日葵と新月

中野砥石

第1話 日葵と新月

 月は太陽があってこそ夜を照らすことができる。

 だけど太陽の気まぐれで月は夜空に輝けない日もある。


 新月しんげつ


 天体の位置関係で生じてしまう現象。


 私はこの名前があまり好きじゃない。

 けど、私と同じ遺伝子の、もう一人の彼女——日葵ひまりの引き立て役になれるなら、それで十分だった。


 日葵は私と違って、みんなに期待されている。


 学校での成績いつも上位。

 運動もできて、ほかの運動部に助っ人として出るほどだ。

 容姿は一卵性の双子だというのに私よりオシャレだ。


 同じ高校に通う私と日葵はいつだって一緒だ。


 私は日葵の引き立て役。

 私は小さいころからそれに徹底してきた。


 日葵が輝くならそれで十分だった。それが私の役目だ。

 そう思っていた。


 そんな自分の立ち位置に満足できなくなったのは、きっとこれがきっかけだろう。



「おはよー。新月」

「おはよう。日葵」


 今朝から元気な声で声を変えてくる日葵。


 いつも通りの朝。

 いつも通りの日葵は明るい笑顔を私に向けて朝の挨拶をする。

 私はそれに対して、同じように挨拶を返した。


 日葵はいつも通り、オシャレに手を抜いていなかった。

 私たちが通う藤沢大学付属高校の校則に違反しないギリギリの制服の改造を施している。


 スカートは折って丈を短くしている。女子の制服の標準装備であるリボンを、スクールカースト上位の女子らしくネクタイにマイナーチェンジしている。

 髪型も時間をかけてヘアアイロンで整えていた。今が梅雨の時期より前だからできるヘアアレンジと言えるだろう。


 そんな日葵に対して、私は校則通りの制服の着こなしを守り、スクールカースト下位と思われても遜色ない見た目だ。ちなみに髪の長さは日葵と同じ。


 無駄とは言わないが、私たちはもともと直毛だ。だからヘアアイロンをかけた今の日葵とヘアブラシで整えただけの私とあまり変わりはなかった。


 そんな私と日葵は同じテーブルに座り、すでに卓上に並んでいる朝食に目を向ける。


「「いただきます」」


 掌を合わせた後、私たちはお母さんの作った朝食を口に運ぶ。

 トーストに半熟のベーコンエッグ、自家製のコールスロー、そして牛乳。


 いつも通りのお母さんの料理の味だ。

 若干塩気が弱めの味の料理を私は黙々と食べ進める。

 それに対して、日葵は違った。


「ねえ、新月。昨日宿題教えてくれてありがとー! おかげで助かったよー!」

「そう、よかったね」


「今日の放課後、マックに行こ! 宿題のお礼にポテトおごるよ!」

「そう。それはありがとう」


 いつもながら朝から元気いっぱいに話す日葵。

 そんな姉に対して、私はいつも通り、淡々と相槌あいづちを打つ。


 そして食事を終えた私たちは再び手を合わせ、「ごちそうさまです」と言って、食器を洗い場に置いた。


「それじゃあ、学校に行こー!」

「はいはい」


 日葵は食器をいつもの定位置へ運んだ後、すぐに玄関の方へ向かう。その後を追うように私も玄関へ移動する。

 私たちはたちばな家の家から出て学校へ向かう。



 学校での私と日葵は住む世界が違う。


 日葵はいわゆる陽キャが集まるスクールカースト上位の人種。

 そして私はどこにも属していない。一括りにするならスクールカースト下位の人種だ。


 自分でも陰キャという自覚もある。

 だけどそれを変えたいという蛮勇——もとい、勇気はない。


 どれだけ自分を鼓舞して頑張って変わっても、すぐにボロが出る。そうなるくらいなら、最初から陰の人種として徹底していた方が楽だ。


 それが私の持論だ。


 それなのに、そんな私にいつもちょっかいをかけてくる陽の人種がいる。


「ねえ、新月! 昼休み、一緒に学食行こ?」

「また?」


 昼休みになると、日葵はいつもこっちのクラスへ訪れて私のところに来る。


「いいじゃない! 食事は一人でも多く食べる方が楽しいでしょ?」

「……はあ、わかったわよ」

「それじゃ、学食へ行こー!」


 姉の勢いにいつも負ける私。そしていつも通り、学食へ向かう。

 学食はいつも通り、学生が密集している。

 高等部専用の学食というのに、学食はいつも混雑している。


「今日はいつも以上に混んでるね」

「少し出遅れたわね」


 さすがに席がどこも空いていないとなると、食事するにも落ち着いて食べられない。


「こうなったら、学内のコンビニで何か買って、別の場所で食べたほうがいいわね」

「そうね。じゃあ、そうと決まればコンビニに行こー」


