第三傷 人を救いたい

「誰かっ…たすけて…!!」


はっきりと響く声が森の中から聞こえる。

小さいが、必死な声が俺の鼓膜から脳へ届く。


「っ…。」


ちょっと待て。俺。

何を考えているんだ。

いやだ。もう、人とは関わらない。

そうさっき決めたばかりだろう。


「…誰か!!」


まだ生きたい。

そう訴えかける声が聞こえ、体が震える。

ピリピリと後頭部に電気を流されたような感覚がする。

気が付けば俺は大地を踏み締め、走り始めていた。


もう思い出しても仕方ないような、つまらない約束を思い出しながら。



いつものご飯。いつもの食卓。いつもの無音。

箸がお椀や食材に当たる音だけが響くいような空間。


もう俺は慣れてしまったけれど、他の人が見たらどう思うんだろうか。


「なぁ、流初人。」


突然そのいつもが壊されるとは思ってもみなかったので口に放り込もうとしていた里芋を茶碗へ落としてしまった。


内心驚いているし、それはきっと父さんもわかっているだろう。しかし俺は努めて平生を装った。


「…なに?」


「…ちょっと…いいか?」


たまに話すことといえばお金だとか、生活に必要な最低限のことだとか、そんなことばっか。


「…何、急に。」


問いかけると父さんは少し顔を暗くする。


「父さんな。もう、疲れたんだ。医者をやって来てたくさんの人を看取ってきた。助けたくても助けられなくて、でも医者だから割り切らないといけなくて。で、いつも書類に書くのは生きたとか死んだとかそんなのばっかりだ。」


少し笑い、冗談のように語るのは父さんの癖だ。

俺がはっきりものをいうのが得意では無いのは父さん譲りだった。


俺は少しズレた眼鏡をゆっくりと元に戻す。

照明に照らされた父さんはどことなく儚げに見えた。


「嘘も沢山吐いた。『大丈夫だ』とか『元気になりますよ』とか。けど、自分で言うのも何だが、腕がいいから分かっちまうんだよ。目の前の人があとどのくらい生きて、あとどのくらいで死ぬのか。」


