお祝いの品を確認していたの」


 出産を機に私の口調からも堅苦しい敬語が抜けた。


 何しろ食堂で破水してから寝室に運ばれるまで、私はひどい痛みで半狂乱になり「男はいいわよね」から始まる愚痴を軽く十個はあげ連ねたらしい。


 男はいいわよね、つわりも無くて好きなものをパクパク食べて。

 男はいいわよね、お腹も膨れないから軽々と歩けて。

 男はいいわよね、気持ちいい思いをして終了。

 男はいいわよね、初めてからずっと痛いのは女任せ。


 などなど。


 ――― あなたの剣幕にカイルと旦那様ったら何も言えなくなっちゃって。


 産後、正気に戻った私にお義母様が笑いながら話してくれたことを「本当か」という思いで旦那様に確認したら凄い勢いで目を逸らされた。



「その大きな布をなんだ? 新しいシーツか?」

「イール様からルイーズに。特注した赤子用のおくるみ」

「仕立て屋は仔馬が産まれるとでも思ったんじゃないか?」


 あいつは未だ母上の嘘を信じているのかと旦那様は苦笑する。


 旦那様はルイーズが産まれたことで自分が騙されていることを知ったが、学院にいる十五歳のイール様と領地にいる七歳のキリム様はまだルイーズに会っていないのでお義母様の言葉を信じているらしい。ルイーズを見たら「ちっさ!」と驚くことだろう。



 ***



「セシリア様、お久しぶりです」


 安定期に入ったということで、気分転換もかねてルシール様がハーグ邸に遊びに来てくださった。ローク様とご一緒にベビーベッドに眠るルイーズを眺めたあと穏やかに微笑む。


「ねえ、ローク様。娘もとても可愛らしいと思いませんか?」


 意外……ルシール様を溺愛していらっしゃる公子様なら「ルシールの子ならどちらでもいいよ」と言いそうなのに。


「可愛いのは分かっている、ルシールの子なんだから」


 そうですよね。


「だからこそ悪い虫がつかないかと心配で。陛下はすでにセーブル殿下との婚約を申し出る書状を用意していたらしい。こっちはいいんだ、既に父上が手を打って『王家に嫁にやるわけないでしょう』とガンガン釘をさしてめり込ませておいたから」


 王家には散々痛い目に合わされましたものね。


「問題は帝国だ。マチルダ皇后が出てきたら誰も勝てる気がしない。トイ殿下とは十歳くらいの差、王侯貴族の結婚ならありだろう? しかもラシャ―ル殿下などご自身の婚約もまだのくせに既にうちの子と自分の子の婚約話を持ち掛けてくるんだ。まだ影も形もないから男でも女でも大丈夫って、あの殿下ならうちの子の性別に合わせて子どもを用意しそうで怖い!」


 ……公子様が壊れていらっしゃる。


「それでしたらルイーズ嬢にうちの子のお友だちになっていただきましょうよ。そうだわ、それがよろしいわ。ハーグ伯爵令息、セシリア様、だめかしら?」


 いつにないハイテンションのルシール様に公子様は戸惑い、私と旦那様も互いに戸惑った顔を見合わせる。


「どうしたんだい、ルシール。そんなに浮かれて」

「浮かれ……ておりましたでしょうか」


 公子様の指摘にルシール様は羞恥で頬を染めたあと、私のほうをちらりと見る。


「フレデリック殿下の婚約者だったときトリッシュ伯にいつか護衛騎士になる方としてセシリア夫人をご紹介していただいたでしょう? あのときの凛々しいセシリア様にずっと憧れていましたの。こっそり鍛錬も見に行きましたし、内緒で剣を振り回したこともありますの」


 振り回したつもりが剣に振り回されて手首を痛めたのだというルシール様の暴露話に一同唖然となる。


「もちろんルイーズ嬢に剣を持って子どもを守ってほしいなんて欠片も思っていませんわ。ハーグ侯爵令息には申し訳ない表現なのだけれど剣を持つだけが守ることだと思っていませんわ。実際に私は剣でなく、ローク様やセシリア様の存在にいつも助けられておりますの」


 !


「私も、ですか?」

「ええ。セシリア様は昔も今もずっと私の憧れの騎士様ですから」


 グッときて目の奥が痛くなったが泣くわけにはいかない。

 せっかくルシール様に騎士と認められた瞬間なのだから。


「随分と熱烈な告白だなあ。妬けるなあ、ローク」

「カイル!」


 旦那様が快活な明るい声を出し、公子様が焦った声を出し、そんな公子様に笑いながら旦那様はお二人に見えないようテーブルの下で私の手をポンポンと叩く。


 まるで「よかった」とでも言うような仕草にグッと胸にこみ上げるものを堪える。


 ――― 騎士になってルシール様をお守りしたい。


 あの日この夢を話したのはあの人。

 だから旦那様はそれを言葉にはしない。



「ルシール。もちろんセシリア夫人には適わないけれど俺も最低限の剣の腕は持っているぞ……最近はあまり鍛錬をしていないが」


「公子様、鍛錬は毎日なさったほうがいいですわ。三十を過ぎると色々とグッとくるそうですから」

「何が? え、それを誰が?」


「父です。何がかは『お前には言えない』と言っていたので何を指すのかは分かりませんが」


 私の言葉に旦那様と公子様が「「グッとくるのか……」」と同時に呟いたところで―――。


「髪の毛の生え際かしら」

「「「グッ」」」


 ルシール様の呟きに三人揃ってグッときた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

敗者たちの後日談 ~ 傷モノ令嬢とフラれ公子の政略結婚 酔夫人 @suifujin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