秘密の電話ボックス

春Q

第1話 秘密のノート

 その電話ボックスは、僕の秘密の場所だった。


 街中にある。

 小学校を出たら右にまっすぐ。

 大きな道路に突き当たったらスーパーマーケットと逆方向へ進む。

 商店街の入り口の前に歩道橋。その足元に隠れるように電話ボックスはある。


 みんな商店街の派手な看板に気を取られがちで、気づかないのだ。

 もっとも、気づいたとしても、よっぽどの急用でない限り使わないと思う。

 なんていうか、ちょっと汚いから。


 本来、ガラス張りで透けているはずの四面に、商店街にあるライブハウスのポスターがべたべた貼ってある。それも、古いポスターを剝がさずに上から貼るものだから、風雨に晒された紙がなんだか気持ち悪い。


 一番目立っているのが、ちょっとエッチっぽいイラストなのもよくなかった。

 セーラー服を着た胸の大きい女の子が、縛られながら涙を零しているマンガの絵。でも、その女の子がちょっと異様で、なんだか下半身が筋肉質で男っぽく見えるんだよな。


 アートってやつなのもしれないけど、なんとなく目を合わせちゃいけないような気分になる。子供の僕でさえそうなんだから、大人はなおさらだろう。


 中も汚い。いつ吹き込んだのかもよくわからない落ち葉が、カラカラに乾いて溜まっている。

 掠れてよく読めないけど、なんだか古臭い落書きもたくさんあった。

 読めるぶんでも、こんな感じ。

『喧嘩上等』、『シネシネシネ』、『うんこ食う』、『TELして×××-××××-××××』。うん、これ以上は必要ないな。


 緑の電話を、僕は使ったことはない。でも、音はするから通電しているようだ。触られなさすぎて蜘蛛の巣状のホコリがかかっているけど。

 僕がこの電話ボックスに毎日のように通っているのは、もちろん電話をするためじゃない。


 クラスのバカなやつらに追われているからだ。


 最初この電話ボックスに逃げ込んだのは本当にたまたまの苦し紛れだったけど、追手をやり過ごしてみると、立地といい内装といい秘密基地には最高だとすぐにわかった。


 歩道橋のくの字に折れた階段が、いい目くらましになるのだ。


 追手はまず商店街か歩道橋に目をやる。普通、追われている人間が電話ボックスにもぐりこむとは思わないし、もしそう思ったとしても、中の見えない電話ボックスに飛び込むのは勇気がいる。使用中だったら大人に怒られるかもしれないし。


 そんなわけで放課後はあれこれと逃げ回りつつ、最終的にはいつもこの電話ボックスにいる。


 やつらがなぜ僕を目の敵にして追い回すのか。


 その理由は僕の顔にある。どういうわけかホクロまみれなんだよな。

 ソバカスとも違う、見るからにホクロとわかる、墨を打ったような黒い点が顔中に広がっている。


 転校初日にあいつらが笑いながら開口一番言ったのは、これだ。


「どれが目なの?」

「そんなこともわかんないの? このクラスって、かなり低レベルなんだ!」


 カッとなって言い返したおかげで僕はクラス中を敵に回してしまった。

 まあ、思いたいように思えばいいよ。


 こっちだって別に低レベルな連中と付き合いたくはないし、嫌うっていうのは弱者に許された唯一の攻撃だと僕は思うからね。犬だって赤ちゃんだって嫌うことはできる。


 別に僕はそんなことで傷ついたりしない。ああ知能が低くてかわいそうだなって思うだけ。


 でも教科書を汚されたり暴力を振るわれたりするのはちょっと困る。


 って、こんなことして将来的に困るのは向こうの方なんだけどね。なぜなら、僕はやられっぱなしじゃないからです。そう、やつらがやったって証拠を十分に集めたら、僕は警察に訴えてやろうと思ってる。


 警察だよ警察。先生なんてあてにならないもの。


 いじめを見て見ぬふりをするし、なんなら直接訴えたところで、なぜか僕の方を注意してくるんだから。

 そりゃ先生からしたら、僕は扱いづらい生意気な生徒かもしれないよ。


 でもだからって、協調性を養えとか、お友達の気持ちも想像してとか、僕だけに言って問題が解決すると思ってるんだったら、大間違いだ。かわいそうどころじゃない。僕はそんなことを言うような大人は、はっきり言って軽蔑しちゃう。


 で、警察に訴えるとして、先生もクラスのやつらも口裏を合わせて、僕が嘘をついてるって言い出すような気がするんだ。今でさえそうなんだから。


 そこで大切になってくるのが、そう、証拠です。


 僕は学校が終わると、毎日この電話ボックスにこもってその日一日にあいつらが僕にどんなことをしたのか自由帳に書きつけるようにしていた。いわゆる閻魔帳ってやつだ。


 たとえば、ある日の記録はこんな感じ。


『12月9日。また佐藤くんが僕の上履きを隠した。仕方なくPTA用のスリッパを履いて教室に行ったら、佐藤くんが一番に手を叩いて大笑いしたから、間違いなく犯人。ふつう登校してきたクラスメイトの足元にそこまで注目しないから。そうしたら野沢さんと高橋さんまで「PTAなの?」「チビのおじさん!」などとからかってきた。川野先生に言うと、例によってなぜか僕を注意してくる。最悪の一日のはじまり……』


 いつ誰が何をして、それで僕がどう感じたのか、詳細に記録してある。


 この調子で一冊書き終われば、警察も動かざるを得ないだろう。レベルの低いバカどもは一掃されて、クラスの風通しがよくなり、なんなら学校全体の学力が向上するかもしれない。それで僕は表彰されちゃったりして。


 読み返すだけで夢の膨らむこのノートを、もちろん僕は持ち歩いたりしなかった。

 人の机から教科書を勝手に取って汚すような常識のないやつらなのだ。こんなのを書いてると知れたら、逆上してノートごと燃やされちゃうかもしれないからね。


 それに、うちの両親に知れてもまずい。


 特にお母さんは親バカだから学校にクレームを入れて、前の学校の時みたいにモンスターペアレンツ呼ばわりされてしまう。


 お父さんはもっとダメだ。とても厳しいから「そんなバカに良いようにされているのか」ときっと僕を怒るだろう。ひょっとしたら打たれるかもしれない。お父さんは拳骨は使わないけど、ベルトをムチみたいに使うことがある。

 僕は男の子で勇気があるから痛いのなんて別に怖くもなんともないけど、いや、男の子だからこそ、今は一人で忍耐すべきなのだと思う。ノートいっぱいにクラスのやつらの悪行が溜まったら、みんなまとめて警察に逮捕してもらうんだから!

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