最終回

会計を済ませ、買い物かごを戻した主婦の女は、ビニールの中から500mlのペットボトルを僕に渡す。



「すみません、ありがとうございます」



僕は礼を言って頭を下げる。彼女はいえいえと微笑みながら、何かを思い出したようにバックをごそごそと探り、中から拳ほどの箱を出すと、僕の手に乗せる。



「宝石箱ってアイス。復刻したから余分に買っちゃったの。よかったらあげるわ」



「ありがとうございます」



僕は右手に乗せられたアイスを眺める。黒色のパッケージの中央に、光を浴びた緑色の宝石が描かれている。



「ありがとうございます」



僕はもう一度礼を言う。彼女は体調に気を付けてねと付けくわて、出口の方へと去って行く。




僕は空調の真下に設けられたベンチに座りアイスを食べる。ご自由にお取りくださいと書かれた箱からスプーンを取ると、箱を開けてアイスに入れる。

四角い箱一杯にバニラアイスが詰まっている。雪のように白いその中に、緑色の鉱石が埋め込まれている。大きく掬って鼻に近づけると、緑色はメロン味だと分かる。



僕はむさぼるようにそれを食べる。早朝のすき家から、何も口にしていなかったから、甘く冷たいものを舌が欲していたのだろうか。五分ほどで食べ終えると、頭に上る急激な冷えに耐えながら、僕は先ほどの親切な主婦の顔を想い出す。



あのような笑みを向けられたのは何か月ぶりだろうか。自尊心のためでも、私利私欲のためでもなく、ただ人を助けたいという本心から繰り出されるあの笑み。彼女から発せられたその労いの心は、確かに僕の荒んだものを清めてくれた。



けれど僕の頭には、彼女の朗らかな笑みだけでなく、そのハッキリとした体躯までもが浮かんできていた。白いワンピースを身にまとっていた彼女は、下段の品物を探るたびに背中を縮め、後ろにいる僕などお構いなしに、弛み肉厚の増した臀部を突き出してくるのだ。



シースルーのような生地のワンピースから、ベージュ色の布が透けている。人間の頭よりも大きい肉の塊が、僕の腰のあたりに近づいてくる。膨らんだ風船のような彼女の身体が、布越しにその豊満さを際立たせている。



僕はそのうねるような彎曲を目にした時、数時間前に起こった、あのすき家のトイレでの出来事を、より一層扇情的に思い返していたのだ。数年ぶりに再会した嶋田加恋という幼馴染の、あの細く透明な印象を与える白い肌の、吸いつくような触感に魅了され、己の理性の極限まで追い詰められた出来事は、自分の倍近く年の離れた主婦の、だらしのない丸みを帯びた身体で、不覚にも思い出してしまったのだ。



僕はメロンのような主婦の尻を見つめている。血の溜まった陰部は勃起している。あとほんの数センチ僕が前に出れば、あの柔らかな質感に、痺れるような恍惚を甘受させてくれる。そう考えただけで僕は嶋田加恋の、何者をも包み込んでくれる豊かな両胸の、肌に着くような心地の良い空間を、もう一度味わってみたいと思うのだった。



僕はアイスを捨てスーパーを出る。燃えるような暑さのアスファルトは、僕を鉄板の上で焼かれている食物のような気分にさせる。

入道雲に隠れていた太陽が頭上を照り付ける。その唸るような暑さで、僕は一瞬、動物にでも戻ったように舌を出し、ハアハアと屈む。

右足、左足、また右足と、歩を進める度に汗が噴き出てくるのがわかる。どこからともなく音が鳴り、僕が平静を取り戻したとき、ようやくその音が止む。その繰り返しだ。



陰部は未だ血が充満し、パンツ越しでもわかるくらい膨れ上がっている。暑さを忘れ、のどを潤した先に、僕が求めるものはなんであろうか。




部活帰りの中学生が改札から出てくる。駅前の電話ボックスは、二階ホームに隠れて陽を遮っているため一段と暗い。僕はそこへ入り、主婦から貰った僅かな小銭を入れ、嶋田加恋の番号をうつ。

ガラケーを持っていないのだけれど、別れ際に教えて貰った彼女の番号は、下四桁が1919だったので、僕はすんなりとその語感を想い出すことができたのだ。

ツーコール目で「もしもし」とカレンの声がする。



「もしもし俺だ」



「どうしたの?」



驚きと嬉しさの混じった感嘆の声が聞こえる。



「今から家に行く」




横浜という大都市は、どうしてこうも坂が多いのだろうかと、石畳の階段をのぼりながら僕は舌打ちをしている。



日ノ出町駅前から二キロほど歩いた先に、カレンの住む町がある。電車を使えばすぐなのだが、生憎そんな金をもう僕は持っていない。電話代に水、それにコンドームを買えば、僕の持ち金はゼロなのだ。



白い手すりを掴みながら最後の段を登り切っても、また一段と急なアスファルトに止マレと書いてある。街路樹の緑がいきいきと伸びている。。前髪から滴り落ちる汗を拭うと、誤ってそれが右目に入り、陽炎の世界へと僕をいざなう。



戸建の家々が、隙間なく道路わきに揃っている。かなり築年数が経っているだろうと思われる宅地の隅に、リードで繋がれた中型犬が寝そべっている。暑さで身動きが取れないのだろうか。木漏れ日が犬の頭上を照らしている。



脇に植えられた紫陽花が枯れている。二週間ほど前までは青や紫ピンクなど、様々に彩っていた花弁は、干乾びて茶色に変色し、葉ごとアスファルトに垂れている。時折風が吹くと、その花弁は弱々しく喧噪に散っていく。



