第4話

「あの」


 声をかける。無視された。


「すいません。ここらへん一帯に線上降水帯が出てまして」


「出てない」


 出てない。正解。ここから退去させるための嘘だから。すごい。でも面倒だからここは線上降水帯の嘘で、ごり押し。


「まいったな。いちおうここは退去していただかないと」


 さっきの女の声。

 そういえば。聞いたことのあるような。声じゃなかったか。

 やばい。

 やばいやばいやばい。まず逃げないと。ここから離れないと。


「おい。待てよ」


 うわぁばれた。やばい。こっち見てないのに逃げようとしてるのばれた。もうすでに、心がびびっている。彼女の執念がすごい。


「ひさしぶり」


 なんて答えるのが正解なんだ。やばい。わからない。

 ので、沈黙を選択。波の音が、心地よいかも。


「挨拶」


 うわぁ。いきなり喋るなよこわいなぁ。


「おひさしぶり、です」


 敬語。


「ずいぶん丸くなったね?」


 ん。

 いや、個人的には細くなったはずなんだけど。いや、体重的な話ではないのか。じゃあなんだ。内面か。性格的な。いや、それも特に変化は。

 あっそうか分かった。敬語か。敬語を指して、丸くなったなって言われてるのか。じゃあ、敬語禁止か。


「返答」


 あひぃ。


「いや、ちょっと、驚いてて。声が出ない」


 と言いつつ、そっと後ずさり。


「逃げるなよ」


 まるで釘でも刺されたみたいに。脚が止まる。背中越しに。彼女の覚悟を感じる。やばい。逃げられない。たすけて。このままだと彼女に救済されてしまう。彼女が死んでしまう。


「座れ」


 あっ。詰んだ。


「あの、線上」


 最期の抵抗。線上降水帯の嘘


「座れよ」


 はい。わかりました。彼女が指差した隣に、座る。おわった。これはもう、さすがに、終わった。


「まだ鍛えてんの?」


 あ、身体のことか。


「ええ、まぁ」


 任務柄、そこそこ使える身体があると便利だったし。あと、追われたときに逃げるのとかに。使う。予定だったんだけどなぁ。なんで座ってるんだろうなぁ俺。


「なんで?」


「え、なんでって、言われても」


 本人を目の前にして、あんたから逃げるためだよとは言えんしなぁ。


「今なにやってんの?」


 おっ。話題転換。ここから去るチャンス。


「今。あなたに退避勧告を」


「今。なにやってんの?」


 はい終わり。終わりです。逃げられない。誰か助けて。いやだめだわ彼女に助けられたら彼女の人生が終わる。


「ええと。この街で、便利屋みたいなことをやってます」


「敬語」


 人生のなかでも最高レベルに危険度の高い会話。


「便利屋をやってる。ネオンの掃除から退避勧告まで。妖怪と戦ったりもする」


 妖怪。まぁ、嘘は言っていないので、まぁよし。


「線上降水帯が、なんだって?」


 ごめんなさいそれは嘘です。


「あの」


 肩を殴られる。想定していたよりも、数倍。優しい殴り方だった。


「次に嘘をついたら、ころす」


 あっ。


「ごめんなさい嘘です」


「敬語」


「嘘つきました。ごめん。だって、海見てるから。天気のこと言えば従ってくれるかなって」


「なに?」


「おまえだとは、思わなかった」


「わたしも、あなたがここにいるとは思わなかった」


 もしかして。

 想定していたよりも、数倍。まだ状況的にはわるくないかもしれない。


「ここには。どうして。もしかして俺に会いに」


 難易度最高レベルの会話。ここに極まる。これより先はない。


「決まってるでしょ。声の先を見つけて、救うためよ。あなたに会うためじゃないから」


 よっし。勝った。終わったと思ったけど、始まった。

 彼女は、まだ。声の先が自分だと気付いていない。今ならまだ。逃げられる。


「そうか。残念だ」


 立ち上がる。


「おい。座れよ」


「海見るの、好きだっただろ。好きなだけ見ていけよ。もうめないから」


 俺は逃げるから。口には出さないけど。心のなかで叫ぶ。

 そう。

 こういう、彼女との何気ない会話が。彼女の隣にいる時間が。自分を救ってしまう。

 だから逃げる。たとえ地の果てでも。別な世界でも。逃げてみせる。


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Heard. 春嵐 @aiot3110

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