 まったく。切り替えの早いところはさすがよ。

 そして私たちは学食から学内のコンビニへと移動した。


 そしてコンビニに着いた私たちは、それぞれ食事を購入しようとレジへ移動する。すると日葵は財布とにらめっこをし始めた。


「どうかしたの?」

「……お金足りなかった」


「それでよく朝に奢るなんて言えたわね?」

「……申し訳ない」


 あからさまにしゅんとする日葵。そんな姉に私は彼女の分の商品のお金を支払った。


「今度からおこづかいの管理もしっかりしなさいよ」

「ありがとー!」


 日葵はいつも通りの満面の笑みを浮かべる。

 いつも日葵は感情が顔に出やすい。


 困った時はさっきみたいにしゅんとするし、嬉しい時はひまわりのように明るい笑みを浮かべる。


 そんな日葵は、男子には魅力的に見えるらしい。

 二年生になっても、いまだに日葵へ告白をする男子が後を絶たない。


 双子の私が言うことではないが、日葵は顔もいい。

 顔のパーツの一つ一つがきれいで、整っている。


 特に、大きくて垂れ気味の瞳は男子からすれば庇護欲ひごよくを掻き立てられるらしい。

 それに加えて喜怒哀楽がはっきりしていて顔に出るところが男女問わず人気なのだ。


 これは高等部の生徒の中では常識となっている。それだけ日葵の存在は皆に認知されている。


 それに比べて私は、日葵の双子の妹という情報しか知れ渡っていない。

 いつも日葵が困っている時に裏で手を回す、文字通りの引き立て役。


 それが私の存在意義。

 でもそんな立ち位置が一番安心している。


 日葵の助けになっている。それが私にとって嬉しかった。

 できればこれからもそんな存在でいたい。

 それで満足だった。



「ねえ。新月って好きな人っている?」

「急にどうしたのよ?」


 昼食を買った後、中庭に移動した私たち。そしてちょうどいいところに木陰ができている木の傍まで移動する。


 葉が風に吹かれてこすれる音が心地よい。

 そして木陰の傍に移動した私たちは腰を落とす。


「いやね。昨日、一年生の後輩くんに告白されてね」

「確か、サッカー部だっけ?」

「そう」


 さすが日葵だ。数週間前にバスケ部の先輩に告白されたばかりなのに、もう告白されるとは。


「その時、ふと思ったんだ。わたしと同じ顔の新月はどうなんだろうって」

「心配しないで。日葵と違って私は高校生活の中で告白されたことは一度もないわ」


 そう。私は日葵と遺伝子は同じだが、姉のようにモテない。

 というより、私はひっそりと波風立てないように高校生活を過ごしたい。


 キラキラした高校生活に憧れてない。

 その思いを込めて口にした言葉に日葵はどこか安心したような表情を浮かべていた。


「そう。なんか安心した」

「人がモテないってことに対して安心したって返事はなかなかに失礼よ。まあ、相手が日葵だから許すけど」


 もし私と同じ立場の人に同じことを言ったなら問題だ。


「それより、早く昼食を食べるわよ。学食で時間を使っちゃったから昼休みがもう少しで終わるわ」

「そうだった! 早く食べよ!」


 そう言って私たちはコンビニで買ったサンドウィッチを急いで食べた。

 一緒に買ったミネラルウォーターで流し込んで食べ終えると、すぐに教室へ戻る。



「やっと宿題終わったー」

「お疲れ様」


 私と日葵は朝の約束通り、マックに立ち寄った。

 店内で宿題を解いて、日葵は自身の宿題を終わらせた。


 すでに注文品をテーブルに置いている。もちろん、所持金の足りない日葵の分も私が払った。


「あのさ。新月」

「どうしたの。日葵」


 急に改まった様子で話しかけてきた日葵。何かあったのだろうか。


「これに関しては新月に迷惑がかかるかもしれないんだけど、聞いてくれる?」

「本当に何があったの?」


 日葵にしては前置きが長い。それも私の意志を尊重するみたいなことまで言ってきた。

 明らかに軽いお願いではない。


「わかったわ。私にできることなら何でもするから」

「ホント⁉」


「ここで嘘ついても意味ないでしょ」

「ありがとー!」


 日葵はいきなり私の手を掴んできた。

 いったい何なんだ。


「で、そのお願いがあるんだ」

「まあ、そうだとは思ってたけど」

「実は——」


 日葵は重たそうにしている口をゆっくりと開く。


「わたしの恋人を演じてほしいの!」

「……はぁ?」


 思わず変な声が漏れた。

 言ってる意味が分からない。

 どうして私に恋人を演じてほしいなんて頼むの?