「うん。」


医者の宿命というやつなんだろうか。

無言でいることに耐えきれず目線を夕食へと落とし、相槌を打つ。


「生きてれば必ず死ぬ。必ずだ。」


「う、うん…。」


「それで…ちょっと聞きたいのは。お前がこの先どう生きたいかってことなんだ。」


「…仕事の話?」


俺が尋ねると父さんは「んー。」と少し思案しながら箸で茶碗の端を鳴らした。


「いや、そんな具体的な事じゃなくてな。何をしたいとかどうなりたいとか。そういうのだ。」


「なんか父さん、今日変だな。いつもはこんな話しないのに。」


「いや。まぁ。なんだ…俺はな。後悔してるんだ。色んなことを。…だから、お前には後悔して欲しくない。俺もこれから後悔しないようにしたい。」


「…。」


違和感。多分父さんは嘘をついている。

母さんが死んだ頃からずっと感じていた違和感だ。

たぶん、父さんは…


「父さん。俺は…俺は父さんみたいに人助けがしたい。討魔師にはなれないと思うけどなにか人の役に立ちたい。」


父さんは俺の言葉を聞いてしばらく俺の目を見た。俺も久しぶりに父さんと目を合わせて話をしたと思う。


父さんはしばらくしてすぐに目を逸らし、「そうか。」といってご飯を口に運び始めた。


なにか、まずいことを言ってしまったのだろうか。

そう思い俺が俯いていると父さんは言う。


「俺はお前の生き方に賛成だ。お前がそう言ってくれて俺も嬉しいよ。」


父さんの言い方は優しかった。でも、多分本心じゃない。けれど俺もやっぱり父さんの子なんだな。


「うん。約束する。俺は人を助けられる人になるよ。」


その日、俺たち親子は嘘を吐き合い、約束をした。



吹き抜ける烈風の如く。

人間の頃ならこんな速度では動けなかった。それにこんなスピードで木々を避けることなんてできなかっただろう。


声のする方へ一直線に駆け抜けた。

最短距離で。最速で。


しかし、何故だかもう迷いはなかった。


「俺が…助けないと…!」


やっと森を抜けると、太陽の光が煌々と差し込む開けた場所に出た。


呼吸を整え、状況を把握することに務める。


そこは周囲が森に囲まれている在り来りな空間だ。

目線の先には岩場を背に、魔物と退治する少年の姿が映る。


「だ、誰か…助けて…。」


「ヴゥゥ。」


もう後がない少年を、魔物は距離を縮めるでも無く、いやしくもてあそぶように、時折少年に攻撃する素振りを見せていた。


おそらくあの岩場から逃げ出したところを後ろから襲うつもりなのだろう。


一見、野犬のようにも見えるそれは、黒い体毛に背中に流れるようになびく灰色のたてがみを生やしている。

周囲に他の魔物は確認できない。

恐らく常に一個体で行動しているのだろう。


パッと見たところ、下級の魔物だとは思う。

が、魔物は魔物だ。

理解できたつもりになってはいけない。


「…どうする。」


やはり、今になってもまだ自分だけで魔物をどうこうできるかという疑念だけがずっと振り払えない。

俺は、討魔師のように幻術が使えるわけでも、使い魔がいる訳でもない。


ただ鬼になっただけの元人間だ。


それでも俺は、魔物に向かって背後からそっと忍び寄る。

大した案は思い浮かばないが早くしなければ間に合わないかもしれない。


気付かれずに後ろから羽交い締めにすれば数秒くらいは足止めになる。

それで結果俺が襲われたとしてもいい。

どちらにしても少年が逃げるだけの時間は稼げるだろうからな。


その後は…全てが終わってから考えよう。

今は少しでも早く。彼を。


そう思い一歩前へ。

もう一歩…もう一歩…

ゆっくりと、音を立てぬよう、悟られぬよう、近づいていく。


距離を着実に縮め、残り少しとなった頃だった。




「ヴゥゥ………」

途端。先程まで少年を弄んでいた魔物はピタリ動きを止める。


まさかと、思い俺も固まる。

しかし、案の定魔物はこちらへ振り返る。


俺の存在がバレてしまった。


『貴様。我の獲物を奪うつもりか。』


魔物は突然に言葉を話し始めた。驚くことでは無い。魔物の中には会話をする者もいる。


『今1度問う。我の獲物を奪うつもりか。』


「…そうだ。その子は俺が貰う。」


『そうか、ならばお前から始末してやろう。』


途端にこちらへと向き直る魔物。そしてその周囲に火球が漂い始める。下級の魔物と思ったがどうやらやはり俺の考えは間違っていたようだ。


火球がこちらへと放たれる。しかし、今の俺の身体能力で避けるのは容易だった。

そんなこと分かりきっていたのだろう。


魔物は火球を避けた先の俺へと飛びかかって来た。

遠目に見たよりも鋭く、大きな牙が俺へと向かってくる。


避けられぬことを悟りすぐに腕を前へ。俺の腕へと食い込む牙。すぐに血が滲み吹き出した。燃えるような痛みが腕から全身へと伝わる。

しかし、今はこれでいい。


俺は苦痛を必死に堪え、いや寧ろと言わんばかりに逆の手で魔物の後頭部を掴みを下へ。膝で下顎を上へ押し上げる。生物の基本がコイツに通じるかは知らない。が、今は時間さえ稼げればいい。


「おい!!今のうちに逃げろ!!」


『ぬっ!?』


「えっ、あっ、は、はい!!」


少年が岩場から森の奥へと逃げ込む。

見覚えのある顔だった気がするが、誰だが思い出すのは今じゃない。


『貴様ァ!!ぐっ!!何故だ!!何故人の味方をする!!貴様も魔物のはずだ!!』


思った通り、こいつは上下から挟まれた口を上手く開くことが出来ずごにょごにょにと何かを叫びちらしている。


大抵の生物は基本的に閉じる力が強くても開く力は弱い。

だからこいつは俺の腕に食らいついたまま離れることができない。

魔物でも構造的に同じだったようだな。


死ぬほど痛いが、我慢できないほどでは無い。


『答えろ…!!くそっ…!!離せ!!』


「黙れ…!!俺は魔物じゃない…!!」


『何を言ってるんだ貴様…!!』


俺は鬼になった。

鬼になってもまだ、人の心が捨てきれなかった。


あの約束のせいなのか。

それとも、俺がまだ他人と関わっていたいと少しでも思っているのか。

俺は物心ついた時からずっと自分にも嘘を吐きつづけてきた。

俺は村の人たちの事が嫌いなんかじゃない。


嫌なことも沢山あった。

こんな性格だから、叱責や罵倒を受けることの方が多かったかもしれない。


でも…それでも…俺は…







____人を救いたい!!!






俺はめいっぱいの力を込め、そのまま魔物の後頭部をさらに押さえ付け、膝をさらに上へ押し上げる。

それと同時に腕から吹き出る血飛沫。

自分の骨が砕け、割れるのを感じる。


魔物は何とか前足をばたつかせ、俺を引き剥がそうと爪を立ててくる。そしてその爪が腹部に突き刺さる。

その痛みで、俺はさらに腕に力を込めることが出来た。


『ぐがあっ…!!!やめろ!!!!』


「っ…!!!」


痛みで俺が離れることがないと悟った魔物はさらに抵抗しようと再び火球を体の周りへと纏わせる。


「くっ!!!」


バギィッ


火球が射出されたが、間一髪俺が魔物の首をへし折った事で消えた。折れ曲がった魔物の首は在らぬ方向へ曲がり、その場へ力なく倒れた。


「はぁっ…はぁっ…」


俺の腕から突き刺さっていた牙が抜け、血液がグチャグチャになった肉の隙間からとめどなく溢れ、剥がれそうな肉片に滴る。白いのは骨だろうか。

腹部に突き立てられていた爪も何とか腸までは届かなかったようだ。


「約束は…守ったぞ…父さん…。」


安堵からか激痛が走り、呻きながら俺もその場に倒れた。


たぶん、血を失いすぎたのだろう。

「鬼って、こんな弱いのか…伝承で聞いたのと…全然違うな…」


まさか鬼の死因が失血死だなんて夢の欠けらも無いな…。


まぁ元々人間だったからとか、俺の基本的なスペックだとかそんなのもあるんだろう。


これで死ぬなら。俺も、悔いは無い。

今は自殺しなくて良かったと、心から思っている。


あの子は無事に村へ戻れただろうか。

こんな時、父さんならどうしたんだろうか。

母さんなら…きっと…


俺は全身から力が抜け、悪寒が全身を包み始めた頃には既にもう意識を失っていた。


そんなつまらないことを思いながら俺は事切れた。

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傷鬼 るーと @root10

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