第107話
これからどうするべきだろう。美桜と一緒に生きていくには何をするべきだろう。
仕事、親、世間の目。きっと他にも色々と乗り越えなくてはいけないことがたくさんある。
美桜を傷つけたくない。そのためには何ができるだろう。
考えながら夕日に向かって歩く。
のんびりゆっくり歩くナナキは、やがてアパートの敷地内に入って自分の家へと向かった。そしてフェンスの中に入ってドスンとマットの上に座り込んだ。美桜が夕飯のドッグフードを皿に入れてやると、勢いよくガツガツと食べ始める。
「元気だね、ナナキちゃん」
声をかけながら様子を眺めていると「先生」と美桜の声がした。振り返ると、彼女はサチがうたた寝していた場所に腰を下ろし、真面目な表情で隣をポンポンと叩いた。サチは素直に彼女の隣に腰を下ろす。
「どうしたの?」
サチが訊ねると美桜は「さっき、先生言ったでしょ」と前方に広がる緑の絨毯を見つめながら言った。
「これからわたしたち、どうなるのかなって」
「うん」
「わたしは、これからずっとずっと先生と一緒に生きていくんだって思ってた。先生は違うの?」
美桜の不安そうな瞳がサチを捉える。サチは彼女に微笑みかけると「一緒だよ」と顔を近づけて額をくっつけた。美桜の額は少しひんやりとしていた。
「来年も、再来年も……。ううん。何十年先だって御影さんと一緒にいたい」
「――だけど?」
美桜は言って額を離した。
「え?」
「さっき考えてたんでしょ? 先生が黙っちゃうときは、だいたい何か余計なこと考えてるとき」
「お見通しだね、御影さんは」
サチはため息を吐く。美桜は笑って「何考えてたの?」と首を傾げた。
「あの、ね」
「うん」
「……本当にいいの?」
何が、とは彼女は聞かなかった。美桜は微笑んで「いいよ」と頷く。
「わたしは先生と一緒に生きていきたい」
サチはその純粋でまっすぐな気持ちを受け止めながら「でも」と目を伏せる。
「辛いこと、いっぱいあるよ? 苦しいことだって……。きっと普通の人生を送るよりも何倍もたくさん」
「普通の人生って、何?」
「え……」
サチが言葉を失っていると、美桜は柔らかく笑みを浮かべて「わたしには、これが普通の人生だよ」とサチの身体を抱きしめた。
「生きてれば誰にだって辛いことも苦しいこともあるでしょ。どれが普通かなんて、そんなのわかんないじゃん」
「御影さん……」
美桜は身体を離すとサチを見つめながら「それに」と続ける。
「先生と一緒なら平気」
柔らかで穏やかで、安心できる声だった。
「うん。そっか……。そうだね」
――何があっても、二人なら平気。
美桜はニコッと笑みを深めると、安心したようにアパートの壁に背をつけて田園地帯へ視線を向けた。サチも美桜が見ている方へ視線を向ける。左手に美桜の手が触れた。その指に、サチは自分の指を絡めて手を繋ぐ。
カランと音が響いた。どうやらナナキがご飯を食べ終えたようだ。それでも二人は動かない。ただ並んで手を繋ぎ、広がる緑の絨毯を眺め続ける。
「……まずは、ちゃんと仕事探そうかな」
しばらくして、サチは考えながら言った。
「辞めちゃうの? 先生」
「まあ、もともと一年契約だし。次があるかわからないからね。それに御影さんのご両親に挨拶するときとか、不安定な職だと格好つかないし……」
美桜は声を出して笑った。
「ママ、先生のこと気に入ってるから大丈夫だよ」
「いや、それは担任だからでしょ? それにお父さんのことは知らないし」
「平気だと思うけど。うちの親、理解はあるから」
「んー。あと、教師をしてるといつまでも御影さんがわたしのこと先生って呼び続けそうだから」
横目で見ると美桜はフフッと笑みを浮かべていた。
「先生だって、わたしのこと御影さんって呼んでるじゃん」
「御影さんが先生って呼ぶからだもん」
サチが言うと、美桜は寄りかかるように身体を寄せてきた。そしてコツンと頭をくっつける。
「好きだよ、サチ」
「知ってる」
「……期待してた言葉じゃない」
サチは笑って「わたしも好きだよ、美桜」と彼女に囁く。美桜はくすぐったそうに笑った。
そして二人は無言のまま、沈み始めた太陽に照らされた田園地帯を眺めていた。互いの手は、しっかりと握ったまま。
――ずっと一緒にいよう。
サチはギュッと彼女の手を握りながら思う。美桜も強く手を握り返してくる。そして二人で視線を合わせて微笑み合う。
――これから何があっても、ずっと一緒にいよう。
緑と水の気配を含んだ優しい風が、二人を包み込むように吹いては去っていく。
サチと美桜はどちらからともなく近づき、そっとキスをした。
――美桜と、わたしと。ずっと一緒に。
君と、わたしと。 城門有美 @kido_arimi
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