「ちょ、ちょっと、状況を整理させて」


 日葵のいきなりの発言を整理する時間が欲しい。


「まずは一つずつ整理させて。一つ目ね。なんで恋人のふりをする必要があるの?」


 まずこれを知らないと話にならない。

 私がこれを尋ねると、日葵はすぐに言葉を返す。


「実はね。この前告白してきたバスケ部の先輩がいたって知ってるでしょ?」

「それは知ってる」


「実はね、その先輩、前にも何度か告白してきてるの」

「……うわっ」


 なんて未練がましい。

 さすがに何度も告白し直すのは悪手だろう。


 もしくは何度か告白すれば日葵が折れると思ってるのだろうか。

 そう考えているなら、その先輩は私からすれば好ましい人間ではない。


「さすがに何度も告白を断るのは心が痛くなってて」

「それを気に病むのは違うわ。日葵は何も悪いことしてないんだから」


「けど、あの先輩。他の女子から人気で」

「そういうことね」


 つまり、その先輩の告白を断るごとに、他の女子からのヘイトを買ってしまう。

 それが怖いということだろう。


「まずは一つ目の疑問は理解できたわ。もう一つの質問ね。なんでそのお願いを女子に頼むのよ?」


 これに関して私が二番目に気になったことだ。なぜ同性にそんな頼みをするのか、理解できなかった。


「だって、男子にそれを頼むめば、その男子がかわいそうだから」


 まあ、日葵の気持ちもわからなくはない。


 男子に恋人のふりをしてくれと言えば、今度はその男子にヘイトが向く。それに恋人のふりをしていた男子がその気になってしまえば、今度はそこから火種が生まれる可能性がある。


「ほかの人が嫌な気持ちになるくらいなら、女子と付き合ってるって思われた方が、後のことを考えても楽だと思って」


 さすがに女の子同士で付き合ってると思われるのは日葵にとってプラスになるとは思えない。けど、日葵にしてみれば、他の人から向けられるヘイトに苦しむより、高校生のキラキラした青春を投げ売ってでもいいのだろう。