誰一人として僕の前に現れない。こんなにも静かな町があるのだろうか。長く続く道路と街並み。暑さの中、朦朧と歩を進める僕の前に、車や人の姿は無かった。時折、坂下を通る京急の、高架橋を渡る響きが、僕に人間の営みを教えてくれる唯一の存在だったのだけれど、住居犇めく町の奥へ奥へと進むほど、その音は僕の耳に入らなくなっていた。



カレンの家は細長いアパートの突き当りだった。白い外壁塗装は去年塗り替えられたもので、とても築五十年が経っているとは思えない居住まいだった。

インターホンを押し汗をぬぐう。すぐに薄着のカレンがドアを開ける。



「遅かったね」



「いろいろあったんだ。いろいろね」



カレンは僕の右腕を掴んで玄関にあげる。中は涼しいと思っていたのに、たちまち僕の胸のあたりに熱風が押し寄せる。



「クーラー、点けてないのかよ」



「故障してるの。来週業者さんが来るって、お母さんが言ってた」



外からは想像できないほどリビングは広く整頓されていた。女所帯ということもあって、香水や化粧品、消臭剤の甘さといった人工の香りが混合して、独特の匂いが部屋に充満している。



「待ってて、いまお茶を出すから」



彼女が僕の腕を離し、キッチンの冷蔵庫へと走る。肩ひもの細いピンク色のキャミソールは、背中の部分が大胆に開いていて、つむじと後頭部のちょうど真ん中あたりに結わえられた茶髪の束が、艶の光る細いうなじに垂れている。背はさほど高くないのに、鼠径部が見えんばかりに裾のないショートパンツは、肉質な脚をより際立たせているかの如く、僕に挑発の視線を送っている。



僕は勢いよく彼女に抱き着く。冷蔵庫を開けようとしていた彼女は「ひゃあ」っと悲鳴を上げて身体を縮こまらせる。



両手で抱きしめるように、彼女の華奢な腹を撫でると、僕はその稜線をたどるようにして、細やかな肌に指を入れていく。太ましい乳房の先に、汗の溜まったぬめりを見つけると、まるでそれが、長年求めていた愛猫のように、たおやかな円舞を始める。



彼女の部屋はリビングの角だった。整頓された机の横に、皺ひとつないシーツに覆われたベッドがあって、僕は彼女の髪に顔を埋めながら、木製の柵に手を掛ける。



「アツい」



そう言って彼女をベッドに投げる。僕も彼女も縺れ合ってベトベトだ。部屋の隅に置かれた扇風機は、左右に首を回している。



「しょうがないじゃない。壊れているんだもん」



真っ白なシーツに仰向けになって、怒ったように唇を尖らせている彼女は、キャミソールの肩ひもがずれて胸元が露になっている。



「どうしたの?気が変わったの」



「いや、なんでもない」



僕は彼女の胸に飛び込む。数時間ぶりの感触は、まだしっかりと僕の顔にあって、体温の増したその肌を、舌先でうねらすように弄ぶと、口に含んで思い切り吸いこむ。



目前に野望があるとは、こういうことなのだろうと、肉に顔を埋めながら考えている。カレンのためらいがちな嬌声は、徐々に僕の内でじれったさを増している。何を今更。これだからヤリマンは困る。

そのまま身体を牛のようにくねらせて僕もベッドに倒れる。シーツの乱れた端に手を置いて、僕はカレンにキスを求める。



初恋だった。昔から好きでしたと、嘘でも言えたらどれだけ楽だってであろう。カレンは初めての僕をなじるように舌を絡ませて、不憫な妾を思わせる目つきでたっぷりと抱擁する。紊乱な彼女の身体に、どこまでも吸いついてくる寄生虫のように、沸き上がる情人の気質をさらけだしている。



「キレイね」



唇を離したカレンは唐突にそう言う。ぎこちない動きをなじっているのだろうかと、不審に思ったが、カレンの視線は僕の膨れ上がった陰部に注がれて、やがてカレンは手を離すと、僕のズボンのポケットから翡翠のリングを手に乗せる。



「あげるよ」



「いいの?」



「もういらないんだ」



僕はカレンの薬指に翡翠のリングを嵌める。彼女はうっとりとした表情でそれを見つめ、上目遣いのまま僕の口を覆う。







八月の風を両手で抱きしめたら

イマジネーション

飛び立つのサヴァンナへ。








低空飛行がいいと言ったのは彼女なのだから、僕はエンジンを入れると地上のギリギリを滑走する。


乾いた土壌とどこまでも続くレモングラスの草原の上に、世界で一番大きい太陽がたゆっている。陽炎かと見間違うほど、茜色の空に丸く浮かんでいる。


ゼブラの群れがバオバブの木の下で休んでいる。心地よい夏の風が粉塵を巻き起こし、草を食むジェレヌクの足元を揺らす。


この国は、多様な動物と、雄大な植物。諍いのない平和な国。


そんな国を旅する僕らは、一度しか見れない一瞬の出来事に心を奪われ、何を想い考えるのであろうか。


僕たちはきれいな水を探している。純粋で、清らかで、禅定で、ゴミひとつない、飲む者全てを優しく潤してくれるような。そんなオアシスを求めてどこまでも滑走し続けている。


僕は高度を上げて飛行する。ハンドルを強く握り、機体を反らすようにして上空を目指していく。燃え盛る太陽がもうすぐ手に届きそうだ。


助手席の彼女は汗で髪を乱している。優しそうにほほえむ彼女の指に、エメラルド色の鉱石が光彩を放っている。



おわり

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