第2話 トモハルくん


 その日は、ちょっと大変だった。

 体の大きい佐藤が後ろから僕を羽交い絞めにして、中村が僕に向かってボールをぶつけてきたのだ。

 精神を鍛えるためだとかなんとか言って。


 僕はこの分ならノートはすぐ埋まるだろうと思って余裕しゃくしゃくだったのだが、さすがに何度も汚いボールを顔にぶつけられると、頭にくる。

 思い切り体をひねったら、予想通りに佐藤の後頭部にボールが当たった。

 そしたら佐藤と中村の取っ組み合いになり(こんなに頭が悪いって信じられる?)僕はさっさとその場を脱け出した。


 走っているうちに鼻血が出てきて、ハンカチで押さえる。

 ことによると、このハンカチも証拠になるかもしれない。いつものように電話ボックスに駆け込む。


 ノートは電話代のすぐ下だ。分厚い電話帳の間に隠すように挟んである。

 やつらの蛮行と僕の機転の良さを、今日も記録しようとノートを開いた僕はぎょっとした。


 昨日の記録のすぐ後に、絶対に僕ではない汚い字で、一言こう書き殴ってあった。


『ひでぇな』


 これは大事件だった。


 慌ててノートを遡ってみると、確かに僕がはじの方に手遊びで描いた迷路はこの無遠慮な赤ボールペンで攻略されていたり、他の日にもちょこちょこ突っ込みじみたコメントが書いてある。


 僕は鼻血を押さえるのも忘れてノートを見下ろしていた。


 机なんて当然ないから、いつも床に直接ノートを置いて記録しているのだ。

 血がポタポタとノートに垂れ落ちて、僕は慌てて手の甲でこする。

 ひょっとして警察の人が見つけてくれたのかもと思った。


 でも、だとしたら変だ。昨日、このノートを見つけたんだとしたら、今日一日のうちに学校にパトカーが来ているはずじゃないか。


 それに僕が言うのもなんだけど、まともな大人がこの電話ボックスを使うとは思えない。字も汚いし、ひょっとしたら僕と同じ子供かもしれない。もしかして、クラスのバカどもの誰か? いや、バレていたら何か必ず言ってくるに決まっている。じゃあ、誰だ?


 悩みぬいた挙句、僕はノートに書いて聞いてみることにした。


 もちろん、人に尋ねておいて自分で名乗らないのは失礼なことなので、簡単な自己紹介も書いた。名前と、小学校と、クラス。担任の先生の名前。もしかしたらちょっと反応が鈍いだけの警察の人かもしれないから、僕の連絡先も。地図付きで。


 次の日、気もそぞろに電話ボックスに駆け込む。


 果たして、ノートに変化はあった。こういうのを返事とは言わないと思う。


 まず僕の書いた自己紹介は、なぜか太いマジックで全て塗りつぶされていた。ご丁寧に矢印付きで『個人情報ロウエイ』と書いてある。


 うるさいな、と僕は思った。漢字も書けないような人には結局、僕の必死さは理解できないということなのだろうか。でも、僕が『誰ですか?』と書いた真下に、一言だけ書いてあった。


『トモハル』と。

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