「わかったわ。これが最後の質問だけど、そのお願いをなんで双子の姉妹の私にお願いするの?」


 これが私の抱いた一番の疑問だった。

 よりにもよって、双子の妹の私に恋人のふりをしてくれと頼んでくる日葵の考えが理解できない。


「私だって、恋人のふりをする相手を選んでもいいでしょ」


 私の言葉を聞いて日葵は頬を膨らます。なぜ不機嫌になるのだろう。


「そうだとしても、姉妹で恋人関係を演じるって、さすがに無理があるでしょ」

「そんなことないわ! 今まで以上にスキンシップを激しくしたり、一緒にいる時間を増やせば問題ないよ!」


 なんか急に日葵の語気が強くなった。


 たしかにスキンシップや一緒にいる時間が増えればそう思う人もいるだろう。しかしそれはあくまで血のつながった相手を除くという大前提だ。


 大多数の人からすれば、姉妹でスキンシップを増やしたり、一緒にいる時間が増えても恋人と思うとは思えない。

 よくて重度のシスコンと思われるくらいだ。


 まあ、それで何度も告白してくる先輩が引いてくれるなら問題ないのだが。


「……はぁ、わかったわ。私でよければその頼み、力になるわ」

「ホント!」


「ここで嘘ついてどうするのよ」

「ありがとー!」


 さっきまで悩んでいた表情が嘘のように晴れた。満面の笑みを浮かべた日葵は再び私の手を包み込むようにつないだ。


「これからよろしくね!」


 そしてこの時から、日葵との偽物の恋人関係になった。



「行ってきます!」

「行ってきます」


 朝になって家の玄関の扉を開ける日葵。そしてその隣には私がいた。


「ねえ、日葵」

「どうしたの、新月?」


「さすがに近すぎない?」

「そんなことないでしょ。恋人同士なんだから」


 そう。今の私と日葵の距離感はいつもと違った。

 今日の日葵は私の手に指を絡ませて恋人繋ぎをしている。

 しかも、やけに距離が近い。


 この状況を見ている人はどう思っているのだろう。純粋に知りたい。

 私からすれば、いつもと違う距離感の日葵に気持ちが落ち着かない。


 今まで姉妹として一緒に過ごしてきたとはいえ、この距離の近さはなかった気がする。


「ていうより、登校中から距離感近くしても意味はないでしょ」

「念には念を入れてだよ」


「そうなの?」

「そうだよ」


 いつも以上にはきはきした返事だ。

 なんかいつもより機嫌よさそうだし。何かそんな嬉しいことでもあったのだろうか。


 そんなことを思いつつ登校していく。学校に近くなるにつれ、同じ制服の生徒が徐々に同じ方向へ進んでいく。無論、同じ学校の生徒からは私たちに視線が集まる。


 そのほとんどが奇異な視線である。


 一人は学校の有名人の橘日葵だ。

 その日葵が急に双子の妹の私と、こんなに近い距離で登校しているのだ。目立つに決まっている。


「ね、ねえ、日葵」

「何、新月?」


「いくら何でも近すぎない?」

「さっきも言ったけど、恋人同士ならこれが普通だよ」


「日葵って恋人いたことあったっけ?」

「……それは女の子に言っちゃいけないよ」


 つまり、私との偽物の恋人関係が日葵にとって初めてということらしい。

 だから恋人同士の距離感を知らないのだろう。という私も恋人がいたことないんだけど。

 そして学校に到着して互いのクラスへ移動する。


「じゃあ、また休み時間ね!」

「わかったわ」


 そう言って日葵は自分のクラスへ移動して言った。

 こうして偽恋人としての初登校が終わった。



 昼休み。

 私と日葵は昨日と同じく、中庭の木陰の下で食事をとっていた。


「ねえ、日葵」

「ん? どうしたの、新月?」


「なんで私の肩に頭置いてるの?」

「こうした方が恋人っぽいかなって」


 日葵は私のすぐ隣に座り、私の体に身を預けてもたれかかっていた。


 確かに、これが男女なら恋人同士に見えるだろう。

 けど双子の姉妹がこれをすると、ニュアンスが違う。


 まあ、とても仲の良い姉妹と見られるならそれでいい。だがこの体勢は日葵の体重がもろにかかって、正直食事しづらい。


「物事には程度ってものがあるわよ。いきなりこんなスキンシップを激しくすれば、変な目で見られるわよ」

「それが目的なんだから、結果オーライでしょ」

「……まあ、日葵がいいならそれでいいんだけど」


 なんか日葵のペースになってる。

 それがなんだか無性にむかつく。


 いつもは私が日葵を面倒を見ていることが多かったのに、今日に限っては日葵にいいように主導権を握られている気がする。

 そんなことを思うと、私は肩に乗せている日葵の頬に手を添える。そして私の顔の方に振り向かせる。


「きゅ、急にど、どうしたの⁉」

「これならもっと恋人同士に見えると思ったから」


 嘘だ。今、中庭には誰もいない。動揺している日葵の顔が見たくなった。それだけのためにこうした。

 予想通り、日葵は顔を赤くして驚いた表情を浮かべている。本当に感情が顔に出やすいな。


 すぐそばの日葵と同じ顔が、彼女の大きな瞳に映っている。

 吸い込まれそうな程、澄み切った瞳だった。


 愛らしい垂れ気味の瞳は長いまつ毛と相まってより魅力的に彩っていた。

 そんな瞳が目と鼻の先にある。


 そんな感想を抱いてすぐ、私は日葵の顔から離れる。


「まあ、今回はこれくらいにするわ。これからは恋人のふりするにも距離感は気をつけなさい」

「……新月のバカ」


 日葵はそんな言葉をつぶやいた。

 そして昼休みの時間が過ぎる。



 六時間目の終了のチャイムが鳴った。


「やっと授業が終わったわ」


 私はその場で腕を天井へ伸ばす。

 背中を伸ばした私はカバンを持って、すぐに廊下に出た。

 私が教室を出た後、すぐに日葵の姿を発見した。


「日葵、お待たせ——」


 日葵を呼ぼうとしたその途中で、日葵の目の前には一人の男子生徒がいた。

 あの男子生徒は確か、日葵が言っていたバスケ部の三年生だったはずだ。


 そして日葵とその先輩はそのまま昇降口の方へ移動していった。

 私は二人が気になって昇降口の方へ移動する。


 昇降口へ移動した後、二人は高等部の校舎の裏側へ歩いていった。

 なんか後についていくのはいささか気が引ける。しかし気になるのも確かだ。


「あ、あの。先輩」

「橘さん」

「は、はい」


 明らかに困ったような声音で日葵は先輩へ言葉を返す。


「橘さんが好きです! 付き合ってください!」


 やっぱり。

 人気のないところへ日葵を連れてきたんだ。そうなれば先輩がすることと言えば告白だろう。


 何度目の告白よ。未練がましいことこの上ないわ。

 なんだか、心の中がもやもやする。


「前にもお伝えしましたけど、ごめんなさい。先輩とは付き合えません」


 日葵は頭を下げて先輩の告白を断った。

 すると日葵と相対している先輩は若干険しくなる。


「どうして俺の告白を断るのか、理由を教えてくれないかな?」


 そういうところよ。しつこい男はモテないことくらい知っておいてよ。

 けど日葵は優しいから、私みたなことは思わない。それが仇になっている。


 先輩の質問に返答を困らせていた。

 すると向かい側の先輩は徐々に苛立ちが表情に現れていく。


「あ、あの、それは——」

「この際、はっきり橘さんの考えを教えてくれ」


 せっかく日葵が言葉にしようとしたのに、それを遮るように言葉を重ねるなよ。

 そういうところも減点よ。


 先輩の言葉に日葵はさらに困惑していく。

 すると、ついに先輩は日葵の方へ近づいてくる。


「俺に何か不満があるなら言ってくれよ! そうしてもらわないと橘さんの考えが分からないんだよ!」


 声を張って自分の思いを口にした先輩に、日葵はついに怯えだす。

 その様子を見た時、私は無意識の内に二人の間に割って入っていた。


「先輩。日葵が怖がっています。落ち着いてください」

「た、確か、橘さんの双子の」

「妹の橘新月です」


 私は先輩へ自己紹介をする。まあ、これが最初で最後の自己紹介だろう。


「何度も告白するのは、それはそれで問題ですけど。告白の返事を返した相手に対して、強い口調で言葉をかけるのはあまりに非常識です」


 私は自分でも驚くほど低い声で先輩へ注意を口にしていた。

 私の言葉を聞いた先輩は一歩後ろに引いた。


「あと、もう日葵には先約がいるんです」

「は? 先約? それってどういう——」


 先輩が言葉を発し終える前に、私は日葵の顔に手を添える。

 そして日葵の顔に自分の顔を近づけ、頬にキスをした。


「……へ?」


 先輩の口からコミカルな声が漏れる。

 そして日葵も驚いたのか、しばらく表情が固まったままだ。


「こういうことですので、これ以上日葵を困らせるようなら私が許しませんから」


 私はそう言った後、日葵の手を掴み、校舎裏から離れていった。

 正門まで移動した私は引っ張ってきた日葵の方へ振り替える。


「大丈夫だった? 怖くなかった?」

「ね、ねぇ。さっきのって」


 振り返って目に映った日葵は頬を赤く染めていた。

 私へかかける声も少し震えている。


「日葵の方から頼んだんでしょ。恋人のふりをしてくれって。だから恋人らしいことをしたのよ」


 そうだ。これは日葵を助けるためにしたに過ぎない。多少強引な手だったとは思う。けど、これであの先輩は日葵へ金輪際告白しないだろう。


「まあ、さっきのことで明日から学校で噂がもちきりになるわね」


 日葵を助けるためにしたことだから後悔はしてない。けど、これからのことが目に見えて浮かぶ。

 それに日葵を巻き込んでしまったのは申し訳ない。


「でも、日葵が無事だったからよかったわ」

「あ、ありがと……」


 日葵からお礼が返ってきた。

 まだ怖いのか、声が若干震えていた。


「このまま家に帰ろう」

「う、うん」


 そして私と日葵は家への帰路を進む。



 小さい頃、わたしにとって新月はヒーローだった。

 わたしが困っていると、すぐに助けてくれた。


 勉強が分からない時は、優しく教えてくれた。

 持ち物をなくした時は、すぐに貸してくれた。

 わたしがほかの子にいじめられた時は、すぐにいじめてきた子を叱ってくれた。


 いつも新月はわたしを助けてくれた。

 その時から、今もわたしにとってのヒーローは新月だった。


 新月の隣にいても恥ずかしくない人になるため、わたしは一生懸命努力した。

 勉強も、運動も、オシャレも人一倍頑張ったつもりだ。


 けど新月に助けられると、どこか嬉しくなるわたしがいる。

 今回も先輩からわたしを助けるために身を挺してくれた。


 ほっぺにキスはちょっとやりすぎだと思ったけど。


 わたしの初恋が新月だと言えるのには、もう少し時間がかかりそうだ。

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